気ままな日記
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2004年02月24日(火) 幸田文著「みそっかす」

辞書にもないような言い回しを楽しみながら読んでいる。
とても凛として、よどみなく、きっぱりとした表現。
思いやれるということについて考えさせられる。

子供の頃の情景のあれこれを綴った一節―
「30年40年たったことは、ちっとも大人になったことじゃない。いうにいわれぬ子供心の苦悶は今もそのままで、眼も口も苦しく塞いでしまう。もどかしい。じれったい。到底書いてなどいられないものである。(中略)わたしにことばがないのだ。堪忍していただきたい。わたしの手に負えないその父の姿よ、ははのすがたよ、そして私の心よ。」『酒客』より
冷静な作者の心が乱れた一瞬をみたような気がして、哀しく心に染み入る一節である。


2004年02月19日(木) もうすぐ監査

 普段はのんびりとしたムードの流れている所内にも、不穏な空気が流れ始めた。
各課で入力したデータを資料としてまとめるのが管理課の仕事である。
所内LANが整備され、自分のパソコンから共有のアイコンを開いて、担当部分を入力できるようになったのはいいが、そのオンラインのしくみがいまひとつ周知されていないので、あちこちで勝手にデータが書き換えられたりなど、混乱がしょっちゅう起こる。
 なかなか数字がかたまらないので、今日も課長補佐と隣の課の班長さんがののしりあっている。
わたしもひとが悪いので、野次馬根性がワクワクと湧いてきて、そ知らぬ顔しながら聞き耳をたてたりしていた。
 感情に振り回されずいつも淡々としている同じ課のYさんは、「みんな疲れてるんだよ」とひとこと。気難しいところがあるけれど、彼だけはいつも大風に揺ぎのない大木のようにすべてを達観して、何が大事なことかをわかって黙々と仕事をしている。その場が丸くおさまるならと、つい、身に覚えのないことでも、「スイマセン、わたしかも」と言ったりしない。
 こんな時なのになぜかヒマをもてあまし、「庁内巡視」と言ってフラフラ散歩してばかりいる課長や副所長も、雰囲気をなごませるありがたい役目を負っている気もする。

 職場なんだからまあ、こんないさかいはどこでもあるんだよね、と思いつつ、なんだかやっぱり雰囲気に飲まれたのか帰るとグッタリ。今週は長い―。


2004年02月12日(木) 世界にひとつだけの名前

子供の名前に使える人名用漢字を大幅に増やせないかどうか、審議会が検討することになったというニュースを読んだ。なんでも親の方から、今使える2300字あまりの字では少ないからもっと増やせという要望が増えたのだそうだ。
長男だから一郎、もう子供はこれで打ち止めという願いをこめてトメ……と単純に名づけたのも今は昔。最近ではひとりかふたりの少ない数の子供の名前に、親のこだわりや願望をガンガンこめてみたいらしい。
追加の要望があった主な漢字一覧をつらつら見てみると
庵 按 苺 珀 瞑 葡 萄 蜜 俄 駕 峨 嘩 絆 檎 牙 柑 獅 梗 芯 豹 狼などなど。
熟語当てクイズじゃないけれど、葡萄ちゃんとか、林檎ちゃん、蜜柑ちゃんにしたいのねと、おおよそ見当のつくものもある。(漢字じゃないけど、そのうちトマトちゃんなんていう子も出てきそうである)
が、喧嘩の「嘩」とか俄か雨の「俄」にいたってはちょっと理解不可能。牙とか豹とか狼ともなると、将来何かしでかした時に、ああ、やっぱりねと皮肉られやしないかしらと、大きなお世話だが思ってしまう。
そういえば病院に勤めていたとき、リボンちゃん、コナン君という患者さんがいらしたっけ。80歳になった時のリボン婆さんをいまひとつイメージしづらかったけれど。

「世界にひとつだけの花」という歌が流行り、ほかの人と同じはイヤ、個性的なのがよくわからないままもてはやされている最近の風潮らしい話題である。


2004年02月11日(水) 休日閑話

週の間にご褒美みたいにポコッとはさまった祝日。
3連休推進の流れにそって近年、月曜日の祝日が増えていただけに、めずらしい感じがしてうれしい。
といっても何をするわけでもない、いつもの土日と同じ。
毎週毎週、明日から1週間が始まる、ああ、やっと1週間が終わったとかつぶやいて時がどんどん過ぎていくのかと思うと怖い。
仕事をして時間を費やすと、何となくその日1日、正しく過ごしたような錯覚が起こる。
でも、「早く正確に」だったらロボットでもできるじゃん、この仕事……なんて、皮肉めいた気持も湧き上がる。

逸脱してしまいたい気持と、見て!と誇示したい気持ち、認めてもらいたい気持ちがないまぜになっている。

ちょっと不健全な緊張感と活力と、そして悪意を感じながら日々を過ごす。



2004年02月05日(木) 「ねえ、コンタクトレンズにしたの。似合う?」

と、帰りの電車の中で偶然出会った知人に聞かれた。
彼女は子供の保育園時代の友達のお母さんである。
確かに彼女はずっとメガネだったので、ずいぶんと印象が変わって感じられる。
でも、洋服とか、髪型とか、そういった目に見えるものの似合い具合ならまだしも、コンタクトレンズが似合うかという質問にはどう答えていいものか迷ってしまった。
コンタクトレンズが似合うかってことは、つまり、素顔が美しいかどうかということだったのだろうか。それとも純粋に、メガネよりもいいよって言って欲しかったのだろうか。
コンタクトのほうがずっといいよって答えたら、今までの長いメガネ生活を否定することになりそうだし……。
結局、一瞬つまった挙句、「ええっ、そう急に言われても。でもすごくすっきりしたよ」と無難で芸のない回答をしてしまった。

褒め言葉ってむずかしい。
催促しなくても、相手の良いところを即座に見つけて褒めるのが上手な人がいるが、褒め上手な人っていうのは、いっぱい褒められてきた人なのかな。
褒めて欲しい部分を、「さりげなく」褒めるっていうのはむずかしいものである。


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