気ままな日記
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2004年11月29日(月) 適職とはこれいかに

 12月というと、なぜか「差し迫った」感じを植え付けられる。
よく考えてみれば何が差し迫っているのかよくわからない。
年内にできることはすっかり仕上げて、憂いごとなく正月を迎えたいということだろう。
そのために、年内はせわしなく走り回ることになる。

数年前、税金を課税したり徴収したりする職場に籍をおいたことがある。
「どーせ、おまえら、この金で飲み食いしちまうんだろう」と声に出す者、態度で示す者、さまざまな客がおいでになった。
毎年12月になると、職員全体で、自動車税の滞納整理を行った。
ひとり当たり60から120件を割り当てられ、電話、お葉書、訪問、あらゆる手段をとって納付を促すのだ。
わたしはこうしたノルマを課せられると、どういうわけか張り切るタイプだったので、本業そっちのけで嵌った。
相手の職場に催促の電話を架ける時は、周りに配慮して、こちらの苗字のみ名乗る。
相手も、同僚の目(耳)を意識してか、「すいません、すぐ払います」とは決して言わない。「あ、お世話になっております。至急処理します」とのたまう。
その時は愛想が良くとも、あとで「職場にまで電話してこないでよ!」と怒りの電話が架かってきたり、「車検までに払やーいいんだろ」と開き直る人もあり。
「はいはい、すぐに」と調子の良い返事をする人よりも、むしろ、散々ごねたりすごんだりした人のほうが、言いたいことを喚いて気が済むのか、その後案外すんなり払ってくれたりする。
最終的には、電話の加入権と給与の差し押さえとなり決着。
追っかけまわした末、すっきり納めていただいても達成感あり、また差し押さえても爽快……と生来底意地の悪いわたしの性分に合っていたような仕事でもあった。


2004年11月22日(月)

今朝方、会いたい人に久しぶりに会えることになった夢を見た。
しかし、そのためには、どういうわけか、50枚ずつ50部の書類をコピーしなくてはならず、おまけに、バス停までの距離は遠く、そのバスもめったに来ないという。
結局、コピーをとっている最中に目が覚め、その人には会えなかった。
わたしの見る夢には、こういうのが多い。
ご不浄ひとつ行くにしても、なぜか個室のドアが壊れていて入れなかったり、行列ができていたりして、なかなか目的を達することができない。
障害多き夢―。
夢分析、夢占い、いろいろあるようだが、これは一体どういう解釈になるのだろう。


2004年11月14日(日) 年賀状

来年の年賀状を刷る。
今年はなんだかすばやく過ぎ去る。さすが、「さるどし」。
年賀状を作成する時になって、今年の干支を改めて自覚する。
このご挨拶状、こちらが出した方からは来ず、出さなかった方からは来る、ということがたいてい起きる。買い置きの年賀ハガキがある場合はいいのだが、ない場合には普通のハガキでお返事を出すことになり、そうすると、なんだかいかにも、「仕方なく出した」みたいな感じになってしまってちょっと心苦しい。
この盆暮れの関係の引き際というタイミングはむずかしい。
相手が定年退職したからといって、翌年から出さないのも薄情な気がするし、しかしいつまでも送り続けるというのも、かえって相手の負担になるかもしれない。
去年来なかったから今年はやめておこうと思っていると、ひょっこりと来たりする。その逆もあり。もちろんいただいてうれしいことには変わりないけれど、心の中でひそかな「賭け」をしている。
来年は1月2日も配達してくれるようだ。この日は新聞も休刊日で、なんとなくものたりない気分だった。
もしかして何かが届くかもしれないという期待感はやはりうれしいものである。


2004年11月07日(日) 新札考

新しいお札の出回りは早いようで、ちょくちょく見かけるようになった。
会計窓口があるのでなおさらである。
まだ新しいので、5千円と1万円札の左下、銀色部分は、コインかなんかでこすってみたくなるほど、ピカピカに輝いている。
何人もの手で使い込まれていくうちに、この輝きも手垢にまみれて光を失い、能面のようにのっぺり顔の一葉さんの顔にも、年輪が刻まれていくのだろう。

ところで、あの2千円札はほとんど見かけない。金種欄に500円札のスペースがあるくらい年季のはいった出納簿を使っているほどの我が職場。当然レジスターも旧式のまま。2千円を入れておくスペースなどない。なのでお客さんがたまに持って見えると、レジの隅っこに重しを載せて居住まいも悪く置いておかれる。そして、夕方にはさっさと銀行に収納されて追い払われるのだ。
あまり使い勝手のよろしくないこのお札は、きっとオリンピック記念硬貨同様、記念品として綺麗なまま各家庭に保存されているにちがいない。


今はまだ新しいお札のほうが珍しいので、つい古いほうから使ってしまいがちだが、そのうち、「あ、夏目さんだわ、新渡戸さんだわ、お懐かしい」と言って、こちらの方が大切にしまわれていくことだろう。


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