蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年09月24日(火) ひとつじゃない

あしたは講習がお休みで、あさってが最終日。最後の講義とその試験、それに閉講式がある。とうとうここまで来てしまったという感じ。まだまだ終わってほしくないけれど、この先もテストが続いていいのかと問われると、そう簡単にYESとは言えない。テストは緊張するし、大変なのだ。いつまでたっても、慣れるということがない。

それでも、2ヶ月間の学生生活は心底楽しかった。まあ、課題やらテスト勉強やらあれこれ重なって、疲れただのなんだのグチもいっぱい言ったけれど、やっぱり自分の興味のあることについて新しいことを吸収するのはわくわくすることらしい。それに、驚いたことに自分と似たような境遇の人がたくさんいて、その人たちとはとてもいい友達になれたと思う。講習が終わってからも付き合いが続くといい。「生き方はひとつじゃないし、どれが正解というのでもない。他人とくらべて落ちこむ暇があったら、自分の思うように生きてみたらいい」みんなの話を聞きながら、これはもしかしてもしかすると本当かもしれないと思った。

夏をまるごと勉強に費やした。気がついたら季節がひとつ過ぎていて、あれ?私の夏はどこ?という気がしなくもない。2ヶ月もあれば世の中も、自分の周囲も大きく変わる。移り過ぎていくのにはじゅうぶんな時間だ。私の知っているところで、知らないところで、いろいろなことが変わった。時間というのはおそろしいと思う。これから少しずつ、その変わってしまった現実に合わせて暮らしていかなくてはならない。私の職場も前と同じように残されているのかどうか、本当のところ、少しあやしい。構造改革などと張りきっている人たちだから、なくならないとも限らない。それならそれで、次の居場所を探すまでなのだけれど。

今日の夜はナタリー・コールを聴いている。澄んでいて、のびやかなしなやかな声をしている。お父さん譲りのいい声だ。彼女のお父さん、ナット・キング・コールの歌声も大好きだ。彼の声は明るくて、ほんの少しだけ寂しい。夜に聴くのにはぴったりだと思う。彼の“A”の発音は独特で、私はそれがすごく気に入っている。いつでもどこでもナット・キング・コールの歌なら、聴き分けることができる。そう言い切ってもいいと思う。それくらい好きなのだ。中学生の頃からずっと。


2002年09月16日(月) 映画日和

朝は曇り。日がささず肌寒い。起きたのはいつもより遅かったが、手早く支度をして出かける。昨日の夜に決めた。今日は渋谷で映画を2本観る予定なのだ。渋谷に着くと雨が降り出している。雨が降ると余計に寒い。

11時からの上映に間に合うように急ぎ足で歩道橋を渡り、坂を登る。1本目はユーロスペースで『J.L.G自画像』を観る。さすがに朝イチだけあって人が少ない。がらがらなのをいいことに、隣りの椅子にもたれかかって観る。あれこれ考えずに頭を空っぽにして、と言うより、頭ごとゴダールに預けて、ただ観る。観ていて、雪が恋しくなった。この次札幌ヘ行くのは、雪が降ってからにしようか。歩き慣れない雪道で、おそらく何度かすってんころりん転ぶだろうけれど(雪道の歩き方は、もうすっかり忘れてしまった)。

カプチーノとサンドイッチで簡単にお昼ごはんをすませ、カフェの2階で雨の渋谷を眺めながら、川上弘美『溺レる』を読む。「さやさや」「溺レる」「亀が鳴く」「可哀相」まで読んで、一気に読んではもったいないからそこで止める。

カフェをあとにして、宮益坂を上がり、青山通りに出る。ここまでくると、街の雰囲気ががらりと変わる。渋谷の混沌とした感じがすぅっと抜けていく。2本目はシアター・イメージ・フォーラムで『彼女の恋からわかること』を観る。10人の女性が入れかわり立ちかわり、自分の恋愛をあけっぴろげに語る。世の中、こんなにさびしい女の人ばかりなんだろうか。ほんとうに?

雨の中をたくさん歩いたら、めったにないことだけれど、靴づれした。家に帰ってよく見ると、右足の親指の付け根と、左足の中指に水ぶくれができている。痛い。


2002年09月10日(火) 『冷静と情熱のあいだ』再考

雨上がりの朝、空気が心持ちひんやりしているので、長袖のシャツを着て出かける。こうして季節は少しずつ秋になっていく。秋の空気は、江國香織を読むのにぴったりだ。もちろん全ての作品ではなくて、そのうちの、私が気に入っている2,3の作品について。初秋には『冷静と情熱のあいだ』『ホリー・ガーデン』を、冬がすぐそこまで来ている秋の終わりには『流しのしたの骨』を読む。おもしろいくらいに、毎年同じ時期に読んでいる。作品と自分の周りの空気との間に、違和感がないのがいい。温度、日ざし、街の匂い。

今年は少し早かったかもしれない。昨日と今日で、『冷静と情熱のあいだ』を読んだ。いつも決まってRossoしか読まない。Bluを読んだのは買ってすぐの一回きりだ。辻仁成の文章がどうも肌に合わなくて苦手なのだ。物語のこちら側だけでも、十分に読みごたえがある。ただひとつ残念なのは、こちら側には芽実が出てこないことだ。私は彼女をわりと気に入っている。

たぶん『冷静と情熱のあいだ』を全部通して読むのはこれで4度目で、今回は気づかないうちに順正の味方をしながら読んでいた。この本に限っては、いつも誰かの味方をしながら読んでしまう。初めはあおい、2度目はマーヴ、3度目はあおいとマーヴで、今回が順正。誰の味方をしているかで、そのときそのとき、自分がどこに立っているかがわかる。自分が何を思っていて、何を望んでいるのかを知ることができる。

だから『冷静と情熱のあいだ』を読むことは、私にはある意味で苛酷なことだ。自分の心をえぐるような、見たくないものを見せつけられるような感じがする。それならわざわざ読むこともないのだけれど、しっとりと落ち着いた秋の空気に誘われて、今年もやっぱり読んでしまった。


2002年09月06日(金) じゃんじゃん降り

朝から雨。通学電車で、武田百合子『遊覧日記』を読む。浅草花屋敷、浅草蚤の市、浅草観音温泉の話。どれも浅草のいかがわしさがよく表れている。雨の日の、薄暗いじめじめした電車で読むと、余計にその感じが出る。私が浅草に行くのは年に一回くらいで(浅草には先祖代々のお墓がある)、だから本当は浅草のことはあまりよく知らない。でもなんとなく、いかがわしい感じのする町だと思っている。いかがわしくて、胸焼けのする感じ。

帰り道、バス停から家まで歩いていると、急に雨が強くなる。あっという間に靴の中がぐちゅぐちゅになり、ジーンズも膝の上まで濡れてしまう。道路の端が川になって勢いよく流れている。カバンの中身だけは必死に守って歩く。ほんの五分くらいの距離なのに、家がものすごく遠い。後ろから来た車を避けた拍子に、水たまりに足を突っ込む。小学校の帰り道、遊びながらだらだら帰ったことを思い出す。わざと深い水たまりの中をじゃぼじゃぼ歩く。家に着くまで、誰ともすれ違わなかった。


2002年09月03日(火) 夜に吹く風は

家に帰ってきて、メイクを落として顔を洗ったついでに鏡を見たら、「おもい・おもわれ・ふり・ふられ」の「ふられ」ニキビがひとつできている。さらに、そのどれにも属さないニキビもひとつ。なんてこった。これはもう、現実逃避しかない。見なかったことにする。

お風呂あがり、ごく弱く音楽をかけて、ぼうっと風にあたる。昼間どんなに暑くても、夜になると風がさらっと涼しくなる。やわらかく吹く風に、日中から続いていた緊張がふっとほどける。目を閉じたら、そのまま寝てしまいそうだ。

今夜はこれからミヒャエル・エンデの『モモ』を読む。急にどうしても読みたくなって、というより欲しくなって、以前アルバイトをしていた本屋さんへ遊びに行ったついでに、そこで買った。オレンジ色の箱に入った、私の『モモ』。これよりひとまわり小さい愛蔵版も出ているけれど、私はこのオレンジ色の箱の方が好きだ。『モモ』は小学生の時に読んだきりで、しかも冒頭からきちんと読むのは今回がはじめて。これから毎晩、ゆっくりだいじに読むつもりだ。


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