気ままな日記
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2008年03月27日(木) 異動こもごも

 人事異動の内示があった。今日の内示を持って、異動が本決まりとなる。勤務地は、原則「自宅から一時間半以内で通える範囲」と決まっているようだが、これがまた曲者。朝の通勤ラッシュ時に実際かかる時間と、パソコンの駅探索ソフトで単純に照会した時間はかなり異なる。また、自宅からバス停までの時間や、電車を待つ時間などもそれに加算される。
 計算式だけで一時間半といっても、実際に行ってみると、2時間近くかかるなんてこともざらである。結果、今日のように、横浜の真ん中あたりの自宅から、箱根のふもとの町の職場まで異動になった方々も。
 できるだけ近いところに配属すれば、通勤手当も節約できるだろうに……。こういうところで、節税したらどうなのかしら。

 さて、管理課では、課長が今年度をもって定年退職。来年度をもって退職の中原氏との騒々しい「ののしりあい」というか、「かけあい」というか、何とも妙なやりとりを聞くことができなくなるのは、残念なこと。
 加えて、中原氏と犬猿の仲にある班長さんは、残留。それを聞いた中原氏は、「やれやれ」と大きな大きなため息。上司に媚びないという理由で、わたしは中原氏の方を、買っていたので、少し共感。「引き取り手がなかったんだよ、きっと」などと心の中で悪態をついたのでした。


2008年03月25日(火) 送別会

 4月1日付異動についての意向打診があり、あさって27日には正式内示。今年度をもって定年退職を迎える課長は、この場に及んでも次から次へとふりかかってくる難題に、大きな声がさらにひっくり返っている今日この頃。1月から3月までの3か月間に、今年の有給休暇20日分を消化しようと、せっせと休んだツケがまわってきたとも言える。
  
 さて、今日は退職を迎える職員の送別会だった(らしい。)らしい、というのはわたしは欠席だったから。どういうわけだか、ここしばらくの間、職場がらみの宴会にはご無沙汰続き。都合が悪いわけでもなく、体調が悪いわけでもなく、「お愛想の糸」みたいなものが、ぶつっと切れた感じ。気が進まんものは進まんのじゃ……。
 毎月親睦会費を積み立てているので、欠席するといただける商品券の方がうれしい、というゲスな理由もある。
 そういうわけで、出席していたら、今日この場を飾っていたであろう宴会ネタは無しです。タイトルだけ。
 


2008年03月19日(水) 悪意の小説

宮部みゆき著『R.P.G(ロールプレーイングゲーム)』を読む。
彼女の作品は、短編で何冊か読んだのだが、長編は初めてである。長編の方がおもしろいというウワサも気になっていた。
書店でぱらぱらとめくった感じ、あまり血生臭い表現もなさそうだし、手頃の厚さだし、なにより、ネットの世界をテーマにしたミステリーというのも、興味をひいた。
 ネット上に作り上げた疑似家族の「お父さん」が殺されたところから物語が始まる。疑似家族の構成は、お父さんのほかに息子、娘、お母さんの3人。彼らを含め、現実の世界でもこの「お父さん」と関係があった人たちが、被疑者として浮かび上がる―。

 ネット上の関係は特殊だ。他人同士の親しい会話を、クリックひとつで覗き見することができる。話し言葉だったら、相手の表情を見ながら加減しながら出されるが、活字は、無防備な心の中に容赦なく侵入する。パソコンのふたを閉めれば、画面は消えるけれど、ひとたび目撃してしまった言葉は容易に追い払うことはできない。ワクチンを打っておかなかったパソコンが、あっけなくウイルスに感染してしまうように。
 ネット上だけの架空の関係でも、例え活字だけのやりとりでも、画面の向こうにいるのは、明らかに生身の人間だ。嫉妬、羨望、憶測、推測。実際の人間関係で味わうもろもろの感情と無縁でいることはできない。
神秘のベールで包んで本性を隠し、思わせぶりな雰囲気を漂わせて、相手を惑わすこともできれば、羨望される対象でいたいがために、わざわざ嫉妬心をかきたてるようなことを書くことも、ネットの世界では可能なのだ。
 先日書いた『ひとりごと』と同じ。ネットに書かれたことを真に受けて、問い返しても、これはただの心のつぶやきなの、気にしないでね、と言われてしまえばそれまで。こちらの考え過ぎとして片付けられてしまうか、向こうの「手口」にはまるだけ。
 作者はこうしたネット上での関係を経験されたことがあるのだろうか。
そのリアルな心情描写と筋書きの巧さに、彼女の長編作品ファンになりそうです。


2008年03月08日(土) ひとりごと効果

 年度末の切り替えで、ひとり地下倉庫にこもって文書の整理をしていた時のことである。部屋の前を、清掃を委託している女性が、モップやバケツを持って通りかかった。年の頃は40台半ばといったところ、仕事を離れたら普段は一体どんな服装で過ごしているのか? と思われるようなバリバリの金髪レディである。
 やがて聞こえてきたのは、彼女のひとりごと。彼女の癖は、「ひとりごと」なのである。もう慣れっこになったが、「掃除中」の札が立った隣の男子トイレから、なにやら女性の話声が聞こえてきたときには、いったい誰と会話しているんだろう、といぶかったものだ。たかがひとりごととはいえ、その声の音量や話しっぷりは、優にひとりごとの域を超えているのである。ひとけがほとんどなく、音の反響する地下の廊下を伝ってくる声の妙味はまた格別である。一体どんなことを話しているのだろうかと、この際だからと耳を澄ますのだが、惜しいところで聞き取れない、微妙な音量。
 現在通っている診療所にも、以前、ひとりごとの癖のあるクリーンレディがいた。この方は、トイレの利用者のマナーの悪さに憤っていたのか、ひとりごとの雰囲気がいつも喧嘩腰だった。

 一人暮らしが長いとひとりごとは多くなると聞く。
昔、湯船から滴るしずくの音に紛れて、「一生の不覚」という元亭主のひとりごとが聞こえてきた時は、我が身を責められているような気がしたものである。
 かくいうわたしはといえば、職場で、「今、忙しいから話しかけないで欲しいなあ」という時に、仕事の手順をぶつぶつ呟いて見せて、周りからの働きかけをさりげなく「防御」しようと試みることがある。
 あるいは、目指していた店が閉まっていたとか、思っていたより寒かったとか、ちょっとした「感嘆」を発散したい時、町中の喧噪に取り紛れて周りに聞こえない音量で、「ええ! まじっすか〜」「信じられない!!」などと叫びながら歩くこともある。

  患者に不気味がられていた、クリニックのクリーンレディは、そのせいかどうかやがて見かけなくなり、今では、穏やかで人当たりのいい男性にとって代わった。もしかしたら、彼女の目には、周囲の目には見えない誰かが、はっきりと見えていたのかもしれない。

 安易に加わるわけにも、問い返すわけにもいかないひとりごと。当の本人は、習慣として、あるいは単に癖として、なんの気なしにつぶやいているに過ぎないのかもしれないが、時と場合によっては、周りにいろいろな心理的効果や影響を与えるもののようである。


2008年03月01日(土) 3月

 気づけば春は3月。
今年にはいってからの2か月は、10年にも相当するほどの長い長い月日でした。そうでなくとも、この季節は、今まで寒さで縮こまっていた胸の奥を、なまあたたかい風に無理やりこじあけられるような心持になり、毎年わたしにとっては苦手な月なのである。
 幼稚園に入園したての頃、いわゆる分離不安というやつだったのか、初めて放り込まれた集団に馴染めず、お歌の時間の最中ずっと、ピアノを弾く先生の前に見世物のように椅子を据えられて、みんなの歌声に負けじと、ず〜っと泣きわめきどうしだった、あの不安な気分が蘇ってくるようです。
良くも悪くも大きな出来事が起きるのもこの月。環境の変化も3月。振り返ればその都度、なんとか乗り越え、平凡なそれなりの日常がまた戻ってくるのであるが……。
 
 来週の3日は、息子の高校卒業式。
ここ数年、彼の気難しい器質を扱いかねて、ぎくしゃく+やきもきの連続。大の写真嫌いの彼のこと、校門前でにこやかに親子で記念写真、なんてことは夢のまた夢ではあるが、お忍びで行ってこようかと思っています。


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