蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2002年05月28日(火) 点と点

雷がさんざん鳴った次の日、郵便受けをのぞくと、クレジットカードの来月の請求書が2通と、「鬼ヶ島通信」が届いていた。来た!

「鬼ヶ島通信」は児童文学の同人誌で、佐藤さとるさん(今は同人をぬけられて、ゲストで登場されるご様子)、村上勉さん、野上暁さん、末吉暁子さん、千葉幹夫さん、柏葉幸子さん、他の方々が同人をされている。何というか、とてつもなく豪華な同人誌なのだ。私が知らなかっただけ、と言ってしまえばそれまでなのだが、佐藤さとるさん、村上勉さん、柏葉幸子さんのお名前をいっぺんに見つけたときには、心底驚いた。

柏葉幸子さんの『霧のむこうのふしぎな町』が、私の読書の原点だ、という話は5月25日のひとりごと(思い出の町「霧の谷」)に書いた。そして、私にはもうひとつ、忘れられないたいじな本がある。

小学校2年生の夏、放課後に図書室で見つけた分厚くて黄色い本。何げなく取り出して読んでみたら、とたんに手放せなくなってしまった。それは不思議なお話のせいだったかもしれないし、今にも動き出しそうな絵のせいだったかもしれない。さっそく借りたのはよかったけれど、本は大きくてランドセルに入らない。、炎天下の道を家まで30分、大きな本をかかえて歩いた。それでも、心はうきうきしていて、足どりは軽かった。家に帰ると、畳の上に寝そべって、ひじに畳の痕をくっきりつけて、読みふけった。

それが、佐藤さとるさんの『ぼくのつくえはぼくのくに/コロボックルのトコちゃん』だ。本のタイトルを覚えようと、呪文のように何度も唱えた記憶がある。いつか自分でその本を買いに行くつもりだったのかもしれない(手元には、中学生の時に買った講談社文庫『ぼくの机はぼくの国』がある。あの時の「分厚くて大きな黄色い本」ではないのがちょっと残念だ)。

そんなわけで、「鬼ヶ島通信」は、私にとって点と点だった『霧のむこうのふしぎな町』と『ぼくのつくえはぼくのくに/コロボックルのトコちゃん』を見事につなげてくれた。ちょっとおおげさかもしれないが、「鬼ヶ島通信」は私の児童文学の原点、ということになるのかもしれない。なんだかおもしろいことになってきた。私の児童文学のルーツを探る旅にでも出てみようか。


2002年05月26日(日) 『センセイの鞄』再読

昼過ぎから、川上弘美『センセイの鞄』を再読。ソファに寝っころがったり、窓枠に腰かけたり、庭に出てみたり、家中をうろうろしながら読んだ。まったく落ち着かない。同じ姿勢を続けているとだるくなるのだ。

切りのいいところで、干していたふとんと洗濯物を取りこんだ。太陽の光をいっぱい浴びたふとんは、ホカホカだ(晴れた休日は、がぜん張り切って掃除や洗濯をする。部屋がすっきりすると気持ちがいい)。

再び『センセイの鞄』に戻り、ツキコさんがしたたかに酔っぱらって、センセイの家へ行く場面を読んでいたら、だんだん部屋が暗くなってきた。見れば、雲行きがあやしい。ぽつぽつと雨が降りだし、あっという間にじゃんじゃん降りになって、しまいには雷が鳴った。雷にビクビクしながら続きを読んでいたら、本の中でも雨が降りだし、雷が鳴った。センセイは雨戸をたてている。私も雨戸をたてようか。

夜は、日本酒を飲んだ。もちろん、これもツキコさんとセンセイに倣ってのことだ。雨が通り過ぎたあとの、マイナスイオンをたっぷり含んだ涼しい風は、ほてった頬に心地いい。


2002年05月25日(土) 思い出の町「霧の谷」

『霧のむこうのふしぎな町』というファンタジーを最初に読んだのは、小学校3年生ぐらいだった。お話にずんずん引き込まれて、周りの音も聞こえず、暑いのか寒いのかもわからなくなるくらい、夢中になって読んだ。この時はじめて、本を読むことのおもしろさがわかった気がした。『霧のむこうのふしぎな町』は、目からうろこの一冊、私の読書の原点なのだ。

以前、本屋さんでアルバイトをしていたとき、おばあちゃんと一緒に本を買いに来る小学生の女の子がいた。女の子はなかなか読書欲があるらしく、たびたびお店に来ては、おばあちゃんに本を買ってもらっていた。女の子と私は本の好みが似ていて、まるで小学生の自分を見ているようで、ほほえましかった。

ある日、女の子が講談社青い鳥文庫を1冊持って、レジへやって来た。見れば、『霧のむこうのふしぎな町』ではないか!「わあ!ついにたどり着いたのね。これおもしろいよ、絶対!」と、心の中で歓喜の声をあげながら、それでも黙って包んで渡した。私が何か言ってしまってはもったいない。まっさらな気持ちで楽しんでほしい。女の子がこれから出かけるファンタジーの世界を思うと、すごくどきどきしたし、うれしかった。

『霧のむこうのふしぎな町』に出会ってから15年、縁あって、作者の柏葉幸子さんとお会いすることができた。白百合女子大学の「21世紀児童文学シンポジウム」のゲストとして盛岡からいらっしゃったのだ。シンポジウムでは興味深いお話をうかがい、懇親会では楽しくお食事ができた。本当に夢のようなできごとだった。

今でもときどき『霧のむこうのふしぎな町』を読み返す。霧の谷がそこにあることを確かめて、安心して帰ってくる。読み返すたびに、そこには、本当にたくさんの思い出がつまっていることを実感する。


2002年05月21日(火) ビンゴ!

なくなったとばかり思っていた本が、ひょっこり出てきた。うれしい。すごくうれしい。思わぬところで知り合いが見つけてくれた。「もしかして、蜜白玉がさがしてる本って、これ?」・・・ビンゴ!!思わず叫んでしまった。本は、「持ち主不明の本」として、何人かの女の人の手を渡り歩いていたようだ。捨てられていなくてよかった。

本がなくなったとわかったときの落ち込みようは、自分でもちょっとびっくりした。なにもたかが一冊の本、そこまで気にすることもないだろうに。たとえば他人事として、冷静に考えればそうなのだけれど、その本に関係するいろいろの思い出までが失われたような気がして、寂しくなってしまったのだ。あんまり物に執着したり、思い入れが強すぎたりするのもどうかと思う。「読みたいだけで、持ちたいわけではない」という、あおい(江國香織『冷静と情熱のあいだ Rosso』)の言葉を思い出した。私もそれくらい、潔くなってみたいものだ。でも、たぶん無理。

さがし物に関して言えば、自慢するようだけれど、私はさがし物が得意だ。家では私以外、父も母も妹もみんなさがし物が苦手だ。下手と言ってもいい。彼らがさがしたところで、ほとんどの場合は見つからない。いよいよ見つからなくて、腹が立って、きぃーっとなったところで、「ちょっときてー」と呼び出される。ひどいときなど、寝ているのにたたき起こされて、捜索活動に参加させられる。さがし物としては、ありがちな「携帯電話」「家の鍵」「財布」「定期入れ」にはじまって、「延長コード」「ピクニック用のビニールシート」「明け方までかかって書いたレポート」「買ってきたばかりの卵」なんていうのもあった。どうしてなくすのか、こっちが聞きたい。

まあ、でも、さがし物の苦手な人を見ていると、なくしたことに動揺して焦っているから、さがしているつもりでも全然さがせていないのだ。特にうちの場合は何度も引っ越しをしているから、その度に物の場所が変わってしまって、今となっては物の在処を把握しているのは私しかいない。かわいそうで見ていられないので、文句を言いたいのをぐっとこらえて一緒にさがす。

さがすポイントは、「なくした本人の行動パターン」と「なくなった物の特性」の2つだ。その2つを手がかりに、隠れていそうな場所を考えてみればいい。やたらにばたばた動き回ったからといって、見つかるものでもない。

「携帯電話」「家の鍵」なんかは、上着のポケットとか、昨日持って出たバッグの内ポケットとかから簡単に見つかる。父の場合なら、車の座席の下も見てみる。妹の「明け方までかかって書いたレポート」は、山のように積まれた資料の間にはさまっていたし、母が「買ってきたばかりの卵」は、冷蔵庫の野菜室のほうれん草の下から出てきた。突拍子もないところに隠れていることなど、めったにない。たいていは、在って当たり前の場所から出てくる。ほら、このとおり。・・・ビンゴ!!


2002年05月18日(土) (ルドルフ+イッパイアッテナ)÷2=??

東京・青山にある子どもの本専門店クレヨンハウスでは、年間企画「本の学校」がひらかれている。ここでは毎月1回、児童文学に関わる人の話を聞くことができる。今月の講師は『ルドルフとイッパイアッテナ』の作者、斉藤洋さん。『ルドルフとイッパイアッテナ』は小学生の頃に読んで以来ずっと好きな本で、つづく2巻目『ルドルフともだちひとりだち』も、最近発売されたばかりの3巻目『ルドルフといくねこくるねこ』も、もちろん読んでいる。斉藤さんにとって、私は模範的な読者ということになるだろうか。

なんとしてでも当日券を手に入れるべく、開店15分前にはお店に到着。ぱらぱらと人が集まりはじめ、なんとなく列ができた。私は前から3番目だ。これなら、当日券は射程距離内と言える。当日券は開店と同時に売り切れた。予想以上の人気に少し驚くも、当日券はしっかりと手にした。

講演会は午後4時からなので、それまで青山周辺をぶらぶらした。休日のわりには、人が少なかったような気がする。カフェでホットチョコレートを飲み、映画(ジャン=リュック・ゴダール×アンヌ=マリー・ミエヴィル『そして愛に至る』、言ってることが深過ぎて、私にはわからなかった)を観に行き、さっきとは別のカフェで、ドライフルーツのケーキを食べ、それでも時間が余ったので、少し散歩をした。なんとなく根津美術館と岡本太郎美術館の方へ行ってみた。美術館の中には入らなかったので、今度また行こうと思う。

斉藤洋さんの講演会は、始終笑いっぱなしで、底抜けに明るくて楽しかった。かなりの毒舌家で、こちらがギョッと思うようなことも、簡単に口にされた。キャラクター的には、(ルドルフ+イッパイアッテナ)÷2=斉藤洋だ。ルドルフとイッパイアッテナがどんなキャラクターなのか、そう簡単には説明できないので、時間のある方はぜひ読んでいただきたい(と、HPで宣伝までしてしまう私は、やっぱり模範的な読者なのではないだろうか)。

以下、斉藤さんのお話で印象に残ったところを箇条書きにする。
・ 物語を書くというのは、起きていて夢見るようなもん
・ テーマ(道徳的な/欺瞞に満ちた)をもって書かれた本だと、子どもは義務でしか読まない。そんなものは簡単に見抜かれる
・ 物語はおもしろさ優先(テーマは勝手にもぐっている)
・ 子どもが本から離れていくのは、本がおもしろくないから(テレビゲーム・受験勉強のせいにするな)
・ 「読書は娯楽」が基本
・ 書いてみると、どういうものがいいかわかる。鑑賞力が高まる
・ 応募のコツ→落ちてもめげない(笑)

講演会の後、サイン会が開かれ、私は欲張りなので3冊もサインしていただいた。『ルドルフともだちひとりだち』と『ルドルフといくねこくるねこ』には本名で、新刊『童話作家はいかが』には蜜白玉宛てで、それぞれ書いていただいた。蜜白玉宛てのサインは、蜜白玉ノート→講演会メモに写真を載せてあるので、見てください。

斉藤さん、楽しいお話をどうもありがとうございました。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。ルドルフ4巻目、「ない」とおっしゃらずに、ぜひ書いてください。気長に待ってます。


2002年05月14日(火) 梅粥

土曜日から風邪をひいてしまい、微熱が続いている。昨日は仕事を休んで、一日中寝ていた。熱のせいか夢見が悪く、短く浅い眠りから目覚めるたびに、体がガチガチに強ばっていた。おかげで肩から背中にかけてが、ひどく凝っている。そして、せっかく仕事を休んだにもかかわらず、熱は今日になってもまだ下がらない。

それでも、さすがに2日続けて仕事を休むのは気が引けたので、今日は出勤することにした。途中、景気づけに本屋に寄り、川上弘美の新刊『パレード』を買った。自分のための真新しい本が、とてもうれしい。この頃はずっと図書館を利用していたので、余計にそう思ったのかもしれない。いつもの電車に乗って、仕事場へ向かう。

運良く座れたので、いそいそと買ったばかりの本を取りだして、読んでみた。川上さんの描く、とらえどころのないやわやわとした世界は、熱の下がりきっていないぼーっとした頭にちょうどいいようで、床上1センチくらい浮いているような感覚もまた、好都合なのだ。夏の午後、のんびりと進むセンセイとツキコさんのお話にひたっていると、この何日かおあずけになっていた読書を楽しめる喜びが、じわじわと拡がってきた。

『パレード』は、いくぶん病人の私を刺激し過ぎるわけでもなく、かと言って、置き去りにするわけでもなく、適度に包みこむ。こちらも、ちょうどいい力加減で読めた。ハードカバーとは言え、絵本のように薄くて軽く、余白の多いページも、今の私には心地よいものだった。まさに、梅粥のような一冊なのである。


2002年05月11日(土) 虹色の泡

来年の、夏の計画を立てた。と言っても、細かいことは何も決まっていない。今年の夏だとちょっと無理かな、と思ったので、一年延ばしてみただけなのだ。

小さい頃から、計画を立てるのは得意だったけれど、実行力はまるでなかった。いつもいつも、計画倒れに終わってしまう。綿密な計画を立てたときほど、始末が悪い。だから、もう最近では、あまり細かい計画は立てないことにしている。「行き当たりばったり」くらいでちょうどいい。最終目標さえしっかり見据えていれば、あとのことはどうでもいいのだ。

来年の夏のためにするべきことを思いついた順に紙に書いていったら、小さなメモ用紙1枚におさまってしまった。なんだ、たったのこれっぽっち。知らず知らずのうちに、準備をしていたようで、目新しいものは何一つなかった。これからは、今までやってきたことを少しばかり来年を意識してやっていけばいい。

いったい何をしようと企んでいるのか、今はまだ言えない。言った途端に消えてしまいそうだから。


2002年05月08日(水) 種まく人々

街中にひとりでいると、自然と耳がダンボになる。特に、話し声には敏感に反応する。すれ違うカップル、高校生や大学生の団体、電車やバスの中での携帯電話。よく聞いてみると、これがかなりおもしろい。聞いちゃ悪いかと思いつつ、たいていは大きな声なので、嫌でも耳に入ってくる。

昨日も、仕事帰りのバスの中で、私の後ろに座っていた大学生らしい男の子ふたりが、大きな声でしゃべっていた。はじめは、ひとの頭の後ろでわーわーうるさいなあ、と迷惑に思っていたけれど、バスが大きい通りを進み、オープンしたばかりの喫茶店の脇を通り過ぎた時、状況は一転した。

片方の男の子が、その喫茶店を見つけたらしく、「この店もスタバ意識してるよなあ。そんなにみんな、コーヒー飲みてえのかよ。そしたら、おれがおいしいコーヒー、水筒に入れてきてやるよ」と、もうひとりに話しかけた。水筒!!(笑)私はもう平然とした顔はしていられなくて、窓の方を向いてにやけた顔を隠し、なんとか笑いをこらえようとした。にも関わらず、彼は追い打ちをかけるように、「おいしいコーヒーって言っても、鍋で煮たインスタントコーヒーだけどな」と、ぼそっと付け足した。鍋で「煮た」?!(笑)もう我慢できなくなった私は、肩をふるわせて笑ってしまった。鍋で煮た、鍋で煮た、・・・。私が笑っていることに、彼らが気づいたかどうかはわからない。

その後も彼らは、バスが駅に着くまでの間、「1週間を330円で生きる方法」について熱く語っていた。「まずな、卵ともやしとエリンギを買うだろ?んで、毎日、調味料で味付けを変えんだよ。和風、洋風、中華風、和風、洋風、中華風、・・・ってな具合に。今朝はしょうゆ味で和風だったから、明日の朝は洋風だ。昼に外食しちまったけど、まあしょうがねえよな。人間がんばれば、1週間330円で生きれんだよ」「すげえよな。で、おまえんち、今どんな材料あんだよ」「だから、卵ともやしとエリンギだよ」「それだけかよ!」

なんで、よりによってエリンギなのか。貧乏学生の会話は、とことん楽しい。バスを降りても、私はにやけた顔のまんまだった。街のあちらこちらには、今日も笑いの種がこぼれている。


2002年05月05日(日) 地下室への階段

連休後半は読書に夢中で、このごろは須賀敦子さんの作品を読んでいる。須賀さんの文章は美しい、と評した人がいたけれど、確かにそれはそのとおりで、手のひらでそっと水をすくうように穏やかで丁寧な文章は、読んでいてとても心地よい。静かな空気に包まれて、自分の心の深い部分に入っていくような気がする。地下室への階段をゆっくり降りて行くかのようだ。地下室には何があるのか、暗くてよく見えない。

『ユルスナールの靴』を読み進むにつれて、自分の知識のなさに愕然とした。歴史、宗教、文学、その他この作品を理解するために必要なあらゆるものが、私に欠けていることに気がついた。かと言って、応急処置的な勉強をするわけでもなく、なんとなく流れに乗って最後まで読んでしまった。須賀さんが作家ユルスナールに惹かれ、「彼女のあとについて歩くような文章を書いてみたい」と思い、書ききった文章を読んでみたい。ただそれだけだった。今は、読んだことがある、という経験だけでもいい。適当な時間が過ぎて、再び読むその時には、この作品を自分に染み込ませることができればと思う。

夕方には思いきって、図書館で須賀敦子全集の1巻、2巻、5巻、別巻を借りてきた。4冊はさすがに重かったけれど、机に積んだ本を眺めていると、ここから世界が広がっていく予感がして、なんとなくうれしくなる。順番に借りた方がよかっただろうか。今すぐにでも読みたいものから借りたので、こんなにも順番がばらばらになってしまった。5巻には、須賀さんが訳したウンベルト・サバの詩が載っている。ウンベルト・サバの詩は、あの江國さんも「江國香織ヴァラエティ」の中で取り上げていて、特におすすめの1冊ということになっている。楽しみだ。

そして、全集を読み終わった頃には、『ユルスナールの靴』を案内役に、ユルスナールの作品も読んでみるつもりだ。興味がどこからかふつふつと湧いてくるこの時にしか、読めないような気がする。ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』は、ある人に言わせると、「20世紀の最高の文学」であって、「人生を折り返したあたりで読むとちょうどいい」らしい。そして、「何も若いうちからこんなもの読まなくても、もっとほかに楽しいことがあるでしょう」とも言っていた。そうかもしれないけれど、好きなものは最初に食べてしまう性質なので、あしからず。


2002年05月03日(金) 少しの自信と少しの勇気

今朝からぞくぞくとメールが届く。「お誕生日おめでとう」のことばと、少しの近況報告。日本のあっちこっちにいる、私の大切な人たちからの温かい贈り物だ。みんなあれこれと大変なことを抱えているようだけれど、それでも元気そうでよかった。

メールをくれた人のなかには、もう何年も手紙やメールのやりとりだけで、会っていない友人がいる。毎日会っていた時間よりも、会わなくなってからの方が長くなっていることに気づく。会わなくても、相手のことを思っているだけで続く関係というものが、確かにある。私たちは今でもお互いに良き相談相手で、これまでもそうやっていくつかの嵐や闇をこえてきた。こうした過程を知っている友人は、私にはとても貴重な存在だ。

意地を張ったところで意味がなく、嘘をついてもすぐにバレる。たいていのことは見透かされてしまうので、今では開き直って、素の自分でいられる。話すことで自分が何を考えているのかよくわかるし、どうすればいいのか迷っていたことも、迷っていたのが不思議に思えるくらい、単純なことに見えてくる。少しの自信と少しの勇気、そういうなかなか手に入らないものを得ることができる。

24歳というと、自立した大人という気がするけれど、実際の私は「大人のなり損ない」のように頼りなく、また扱いにくい。こういう私を支えてくれて守ってくれる、愛情に満ちた人たちに感謝。


蜜白玉 |MAILHomePage