気ままな日記
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2006年07月29日(土) ヒサシを貸して母屋を取られる

昨日友人と待ち合わせをして夕食をともにした。
 彼女の家業は駄菓子屋さんである。職業柄、その土地の人々との関わり合いは古く深く、いつもご近所の誰彼が、彼女の自宅に”居る”のだそうである。
 彼女にはそれがとてもわずらわしいということだ。子供を抱きかかえて風呂から出れば、トイレを借りにきた近所のおやじと家の中で鉢合わせ、日用品やお金はしょっちゅう借りにくる、大事なものは紛失する、など他人があまりにも家の中に入り込みすぎているという。泥棒にまではいられたので、最近は家に鍵をかけるようにしたらしい。
地方に行くと、ご近所さんが勝手知ったかのように家にあがりこんでなんやかんや世話をやいたりやかれたり、というところがまだある。
 現代社会にあって失われたコミュニティが残る空間、ということで取材まで受けたが、彼女曰く「休みの日も、他人が家にはいってくるのがイヤで、なるべく外に出かけるようにしている」のだそうだ。
 新興住宅地にありがちな、「隣は何をする人ぞ?」という閉鎖的地域が増えた昨今、このようなオープンスペースがもてはやされがちなのはわかるが、家の住人が居づらいほどオープンなのもどうかと思うのである。


2006年07月26日(水) ストック症候群

 買い置きしておかないと不安になって、つい余分に買いだめすることをいうのだそうだ。
 わたしも、あらゆるものを、というわけではないがその傾向はある。洗顔石鹸、洗剤、歯磨き粉のたぐいは常に予備を。トイレットペーパーは、8ロールを2セット常備。
 日頃それほど時間に追われているわけではない。洗顔石鹸など、なくなれば普通の石鹸で代用すれば良し。歯磨き粉は、ああ、もう出ない、と思ってからでも何とか絞りあげれば、2回分3回分はまだ出る。それから買いに走っても充分間に合う。トイレットペーパーにいたっては、最後の10センチしかない、という段階ではさすがに心もとないが、そんなに急激になくなるというものでもない。
 それなのに、である。
買い置き傾向は、朝食用のパンやヨーグルト、お弁当用の冷凍食品にまで至る。
 そういうときは、毎日毎日、何か足りないものはなかったかしら?とか、もしかしてこれがなくなりかけてるかも、という瑣末なことにわずらわされたくない、という心境が大きく働いている。「これだけ買いだめしておけば当分大丈夫」という安心感に浸りたいのである。
 しかし、実際のところ、消費するペースは品物によってマチマチ。入れ替り立ち替り何かが足りなくなりかけ、その都度、買い置き用を買い足しに行っているのだ。
 ”当分の間”などほんの束の間。余裕の境地に至りたいという動機は、皮肉なことに、かえってあくせくとした状態を招いているのである。


2006年07月16日(日) 世代交代

 今月で、ウインドウズ98とMEのサポートが終了するという記事を読んだ。
最新のXPでさえ、時期OSの発売後2年で、サポートを打ち切るらしい。それだけ、この世界はすさまじいスピードで進化しているということなのだろうが、なんとも心細い。ひとりでも使っている人が居る限り、見放さないで欲しいなあ、というのが本音。
 これはしかしソフトの話。壊れるといういえば、機器本体の方が、その可能性は大きいような気もする。
 あれは何年前だったか、ウインドウズ95の発売日の光景をニュースで見たのを覚えている。買い求めようとする人びとの長蛇の列。中には、このソフトがどういったものなのか知らない人も混ざっていたとか。
 わたしも当時はパソコンなど持っておらず、全くの異次元の世界のできごとだった。
 それが今では、なくてはならないものになっている。あまりにも高性能で便利過ぎるので、つい依存気味。最新バージョンを追い求めても、またすぐにそれは新しいものにとって代わられるばかり。ここいらで、パソコンはあくまで、「手段」に過ぎないんだからと、ひらきなおって気分的距離を保たないと振り回されてしまいそう。

 昨日、ミュージックフェアという歌番組を見かけたら、おにゃン子クラブの歌を、モーニング娘が、”なつメロ”として歌っていた。初代のおニャン子たちも、今や、40歳代。どっちのグループもメンバーが出たりはいったりして、顔つきも似たりよったり、誰が誰だかさっぱりわからないのだけど、中身は確実に移り変わっているようである。


2006年07月08日(土) お食事中の方、すいません

というテロップを、テレビでたまに見かける。
全国ネットの番組ならば、それももっともなこと。ましてや放映時間が午後の6時台7時台ならなおさらのことである。
 しかしわたしのこの日記を、食事しながら読んでる人が何人いるだろう。

 閑話休題。
夏を迎え、虫の季節がやってきた。家は築30年を越える木造住宅なので、昨今頻繁にお目にかかるようになったのが、「跳ねる蜘蛛」である。色は黒で小型。手足はそれほど長くない。巣も作らないたちらしく、畳の上や壁の上をぴょんぴょん飛び跳ねている。白い壁にぺったりと張り付いていると実に目立つ。
 そして、何年か前にシロアリ駆除を行って以来、根絶したかに見えたゴキブリが、今年台所に姿を現した。真っ黒にてかてか光った大ぶりなやつ。すっかり見かけなくなっていただけに、より薄気味悪く感じられる。母に言わせれば、昔鶴見のアパートに住んでいた時は、「うじゃうじゃ」いたんだそうである。
 虫の苦手なわたしが唯一「手づかみ」できるのは、蟻とトンボのみ。
ゴキブリやクモを見かけたが最後、とにかく出て行っていただかないと、夜もおちおち寝ていられない。
 取り逃がしたゴキブリはいずこへ。一匹見かけたらその30倍は居る、というコマーシャルが以前あった。枕もとをかさこそと這い回る独特な音、挑むようにこちらの顔めがけて飛び掛ってくる不敵な様、どう考えても慣れることはできない夏の風物である。


2006年07月06日(木) 建前と本音

 同僚のお母様が亡くなったそうだ。92歳。オンラインの訃報情報に登録された内容は、職員の名前と故人との続き柄、そして葬儀の日取りと場所、喪主の名前。
最後に、葬儀等は近親者のみで行うので、ご会葬ご香典等はご辞退したいとのことです、という但し書き。
 そう書かれていても、幹部職員は参列するらしい。「辞退したいと言ってきてるので、課としては香典のとりまとめはしませんが、もし、包みたいという有志の人がいたら、わたしに申し出てください」と上司。
 ここで迷う。なんだか自分の心の中の善意を試されているような気になる。あくまでも有志なのだから、気持ちがあれば出せばいい、それほど親しいわけではないのだから出さないのだったらそれも良し。
 わざわざ辞退すると言ってきてるのは、後々、お返しだなんだとわずらわしいから、本当に辞退したいのかもしれないし、などと、出さない言い訳をしてみる。
 それにしても、他の人はどうするんだろう。誰も、「あなたどうする?」と聞きあっていない。本当はとっても聞きたいはず。ひとりだけ出さないでケチだと思われたくないもの。しかし、有志となっている手前、わざわざ聞くのも、相手の善意を試してるみたいだし。
 みんなにあわせたいのに表立って聞けないもどかしさ。腹の探りあいするぐらいなら、いっそのこと、ひとりいくらずつ徴収します、と言って欲しい。


2006年07月02日(日) 救急法講習会

 職場で、救急法の講習会があった。
人工呼吸や心臓マッサージのやり方に加え、最近、駅などにも備えられるようになった、AED(自動体外式除細動器)の使い方の講習である。講師は消防署の職員。救急現場のプロである。
 模型の人形を使った実習では、「意識を失って倒れている人を発見した時」のロールプレイング。
 こういう時、本番さながらに、「わ!どうしました?」と、すっかり感情移入して演じきることができる人と、妙に照れてしまい、セリフが棒読みになるタイプの人間がいる。わたしは後者。他人がやっているのを見るのでさえ、むず痒くなってしまうのである。
 模型の人形の肩を叩き、「もしもーし、もしもーし」と意識の確認をしている最中も、周りをぐるりと囲んで見ている人の全神経と全視線を集めているような、自意識過剰状態で、せっかく覚えた手順やセリフもしどろもどろ。そそくさと終えてしまった。
 「今日習ったことを思い出して、勇気を出して実行してください」という言葉で、講習会は締めくくりとなった。
 いざ、このような現場に出くわしたとしたら、衆人環視の中、妙に力んでしまい、かえって殺してしまわないまでも、あばら骨の1本2本、へし折ってしまいそうである。


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