気ままな日記
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2006年06月26日(月) |
ご破算で願いましては |
何の気なしに使っていた言葉が、ある日ふと、おかしみを帯びて浮かび上がってくることがある。 ソロバンで、読み上げ算の前に言うこのセリフがそうである。 ソロバン塾に通っている時にしょっちゅう聞いていたのだが、そのときには特段、なんとも思わなかった。 しかし、つい先日、突然この言葉が頭に蘇ってきたときに、「変、これ。願いましては、だなんて。何を願うの?」というような、半分揚げ足とるような気分とともに、なんとも、こっ恥ずかしいような気持ちが沸き上がってきたのである。 例えば、かけっこの前の、「よーい」という合図と同じようなものと思えばいいのだろうけど。 そのあとに続くのは、舌がもつれそうなほどに早口な数字の読み上げ。 「80円也、94円也、60円也……」 皆、下を向き、ひたすらソロバンの玉をはじく。 そして、仕上げの言葉は、 「ご名算!」 ああ、やっぱりおかしい。
2006年06月25日(日) |
奥田英朗著「空中ブランコ」 |
「おもしろかったねえ」というウワサを小耳にはさんで以来、いくつかの書店で在庫の問い合わせをするも、品切れ。先日有隣堂でやっと見つけて手にいれた。 次が読みたい〜、と嵌った本は久しぶり。実際にいたら勘弁してくれ、って思うような精神科の医師だけど、その分、こちらも気取らす飾らず、正直に、自分のことを話せそう。遠慮もなく怒りもぶつけられそう。 親の七光りを浴び、散々甘やかされ(たであろう)、全く苦労せずに育ったという、世にはマイナスととらえられがちな個性をプラスに転換している。 でも、子供みたいな好奇心を持つ医師に興味を持ってもらえるのも、それぞれのストーリーに登場する患者がその道のプロだからこそ、という気もする。普通の凡人が行っとしたら……ああ、それでも、「いつかやってみたいと思っていたけど、ひとりじゃできないワルだくみ」を一緒にやってくれそうで、やっぱり魅力的ではある。
何を思ったか、10年以上も前に購入したワープロを、物置から引っ張り出してきた。文章の下書き、メモ書き程度なら、固まったり不正な処理だの、ウイルスだのといってはだだをこねて動かなくなるパソコンよりも、ストレスが少ないのではないかと思ったからである。 電源ははいる。しかし進化の早いこの業界のこと、すでに2DDのフロッピーしか通用しない機種ときている。用紙も専用のものではないとダメ、インクリボンも取り替えなくては、となにかと付属品をそろえるのに手間がかかることこの上ない。 さて試しに入力してみると、異様に肩が凝る。職場でも家でもノートパソコンのせいか、腕をあまり動かさず指先だけでキーを打つ習慣がついていたせいか、肩と目に、妙に力がはいるのだ。 こうまで苦労してワープロを復活させる意味があるだろうか。あまりの「凝り」に、夜中、もそもそ起き出して肩に湿布を貼りながら思った。
中学生の頃、宿題を忘れただの、言いつけを守らなかっただの騒がしかっただの、なにかにつけ、 「デコピンな」と言って、生徒のおでこを勢いよくはじく先生がいた。 大学を出たばかりで、ばりばり張り切ってます、といった感じの男性教師。当時はまだ、今ほど教師の威厳が地に落ちてはいなかったが、そうかと言って、人格的に優れた先生が多かったというわけではない。 比較的教育熱心な家庭の多い地域のこと、うるさい保護者もいたであろう。 家庭訪問にやってきた彼の話し方といったら、滑稽そのものだった。吹き抜けになった2階の廊下から玄関を見下ろすと、わたしの母親と話す彼は、大きなからだを前かがみにさせ、両手を落ちつかなく体の前で擦りあわせ、しきりに動かしている。そして、「でございます」などという語尾の連発である。 揉み手をしながら話す人、というのをわたしはそのとき初めて見た。 その彼の、教室でのおはこが、デコピンなのである。思い切り平手打ちなどしようものなら、保護者及び教育委員会などから苦情やお叱りが舞い込むであろうが、ちょっと指の先ではじきました、というのなら、表向き大層なことに見えないだろう。あらかじめ、罰として決めてあったというのなら、ついカッとして手をあげてしまいました、ということにもならない。 いかにも彼らしいやり方ではないか。 わたしも一度このデコピンをくらったことがあるが、なかなかどうしてその痛みは相当なものである。それに比べ、はじいた側の指の先の爪の痛みなどさほどではなかろう。 撲ったりけったりしたわけではないが、それと同じ苦痛を生徒に与えておきながら、自らはさほどの痛みも感じずに、言い逃れの道筋だけはしっかりと考えていたというのが、今更ながら、とても腹立たしく思われる。 わたしも含め、そのことについて、誰も彼に反旗を翻そうなどと思いも及ばなかったのが、とても残念である。
2006年06月17日(土) |
大地震がきたら、まず手にとるもの |
それは眼鏡であると断言できる。 なにしろ30センチメートルほどしか離れていない人の顔ものっぺらぼうにしか見えないほどの超ド近眼のわたし。ただでさえ混乱極まるであろう大災害の最中、これなくしては、とても逃げおおせるものではない。傍から見てあきらかに、眼が不自由そう、というのならばそれなりに救いの手が差し伸べられるであろうが、そういった風情にも見えないとなればなおさらのことである。 眼鏡とのつきあいはかれこれ30年になる。最初にこれをかけたのは小学校4年生の頃。まだ当時は近眼の子はそれほど多くなく、授業中だけかける、という子がクラスで2,3人といったところだっただろうか。 担任の先生に、なぜか「今日から眼鏡をかけることになりました」とわざわざ報告した記憶がある。 そのときの新しい眼鏡は赤い細いフレームのものだった。近眼というものは、徐々に進行するものらしく、見えづらくなったという自覚があまりなかったのだが、かけてみると、あら不思議。空気が一遍に透き通り、そこらのものが素通しに輪郭まで実にはっきりと見えたので、驚いた。 今現在かけている縁なし眼鏡で、何代目になるのやらもう覚えてもいない。その間、技術の進歩で、度が強くとも、厚ぼったくならないものを手にいれることができるようになった。しかしどんなに、軽快なものが開発されようと、今や眼鏡が体の一部のように感じられるようになろうとも、いちいち眼鏡をかけたりはずしたり、コンタクトを入れたり出したり洗浄したりといった、手間のない生活をもう一度味わってみたいものである。
同僚から、カカオ99%入りのチョコレートを分けてもらった。 「TOMATOさん、チョコレート、食べれる?」と彼女。 「え、 食べれるって?」 食べれるもなにも、チョコレートは大好物。休日はアーモンド入り、カシューナッツ入り、チョコチップ入りクッキーなどをむさぼり、外に出かけた折りに食べるケーキはチョコレートケーキ、というほどのチョコ好き。そりゃ、あなた食べられますとも。 複雑に顔をゆがめながら、じゃ、ちょっと食べてみない? と彼女。 パッケージはシックな色合いでスナック菓子にしては、ちょっと高級感が漂う。気になるのは、甘い飲み物といっしょに食べることをオススメします、との注意書き。 ひとかけらのうち、試しにほんのひと口。 「む?」 粘土、とも違う。砂糖が足りなさ過ぎたココアをコネコネ練った感じ、といったらいいかしら。 確かにカカオらしき味が、いつまで〜も歯の周りにこびりついている。これがカカオ99%の秘密か。とすると、あとの1%って何? もらいものでよかった。これをパッケージに魅せられてつい自分で買ってしまったとしたら、やはり彼女のように、周りの人々に分け与えて、反応をじっくりと眺めることになったであろう。
今日、知り合いの方から、「あなたはランチタイムに、ひとりで文庫本読みながらおにぎりでも食べていそうなイメージがある」と言われた。 正解。職場にいるときは、朝、コンビにで買ったおにぎり2個パックとインスタントのトン汁の組み合わせ。または、まとめて注文する仕出し弁当。これを、お昼の鐘が鳴り、窓口のカーテンがしまると、自分の席で黙々と食べる。 考えてみれば、自分の席でお弁当を食べられるようになりたい、とずっと思ってきたのが、実現したのだった。実現してみると、別にどうということはない。そればかりか、外にお洒落なカフェがあればいいのに、などとすでに思い始めている。 欲を言えばキリがないものである。
あさって、父方の祖母の17回忌の法要が行われる。 墓は岡山県の山の中にある。道路からそれて、山の中へ分け入る階段を数段昇ると、下草を刈り取られ整えられた小さな墓地が広がる。 この墓ができたのは、30年前に祖父が亡くなった時である。 納骨式の時、モデルハウスの部屋のドアをあけてみるように、墓石の蓋をあけて中をのぞきこんだ父が、 「これなら全員はいれるぞ」とうれしそうに言った。 「あんたもいっしょに入れてもらえるように頼んできたから」母がわたしにそう言ったのは、4年前の13回忌の時だったろうか。 自分のお墓ぐらいは自分で建てたい……海を見下ろす高台にあり、眺望に恵まれた霊園の広告を見るたびに、ちらりとそう思った。しかしそういうロケーションは、むしろ墓参りに来てくれた人のためのものであって、中にはいっている者にとっては、見晴らしもへったくれもない。 海に散骨。という話もたまに聞く話だが、さんざん焼かれたあげくに、今度は水攻めというのも、なんとも心細い。 ここはやはり、先祖代々のしがらみにどっぷりとまみれつつ、段々とぎゅうぎゅう詰めに手狭になっていく墓のサマを味わうのも一興かもしれない。
10月に、むすこの通う高校で修学旅行が行われる。秋は、旅行だけでなく、文化祭だの体育祭だののイベントの季節である。 本来なら、楽しかったなあなどという気持ちとともに懐かしく思い出されるのだろうが、わたしには、憂鬱と苦悩とともに蘇る。それはイベントに伴って行われるグループ分け。当日の行動のみならず、企画段階から行動をともにするメンバーの構成。好きな人同士が組む、ということに相場が決まっていた。 それほど愛想が悪かったわけでも、積極的に意地が悪かったわけでもないのに、なぜか気づくとひとりだけ残されて、最終的には、心優しいグループにお客さんみたいにして混ぜてもらうということになるのだった。 体育館や音楽教室での移動、休み時間―。そういえばなぜか気づくとひとりでいた。ひとりでいる、ということそのものよりも、「あ〜、あのひと、友達がいないんだあ」という他人の視線が苦痛だった。変にプライドが高かったのだ。 群れないでも、自然に見える男子生徒がとてもうらやましかった。 学校を卒業し企業に就職するとそこでも待っていたのは、昼休みに「群れて」食事をするしきたり。それは同期同士のグループだったり、顔も性格もいかにも「つぼね」という女性を中心としたグループだったりしたが、どちらも居心地が悪い思いは学生の時と同じだった。 そして、今。お昼の鐘がなると、男性だろうが女性だろうが、自分の机の上にそれぞれのお弁当を広げ、黙々と食事をし、そのあとは好き勝手に本を読んだり買い物にでかけたりする光景に、やっとわたしにしっくりとする空間を得たような気がするのである。
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