明後日の風
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石段の上に、小さな門が立っている。 質素な中にも威厳がありそうなその寺の前で、僕は自転車を止めた。 梅雨にあっても日差しの強い日。ほとんど人や車の往来のないアップダウンの激しい道を走ってきた僕は、汗だくだ。
石段を登る。 杉木立が美しい。 そして門を「すっ」とくぐった時、その長い石の参道の先に、なんとも愛らしいお堂が見えた。
タイムスリップしたようなそのたたずまいに、僕はそのお堂に重力があるかのうように、吸い寄せられていく。 「佐渡国分寺瑠璃堂」 その、決して輝かしくはないが、質素な中にある素朴な響きとも言うべき姿に、 「瑠璃堂」 と銘銘された理由を感じずにはいられない。
夕暮れの港は、強風の中にあった。 随分と傾いた日の光と、潮風が、梅雨とは思えなかったこの夏日にはちょうどいい。 本土よりも3℃ほどは涼しいのではないか、と思うこの島に、最終便の高速船で到着した乗客は、家族の車でそれぞれの家路に着くのである。
港にやってきた小さいマイクロバスは、私を含め数人を乗せて片側一車線の県道をゆったりと走っていく。両側に開ける山並みと田園地帯は、ちょうど、昭和40年代にタイムスリップしたように穏やかだ。
しっかりと日が暮れた頃、今日の宿に到着した僕は、自転車を借りて夜の集落を走った。 「自転車は久しぶりだなぁ〜」 と思いながら、ママチャリを漕ぎ出した。 集落の細い路地を、絶妙なコーナーリングで疾走するという気分は、随分久しぶりな感じがする。 この島は、気分もタイムスリップさせてくれるらしい。
長い尾根が一つの山に向かって続いている。 それまでも、我々は、舗装されてはいるものの、どこまでも続く細い九十九折の三桁国道を峠まで登ってきたのだ。 「枝折峠」 これで、「えだおり・とうげ」ではなく「しおり・とうげ」と読む、と聞くと、その発音の穏やかさに、眼前に見えていた駒ヶ岳の風景がしっかりと重なるのを感じる。
裾野をゆったりと広げ、残雪のふんわりとした表情を湛えているその山に向かって、尾根が延々と続く。梅雨の晴れ間とは思えない強い紫外線に、全身汗だくになって進むのは、苦行と言えばそれまでなのだが、どこまでも続く登りに足が攣り、それでも鎖場を超えて、山頂直下のあふれ出る冷たい雪解け水を「ゴクリ」と飲んだところで、 「やはり来て良かった」 となるのだから、不思議なものだ。
ふと見上げると、山頂に雪渓が続いている。 緩やかなカーブは、上信越の山の印だろう。
さわ
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