蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年11月22日(金) 雪の降る街へ

明日から札幌と小樽へ行く。そのために今朝はいつもより早く起きて、旅行鞄の中身を準備をする。2泊3日だからそれほど荷物は多くない。少しの着替えと化粧品と文庫本2冊と詩集が1冊。それからセミナー参加用のノートが1冊。あとはガイドブック。ガイドブックなしでも歩ける街だけれど、旅行気分を盛り上げるために持っていく。インターネットで天気予報を見たら、今週末の札幌は雨だという。ここで折りたたみ傘を追加。雪の降る札幌を期待していたのに。今回ばかりは天気予報にハズレてもらわなくてはならない。気温がぐんぐん下がることを願う。

札幌の友人によれば、私が札幌へ行くのは(帰るのは)2年ぶりだそうで、自分ではもう何年ぶりなのかわからない。ただものすごく、ひさしぶりな感じがする。寒さの見当がつかない。厚手のコートを引っぱり出してきて、自分で編んだ帽子と手袋もつけてみる。これで格好だけは北の人になる。

おみやげは空港で手に入れるとして、ほぼ準備完了だ。最後に、飛行機のチケットを旅行鞄の内ポケットにしまう。気持ちがキュッとひきしまる。旅に出る前のドキドキは、水泳でスタート台に立ったときのドキドキに少し似ている。


2002年11月21日(木) 盛りだくさんな一日

11月第3木曜日、ボジョレ・ヌーボー解禁。仕事帰りだとお店が閉まっているので、朝いちで買っていくことにする。一日中ワインボトルを持ち歩く羽目になるけれど、この際しかたない。昼間は職場のロッカーに入れておけばいいことだし。ワイン専用の細長い袋を用意してでかける。お店の前にはワインが山のように積まれていて、売る気満々といった感じ。今年もお決まりの“ジョルジュデュ・ビュッフ社 ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーボー”を買う。

昼過ぎ、児童文学作家・柏葉幸子さんの講演会を聴講するため、仕事を抜け出して、早稲田大学・西早稲田キャンパスへ向かう。キャンパス内は紅葉がとてもきれいだ。柏葉さんの講演を聴くのは5月の白百合女子大学のシンポジウムに続いて2回目で、年に2回もお会いできるなんてまるで夢のようだ。会場には多くの人が集まっていて、はじまる前からドキドキする。登場された柏葉さんは白百合シンポジウムの時とお変わりなく快活で、お話もとても興味深い。講演会の詳細は、講演録におさめてあるのでそちらをご覧いただきたい(トップページ・早稲田大学大隈講堂前の写真をクリック)。

夜、寝ないで待っていた母とふたりでおいしくワインをいただく。葡萄ジュースのようにフルーティーで軽い味わい。帰宅した妹も加わり、女3人の飲み会と化す。冷蔵庫や戸棚をあさって、チーズやイクラやナビスコリッツで適当につまみを作る。父とマロはそんなこととは知らずに熟睡。午前0時過ぎ、簡単に後片付けをして、講演会の感動が薄れないうちに講演録を書く。盛りだくさんな一日だ。


2002年11月18日(月) 人には添うてみよ

でも、人には添うてみよ、っていうじゃない?きのう母がぽつりと言ったことばだ。一人は気楽でいい、なんて私が言ったらそんな返事がきた。別にいつまでも一人でいいなんて思ってはいない。ただ、ちょっと億劫だなと思っただけだ。それに、深入りするのがこわい。とても好きでとても大切な人が、ある日突然遠くへ行ってしまうことがある。今度そんなことがあったら、耐えられるかどうかわからない。今、こうして普通に生活していることさえ、ときどき不思議に思えてくる。いきなり会社を辞めてオーストラリアに行っちゃったり(知人A)、眠れなくなったり(友人B)、そんなふうに壊れちゃってもおかしくない。

こうして何か月かたってみると、失恋はくもりガラスの向こう側みたいで、輪郭がぼやけていてつかみどころがない。ひりひり痛い感じもだいぶ薄れてきた。再び、深町直人候補を見つけた今、弱虫な私はどうすればいいだろうか。

「人には添うて見よ馬には乗って見よ」・・・親しく交わってみなければ、その人の性行の善悪はよくわかるものではない。(広辞苑第3版/岩波書店)


2002年11月17日(日) てぶくろ完成

街に出かける気力は全くなく、家でのんびりと好きなように過ごす。お茶を飲んだり、本を読んだり、家での時間も心地良い。午前中は掃除と洗濯をして、午後はひたすら編み物。ママ発注の帽子(作品No.3)がやっとできあがり、夜には自分のてぶくろ(作品No.4)も完成する。

てぶくろには作品No.2の帽子と同じ毛糸を手首の部分に使う。我ながらなかなかのできばえ(またもや自画自賛)。これで今年の冬はますますあたたかく過ごせそうだ。残すはあたたかい手をもつ深町直人(恋人)をさがすのみ。てぶくろはトップページにて公開中。

母が風邪をひき、寝こんでいるため、夕食は私が作る。ひさしぶりの料理にわくわくする。といっても、金目鯛の干物、豆腐と舞茸のお味噌汁、かりかりベーコンのサラダなど、手のこんだ料理からはほど遠い。食後は銀杏を炒って、父とふたりで焼酎のお湯割りを飲む。お酒の好みがオヤジくさいのは、このあたりからきているのかもしれない。


2002年11月16日(土) 100冊目

今週の土曜日は仕事。土曜日は「超」がつくほど暇なのに、なぜか「年22回」出勤しなければならない決まりになっている。いまだ暖房の入らない職場で、延々とむだな時間を過ごす。暖房は集中管理のため、12月までおあずけ。そのせいかどうなのか、周りは風邪っぴきが多い。みんなひどい咳をしている。帰ったらイソジンでうがいしよう。

帰りの電車で、『いつか記憶からこぼれおちるとしても』(江國香織/朝日新聞社)を読み終える。記念すべき今年100冊目だ。東京の女子高生のお話は、今の24歳の私からも、札幌の高校生だった私からも、遠い感じがする。彼女たちは危ういのに、とても大人びている。諦めているというか、達観しているというか。不思議な存在だ。読みながら、たぶん眉間にしわが寄っていたと思う。それくらい、共感するという意味では私にはむずかしい本だ。それにしても、江國さんはきゅうりがお好きなのですね。


2002年11月15日(金) ばっさり/毬花

ばっさり髪を切る。いつもの美容師さんとふたりで、さよ〜なら〜とか言いながら、15センチくらいざくざく切る。できあがりは、ボブベースのショートとでも言おうか。頭が軽くなったし、髪を洗うのも乾かすのも楽で、とても気に入っている。こんなに短くしたのは、2年ぶりくらいだろうか。いやはや、長い髪にはもう飽きた。これからはさわやかにいこう。

会う人会う人に、あーっ、髪切った!!と驚かれる。これだけばっさり切れば、たいていの人は気がつくらしい。長いのがよかったのに、と言う人がいれば、短いの似合うね、と言う人もいる。多数決で、今回のイメチェンは好評とみていいだろう。でもまあ、結局はどちらでもいいのだ。自分の好きな髪型で気持ちよく過ごせれば、それがいちばんいい。

どうも髪を切ると必ず、なんかあった?もしかして失恋?と聞いてくる人がいる。どうしてそうステレオタイプな発想しかできないのだろう。当たらずとも遠からず、ではあるにせよ、あなたにはカンケーない。金井美恵子の『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』には、髪型の変遷と恋愛の関係について言及しているとてもおもしろい場面がある。私は髪を切るといつもこれを思い出しては、自分の髪型と恋愛の関連性について考えることになる。

今までの経験から言えば(まあ、それしかデータがないのだけれど)、長い髪をばっさり切ると、静かな生活をひっくり返すような出会いがある。迷惑と言えば迷惑、おもしろいと言えばおもしろい。はてさて、今度はどうなることやら・・・?

夜は、電車内の広告で気になっていた、キリン一番搾り限定醸造「毬花」を飲む。新鮮な青いにおい。採れたてのホップをその場で凍らせて砕いて(だったかな?)使用しただけのことはある。しばらくは病みつきになりそうだ。缶のデザインもかわいらしい。なんとなく中国緑茶を連想させるような、優美なデザイン。とてもビールとは思えない。


2002年11月12日(火) 海と共に暮らす

午前1時くらいから、『海猫』(谷村志穂著/新潮社)の続きを読む。外はものすごい南風が吹いていて、まるで嵐のようだ。ただ、雨音は聞こえてこない。残り100ページくらいまできたところで止まらなくなり、最後まで読むことにきめる。明日のことなどどうでもいい。1日くらいの寝不足はなんとかなるものだ。

午前3時半、読了。途端に周りの音が耳に入る。相変わらず風は強く、玄関の門が風にあおられて大きな音をたてる。きちんと閉まっていないのだろうか、階段をそろりそろりと下りて、音をたてないように玄関のドアを開け、おもてに出る。生ぬるい風が吹いている。真夜中らしく暗く静かで、しばらく門のところに突っ立って、誰もいない道路を眺める。門を閉めなおして、家に入る。

本を読んで、こんなにまともに涙が出たのははじめてかもしれない。愛に深く生きた人たちのおはなし。『海猫』は北海道・函館近くの漁村、南茅部(みなみかやべ)が舞台で、南茅部は今も昔も昆布漁が盛んなところだ。南茅部には知人がいる。知人もまた昆布漁をしている。本当に海のそばで、海と共に暮らしている。その様子が、町中でしか暮らしたことのない私にはとても新鮮だった。私たち家族がまだ札幌に住んでいた頃、何度か知人の家に遊びに行き、一緒に食事をして、海の話をした。ときどき昆布漁を手伝いに行ったりもした。『海猫』は昭和30年代から50年代の設定だから、小説の中の南茅部と私の知っている南茅部とは違うかもしれない。それでも、あの海や港やそこで暮らす人々を見て知っているからこそ、ここまで惹きつけられたのだと思う。あの寂しげな海をもう一度、見てみたくなった。


2002年11月11日(月) 写メールする?

遅ればせながら、携帯電話を写メールができるのに変える。北海道旅行を前に、新しいデジカメを買うか、写メールのできる携帯電話にするか迷ったのだけれど、持ち歩くアイテムが増えると面倒なので、携帯電話に軍配が上がる。さっそくカシャカシャ撮ってみる。写メール、予想以上に楽しい。なんでもっと早く変えなかったんだろう。

職場ではこじんまりと編み物サークルが発足。部員はひとまず3人で、その中のひとりは編み物の専門学校に通っている強者だ。彼女がいればひと安心。ふたりとも私の毛糸の帽子を気に入ってくれて、まずはこれを編むと言う。明日は一緒に毛糸を選びに行く。気に入ってくれたのはうれしいけれど、ちゃんと教えられるかあやしいものだ。なにしろ、まじめに編み物をやったのは小学校の編み物クラブ以来なのだから。


2002年11月09日(土) 箱は六花亭の箱

家の中のこまこまとした雑用を片付けながら、横目で映画『冷静と情熱のあいだ』を見る。もうすでに、知り過ぎているお話。

TVの映画見てる?10時頃、携帯電話に差出人不明のスカイメールが届く。メモリに登録している人だったら名前が出るはずなのにおかしい。誰だろう。メモリに登録していない人で、私が今日この映画を見るだろうと予測できる人なんていただろうか。携帯電話をにらめながらしばらく考える。迂闊に「あなた誰?」なんて返信するわけにもいかない。知っている人だったら失礼だし、知らない人だったらそれはそれで面倒。そんなのはたいてい、単なるひまつぶしのメル友探しに決まっている。

手がかりは差出人の携帯電話の番号だけだ。どこかで見覚えのある番号…と思って昔の手帳をひっくり返したら、それは前の前の恋人だった。彼は、私が江國さんの本を好んで読んでいることなど知らないはずだ。すれ違うあおいとマーヴに、自分を重ねたのだろうか。不思議に思いながら、それでも返信はせずに、だまって映画の続きを見る。私から彼に連絡をすることは二度とない。

フィレンツェの街並み、オレンジ色の屋根を見ながらぼんやり思う。前の前の恋人はきっと、この映画を見ながらいちいち子どもみたいに驚いたり悲しんだりするはずだ。例えば、ラスト近くのチェロの演奏のところで、「ほら、やっぱりあの人だよ!」と、さも自分の手がらのようにうれしそうに言うだろう。私は落ち着いてじっくり見たいから、「ちょっとだまってて!」と邪険に言ってしまう。それから前の恋人(数字の2)はたぶん、はじめから「この映画は見ない。きみが一人で見ればいいよ」って宣言する。本当は一緒に見たいけれど、彼の宣言を撤回させることは不可能なので、私はあきらめて一人で見ることになる。

「前の前の恋人と私」、「前の恋人と私」、それぞれの姿をあまりにくっきりと思い描くことができて、驚いたのと同時に少しほっとした。私はどう考えてもその時その時、彼らのことをまるごと100%好きだったのだし、今でもそのことをきちんと覚えている。もらった手紙をきれいにたたんで箱にしまっておくみたいに、必ずしもいいことばかりじゃない思い出も、捨てないで、ひとつひとつ心の奥にきれいにたたんでしまっておいているようだ。ぐっすり眠っているマロの横で『冷静と情熱のあいだ』を見ながら、そんなことを考えていた。


2002年11月08日(金) 寝ても覚めても

午前2時過ぎまで、『マラケシュ心中』(中山可穂著/講談社)を読む。灼熱のモロッコを旅するふたりにどこまでもついて行こうとするが、4章まで読んで力尽きて寝る。中山可穂さんの小説は、どれを読んでも周りの空気がどんどん薄くなる感じがして、続けて読むと頭の後ろが痺れてくる。恋するふたりの関係があまりに密で、こっちまで息ができなくなる。身を滅ぼすような恋ばかりで、いたたまれない。愛が憎しみに変わる瞬間が、おそろしい。人は、誰かに恋することなしには生きられないのだろうか。

朝起きて、ごはんも食べずに最終章を読む。あっけない幕引き。終わり方はともかく、途中の、まるで階段を転がり落ちるように自分の人生がコントロールできなくなる様子には、うんうんと肯けるものがある。どこかで一歩踏み外すと、あれよあれよと言う間に目の前の風景が変わり、最後には予想もしなかったところにたどり着く。気に入るも気に入らないもなく、人はまた、その場所から新しくはじめなければならない。



2002年11月06日(水) 本の虫ふたたび

毛糸の帽子ができあがって編み物が一段落したら、無性に本が読みたくなる。週明けの5日、有隣堂で『ファースト・プライオリティー』(山本文緒著/幻冬舎)と『マラケシュ心中』(中山可穂著/講談社)を買い、図書館で予約していた『海猫』(谷村志穂著/新潮社)を引き取る。鞄は本でパンパンになる。ハードカバー3冊の重みが心地いい。

少し時間に余裕があったので、岸田今日子さんと岸田衿子さんの著作を探す。今月の24日に、北海道・小樽の絵本児童文化研究センターで、第7回文化セミナーが開かれる。「児童文化の中のドラマ」というテーマで、ゲストは女優の岸田今日子さんと詩人の岸田衿子さんだ。このセミナーを旅のメインイベントに掲げて、私は23日から札幌&小樽へ旅に出る。と言っても、2泊3日の小旅行なのだけれど、何年かぶりに高校時代の親友にも会えるので、とてもとても楽しみにしている。

おふたりの著作で今までに読んだことがあるのは、岸田衿子さんの詩集『ソナチネの木』だけで、予備知識としてはあまりに足りなさ過ぎる。これではせっかくの4時間のお話がもったいない。まずは、図書館で見つけた岸田今日子さんのショートショート『大人にしてあげた小さなお話』を読む。見開き1ページに収まってしまうくらいの短いお話から見事に、さまざまな情景と人物が立ち上がる。音楽を間に挟んでの朗読会に用いたお話というだけあって、それらは語って聞かせるのにちょうどいい長さと深さをもっている。もっと他にも読んでみたいと思わせる1冊だ。


2002年11月04日(月) 学園祭へ行く

リビングに、シクラメンとポインセチアとジャスミンの鉢植えが置かれる。なかでもポインセチアは葉の色も濃く、大きくて立派だ。緑と赤のクリスマスカラーで、がらりと部屋の雰囲気が変わる。

昼間、友人ふたりと母校の学園祭へ行く。空は真っ青に晴れ渡って、ひなたは暑いくらいだ。模擬店を見て周って、私は豚の角煮とおしることナンカレーを食べる。おしるこには白玉4つ。白玉は丸いのが2つとハート型(?)のが2つだった。それから、屋外ステージのダンスやパントマイムを見る。人がいっぱいで、みんな楽しそうで、こっちまでわくわくしてくる。お祭の気分だ。日が暮れて、雨がぽつぽつ降る中のフィナーレでは、周りの知らない人たちと肩を組んで校歌を熱唱する(残念ながら私は1番しか歌えない)。にわか学生気分にはなるものの、もう学生ではないという実感の方が大きい。彼らとは、あきらか違う場所に居るのだ。そういうものなのだ。

一日中そとにいたので、すっかり冷え切ってしまい、家に帰ると咳が止まらない。温かくして早く寝よう。


2002年11月03日(日) 帽子できあがり

作品No.2、毛糸の帽子が完成。ひと目惚れして買ったベージュ系の段染の毛糸で編む。毛糸はやさしく温かい色合いで、オレンジからベージュ、オリーブグリーン、ココア、ブラウン、グレー、プルシャンブルー、ベージュ、そしてオレンジへと、編み進むほどに色が変わっていく。頭のてっぺんから、円を描くようにぐるぐる編む。帽子の形になってきたところで、試しにかぶって見たら、がぽがぽに大きい。ほどいてもう一度編み直す。1週間かかって、ようやくできあがった。

夕方、さっそく編みあがった帽子をかぶって、マロの散歩に出かける。毛糸の帽子はあったかい。つめたく吹く風もなんのその、マロと公園を走りまわる。マロは大はしゃぎで、ベンチにぴょんと飛び乗ったりもする。私たちは大満足で公園をあとにした。これから寒い冬がきても、この帽子があればだいじょうぶな気がする。


2002年11月02日(土) また会いましょう

大学時代の友人8人で飲む。夜7時から始まって、終電近くまでたっぷりと飲んで話しこむ。1年に2、3回会うだけなのに、とても近くに感じる人たち。お互いの近況報告や、共通の友人の消息、これからのことなど、思いつくままに話す。テーブルを囲んで、8人がひとつの話題についてあれこれ思いをめぐらす。今回はみんな、それぞれの立場で穴に落っこちているようで、誰ひとりとして手放しで「幸せだ」と豪語できる人はいなかった。でも、いやなことがあった後には必ずいいことがあるはずだから、今の不調はたぶんこれから起こる「いいこと」の準備段階なのだ。じたばたせずに、嵐が過ぎ去るのを待てばいい。大きく飛びあがるためには、まず膝を曲げて姿勢を低くし、力をためこむ必要がある。

みんな普段は違う仕事をして違う生活をしているのに、こうして集まれるっていいね。酔った勢いか、それとも確信的になのか、こう言った友人がいた。きっと、その場にいたみんなが似たようなことを思っているはずだけれど、照れくさくて、そうそう口に出せるものでもない。そのことばを聞いた途端、残りの7人は大笑いで「まとめに入るな〜」とか「いやあ、なに言ってんの〜」とか。たぶん、うれしくてくすぐったかったからだと思う。在学中より卒業してからの方が、よく話すようになった友人もいる。人とのつながりは本当におもしろい。

それぞれの生活、それぞれの人生。楽しく幸せでありますように。


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