気ままな日記
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2008年02月16日(土) 事実を表現するということ

 オンラインの書評での評判がとてもよかったので、武田百合子さんの『富士日記』を読む。富士山麓に建てた小屋での生活が、可もなく不可もなく、淡々と描かれている。上中下巻に分かれていて、それぞれがかなりの厚味のある本だ。
 最近は明け方早く(といっても2時頃)に目が覚めて、そのまま朝まで眠れないというパターンが多いせいか、寝不足気味。そのためか、淡々とした描写が少しばかり眠気を誘う。こちら側の気分や状況によって、またおもしろく読める時もあるかもしれないと思う。

 柳美里さんのブログの、「長男虐待描写」が問題になっている。彼女がインタビューに答えたところによると、それは広義の「フィクション」だとか。彼女もある程度の反響を承知(期待)の上で記述したらしい。ひとつのできごとも、プロの作家が、心象風景を交えて書けば、こういうふうになるらしい。確かに読む側としては、興味をそそられるだろう。

 とりたてて何事もない日々のできごとを淡々と書いたものがいいのか、それとも人目をひくように、過激に書くのがいいのか、それは読む側の好みの問題。
 そばをすする音や、子育てのあれこれなど、プライベートな部分をどこまで見せるかは、えげつなさと品位を保つこととの綱渡りの上に成り立つ。あれこれと頭をひねりつつ、ぎりぎりのところにとどまり続けるのが、フィクションの醍醐味であり、むずかしさなのかもしれない。


2008年02月15日(金) たまには散歩

 YAHOOのニュース記事を見ていたら、王理恵さんとの結婚が延期になった本田医師の「そばすすり音」が、携帯電話の着信音になるらしい。今後「そば」が、彼のサイドビジネスになるかもしれないというから、驚きだ。人がいるところにビジネスあり、とはこのことだ。
うがったことを言えば、延期になった理由は、単に、そばをすする音だけではないのではないかというような気がしてくる。
 
 さて、午後から、医療費控除の申告に税務署に出かける。
朝早く出て夜帰宅する生活が続いているせいか、昼間の日差しが、こんなに春めいてきていることに驚く。そういえば、終業の鐘の鳴る頃には真っ暗だったのが、日の延びた最近では、夕日に映える富士山のシルエットがみごとである。太陽を浴びるのはやはり気分がいい。近ごろでは、お昼休みが45分に短縮されたせいか、外へ昼食を食べに行くこともなくなっていたから。
 おばあさんにつきそわれて公園に散歩に出てきたらしい女の子が、枯葉を一生懸命拾っていた。そういえば、息子も、連れて行った動物園や海岸でも、砂だの石ころばかりに興味をもっていたのを思い出す。

 点数がどうのこうの、損か得か、ビジネスとして成り立つか否か……、価値の基準がとかく殺伐と味気なくなっていることに気づく。


2008年02月11日(月) 親離れ

今月の、婦人公論の特集が、「大人になってからの親離れ」とあったので、思わず購入。
しっかり実家に帰省ならぬ寄生している身としては、こうした記事を読むのもいいが、まずは「形から始めよ」という気もするが……。
 3人の方々からなる覆面座談会や、離婚後子供を連れて実家に戻った女優さんへのインタビューなど。
 わたしの友人たちの話などを聞いても思うのは、両親の援助をたっぷりと受けていても、そういう状態を「肯定」しているのは、サザエさん一家のように、配偶者有りの場合。または、隣同士であろうとも、一応実家とは、別に住まいを構えている場合。みそやらしょうゆやら、お惣菜やらをタクシー乗り付けて実家から分けてもらっているような有様でさえ、そういう状態に、果たしてこれでいいんだろうか?? などと、こだわっている風ではない。別に世帯を構えているという枠組み(自信?)のようなものが、心理的に適度な距離を保つからだろうか。
 子供がいても、定職があっても、昔の親子関係を引きずったような親との同居生活に、「このままでいいんだろうか」とクエスチョンマークを抱きつつ、それでも今の状態にとどまっているのは、やっぱり「楽ちん」だから。苦労こそ美徳、実家から離れる=自立、などというものの考え方から解放されるのがいいのかどうか。
 ともあれ、息子に対しては、とりあえずうまく脱出できるといいね、と強く思うのです。


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