気ままな日記
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2003年05月31日(土) そして・・・

きのうで、医事課でのご奉公が終わった。
あとは来週の引継ぎを残すのみ。
混乱と防衛に満ちたあの世界から足を洗うという実感がまだない。
もう本当にあそこには通わなくていいの??とすぐには信じがたい気分だ。
8割がた異動できると聞いた瞬間から、毎日毎日、あと24日と○時間、あと18日と○時間、とその日までの日数を指折り数えていた。
きのうは、机の上も中も、わたしが居た痕跡をすっかり消すかのように、すっからかんに片付け、ロッカーのわたしの名札もひっぺがし、内線電話表を後任者用に、張り替えた。
卓上カレンダーはすでに6月。携帯からは前職場(すでに『前』とついている)の電話番号をブツッと削除し、新たな職場の番号を入力した。
隣席の本居さんにあれこれ引継ぎをし、課長と総務局長に挨拶をした。
課長は、本庁の課長代理という出世ポストへの異動なので、うれしそうである。(というか、この病院を出られてうれしいのかもしれないが)
今回は、幸運の女神がわたしに微笑み、隣席の人が貧乏くじをひいた形になった。
しかしいつかその逆も起こり得る可能性はある。その時、なんでわたしが!と現実を受け入れられなくならないように、今回の異動は彼のギセイの上に成り立っている部分もあるということを忘れないでいたい。
そして、「この女を異動させないと、医事課は破滅する」という危機感と責任感からとはいえ、結果的には、わたしにとっていい方向へ動いてくれた、課長と局長の配慮には、やはり感謝しなくてはいけない。


2003年05月29日(木) 内示

昨日は、定期人事異動の正式内示の日だった。
意向打診によって、ほぼ異動は決まっていたものの、世の中そんなに甘くない、もしかして今回の異動はなかったことに・・・と言われるのではないかと、一抹の不安はあった。
夕方になってもなかなか内示のお呼びがかからなかったので、レジを打ちながら気持ちが悪くなったほどである。
5時近くになって、応接間に、ほかの異動対象者とともに招かれた時には、心底ホッとし、思わずガッツポーズ。内示をうけて部屋を出るときは、深々とお辞儀してしまった。
産休でひとり休んでいる上、課長とわたしが異動になるということで、堂々3年間任期をまっとうした隣席の本居さんが、今回の異動対象者からはずされてしまった。つまり残留。それなのに恨み言ひとつ言わず(言ってもしかたないけど)、同じ課のオババにうつされた風邪で鼻水たらしながらも、「まあ、そんなこともあるよね〜」と、いつもとかわらない淡々とした穏やかさで仕事をこなしている。なんか、ただのワーカホリックか超のつくおひとよしだと思っていたけど、もしかしてとんでもなくすごい人なのかも。

来週の辞令交付式の日取りも決まった。
浮き立って仕事したせいか張り切りすぎて、いつになく疲れた1日だった。


2003年05月27日(火) 秒読み

病名の記載が不備なカルテが今日も160件ほど、医事課に回ってきた。
カルテから担当医師を割りだし、病名をつけてくれるよう依頼するという、虚しくもせきたてられるこの作業も、わたしにとっては今回で最後。
いつもだったら、ぎっしりカルテの詰まったコンテナを投げつけんばかりに置いてしまうのだが、今日ばかりは気持ちも穏やか。
頼まれもしないのに、朝も早よから出勤し、人数分にカルテを振り分け、サクサクとこなした。
まだここを去る実感はないけれど、利害関係のない同僚から「良かったね〜」「いいなあ」と言われるたびに、じわじわと喜びがこみあげてきた。
人から「いいなあ」と言われる異動は、今回初めてである。ちなみに、わたしたちの「いいなあ」と思う職場の条件は、「忙しくない所である」という一言につきるのだが。
今日も、相変わらずワサワサといろんな問題が降りかかってきたけれど、自分でもおかしいほどに生き生きと、笑みさえ浮かべて対処したのだった。


2003年05月24日(土) 大掃除、解放感漂う

半日出勤日。
6月の異動がほぼ決まったので、土曜日のお勤めも今日が最後。朝から早くも残務整理と机の掃除♪。
4時間で机まわりすっきり。
去るとなるとほんのちょっと名残惜しくなるのは、きっと一時の感傷、今日がのどかな土曜日のせい。
この1年2カ月は一体なんだったんだろう。
心身ともに少しずつ緊張を解いていきたい。

午後からは、友達と赤レンガ倉庫へ行く。
久しぶりにランチタイムを人と話しながらゆっくり食べた。


2003年05月17日(土) 仏壇屋さんのまわしもの?

職場での話。
電話で、保険証の被保険者さんの名前を問い合わせた時のことだ。
「ひろし」という名前、漢字でどういう字を書かれますか、との問いに電話口の奥様曰く、
「うかんむりに、カタカナでナ〜ム〜と書きます」とまじめな声で答えられた。
わたしの頭の中には、すぐさま、お仏壇の○谷川の宣伝文句ナ〜ム〜の文字が・・・。
「宏」という字が浮かぶのにちょっと時間がかかった。なるほど、まちがってない、確かにナムと書くわね、と思いつつも受話器持ったまま吹きだしそうになった。もしかしてこの方、○谷川にお勤めで、さりげなく宣伝したかったのかしら。
 でもこの字、一般的で簡単な割には、電話で説明するのにはむずかしい。わたしだったら関口宏の宏です、って答えたかもしれない。
一般に、名前を説明する時に引き合いに出すタレントの名前によって、その人の世代や育ってきた時代背景がわかってしまうようだ。


2003年05月10日(土) ケセラセラ

わたしには、ちゃんと計画をたてて、そのとおりにすすまないと失敗だと思ってしまうところがある。
不測の事態には、きちんと対処できないと思っているのだ。
でも、今までの来し方を見ても、「たまたま」とか「偶然」とか「ひょんなことから」とか、全く予期しなかったできごとで、わたしの人生は形づくられている。
計画どおり、予定どおりにすすんだことの方がもしかして少ないかもしれない。
今の職業に就いたのも、たまたま県の広報誌を眺めていて、受験年齢が30歳までひきあげられたのを発見したからだし、わたしの、家族に対する考え方も、たまたま婦人公論という雑誌を見ていて、橘由子さんの「アダルトチルドレンマザー」という本のことを知り、そしてそこからその道の専門機関を尋ねたことに由来する。
ホームページをつくったのも、しかり。
今日も、診察の合間に友達に偶然会い、なんてことはないことをたくさんしゃべって、そしてハグ(抱擁)して別れた。
その時々の状況に応じた展開で、わたしの人生は支えられてきたのだった。それでOKだったのだ。自分を肯定しましょう、そうすれば自分がすでに持っている力に気がつきますよ、と今日、そう言われた。
そうなのかもしれない。不測の事態、その時々の状況に十分対処できる力、与えられた情況を最大限生かす力が自分に備わっていると思えれば、あらかじめ、自分の思いどおりにコントロールしておこうとする必要はないのかもしれない。
なるようにしかならない、なるようになる。
自分が楽になる考え方を見つけたら、その考え方を、ちょっとはまじめに試してみたっていいじゃないの、とそう思えた1日だった。


2003年05月04日(日) 家族ごっこ

ゴールデンウイークはお正月やお盆とならぶ「家族週間」。
どこの行楽地も家族連れでいっぱい・・・のニュース。
昔この時期にはわたしも家族で必ず出かけていた。
千葉県のマザー牧場、(今はもうないけど)ドリームランド、油壷マリンパーク、たまがわの遊園地、などなど。
たくさんのスナップ写真。
顔の部分だけくりぬいてあってそこに顔をつっこんで撮ると、インデイアンやお姫様の格好になる台。
どの写真も、手を振ってみたり、振り向きざまに微笑んだりといったものばかり。                         あのときのわたしに聞いてみたいことがある。
「ねえ?ほんとにあなた、楽しかったの?」と。


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