明後日の風
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日の光がキーンと刺さってくる。まぶしい、ではなくて、痛い、のだ。 夏本番、とは言うものの、こうも暑いとさすがにきつい。 日中は40度近くまで気温が上昇する。雷鳴と共に、大粒の雨が落ちてくる、そんな夕立も最近は珍しくない。地球温暖化の影響で、日本が亜熱帯になりつつある、という話も良く聞くが、正に、ソンクラーン(水かけ祭り)の時期の、タイのバンコク顔まけの状態だ。
駅へ続く道に、人が集まっていた。夏祭りらしい。これから屋台が並ぶらしく、道の両側には、クーラーボックスらしいものが堆く積み上げられ、少しずつ屋台の組み立てがはじまっている。そんな中、車を停めたい僕は、コインパーキングに「空車」の表示を見つけて、イソイソとハンドルを切ったのだが、 「この前の道、これからお祭りで通行止めになりますよ」 と、 「この暑いのに、どうして、こんな案内しなきゃいけないんだ」 と言わんばかりの雰囲気を湛えているおじさんが声をかけてくれる。本当はやりたくないんだろう。でも、お祭りだし、何か貢献しないと、という、そういう複雑な気持ちを顔一面に表現して、そのおじさんは、あと1時間でこの道が通行止めになってくれる、そのことを切に望んでいるに違いないのである。そうなりゃ、もうこのパーキングに車はやってこないのだから。
ということで、個人的には迷惑な話ばかりなのだが、夏祭りは悪い話じゃない。
2時間ほどの作業を終えて、同じ道にやってきた僕は、そこが、既に夏祭りの中心になっていることに驚いた。 屋台はしっかりと営業を開始し、祭囃子が鳴り響き、舞台では、獅子舞?が披露されている。子供神輿が繰り出し、そこらから力水がかけられる。日本版「ソンクラーン」といったところだろうか。僕にも水が飛んできた。
ふと入ったカフェ。僕は、ついつい、これまでの雰囲気に飲まれてしまったのか、タイ料理のランチプレートを注文した。ご飯の上の目玉焼きのとろりとした雰囲気と、あっさりとした鳥スープでいただく米の麺のコンビネーション。いかにもタイである。雷鳴もバリバリ言い出し、これでスコールでもやってきたら、本格的だ。 自宅近くの高架下では、猛烈な太鼓の音の中が鳴り響き、サンバカーニバルが爆発的に進行中。踊る踊る、響き響く。おじさんもおばさんも、子供も、なんだかわからないが盛り上がる。とにかく暑い。近くの交番のお回りさんもやってきて、デジカメでその模様を「パチリ」。広報誌にでも載るのだろうか。
夏祭りは異文化の十字路。地球温暖化は、そんなこともしっかりと進行させているらしい。 しかし、暑い。
青い空に、例年よりも残雪が多い岩肌の稜線が強いコントラストで続いている。 ただ、それがあるだけで、今日はいい。
今から進むべきトレイルが、どこまでもどこまでも見えている。 少しずつ「崇高なもの」に近づいていく、そんな敬虔さに浸っている僕を、ときおりやってくる雪渓から吹き上がるひんやりとした風が、現実に引き戻してくれる。 「あ、コマクサが咲いている」 僕は、デジカメのファインダーを覗く。唐松岳の頂上をバックに、コマクサが揺れている。
「雲上の別天地」 今日の畳平は、正にそういう形容が似合うほどに、静かに透き通っていた。
広めの砂利道を進んでいく。 緩やかにカーブを描いた道を振り返ると、眼下は雲に包まれていた。3,000m近いこの高地だからこそ、実はこの快晴の空を拝めているのだ、ということを改めて実感する。 「肩の小屋」を過ぎると本格的な登山道。下界の3分の2しかないという空気が、ずっしりと呼吸にのしかかって来る。ガレ場の続く山道を進むと、その先に、乗鞍岳山頂が見えた。
10年前、強風と霧の中でやっとの思いで到達した山頂。今日は爽やかな風が吹き上がっている気持ちのいい場所になっていた。 「ありがとうございます」 乗鞍本宮に合掌。
ちょっと気になる場所というのがある。 例えば、 「最近、「草津温泉」って行ってないな?」 そんな、自問自答をして、僕は車のエンジンをかけた。
西の河原の大露天風呂には、なみなみと湯が注ぎ込まれ、数年たっても変わらない。湯が滝のように流れる湯畑や、蒸立ての温泉饅頭を配る光景も顕在だ。「お饅頭を配りつつ、お茶ありますよ」と一声かけてくれる流れ作業も相変わらずの光景である。 「変わらないもの」 に不思議と安心感を覚えつつ、僕は志賀草津高原ルートを進んでいく。霧の中にゆるやかなアップダウンで続いている山並みのハイウェイも、やはり変わらない。
ちょっといい感じのパン屋ができたり、小綺麗な手打そば屋がある、そんなところに、 「少しだけ時間が経過した」 という実感が伝わってくる。日本は豊かになったのだ。こうしたちょっとした変化というのは、また不思議な安心感につながるから、正直、自分というものがよくわからなくなる。変わらないのが良いのか、変わる方が良いのか。人間というのはムツカシイものなんだ、と、人間である自分を客観的に見ている自分に気付かされたりもする。
今は無料となった草津道路。ターボを効かせながら登り詰めていく快走路脇に見つけた繊細な手打蕎麦を、「ずるずる」っとすすりながら、来る時に見上げた高い橋脚の記憶だけが、残像のように漂っている。
さわ
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