明後日の風 DiaryINDEX|past|will
夕刻、砂浜から海を眺める鳥が一匹。 ちょっと淋しそうに見えるのは気の性か。そんな感じだった小港海岸も、今日は青空が広がった。 海岸脇にある中山峠に登り、ボニンブルー海を眺めていると、色とりどりのカヌーが、ゆったりと海の進んで行く。「今が12月である」ということをしばし忘れながら、ベンチに座ってチョコレートを頬張る。 「う〜ん、甘いな」 と思いつつ、ぐびぐびっと水を飲む。カヌーは随分、沖まで進んでしまった。 暖かい日は、原チャリにはとっておきの日でもある。アップダウンの道を走り、昼には街に戻った。港に立つおいしいパン屋の二階にあるレストランの階段を上がる。友人達が待っていた。 「今日は、シーフードカレーだ」 と直感で注文。夏はカレーだ、という小手先の直感なのか、それとも、朝からの山歩きで、汗をかいたからカレーなのか、いずれにしても、そういう気分がフィットするほどに、二階のベランダから海風が入ってくる。 母島よりは都会とはいえ、急ぐべき要素は父島にもない。訪問回数も増えれば、観光旅行という要素はそもそも薄くなる。気分によって、行くところは自動的に決まってしまう程に、行き先は少ない。物見遊山と言うより、季節になれば、あけびを採り、田圃の籾殻を燃やす火で焼き芋を作る、そういう小さい生活環境に閉じていた昔の生活そのものが、ここで実感されるようなものだ。 そんなぼんやりした時間が過ぎるうちに、やや日が傾いて来た。 勢い、三日月山に登った。 大きなウッドデッキーのある展望台。クジラが見えるというその場所は強風の中にあった。 少しばかり雲が増えてきた空に、夕陽が光っている。 大晦日の夜が近づいてくる。
3泊お世話になったこの宿ともお別れの日。 船着場には、島の人が見送りに来てくれた。 父島のような派手さはないが、それが「母島らしさ」なのだろう。 「ははじま丸」は今日の荒れた海を進んでいく。 「もう少しいたかったな」 という気持ちだけが募っていく。特徴的な乳房山の山容も既に見えなくなった。 「くじらだぁ!」 の声に、僕は甲板を走る。 島一つない太平洋に、潮が一本吹き上がった。
朝。青空が広がった。 「都道最南端」の碑が立っている。随分、東京も広いなぁ〜、と感じながら、これから母島最南端である南崎までの遊歩道を歩くのだ。 小笠原の赤土はすべり易い。あまり視界のないジャングルの森の中を慎重に進んでいく。1時間くらい歩いただろうか、南崎海岸への道を分けると、遊歩道は急な登りとなった。「ふっ、」と今まで頭の上を覆っていた森がなくなり、10段ほどの階段を登ると、その先には太平洋が広がっていた。 固有種のハハジマメグロだろうか、ちっとも、じっとしてくれない鳥が飛びまくり、近くに、母島列島の島々が広がっている。 きれいな南崎海岸が広がっている。 僕は、最南端のふるさと富士である、小富士の山頂にいる。 いつもは、山頂に長居することは少ないのだが、今回は気分が良かった。またしても一人だけの山頂を、鳥の声とさわやかな風を感じながら、ベンチに座って空間を満喫させてもらった。 南崎海岸から見ると、この山が「ふるさと富士」であることが良くわかる。 午後は、北に向かった。一本の都道が北に向かってつながっている。 最北端の北港。 母島の都道の最北端ということになるんだろうか。 戦前はしっかりと集落があったらしく、小学校の跡から港に続く、一直線の広い道に、メインストリートらしい面影がうっすらと残っている。この一直線の道は、緩やかな下り坂で、一本の細い桟橋につながっている。 寒気のおかげで下り坂の天候が、この、人の気配を失った母島の集落の雰囲気に妙にオーバーラップする。自転車でこの北の果てまでやってきた青年が一人シュノーケリングをする以外には、桟橋にカニが二匹うろちょろしている以外に生物の気配もない。廃村というのは、やはり淋しい。 僕は腕まくりしていた長袖のシャツの袖を直し、原チャリのエンジンをかけた。緩やかな上り坂にアクセルを回す。
「晴れるかなぁ〜」 「おいおい本当にここを歩くのかぁ〜」 と思うが、意外にも道は良く、スイスイと快調な歩みで登っていける。30分もすれば尾根道になり、眼下にはすぐ近くに海が見えるというその環境に、「ここが海洋島である」ということを実感する。時折降る雨も、深い森がしっかりとカバーしてくれ、暑さで噴出す汗に、 「逆に少しくらい雨で冷やしてくれないかなぁ〜」 と思う有様だ。 スイスイがホイホイとなり、少しずつ視界が広がっていくと、1時間あまりで海がしっかりと眺められる頂上に到着。 僕一人しかいない、静かな山頂。 タタミ4畳くらいの小さな山頂からは、南崎へと続いていく島の半島が美しく続いている。その先は姉島だろうか?、などと思いながら、眺めるのだ。 西側から東側に続いていく下山路を進む。ちょうど、乳房山の登山路はまあるく時計のように円を描いている。登山口のある沖村が6時の位置だとすれば、山頂は12時の位置にあり、登山路は半時計回りに一周するのが観光協会ご推薦なのである。 これまでの南の島らしいジャングルの様相から雰囲気は一変し、風の通り抜ける草原上の道に変わる。お陰で風雨は直撃するし、藪漕ぎもあり体はびしょ濡れだが、とにかく海に向かって吸い込まれるように歩ける下山路の展望は最高だ。 母島の核心部といえる、山門に向けた海岸線が美しい。 「おじさんに反発して登ってきて良かった」 と思った瞬間だった。 観光案内所で「花は終わっているよ」と言われた母島固有種の「ワダンノキ」も、まだ小さな花を少しばかり見せてくれ、気持ちの良い下山路を少し降りると、東屋に到着。おべんとうを開くことにする。 しっかりとした竹籠の弁当箱だった。これなら中身がつぶれることもない。上蓋を開ける。 「あぁ、おにぎりだぁ!」 この、おべんとうを開いた瞬間、というのはいつでも楽しい(良く考えるとコンビニ弁当は中身が見えているから、開ける楽しみがない。)。久しぶりの感覚だ。 緩やかな森歩きの途中に、母島唯一の集落が良く見える。 こじんまりとしたこの空間に僕は3泊する。 母島を離れる時には、どのような感覚に包まれているのか。今から楽しみだ。
「今回は荒れるらしいですよ」
穏やかな朝。日本海側は大雪だ、というのだが、外房の海は穏やかだ。夜中に、宿の窓を開けてこっそりと見た空には、オリオン座がしっかりと見えていた。だから当然に今日は良い天気なのだ。 ここまでが花婿ルートであり、ここから先が花嫁街道となるらしい。昔、海の集落と山の集落の間を、花嫁が越えていったからこういう名前になったらしいが、そのとおり、良く整備された道だ。通学路にもなっていたというから、昔の学生は健脚だったんだな、と思いながら進んでいく。 急に視界が開けた。日だまりのベンチが並んでいる。 ぽかぽかと暖かい。お弁当を持ってくれば良かったな、と後悔する。 まだ正午だが、少し日が傾いたようだ。やっぱり冬だな。
終着の武蔵五日市駅で電車を降りて、路線バスに乗り換える。 友人から古新聞をお裾分けしてもらい、腰を下ろして、お茶を飲む。他愛のない話をしているのだが、空気が良いと、発語も明るくなる。笹尾根の稜線も近くなった。後、少しで峠だ。 道は広い尾根を離れ、細い巻き道となった。滑りやすい道を慎重にふらふらと進むと、尾根の鞍部に、逆光の林の中に浮かび上がる、道標とベンチが見えた。「数馬峠」だ。 峠の向こうには、山梨側の山並みと集落が広がっていた。 三頭山(みとうさん)から続く笹尾根は、どこまでも緩やかだ。その一つの峠で、僕はおにぎりを頬張った。「しゃけ」と「こんぶ」。この2つが、僕の山で食べるおにぎりの両巨頭である。今日もご他聞に漏れず、この2つである。 昔、山梨へ向かう数馬の人々も、峠でお弁当を広げたに違いない。 「後は下るだけだ。」 峠には、そういう、達成感と安堵感が満たされている、と思う。
岐阜から、満員の乗客を乗せて、西に続く直線の線路を爽快に走っていた新快速電車も、大垣を過ぎると「どどっ」と乗客が降りていく。ボックスシートを独占し、ほんわかと暖かいシートに身を沈めると、うとうとと眠りが誘ってくる。
さわ
|