気ままな日記
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2008年05月24日(土) あいううええ、かきくくけけ

 朗読と語りの講座、3回コースを終了した。
参加されている受講生の方たちは、地域の公民館や、幼稚園などで、すでに読み聞かせの経験を積んでこられた方ばかりで、読み方語り方も、とても感情がこもっている。
わたしは、この「感情こめて」というのがどうも苦手。この傾向は、今に始まったことではないのに、どうしてわざわざこういう講座に参加するかなあ、と我ながら思うのだが。こう、妙に照れくさいのである。中学生の頃、文化祭の劇で初めて役を割り当てられ、台本読みをした時のあの棒読み体験が脳裏に蘇る。
 「アメンボ赤いなあいうえお」とか、「あいううええ」とか感情こめずに淡々と発声練習するのは、普段職務上必要なことしか話さない身にとっては、発散されるようで気持ちよかったけれど……。
 趣味の場を通じて、人間関係や、世界が広がる、というのは本当にうらやましいこと。
 昨年は小説教室、今年は朗読と語り…、なんだかカルチャースクールめぐりっぽいけれど、(っぽいのではなく、まさしくめぐりです)末永く続けられるような、居場所を兼ねた趣味を見つけることができるのは、いつのことやら。


2008年05月15日(木) すっぴんで失礼

 わたしの住む街には、同僚が多い。かつての同僚、現在の同僚、たまたま書類上だけで知った同僚……。
 それゆえ、休みの日に近くの大型スーパーに出かけると、あれ? と見知った顔を見かけることがたまにある。わたしは、休日、電車ひと駅分ぐらいまでなら、化粧をして出かけないたちなので、こんな場合は、絶対に相手に顔を見られたくない。向こうが気がつく前にさっと進行方向を変える、カバンの中のものを探すふりしてうつむく、あらぬ方向を向きながら素早く通り過ぎる、などの手段をとる。つまり早い話が、知らん振りするということですね。
 一方、職場では、背広を着てネクタイをはめて、一個人としてそこにいる彼らが、こうしたスーパーでは、すっかりくつろいだ服装で、荷物を大量に持たされてすたすた歩いていたり、子供を連れて、文句を言いつつ、すっかりお父さん顔になっていたりするのを見かけると、なにか不思議なような、見てはいけないものを見てしまったような気さえする。
 いつの場合も、こちらの方が先に相手に気がついたと思っているのだが、案外向こうの方が、とっくに気が付いていて、やっぱり、見ちゃいけないものを見ちゃった、などと思って、素知らぬ顔をしていてくれているだけかもしれない。

 こんなふうに、ひとり勝手に推測したり、恥じたりしているものの、化粧顔にすっぴん顔、あまりのギャップの大きさに、もしかして相手は、わたしだということに全く気がついていなかったりして……。それはそれで、ゆゆしきことである。


2008年05月04日(日) 夢のパラドックス

 明け方、医事課に異動になった夢を見た。
自宅から自転車で15分のとろこにある、実在する病院である。場所は近いが医事課は医事課である。仕事に得手不得手があるとしたら、明らかに、わたしにとって、不得手の代表のような部署である。
 配属されてみると、待ち構えていたのは、以前実際に医事課でご一緒だった姉御肌の同僚。これも実在する人物。お互いに感情がこじれにこじれ、仲違いしたままになっている女性だった。
 もうあんな険悪な雰囲気にはなりたくないと、夢の中のわたしは、このたびの異動に落胆しながらも、その女性に思い切り媚びている。一方の彼女は、そう簡単に心を開いてなるものかと、冷たく一言、「わたしは几帳面な人が好きなんです!」ときっぱり拒絶的態度。これが現実世界だったら、わたしのほうも、その程度の一撃で、すっかり心を閉ざすのだが、夢の中では、そんなひとことでへこたれはせず、ひたすら彼女のご機嫌伺い。その甲斐あって、彼女に無事取り入ることに成功するのでした。
……と、ここで一旦目が覚め、ああ、よかった、夢だったんだと思い、再びウトウトすると、先ほどの夢の続き。夢の続きをみることなんてめったにないので珍しい。先ほどの夢の場面から、一夜明けている。始業時刻ぎりぎりに出勤したわたし、病院の門をあけておくという仕事を怠ったために、早や異動2日目にして、先日のご機嫌とりの甲斐もなく、彼女に睨まれることになった。このあとの展開は、もうこれ以上夢の続きを見るまでもなく明らかというもの。
 再び夢から覚めて、ああ、夢でよかった、と思ったのは事実。
でも、誰それが、休職だの療養休暇だのとって休んでいるらしいという話を多々聞く昨今。
 こんなことを言うと、本当につらい思いをして休んでいる人たちに対して不謹慎な、と怒られるかもしれないが、今回の夢は、わたしも過酷な職場に身を置いて、2年、いや1年でいい、「あ〜鬱かも」と言って休暇をとり、毎日好きな時間に起きて、ドリップコーヒーなどすすりながらテレビを見る、みたいな生活(無論一人暮らし)をしてみたいな〜という願望の表れでもあったのではないかと思うのである。


2008年05月03日(土) 雨粒考

 自転車に乗っていたら、雨が降ってきた。
前々から疑問に思っていたのだが、歩いているのと自転車に乗っているのとでは、どちらが受ける雨粒の量は多いのだろう。
 自転車に乗っていると、スピードが増す分だけ、顔に雨粒を直接受ける。そのため、雨が降ってきたことに気付きやすい。一方、歩いていると、雨はまっすぐに頭上から降ってくることになり、髪の毛の恩恵を受けるせいか、降ってきたことに気付きにくい。傘に当たる音を聞いて初めて、ああ、こんなに降っていたんだと気付くことになる。
 自転車の方が早く駅に着くのだから、その分浴びる雨粒の量も少なそうな気がするのだが、顔にびしびし叩きつける感じからすると、そうとも思えない。
 こういった日常の不思議をわかるために、物理とか科学とか、そういった類の授業を受けさせられたのかもしれませんが、今となっては後の祭り。もう少し気合いを入れて勉強していたら、わかったのかしらん。


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