蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年01月29日(水) 穣三昧/そっくりさん

朝刊をなんとなくぺらぺらめくっていると、でかでかとビールの広告。アサヒビールから「穣三昧(みのりざんまい)」という名の新製品がでた。いかにもおいしそうな名前ではないか。本日中に試飲することを固く決意する。

仕事中にDREAMさんから電話。出てみると「蜜白玉、いま有楽町にいる〜?」と訊かれる。いえいえまだ仕事です、と答えると「なんだそうなの。今すっごい蜜白玉にそっくりな人が阪急に入っていくのを見たからダッシュで追っかけたんだけどさ、見失っちゃって・・・」と言う。そんなにそっくりだったんだ。世の中に自分とそっくりな人は3人いると言うけれど、そのうちの1人か。

仕事中だったので話もそこそこに、それでも今度食事する約束をして電話を切る。1年先輩のDREAMさんとは就職してから一度も会っていない。彼女の仕事はハードなので心配していたけれど、電話の感じでは元気そうだったのでよかった。しかし、お仕事柄、逃亡者(?)に巻かれてはいけないんじゃないかと、ふと思う。

帰り道、ひとつ先のバス停で降りてコンビニに寄り、お待ちかねアサヒ「穣三昧」と、今とてもはまっているカルビー「堅あげポテト」を2袋買う。「堅あげポテト」は家族みんなが気に入っているので、あとで食べようと思って置いていると、いつの間にかなくなっていたりする。

ビールとポテトチップ、なんという幸せなひととき。


2003年01月23日(木) 苦手克服なるか

何を隠そう、私は英語が苦手だ。キライと言ってもいいかもしれない。中学・高校の英語の成績はそう悪くはなかったけれど、それでも英語の授業は胃が痛くなるほどいやだった。いつ指されるか、常にビクビクしていたし、構文の暗記もつまらなかった。英語たのし〜!と思ったことは、過去に一度もない。英語はまさに私の弱点であり、コンプレックスなのだ。

そんな私でも一度はがんばってみようと、某英会話学校にたいそうなお金をかけて通ったこともある。しかし結果は読解力にも会話力にもたいした変化なし。英語が好きになる兆候も見られなかった。お金と時間だけがむなしく消えていった。

英語の何がそんなに気に入らないのか。たぶん「間違えてはいけない」「間違えたら恥ずかしい」、そういう気持ちが一番の足かせになっているのだと思う。中学校に入る少し前から、NHKの基礎英語とかを親に言われてしぶしぶやっていた。番組のスピードについていけなかったり、思うように発音できなかったり、そういう自分がすごく恥ずかしかった。小さいころ野生児だった私は、鉄棒も木登りも徒競走も何でもできた。勘が働いて、体が勝手に動いた。しかし英語はそうはいかなかった。こんな調子では中学校の英語も危ないんじゃないか。そう思ったときから、英語に対する変な構えができてしまったのかもしれない。

もっと英語ができたらいいのに、と心のどこかで思いつつも、現実には、英語から逃げる方へ、逃げる方へと進んできた。そしてここまで来て、どうしたって逃げられないことに気がついた。英語という道具なしには、やりたくてもできないことが山ほどあるのだ。その分、人生で損をしているようなものだ。それにこの頃少しだけ、英語に対する考えが変わってきた。当たり前だけれど、英語も言葉だ。私の大好きな「言葉」ではないか。そう思ったら、ほんのちょっとだけ英語が身近になった。

今年の目標の中に「英語」がある。ずっと気にかかってはいたけれど、なかなかきっかけがつかめないでいた。それがここ数日で、英語の勉強に関するとてもいいサイトと本を見つけた。どちらも目からうろこ。いったい何度目の一念発起になるかわからないけれど、今日から英語のトレーニングをはじめる。ひとまず1コ目のチェックポイントは3月23日のTOEIC。果たして結果はいかに・・・


2003年01月14日(火) 誰に伝えるでもなく

生活に密着した言葉は美しい。小説でも詩でも日記でも手紙でも、それがどんな文体を持っていようと、その人の日々の営みから自然と生まれてきた言葉は美しく、そして愛おしい。

ときにその言葉たちはあまりに直截で、生活そのものが透けて見えてしまうこともあるけれど、「レシートを貼るだけ!簡単家計簿」と同じくらいの手軽さで、刻一刻と過ぎていく日常の記憶を言葉にしてとどめておくのも悪くない。むしろ、それは人生を慈しむひとつの手段だと思う。

怖がらずに、構えずに、素直に、言葉にしてみよう。誰に伝えるでもなく、自分の愛おしい人生のために。


2003年01月08日(水) ぴかぴかの晴れ

通勤ラッシュに巻き込まれて、朝8時半に職場着。ぴかぴかの晴れ。今日から新しい人が来る。これからいつも一緒に仕事をする仲間になる人だ。年末の引き継ぎの日に一度会ったきりで、いろいろお話するのは今日がはじめて。物腰の柔らかい人で、なかなかの好印象。仲良くなれそうな予感がする。

仕事に関しては、私が手取り足取り教えることになっている。仕事そのものはたいして難しくはないけれど、ひとつ説明し始めるとこれがいちいち細かくて厄介なのだ。普段何気なく使っている略語や専門用語、いくつかの機械の使い方、物の在処、さまざまな慣習、人間関係、それに伴うパワーバランス、お金と物の流れ、要注意人物への対応、・・・などなど、初めて来た人にわかるように説明するのには、それなりの時間がかかる。

朝からずっとしゃべりっぱなしで、よくもまあ、こんなにしゃべることがあるものだと自分でも呆れるくらいだ。聞いている彼女も相当疲れたはずだ。焦らずゆっくり慣れていってくれるといいと思いつつも、早く仕事を覚えて不安を解消してほしいとも思う。

休憩時間には一緒にごはんを食べて、前の仕事の話や家族の話をする。彼女も本が好きらしく、自然と話が弾む。


2003年01月07日(火) 今回は見送り

こっそり転職活動は失敗に終わる。というのも、面接に通ることは通ったのだけれど、あれこれ話を聞くうちに今よりも待遇が悪くなることがわかり、いくら夢追い人とは言え、これ以上収入が低くなるのはまずいので今回は見送り。それに、今の職場でも人が入れ替わったりいろいろあって、いきなり「辞めます!」なんて言えない状態でもある。

また時機をみて挑戦したい。焦ることはない。心のアンテナをピンと張っていれば、求めるものは必ずひっかかる。

風邪は悪化の一途をたどっていて、頭が割れるように痛い。昼過ぎから熱が上がって、そのせいか関節が痛くなる。我慢できず18時過ぎに仕事を早退する。21時就寝。昏々と眠る。


2003年01月05日(日) 『高慢と偏見』読了

『高慢と偏見』を読み終わる。驚いたことに、ジェーン・オースティンはこの作品を21才の時に書き上げていたという(発表はそれより10年くらい後)。人間をよく観察する眼をもつためには、何も年月が過ぎる(経験を積む、年齢を重ねる)のを待つだけではないのだなと思う。その若さで人物をこんなにもうまく書き分けられる人もいるのだ。

『高慢と偏見』は、映画「ユー・ガット・メール」を観たときからずっと気になっていた。「ユー・ガット・メール」の主人公、キャスリン・ケリー(メグ・ライアン)は大の本好きで、特にこの『高慢と偏見』はもう何百回も読んだということになっている。映画の中でキャスリンは『高慢と偏見』について「・・・なんと言っても言葉がきれいなのよね。・・・『かなたに』とか『・・・』とか。エリザベスとダーシーは最後には結ばれるのかと思うと、もういつも悶々としちゃうのよね。本当にすばらしいんだから!読んでみて!・・・」と絶賛する。

ここまで言われたら、読まないわけにはいかない。とりたてて言葉がきれいだとは感じなかったけれど(翻訳だからかもしれない。英文ならきれいなのだろう)、おもしろかったことは確かだ。後半に進むほどに、人物のさまざまな思いが交錯していく様子は見事で、どんどん惹きつけられていく。好みもあるけれど、比較的らくに読める作品だ。

『高慢と偏見』は訳者によっては『自負と偏見』とされているものもある。


2003年01月03日(金) 箱根復路

箱根駅伝、復路スタート。中大のゴボウ抜きがすごい。復路12位でスタートしたのが最終的には5位。山梨学院は惜しかった。総合優賞は駒大。連覇だそうだ。わが母校はシード権も取れず、惨敗。来年こそはがんばってほしい。

横浜の祖母の家へ。おせち料理にすきやき、昨日にひきつづきごちそうがいっぱい。だらだらと食べつづけ、テレビを見て、おしゃべりをして、座ったまま全然動かない。これで太らない方がおかしい。おばあちゃんは肌つやも良く元気。私は風邪がぶり返したのか頭が痛くなり、大食い選手権を途中棄権して、隣りの部屋でお昼寝をさせてもらう。

夕食抜きで8時就寝。


2003年01月02日(木) 箱根往路

箱根駅伝、往路スタート。箱根駅伝は正月の楽しみで、毎年欠かさずに見ている。特に箱根の山登りはとてもわくわくする。応援するもむなしく、母校の順位はどんどん後退する。明日の復路で、少しでも挽回してくれれば。

うちよりもさらに都心にある祖父母の家へ。せまい家に親戚一同集まって、なんだか酸素が薄い。みんな元気そうでなにより。いちばん具合が悪いのは私だ。おせち料理とケーキをごちそうになって、なぜかお年玉までいただいて帰る。まさかこの年になってまでもらうとは思わなかった。

『高慢と偏見』は下巻へすすむ。


2003年01月01日(水) したたかに、しなやかに

44年ぶりに小雪舞う元日となる。すっきり目覚めるも、昨年にひきつづき微熱。しかし食欲は衰えることなく、お雑煮、おせち料理と快調にお箸がすすむ。昆布巻き(喜ぶ)、数の子(子孫繁栄)、黒豆(まめまめしく)、など一つ一つに意味があることがおもしろい。昔の人はよく考えたものだ。

ひととおり食べ尽くしてお茶を飲んでいると、自転車に乗ったアルバイトの郵便屋さんが年賀状を届けてくれる。予想以上にたくさん届いたので驚く。元日に届くように送ることのできる人は本当に尊敬する。結局今年も間に合わずに、いそいそと年賀状を書く。根をつめて書いたら熱でフラフラしてきたので、布団に入り少し休む。寝転がって今年の目標を考える。

今年は「したたかに、しなやかに」生きる。読書目標は「タイトルは知っているけれど読んだことのない本」を読む。手始めにジェ―ン・オースティン『高慢と偏見』にとりかかる。


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