蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年03月30日(日) お花見

休日にしてはめずらしく早起きをする。お花見に持って行く約束のサンドイッチを作る。ツナとえだまめとカマンベールチーズの春色のサンドイッチ。かくし味にシナモンパウダーをひと振りすると、ちょっとくせのある大人の味になる。軽くトーストしてホットサンドにするとチーズがとろけてさらにおいしい。

サンドイッチをバスケットにつめて、空いたところにデザートのイチゴもつめて、お花見ランチの完成。お互いにお弁当を作りっこするので、量は少なめにしたつもりなのに、できあがりはたっぷり2人前。食べきれるだろうか。吉祥寺駅上の本屋さんで待ち合わせ。時間ぴったりに行くと、相方は新刊コーナーの横で待っている。文芸書のあたりをぐるっとひとめぐりして、本多孝好『FINE DAYS』を購入。レジで「波」と「一冊の本」ももらう。

井の頭公園に向かって歩く。駅を出たところから、早くもお花見に行く人たちでごったがえしている。公園はどんなことになっているかと思うと、ちょっとおそろしい。お花見どころか人見になってしまう。案の定、池のまわりにはもうシートを広げるすきまがない。公園には屋台が出ていて、イカだのとうもろこしだのを焼くしょうゆのこげたいいにおいがする。

すぐに座ることはあきらめて、のんびりお散歩する。池の淵にそって歩き、途中で橋をわたって池の向こう側へ行く。肝心の桜は3分咲きで、風が少し冷たい。池から離れ、線路をくぐって、芝生の広場へ行く。

広場には桜の木が少ないせいか人も少ない。日当たりがいいのでここに決める。シートを広げてランチタイムにする。相方のお弁当の豪華ぶりに驚く。ローストビーフにスモークサーモンのマリネ、アスパラとベーコンのバターソテー、お約束の梅干のおにぎりなどなど。おなかいっぱいで食べきれなかったのが残念でならない。

晴れた空の下、りんごのお酒を飲みながら、思いつくままにのんびりおしゃべりをする。話しても話しても話し足りない。この楽しさはいったい何だろう。

風が強く吹いてきて寒くなってきたので、お弁当をしまってシートをたたんで屋根のあるところに移動。来週末には桜も満開だろうから、再びお花見に行く約束をする。


2003年03月29日(土) げんきのこ

午前中は明日のお花見の準備。お弁当の材料を買いに、近くのスーパーへ行く。スーパーではいつも同じ歌が繰り返しかかっている。あれは耳について離れないので困る。少し前までは、♪さかなさかなさかな〜さかなをたべると〜 あたまあたまあたま〜あたまがよくなる〜♪ だった。

今日の野菜売り場では、♪きのこのこのこ げんきのこ えりんぎまいたけぶなしめじ♪ がかかっている。ホクトのきのこの歌だ。CMもかわいい。なにしろ私はきのこが大好きだし、これだったら、一日中歌っていてもいいかなと思う。

あらかじめ買うものを決めて行ったので、買い物はすばやく終わる。家に帰って、午後から仕事に行く。お花見が楽しみで楽しみで、仕事が手につかない。幸い、それほど忙しくなかったので支障はなし。

お花見に一緒に行く人はひとりごと初登場。名前は、・・・まだ決めていない。


2003年03月27日(木) 春の花々

最近の通勤電車での過ごし方。行きは"ONO LISA BEST"を聴きながら、窓からの景色を眺める。そとは春の花であふれかえっているというのに、英語のテキストを見ている場合ではない。梅、あんず、桃、モクレン、コブシ、菜の花、花大根、花ニラ、おおいぬのふぐり、などなど。電車のスピードが上がると、線路脇には色鮮やかな帯ができる。

こうしてたくさんの花が咲くと、本当に春の訪れを感じる。

冬の冷たい空気の中で、それでも確実に春が近づいてきていることをおしえてくれるのはモクレン。ろうそくの炎みたいなかたちをした白い花が咲くと、そこだけ少し明るく見える。

寒い日が続く中で、ときどき勘違いみたいにあたたかい日がある。そんな日には、殺風景だった畑が菜の花の黄色に染まる。遠くには白梅、紅梅。

そして、ある日突然、線路横が薄紫色に変化する。花大根が咲いたのだ。花大根が咲けば、季節はもう春。重たいコートを脱いでも風邪をひく心配はない。薄青色の花ニラも、星の形をして風に揺れている。

今日のあたたかさで、桜の花がちらほら咲き始めた。東京管区気象台は、ソメイヨシノの開花宣言をした。30日のお花見にちょうどいいタイミングだ。


2003年03月23日(日) チェックポイント

午後からTOEICを受ける。

ちょうど2ヶ月前、英語が苦手だキライだという話を書いた。あれからほぼ毎日、通勤電車の行き帰りに英語ニュースを3時間くらい聞いてみた。いつも聞いているのは、VOA(Voice of America)Special Englishというラジオニュースで、英語を母国語としない人たちを対象に放送している。通常よりも心持ちゆっくり話してくれるから、不思議と聞き取れる。使われる語彙も1500語に限定されている(固有名詞は除く)。ネットでも聞けるし、CDブックとして書店でも売っている。

英語耳にするには、速すぎず遅すぎずちょうどいいスピードの英語をたくさん聞くことが有効だという。テレビの副音声だと、いきなり聞くにはちょっと速すぎる。映画も字幕なしでは難しい。どちらもたいして聞き取れずに、そのうちつまらなくなってやめてしまうのがオチだ。その点、VOAは聞き取れた実感があるからうれしいし、続けるのもそれほど苦にならない。

この2ヶ月、トレーニングらしいトレーニングはそれくらいしかせずに、第1回目のチェックポイントがやってきた。ひどく田舎のキャンパスまで足を伸ばして受験する。リスニングは少し手応えが感じられる。一方のリーディングはほとんど第六感で答える。当面の課題はやっぱり語彙力だろうか。結果は4月22日に判明。

TOEICのスコアはどうあれ、とにかく英語嫌いを脱出できたようなので、今はそれがいちばんうれしい。上達するためには、続けること。続けるためには、楽しむこと。何よりはじめに、楽しむことにエネルギーをそそごう。


2003年03月22日(土) ひいおばあちゃんの思い出

ひいおばあちゃんが亡くなった。ひいおばあちゃんは昭和天皇と同じ年の生まれだから、今年で102歳。2年くらい前から病院で寝たきりの生活だったけれど、気持ちはとても元気だった。

それが突然、すっと消えるように亡くなってしまった。

夜、家族みんなが寝静まって、ひとり台所でお茶を飲みながら、ひいおばあちゃんのことを考えた。まだひいおばあちゃんが、おばあちゃんの家で一緒に暮らしていた頃のこと。

夏休みや冬休みにおばあちゃんの家へ行くと、「あらまあ、よく来たねえ。ずいぶん大きくなって」と、まるで電信柱でも見上げるかのように私を見て、笑顔で迎えてくれた。その頃の私はおもしろいほどニョキニョキと背が伸びていたので、ひいおばあちゃんは会う度にどんどん小さくなっていった。

ひいおばあちゃんは普段はひとりで過ごすことが多かった。自分の部屋で小さなテレビを見たり、ときどき着物を着てお芝居を見に出かけたりしていた。小学生の私には、自分専用のテレビを持っているひいおばあちゃんがとてもうらやましかった。

すべてがこじんまりと納まっているひいおばあちゃんの部屋に入れてもらうのも、特別な感じがしてうれしかった。実際、おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも、大人は誰ひとり、ひいおばあちゃんの部屋には入らなかった。ひいおばあちゃんと私は小さなこたつでみかんやお菓子を食べて、お茶を飲んだ。それから、テレビでやっていた歌舞伎を見た。私は分かりもしないのに真剣に見ていた。そんなとき、ひいおばあちゃんはあまりしゃべらなかったけれど、どこかで心が通じている気がして安心だった。

そんなことを思い出していたら、涙がこぼれた。お彼岸にお迎えが来るのは幸せなんだって。


2003年03月19日(水) 胃の問題

夜の休憩時間にたこ焼きをいそいで食べたら、気持ち悪くなる。昨年の夏、職場の近くにたこ焼き屋さんができた。以来、ときどき買ってきては、夕飯代わりにしている。たこ焼きは6個入だ。最初の1個2個はおいしい。そして最後の1個はいつも苦しい。しばらくの間たこ焼きは食べるまいとひそかに誓う。

食べることは好きだし、それほど少食でもないと思うけれど、どうも一度にたくさん食べることができない。食事の前はものすごくお腹が空いているのに、いざ食べはじめるとすぐにお腹いっぱいになる。さらに無理して食べていると、お腹が痛くなると同時に肩がこってくる。肩がこるのはなぜだかよくわからない。

困るのは誰かに食事をごちそうになるときだ。相手は親切に「もっと召し上がれ」と言うのだけれど、こちらの胃はすでに限界なのだ。こういうときは本当に申し訳なく思う。「持って帰ってもいい?」と気軽に言える場合ならまだいい。

そのせいかどうかわからないが、ごはんをおいしそうにたくさん食べる人を見るのが好きだ。健康そうでエネルギーに満ちている。そういう人との食事はとても楽しい。そして、自分の胃が少し恨めしくもある。


2003年03月17日(月) 降り口は左側です

朝から雨でひどく寒い。朝ごはんは、トーストにハムととろけるチーズをのせて焼く。お昼ごはん用におにぎりを2個作って、食器を洗い、バタバタと身支度をして、仕事に行く。雨は小雨になっていて、遠くの空が明るかったので、傘は持たずに出かける。

MDウォークマンで英語ニュースを聴きながらバスを待つ。10分過ぎてもバスはなかなか来ない。特別いそいでいるわけでもないので、のんびり待つ。バス停横のモクレンが咲きはじめた。白くまろやかな花がぽつぽつと咲いている。そこだけ少し明るく見える。

バスに乗って最寄り駅へ出る。有隣堂で村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』を買い、電車の中でじっくり読む。読んでいるうちに頭の中が、どんどんムラカミハルキ語調になっていく。夢中になって読んでいると、周りの音が消えていき、自分が電車に乗っていることすら忘れてしまう。

ときどき窓の外に目をやって、現実を確かめる。雨のせいで茶色に濁った多摩川とか、ちらほら見える紅梅とか、建設中のマンションとか。電車が左右に大きく揺れるともうすぐ、終点。


2003年03月13日(木) こどもっぽい?

髪を切る。春らしく、軽くて遊びのある感じにしてもらう。そして、今回は何年ぶりかで前髪を作る。いつもの美容師さんには「ホントに切っちゃっていいの?」と念を押されたけれど、「思い切ってやっちゃってください、どうぞ」と強気の返事をする。できあがりはちょっとショートに近くなったかもしれない。周りの反応は「あ、髪切りました?」「なんか(前髪あると)幼いですねえ」など。実年齢より年上に見られて困っている人は、前髪を切りましょう。

堀江敏幸『ゼラニウム』読了。やっと最後まで読み切ることができた。5編目の表題作「ゼラニウム」を読みながら、どうもフランスを舞台にした話というのは、配水管がつまったり、床が水浸しになったりすることが多いなと思った。フランスは水回りが特に弱いのだろうか。あきらかに配管工の登場回数が多い。

そんな、話の筋とはあまり関係のないことを考えながら読み進めて、そろそろ話が終わりかけたところでようやく、以前にもこの話を読んだことがあるのに気がついた。読んだことなどすっかり忘れていたし、ここまで読まないと思い出さない自分にも呆れた。どうりで配水管工事が多いわけだ。

『ゼラニウム』に収録されている6編の中で気に入ったのは「薔薇のある墓地」と「さくらんぼのある家」と「砂の森」の3編。特に、「さくらんぼのある家」のラストは音と光がまさにそこにあるようで、美しかった。


2003年03月12日(水) ゼラニウム

堀江敏幸『ゼラニウム』を読む。『ゼラニウム』には表題作のほかに5編収められている。堀江さんは『熊の敷石』で芥川賞を受賞されて以来、気になっていた作家で、これまでにも何度か読もうと思って本を開いたことはあった。その度に文章が読めなかった。ただ文字を追っているだけで、情景が全然浮かんでこないのだ。

それでもあきらめられなくて、昨日、図書館の本棚に見つけたので借りることにした。

手始めに「薔薇のある墓地」を読む。押さえられた静かな文章が心地よい。説明し過ぎない、語り過ぎないことが、最初の数ページを読み進めることを困難にはするけれど、そこを越えればあとは流れに乗っていける。今回はこのまま最後までするすると読めそうだ。

早めのお昼ご飯を食べながら、続きを読むことにする。今日のお昼はマスタードチキンサンドイッチとヨーグルト。大きな窓の横に陣取って、よく晴れた空を眺めながら、しばし休息。


2003年03月08日(土) くるくる回す女

地図を見るが好きだ。道路、川、公園、学校。いろいろなものが目に付く。特に最近の道路地図は楽しい。コンビニとかガソリンスタンドとか細かいところまでいろいろ載っている。地図を眺めるのはいい暇つぶしになる。

しかし、地図を見るのが好きだからといって必ずしも、地図が読める、というわけではないらしい。というのも、地図を持って出かけても目的地にたどり着けないことがしばしばあるからだ。

札幌から東京へ来たばかりのころ、池袋の東急ハンズ近くへ行く用事があった。略地図を持って目的地へと急いだけれど、どうもたどり着けない。行きつ戻りつしているうちにだんだんどこを歩いているのかわからなくなり、脚も疲れて、最後には池袋駅へ戻るのが精一杯だった。今思えば、それほど道が入り組んでいるわけでもないのだけれど、なぜだかその時はたどり着けなかった。地図を持っていたのに、である。

地図をくるくる回す。自分が今進んでいる道と、地図上の道を平行に、そして進行方向を上にしないとわからないのだ。当然、地図をくるくる回せば、印刷されている文字は逆さまになってしまったりもするけれど、それは我慢するしかない。回さない地図より、逆さまの文字のほうがまだ解読できるというものだ。

男の人は地図をくるくる回さないでもちゃんとわかるらしい。頭の中でくるっと回せる、と言う。空間認知能力に優れているのだろう。『話を聞かない男、地図が読めない女』は読んだことがないけれど、それはこういうお話なのかしら?


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