気ままな日記
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2007年07月30日(月) 夏休み徒然

今日も激しい雷雨。
繁華街を見渡せる場所でランチをとった。外の雷や雨の音も聞こえず、ただ空気が真っ白になるほどの雨が吹き荒れるのを上から眺めているのは、楽しい。
 気のせいか最近は落雷が多いような気がする。わたしの隣席の同僚(学校の先生)は、大の雷嫌い。夕方から鳴り始めた雷に怯え、早退したほどである。

 さて、大して予定もないのに休暇をとったので、過ごし方に迷う。贅沢な悩み。のんびり何もしないのも、休暇の「立派な」過ごし方だと思うのだけど、どうしても「達成感」みたいなものを求めてしまう。
 ヨドバシカメラで、ウオークマンと携帯のパンフレットを集め、八重洲ブックセンターで森茉莉さんの本を2冊買う。
 わたしの携帯はPHS。音楽も聴ける携帯もあると聞き、買い替えを検討中。CDの曲をパソコン経由で、携帯に送ることもできると聞いて、さっそく買おう買おうと意気込んでいたら、ビスタにはまだ対応していないとのこと。新しいOSなら何でも使えるというのでもないらしい。もう少し辛抱して待てば、ビスタ対応のものが発売されるだろうか。
 こういうときは「買い時」というのがむずかしい。

 森茉莉さんの「贅沢貧乏」を少し読む。
彼女の独特の美意識・自意識はすごい。言葉が美しすぎて、なかなか一度で頭にはいってこない。彼女のお宅をお邪魔してみたかったものだ。わたしはわたし、これでOK、を「地」でいっている。開き直る、という気負いさえなくごく自然に。お友達になるのはちょっと勘弁という気がするが、作品にはとても惹かれる。


2007年07月20日(金) ちょいとしみじみ

 大事な郵便物があったので、書留で送った。近頃では(というか、ずっと前からあったのかもしれないが)郵便追跡サービスというのがあって、受領証に記載されている引き受番号を入力すれば、パソコン上で、配達状況を確認できるらしい。
 そこで発送から2日ほどたった昨日、さっそく調べてみた。書留だからおそらく大丈夫だろうとは思ったのだが、ちょっとした好奇心である。
 郵便物が、どこの郵便局で何時に引き受けられ、その後、とりまとめ郵便局を経て相手先に届くまでの流れが、刻一刻と記載されている。
 夜中の時間帯にも、小さな封筒が、バトンリレーのように引継ぎされていく様が目に浮かぶようでなんだか妙にうれしい。近頃、私利私欲に煽られたような事件報道ばかり耳にするせいか、こういう地道な作業に、ホッとするのかもしれない。

 さきほど美容院から電話があった。明日カットの予約をとっていたのだが、担当の美容師さんの体調が悪くなったので、代理の方でどうかという連絡である。それで構わないです、と電話をきったすぐ後に、当の担当の方からお詫びの電話がはいった。なんと10日程入院するとのこと。入院を控えた大事な時にわざわざ一介の客に電話をしてくださるとは思いもよらなかった。
 お大事に、とありきたりのご挨拶をして電話をきったが、突然のことであり思いがけないこともあり、なんだかわたしの声がやたらにはしゃいでしまったような気がして、あとでどっぷりと赤面。
 それはともかく、郵便の件にせよ、美容師さんの件にせよ、世の中は、思っていたよりもまじめに、誠実に動いているのかもしれないと思ったできごとである。


2007年07月15日(日) 休日の嵐

外は台風の接近で大荒れ。
大雨の音というのは、催眠効果があるらしく、心地よい眠りのバックミュージックになった。

 さて先日より、小説の書き方教室に通い始めた。
自由題の作品を講師にメールで送り、次回の講義のときに、受講者にそれらが配られ、講評をいただくという形式のものだ。
 小説はむずかしく、恥ずかしい。「なにがしなに子」と、主人公にもっともらしい名前を付けたとたん、なんだか「つくりごと」(まあ、つくりごとにはちがいないんだけど)の匂いがぷんぷんたちこめる。
 エッセイや日記は実話なのだから、こっちの方が考えようによってはよほど恥ずかしいように思うのだが不思議である。
 枚数制限は1枚から520枚まで。期限は21日。520枚も書けるくらいならい、習いに来んわ……などと、書けない苛立ちを八つ当たり。
 さて、書こうとパソコンを開けば、そこかしこのほこりが気になり、ホームページの更新が気になり、一向に進まない。
なにかネタになる話題がないかとYAHOOを読むと、「段ボールいり肉まん」のニュース。もし世界中が大飢饉に陥ったら、最後までたくましく生き残ることができるのは某国の方々かもしれない。


2007年07月05日(木) 盲点

 今朝テレビで、自費出版をめぐり、出版社と著者との間で争いがおきているというニュースが報道されていた。
その出版社の主催する出版説明会に、わたしも行ったことがある。
 昨年の夏のことである。
 選んだ基準は、公募の雑誌や新聞に、大々的な広告をうっているので、それならまあ大丈夫だろうという、単純な理由からである。
 説明会当日。青山という場所柄、久し振りに見る「都会」の空気にくらくらしながら、近くにあった「おにぎりカフェ」で腹ごしらえ。それでも時間が余ったので、隣接する書店をのぞく。そこには、くだんの出版社から出版された本が、1冊残らず展示されている。レイアウトなども凝っているので、本好きなわたしとしては、こういう場所で働けたら、楽しそう、と思ったものの、本を出してもらう立場としては、ひとりの無名な人間の本を、この大量の本の山の中から見つけ出してもらうことは、至難の業に思えた。(まあ、それは一般の書店でも同じだけど)。
 さて、説明会は、若くて見栄えのいい女性社員の方々の進行により、てきぱきと進んだ。20年以上も前に行った「就職活動」的な目で見れば、女性が生き生きと活躍できる印象の職場、といったところだろうか。

 今回問題になっているのは、うたい文句どおりに、全国の書店に本をおいてもらえなかったということらしい。
 営業活動をしてもその本を店におくかどうかは、書店の裁量に任され、おいたあとの扱いについても、各書店頼み、というのが一般的とのこと。
となれば、具体的なことが契約内容に盛り込まれていず、問い合わせに対して、「今営業活動をしている最中です」と言われてしまえば、それを信じて納得するしかなかったのだろう。
 出版各社それぞれに、「売り」にしている内容は違うもので、わたしたちも、その「売り」の内容にばかり目がいくもの。
ちなみに、くだんの出版社は、絶版にしない、というのが「売り」だったようだ。(まあ、供給=印刷の体制は整っていても、需要がなければ仕方がないのだけど)。
 実際、本の中身をどうするかで頭がいっぱいで、流通のことにまで、そうそう頭が回らない。華やかな広告のイメージが自分の中で膨らんでしまい、会社に大きな期待をしているというのも確かなのだ。

 本離れがすすむ一方で、本を出版することが特別なことではなく身近なことになってきた。読む人の数が減り、出版される本の数が増えてくる。そうすれば、出版社は、生き残りをかけ、次々と出版したい人を募り、書店は書店で、店に置く本を「厳選」せざるをえなくなる、そうなるとこうしたトラブルはこれからも増える可能性はある。
わたしの場合は、タイミングやその他いろんな条件が重なって、最終的には別の出版社から出版することになった。
 しかし、本の流通システムに無知な立場にあるわたしたちの盲点をつくような今回のできごと。
 これからどういう展開になるだろうか。


2007年07月03日(火) ついに……

 息子の進路を考える時期になった。
漏れ伝え聞くところによると、当の本人は、下宿を考えているとのこと。わたしの性分、息子との関係からして、あっさりと子離れできることだろうと、ずっと思っていたけれど、「来年の今頃は別世帯なんだー」とやけに具体的に身に迫って感じられたとたん、急に、感傷的な気分が沸き起こってきた。
 さかのぼって、この世に彼がおぎゃあと生まれ出た瞬間の顔つきから、幼児期のだだこねの時期の姿までが、脳裏を横切る。
 あの時は本当〜にごめん、という懺悔じみた気持や、「あんときゃかわいかった」というもの、相変わらず冷凍食品の弁当ばかりでホント勘弁!みたいなものまでが、次々と押し寄せる。
 意外や意外、来春あたりは喪失感とかいうものに、どっぷりと浸かっていたりして。


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