明後日の風
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駅に向かって、畑の畦道を歩いていく。 夏にはまだ遠いにも関わらず、今日は日差しが刺さってくる。蒸し暑さも広がり、アイスクリームでも食べたいな、と思う日和なのだ。
こういうと、山村の夏、というイメージだが、ここは紛れもなく東京都世田谷区である。まだまだ、こういう形容ができる風景があるところがおもしろい。
牛丼屋の朝定食で体力を注入し、高尾山の縦走に向かう。 「どうしてこんな暑い日に」 と言われようが、夏山に向けた体力作りと割り切れば、ガンガン進むしかない。
日差しと暑さを避けるために、水辺の道である6号路を進んでいく。谷は風通しが少なくその分蒸し暑いのが難点だが、水の音とそこからかすかにやってくるひんやりとした風には変えられない。 東日本大震災以降随分登山者が減った高尾山だが、汗だくで到着した山頂は、往年の活気を取り戻していた。
若葉の力が漲っている。
今日は、相模湖までと決めている。 まだまだ先は長い。城山までの稜線の、ひんやりとした風がご馳走だ。
「オフだぁ〜!」と決めてやってきた山奥のいで湯。 ぬるい高濃度のラジウム泉にゆったりと入るというのがお作法であるこの温泉地では、皆、1時間、2時間と湯船に浸っている。本を持ち込んで読む人、眠ってしまい湯船で溺れそうになる人、ただじんわりと浸る人、時間の過ごしかたは人様々だが、共通するのは「無言」が基本であること。隣の川の水音と注ぎ込まれる温泉以外の音がない。時間の過ぎ行く中、自律神経が「収まっていく」(あるいは「納まっていく」なのか)のを体験する。決してクールダウンではない、この絶妙な心の鎮め方は、なかなか実感できない。 ターボチャージャーでヒートアップしてしまったエンジンをすぐに切ることができないように、現代人も急にはエンジンを切りにくい。そういう我々に、「座禅」よりはずっと気軽に参加できるこの機会を、僕は楽しみにしているのだ。
翌朝。 昨日の霞が嘘のように、「キリッ!」と晴れた。
渓谷沿いの温泉小屋は、相変わらず川の瀬音だけが響いている。
帰路、僕は高台に車を走らせた。 越後駒ヶ岳は、まだ残雪が多い。いつぞ飲んだ、あの、山頂直下の雪解け水がリフレインする。
「うまい、へぎそばを食べよう」と僕はその隠れた眺望の地を後にする。
霧雨の朝。 芦安の温泉宿で空を見上げる。 こういう湿潤な雰囲気というのは、低めの気温では気持ちがいいものなのだが「今日も山に登る」となるとそうではない。
「どうしますかね」という協議の末、とりあえず「大菩薩嶺」に行くことにする。上日川峠まで行けば、1時間ほどで山に登れるはずだ。
唐松尾根を直登する。 標高差500m。寒さもあり、休憩は少なめにガンガン登る。こういう、 「体力作りのための登山」 というのも悪くは無い。そもそも、1時間も下れば駐車場に到着できるのだ。
天候はイマイチだが、唐松林の中の登山道は気持ちがいい。 昨日の櫛形山よりも登山者は多い。百名山ゆえだろうか。 それまでの強風が嘘のように山頂は静かだった。残雪が続く登山道も、ここだけは雪がない。 「こういう不思議なこともあるもんだなあぁ〜」 と改めて自然の不思議を実感する。
さわ
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