蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年04月26日(土) 2冊の“The Catcher in the Rye”

夕方、相方と待ち合わせ。約束の本を交換したあと、晩ご飯を一緒に食べる。3日遅れのサン・ジョルディの日だ。

ここ1,2週間くらい、買いたい本はいろいろあったが、ひとまず買うのを避けていた。というのも、私たちは本の好みがわりと似ているから、プレゼントと自分で買う本が重なってしまうことは十分に考えられる。そろそろ禁断症状が出そうなころに、サン・ジョルディの日+3日。プレゼント交換のあと、別々の場所で本の包みを開ける。

やっぱり思ったとおり。私たちは相手のために同じ本を選んでいた。初刷と二刷でかろうじて見分けがつくものの全く同じ本なので、それぞれサインをすることに決める。来年はどんな本をプレゼントしようか。今度は重ならないといいけれど。


2003年04月23日(水) サン・ジョルディの日

親しい人に本や花をプレゼントする日。本好きにとっては、もしかするとバレンタインデーよりも大切な日かもしれない。もらえるのなら、チョコレートより本の方がうれしい。

ちょっと調べてみると、男性から女性に赤いバラの花を、女性から男性に本を贈るというこの風習は、スペインのカタローニャ地方に伝わるサン・ジョルディという守護聖人の伝説に基づいているらしい。それから、この日は『ドン・キホーテ』を書いたスペインの文豪セルバンテスの命日でもあり、イギリスの文豪シェイクスピアのお誕生日でもあり命日でもあるという。そんなこんなで、今ではユネスコ「世界本の日」にも指定されている。

「世界本の日」よりも「サン・ジョルディの日」の方が呼び名としては格好いい気がする。

相方に「サン・ジョルディの日」を知っているか、と尋ねたら知っているというので、うれしくなって、さっそくプレゼントすることにした。バレンタインデーを知っている人はたくさんいるけれど、サン・ジョルディの日を知っている人はまだまだ少ない。相方に贈る本はすぐに決まった。今のところこれ以外には考えられない。実際のプレゼント交換は今週の土曜日に。


2003年04月16日(水) 温かいまなざし

今日食べたお菓子。コンビニで買ったカップ入りのレアチーズケーキ(100円)、友人手作りのおはぎ、先輩に約束をすっぽかされたお詫びにもらったアーモンドポッキー。明らかに食べ過ぎ。おはぎは甘さ控えめでおいしかった。

Dois Mapas(ドイスマパス:ポルトガル語で「2枚の地図」という意味)というボサノヴァ・バンドのCDを聴いている。4月10日発売のKu:nel[クウネル]vol.3にDois Mapasヴォーカルの木下ときわさんが紹介されていて、読んでしまったらいてもたってもいられず、すぐにタワーレコードへ買いに行った。

ku:nelに載っている彼女の写真は、スラリとした背と長い髪が印象的で、そこにはなにか特別にゆったりとした空気が流れているように見えた。歌声はやさしく温かみがあってとても気に入った。小野リサさんに憧れて、と確かインタビューには書いてあったと思うけれど、その声はどことなく似ている。聴いていると、私は世界を見るための温かいまなざしを手に入れることができる。電車の窓から見えるいつもの景色、ふとした日常がいとおしく見えてくる。歌声の魔法、音楽の魔法だ。

木下ときわさんが作るDois Mapasのホームページ。songsでは2曲試聴できる。木下ときわさんの書くmuito bom! もおすすめ。


2003年04月15日(火) 折り合いをつける

家に帰る終バスを待つ間に『FINE DAYS』読了。この本に収録されている「FINE DAYS」「イエスタデイズ」「眠りのための暖かな場所」「シェード」の4つの短編の中では、表題作の「FINE DAYS」が気に入った。それは、私たちがどうにかして世の中と折り合いをつけながら生きていることを感じさせてくれる。

「折り合いをつける」というのは、この頃の私のささやかな目標でもある。わたし以外の世界、そして、わたしたちふたり以外の世界と、うまく折り合いをつける必要がある。ともすれば、わがままになりがちな私にとって、この考え方はとても大切なものなのだ。人はひとりで勝手に生きているわけではない。いろいろなことに(そうしたくなくても)優先順位をつけて、ときには自分の気持ちとは裏腹な行動をとることが求められる。求められているような気がする。

それでも、折り合いをつけることにばかり執着して、自分を見失うことのないように。この力加減が難しい。


2003年04月12日(土) 一発勝負本

本多孝好『FINE DAYS』を読む。本多孝好の作品はいつも登場人物たちの会話がいい。流れるように自然で無理がない。彼らにとても重要なことを語らせているのに、全然嫌味がない。それから、物語の世界にすうっと引き込まれる感覚もいい。まるでプールで潜水している時のように、外界の音が遮断されてしまう。長く感じられる通勤電車があっという間だ。

これほど気に入っているのに、彼の作品を読み返したことは一度もない。これからも恐らくないだろう。それは作品の良し悪しとか好き嫌いの問題とはまったく別の話で、本多孝好の作品は、それが一度きりの楽しみのために書かれたものであるように感じるからだ。

彼の作品を読んでいると、例えば芝居を見ているような、もう二度と同じものは見られないような、そんな気にさせられる。最初に読んだ時の感動は、再読では決して得られない。むしろ再読することで、白けた気分にさえなるかもしれない。

何度も読み返すことで自分の血となり肉となるような本がある一方で、一発勝負をかけてくるような本もある。一発勝負をかけてくる本は、細切れに読んではいけない。たっぷりと時間を確保して、神経を集中させて、心を傾けて読む。一作品読み終わると、だから、疲労困憊する。そして体中が言葉で満たされているのを感じる。


2003年04月06日(日) ある春の日

晴れてあたたかく、風もない、最高のお散歩日和。午後から相方とお花見散歩に出かける。昨日の大雨にもかかわらず、桜の花は思ったよりたくさん残っている。ごくごく薄いピンクの花が、綿菓子のように咲いている。

駅から続く大きな通りを離れて、横道に入る。竹林の中の階段を降りていくとお目当ての散策路だ。アスファルトで覆われていない土の道を歩く。雨がしみこんで湿気を帯びたやわらかい土の感触が足に心地いい。散策路は静かで緑にあふれていて、呼吸が楽になるのがわかる。きれいな空気は心もきれいにする。

小川のちゃぷちゃぷいう音を聞きながら道なりに進む。少し丘になっているあたりには、万葉集に詠われた植物が説明書きとともに所狭しと植えられている。葉っぱの類いは、雑草との区別がつかない。どんぐりがたくさん落ちている。ここらへんのこどもたちは、どんぐりを拾って遊んだりしないのだろうか。

近くのお寺の中にある大きな桜の木は、枝ぶりが見事。満開だったらきっと壮大な眺めだっただろう。散策路の端っこまで来たので引き返す。反対側の端っこを目指して歩くが、二叉路でどっちへ行ったらいいか迷う。

途中、住宅街に入り、紫色の壁の家を発見。金運アップを狙っているのだろうか。散策路からはずれて、古本屋さんや眺めのいい駐車場をめぐる。そのうち風も冷たくなってきたので、気の向くままに寄り道をしながら家に帰る。

ある春の日のデート。


*ご報告*
桜の開花とともに、蜜白玉にも春がやってまいりました。相方とはとても仲よしです。数字の2とお別れして半年間、なぐさめ、励ましてくれたみなさまに感謝。(注:相方は深町直人とは別人です。コイバナのお好きな方はメールくださいませ。)


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