蜜白玉のひとりごと
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朝 フランスパン、ドーナツ1個、牛乳、コーヒー。 昼 そうめん、黒豆の煮たの。 夜 ごはん、いわしの明太漬け、みそ汁(わかめとエリンギ)、厚揚げ、めかぶ、オイキムチ。
やっと図書館が蔵書整理を終えて開館した。借りていた9冊を返しに行き、新たに5冊借りる。その中に、武田百合子『犬が星見た』も混ぜる。重たくなるので迷ったけれど、結局『センダックの絵本論』も借りる。これは腰を据えて読むつもりだ。
図書館の次はBOOK・OFFに行く。佐藤さとるさんの本は今日も1冊もなし。100円の小説・エッセイのコーナー、詩集、全集と見てまわって、最後に日本の小説「え」のところへ行く。江國香織・文、山本容子・画の『デューク』が初版だったのでそれを買う。
BOOK・OFFを出たら空が真っ黒になっていて、今にも降りそうな感じ。バスに乗って帰ろうかとバスセンターまで歩いて行くが、道が混んでいて車が全然進まないのを見て諦め、歩いて帰ることにする。空をにらんで、あと30分はもつと判断。降ったら降っただ。万が一に備えて、本はぬれないようにビニール袋に入れたあと紙袋に入れる。
渋滞している車の横を、ふらりふらりと歩いて帰る。本が入った紙袋が重くて、右に左に何度も持ちかえる。途中でローソンによってアイスを3つ買う。家まで40分かかったけれど、雨は全然降ってこなかった。家に着いたらほっとしてお腹が空いてきたので、少し早いけれど夕飯にした。
BOOK・OFF 3冊 1732円 アイス 3つ 308円
************** 今日も武田百合子風。気に入ったので、しばらく続ける。
武田百合子の『富士日記』を読んでいる。富士の山小屋(別荘?)で暮らす日々のこまごまとしたことが書かれている。文章がそっけなくておもしろい。読んでいくうちにだんだん楽しくなってきたので、ちょっと真似して書いてみようかと思う。
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六月二十六日(水) 小雨
朝 食パン一枚、はちみつ、バター、牛乳、コーヒー。 昼 鶏五目おにぎり一個、ロールケーキ一切れ、生茶(あったかいの)。 夜 ごはん、鯖の竜田揚げ、だし巻き卵、ほうれん草のゴマ和え、ミニクロワッサン一個。
前九時起床。昨夜の腹痛はおさまった。シャワーのような雨が降ったりやんだりしている。洗濯物は家の中に干してもなかなか乾かない。 駅でHさんを見かけ、声をかける。今度ごはんを食べる約束をする。Hさんは新しい仕事が忙しいらしく、疲れた様子。 夜十一時、帰宅。玄関前の植木の背丈が低くなっている。昼間、植木屋が来たようだ。
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書いてみてわかる。そっけなく書く、つまり簡潔に書く、というのは意外と難しい。ひとつ書くと、それについてあれやこれや書き足したくなる。日記文学は奥が深い。
朝からずっと雨が降っている。いまだにやむ気配はない。空は雨を降らすことに飽きたり疲れたりしないのだろうか。今日の雨は大粒でじゃあじゃあと勢いよく降るから、バス停までほんの2分くらい歩いただけで、服も鞄もびしょびしょになってしまった。雨の日に出かけるのは億劫だ。
先週から、地元の図書館が「蔵書整理期間中」で休館している。休みは今月いっぱい続く。長い。早く開いてくれないかなあ。当然、休みを見越していつもより多めに本を借りたけれど、それだけではやっぱり物足りない。一週間もすると、図書館へ行ってずらりと並んだ本のあいだを歩きたくなってくる。特に何をさがすというわけではない。ただ、ぶらぶらと本の背をながめて歩く。目についた本を取り出しては適当なページを開いて読む。これを繰り返すと、意外なところでおもしろい本にぶつかったりする。
本屋さんでも似たようなことができるけれど、なんでもかんでもじゃんじゃん買えるほどお金持ちではないので、この頃はあまりしない。買いたい本を買わずに我慢することほど、つらいことはない。その点、図書館は安心だ。がんばって市民税を払っているだけのことはある。図書館バンザイ。
書いては消し、書いては消ししているうちに、いつの間にか雨はやんでいた。窓を開けると、水分をたっぷり含んだ空気が部屋へ流れ込んでくる。梅雨はじめじめとしていて、洗濯物は乾かないし髪はぼわっと広がるし厄介だけれど、この湿度のおかげで乾燥肌が適度に潤うのはうれしい。庭のかたつむりも元気だ。
数字の2と「居心地のいいカフェ探し」をはじめた。私はいいお店を見つけると、そこにばかり通って満足するけれど、2はそれでは物足りないらしく、次から次へと開拓したいらしい。この前、渋谷で居心地のいいオープンテラスを見つけて、ふたりともそのカフェがとても気に入った。それから私はちょくちょくそこへ行くようになり、一方の2はそこに匹敵するような別のカフェを探すという。それなら私も行く、ということで「居心地のいいカフェ探し」がはじまった。
東京にはカフェなんてそれこそ星の数ほどあるから、いくらでも見つかるだろうと思ったら、これがそうでもなさそうな気配(カフェ巡りもまだほんの数軒なので、言い切ってしまうにはまだ早いけれど)。ガイドブックもたくさんあるから、何冊か見比べて良さそうなお店に行ってみると、思っていた雰囲気と違っていてがっかりすることもある。
そもそも「居心地の良さ」なんていうのは人それぞれ、勝手気ままなものなのだ。にぎやかなところが好きな人もいれば、静かなところが好きな人もいる。私が探しているのは、活気があるけれどうるさくはなくて、ちゃんと相手の話し声が聞こえるところ。メニューには「ふんわりカプチーノ」「キリッと紅茶」「すっきりチーズケーキ」「幸せアプリコットタルト」があるかどうかも重要なポイントだ。アイスクリームがおいしいとなおよい。それに、テーブルの間隔、BGMの音量、日当たり、景色、ウェイターの接客態度、気になるところは言い出したらきりがない。とにかく、行ってみないことにはわからないのだ。
今はもうないけれど、新宿にとてもおいしいマフィンを焼いてくれるカフェがあった。1時には終わってしまうブランチでだけ出されるこのマフィンをよく食べに行った。しかし、ここの店員がものすごく無愛想なのだ。みんながみんなしかめっ面で、私の大好きなマフィンを運んできては、乱暴にテーブルに置いていく。この店員には最後の最後まで慣れなかったけれど、あのマフィンは本当においしかった。そう考えると雰囲気も大切だけれど、なにはともあれまずは味なのだなと思う。
カンカン照りの下、渋谷の雑踏を通り抜けて、Bunkamuraル・シネマにて『エトワール』を観た。行こう行こうと思っているうちに、公開から2か月が過ぎてしまった。早い時間だったからか、週末のわりには混んでいなくて、客席は広々としていた(観終わってロビーへ出たら、次の回は満席になっていた)。
『エトワール』はパリ・オペラ座バレエの内部を描いた映画だ。パリ・オペラ座バレエは世界を代表するバレエ団のひとつで、そこには独自の階級社会がある。カドリーユ、コリフェ、スジェ、プルミエール・ダンスーズに続く最高位が、エトワールと呼ばれる。映画は、ダンサーや教師へのインタビュー、日常のレッスン風景、舞台のリハーサル、本番直前の楽屋、そして本番中の舞台そでの様子などで構成されていた。普段はめったに見ることのできない場面ばかりだ。もう、目が離せない。
完成された華やかな舞台を見るのもいいけれど、普段のレッスンは、舞台とはまた異なる美しさをもっている。『エトワール』を観に行ったのも、この「普段の様子」を見たかったからだ。高校生までバレエをやっていたけれど、その時も、年に一度の発表会や他の教室の手伝いで出る舞台よりも、いつものレッスンの方が何倍も好きだった。自分のレッスンはもちろんのこと、その後に始まる上級クラスのレッスンを見るのも大好きだった。あの、優雅でありながら、ピリッとはりつめた雰囲気が、気に入っているのかもしれない。それに、きらびやかな衣装よりも、ちょっとボロボロしたレッスン着に愛着を感じる。書きながら思う。たぶん私は普通のバレエファンとは全然違うだろうな、と。
そう言えば、昔使っていたトゥ・シューズはどこへ行ったんだろう。捨てたはずはない。…そこいらを探してみること約10分、見つからなかった。今まですっかり忘れていたのに、バレエの話をしていたら、にわかに恋しくなってきてしまった。こうなったら、明日は家中ひっくり返して、トゥ・シューズ探しだ。
内田百�里痢悒離蕕筺戮鯑匹鵑任い襦G�好きな者、それも野良猫と仲良くしている者にはたまらない話だ。ひょいと出ていったまま帰らない、もしくは帰れなくなったノラを思って、百�寮萓犬錬殴�月以上も泣いて暮らす。夜も眠れず、ちょっとした物音にも起きて見に行き、風呂にも入らず、違う猫を見てはノラを思い出して涙を流す。近所の床屋に貼り紙をしたり、新聞の折り込み広告をだしたり、警察署に届けたりもした。それでもノラは見つからない。「ノラやノラや、お前はもう帰つて来ないのか」
ノラだって、所詮は野良猫だったのだから、今もきっとどこかで好きなように暮らしているはずだ、と思えたらいいのだけれど、百�寮萓犬呂修Δ發い�ないらしい。どんどんやつれて元気をなくしていく百�寮萓犬�、かわいそうでならない。
私だったらどうだろう。ベンジャミンがある日突然、うちの庭に来なくなったら、・・・。来ないねえ、今日も来ないねえ、と気になるに違いない。それでも、2週間くらい不登校になることはそうめずらしいことではなくて、今までにもそういうことは何度かあった。どこかで仔猫を産んでいるのか、いい雄猫と旅にでも出ているのか、なわばり拡大のために遠征しているのか。心配してもはじまらないので、こちらとしては、ひょっこり帰ってくるのを待つしかない。
無事に帰ってきたベンジャミンは、たいていちょっと痩せていたり、薄汚れていたり、毛が抜けていたりする。私の顔を見るとにゃあにゃあ言うから、ひとまずごはんをあげる。そして、がつがつ食べているベンジャミンに、どこ行ってたの?と聞く。しかし、彼女はよほどお腹が空いているらしく、食べることに夢中で返事などしない。食べ終わったころを見計らって、もう一度聞いてみても、今度は念入りに顔を洗いはじめる。答えるつもりはないらしい。だから、不在の理由が何だったのか、ほんとのところはわからない。
犬は人につき、猫は家につくと聞く。いま住んでいる家から引っ越すとき、私はベンジャミンとお別れしなければならないのだろうか。その時ベンジャミンは、私と一緒に来ることを選んでくれはしないだろうか。今度思い切って、ベンジャミンに聞いてみよう。それで、いよいよ別れられないと思ったら、網ですくって連れていってしまおう。半分冗談、半分本気、である。
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