明後日の風
DiaryINDEXpastwill


2011年01月30日(日) 徳川三代の心意気

 「世界遺産」というと京都・奈良、あるいは沖縄のグスク、飛騨高山の合掌造り、白神山地といったところが頭に浮かぶ。そういえば、暫定リストに載っている小笠原諸島はどうなるのだろうか。

 朝、うっすらと雪が積もった温泉宿を後にした僕は、日光へと向かった。
 実は、ここも「世界遺産」。東京に一番近い「世界遺産」ということになるのかもしれない。
 いつもは、いわゆる奥日光の戦場ヶ原や日光湯本温泉に足を伸ばし、自然を楽しむという印象が深いのだが、今日はしっかりと「日光」の文化を楽しんでみようということなのだ。

 駐車場に車を停め、小さな階段を登っていく。ちょっと息切れをした僕は、深い森の中に続くあまりにも幅の広い参道を見ることになる。この先に東照宮があるのだ。
 僕は少しばかりの違和感を覚えた。
 北京近郊にある中国明代の皇帝の陵墓のように、幅広い参道の先に、徳川家康の陵墓があるのである。

 日光の装飾は「和」の世界から程遠い、と言われることがある。しかし、その「違和感」こそ、「神になろうとした家康に信念」、あるいは「家康を神にしようとした家光の心意気」の表れなのかもしれない、と思えるのだ。
「八百万の神の一人になるのではない」
日光はそういう場所なのかもしれない、と思いつつ、二礼二拍一礼で古式に則り参拝する。

 雪が降ってきた。


2011年01月29日(土) 羊水の中

 そうして1月も終わろうとしている。
「随分突っ走ったな」
と心が思うよりも先に、体が悲鳴を上げた。ネットサーフィンをしながら、温泉宿を探しまくる。

 伊香保がいいか、あるいは鄙びた感じの上牧か、草津もいいけどお湯がきつい、やわらかいお湯が今日の好みだ。静かなバーでモルトウィスキーを味わうか、静かな宿で心地よい夕食を楽しむか、とにかく頭を空っぽにする以外には求めないのか、そんな全体像を捜索しつつ、思考は往復する。そして川治温泉に思いは収斂した。

 日光鬼怒川の更に奥にある温泉郷だが、「とにかくお湯がいい」という印象だけが強く残っている。日光から会津へ抜ける国道沿いで、これまで何度となくその道を走った経験はあるのだが、しっかりと一泊を過ごしたことはない。

 決まれば早い。
 身支度をして一路北へ。
 夕暮れにはまだまだ早いが、やや傾きかけた日の光を受けながら、高速道路を走る。道は一般道となり、雪が目立つ頃には、目的に宿に到着した。
 
 まずはひとっ風呂。
 巨大な湯船には僕一人が入り、中央からはお湯が溢れ出ている。
 人を包み込むような柔らかなお湯とその温度に、すっかり僕は魅せられた。
「羊水の中はこんな感じかもしれない」
というある人の一言は、正に、このお湯の良さを言い当てている。

 会社の慰安旅行が全盛であった時代の生き残りのような宿。そして団体向けの観光ホテルが林立するそういう温泉郷ではあるのだが、このお湯こそが「川治温泉」という固有名詞を代表しているのではないか、と思いながら、夕食のお膳をいただいている。


2011年01月03日(月) 非日常

 船旅も5日目。
 さすがに疲れてきた。
 気分転換に「日の出を見たいな」と思い、早起きをして甲板に出た。

 Tシャツ一枚は過去のこと。劇的に寒い。既に寒気の中に戻ってしまったようだ。稚拙だが、正に北風が「ピューピュー」ということなのである。
 八丈島の特徴的な島影を遠望しながら、雲の合間に少しばかりの明かりが見えて来る。




 深呼吸をしてから、カフェテラスに足を運んだ。
 モーニングセット。
 トーストとタマゴと野菜サラダ、そしてホットコーヒー。
 
 こんな早くに朝食を食べることはなく、コーヒーをあまり飲まない僕にとっては、これこそ「非日常」なのである。


2011年01月02日(日) 進むべき道

 360度、どこまでも海。



 日本海からの寒気の張り出しのために、東京から1,000kmの洋上と言えども、シャツ一枚では少々寒い。甲板の上をジョギングする人が一人。それっぽっちで、船のエンジンの音だけが響いている。


 360度の海。地球の大半が海なのだから当たり前、と自分の脳味噌は理論的に理解してはいるものの、現実に見ることができる機会はそれほど多くはない。海運業に携わる人、あるいは世界一周なんていう高級クルーズに参加できる人々、そんな人々以外には、近海や沿岸沿いをちょっとばかり船で移動するくらいが現実的経験であろう。

 年末30日に出発した僕らの船は、強力に張り出してくる寒気を避けて、南へと進んだ。そして目的地父島を通り過ぎ、ついには火山列島の南端である南硫黄島をも通り過ぎてしまった、という寸法なのである。
「おいおい、父島へ行けないの?」
と言いたいのは山々なのだが、これだけ波が高ければ仕方がない。そもそも
「父島なんてとっくの前に過ぎちゃいましたよ」
という状況なのだ。全ては自然の仕業であるのだから、山小屋でじんわりと天候回復を願うように、守られた船内で「たわいの無い」話しをし、酒を飲み、そして寝る、という三種の神器を繰り返すしかないのである。


 揺れがおさまった。甲板に出た。
 Tシャツでいいよ、というくらいに温かい。
 沖縄本島よりもずっと南なのだ。
 そして、僕達は太平洋上で元日を迎えた。

 目標とは違う流れになったからと言って、その違う流れにも、きっと違う「発見」がある。ポジティブに考えるということは、そういうことだと思っている。


 元旦の日中。
 硫黄島を通過した。
 擂鉢山がよく見える。
 南硫黄島を見た時には、小笠原最高峰を見たという気分で「キャッキャ」はしゃいでしまった自分なのだが、今は違う
 27,000人以上が戦死したというこの島。その流れの先に、今がある。そういう実感が脳味噌の中に溢れてくる。太平洋戦争開戦から70年。

 「合掌」

 そして船は一晩越えた今も、まだ360度の海の中を進んでいる。
 どこに行くのだろう?


2011年01月01日(土) あけおめ2011年

 あけましておめでとうございます。



 百名山も残すところ、6座となりました。
 「山」が終わったら今度は「島」がターゲットか、など吹聴していますが、2010年を振り返ると西表島、隠岐(島前・島後)、五島(福江島)、対馬など、既に随分島歩きもはじまってるじゃないか、というツッコミが入りかねません。
 「明後日の風」も少し、新しい風を吹かせて行きたいものです。

 ところで、「あけおめ」。

 「あけましておめでとう」のインターネットスラングとして、まあ有名なんですが、最近ツイッターやらブログを見る機会が増える中で、このスラングの頻発に少しばかり「いらっ、」とする訳です。
 「w」が、笑うと言う行動を表現している、くらいはなんとか想像できますし、「ww」だと、もうちょっと笑った感じで、「wwwwwww------」くらいになると、これ大爆笑。このあたりも想定の範囲。
 ところが、「tk」が、「、って言うか」だとわかったのは最近。
 「うp」が「アップ(UP)」なんて、正直わからんだろ、と思いつつ、結局、よくわからないものも多数ある状況のまま新年を迎えてしまいました。

 これまで、「口語」の変化(ようするに若者の「言葉の乱れ」などと言われて、あまり良い印象を持たない人もいるのでしょうけれど)が言われてきましたが、携帯上のインターネットというプラットフォームを得て、「文語(書き言葉)の変化こそ凄まじいということなんだな」と、妙に納得することになる訳です。
 古くからこの手のものはなかった訳じゃありません。例えば「ゞ」のような省略形はこれに相当するのだと思うのですが、問題は、瞬時かつ広範、というインターネットの特殊性が、加速度的にこの派生と定着を実行してしまうということにあります。一方で、面白いのは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)の発展の中で、グローバル化の寵児というインターネットにも関わらず、コミュニティー別の「方言」を生んでしまっている、という合い矛盾するような状態にあることです。
 振り返って見ると、「いじめ」が言われて久しいですが、
「目立ってはいけない、皆と同じじゃないと」
という、そういう均一化を求める恐怖のような文化が底辺に蔓延している中にあって、SNSは、人々にとって、外界から隔離され安心できるコミュニティーを提供してくれている、と言えるのかもしれません。
 口語だろうが文語だろうが、言葉は重要なコミュニケーションツールであるという事実がある以上、コミュニケーションの「今」を反映するのは至極当たり前のことでしょう。ということは、「実は方言を求めるように、ちょっとは人とは別のことをやってみたいという気分」が実は本当の人の心なんじゃないか、と正月早々感じているのでした。

 ということで、「あけおめ2011年」でございます。


さわ