明後日の風
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地方の小さな駅。 この駅に降りたのは何年ぶりだろうか? そして、その駅周辺の変貌ぶりに驚く。
国鉄民営化を期に労働対策として作られた立ち食いうどん屋は、既に閉店し、バス通勤・通学の待合客で混雑していた百貨店も既にない。
天気の良い春の日。 僕は仕事用の大きなザックを抱えながら、メインストリートを歩いた。 商店街は妙に明るい。 人気のないところが、更に殺風景な雰囲気を助長する。
市街地空洞化と高齢化 その実態を目の当たりにする。 昔しから続く一軒の楽器店。 その入口で、サキソフォンの修理をする主人の姿が最後の支えのようで、とても印象的だった。
「癒し」を求めに沖縄に行く自分がある。 それに似た「緩やかな時間」が既に全国に現れている。 緩やかであっても、「人がいない町」にはなって欲しくない。
帰巣本能というのがある。 鮭はしっかりと「その水」を目指して川に帰ってくる。 何百kmも歩いて自宅に戻ったというような、なんとも切ない犬の話しもある。
で、人間はどうか。 さすがにその一滴の水を目指することはできないが、落ち着く場所というものは存在する。それを一言で「ふるさと」ということは簡単だが、それを感じる術は、やはり五感が駆使される総合芸術であったりする、と思う。
南国育ちの僕には「光の濃さや強さ」というのもその要素の一つであるし、「驟雨の音の大きさやうっとうしさ」それはまさに雨粒や気温に左右されるのだろうが、というのも要素であったりする。南国は音は正直でかいが、驟雨はすがすがしい存在でもあるのである。 「一雨来ないか」 と、「にやり」とする子供の自分は絶対そこにいる。これが、田舎の夏だ。
で、今日。 長い商店街を歩いている。日本一長いというが、実は、それに似た話しは、ここ以外にも聞いたことがある。ということは、元祖と本舗はどっちが古いのか、に似た話しかもしれない。 そんないい加減さも、関西的ノリという意味では「ふるさと」に該当するだろうし、20年ぶりの訪問にも違和感がない、という意味では、視覚的にも十分に「ふるさと」に該当するのである。
商店街の枝道にある一軒のすし屋に入った。 「何する?」 なんともぶっきらぼうだが、それでいい、と思わせる板前がいる。 「とろ、いか、げそ、うなぎ・・・」 随分食べたが、ちょっと甘めの酢と醤油の味が「ふるさと」を立て続けにフック・キックと打ちつけて来る。社会人になって「寿司」っていうものを食べてきたが、「うまい」ではなく「安心感」を感じる寿司というのはまた格別だ。
天神橋筋六丁目。通称天六。この商店街は長い。ふと見つけたたい焼き屋で、本日最後の2つをちゃっかりといただいた。 「たこ焼き屋だと思ったよ」 という僕の言葉に 「この間までたこ焼きやってました」 全てにオチがある。これも「ふるさと」のファクターに一票としたい。
飛行機は雲の中を進んでいく。 羽田を離陸した時は、晴れていたのだが、どうも西日本は雨らしい。 窓に水滴をパチパチと当てながら、飛行機は静かに着陸した。
「地方の空港だな、これは」 これが、僕が飛行機から空港のブリッジを歩いていて感じた第一印象だ。 曇天とうっすらとした霧のために、水上空港ゆえの広い開放感も望めず、遠くに輪郭だけの六甲山が続いている。
僕はポートライナーに乗った。これが新交通システムともてはやされたのは、既に20年以上も前になる。六甲の山を崩し、それにより海を埋め立てて大規模な人工島を開発する。この神戸型の開発で、最初に生まれた島がポートアイランドであり、その開発の流れを受け継いだのが、2つ目の島、六甲アイランドである。高度成長の中で計画され、ポートアイランドでは、開島記念に博覧会まで開催され、その跡地は、ポートピアランドとして随分長い間、関西の遊園地の一つとして関西の人々の意識の中にあった。 今日、そのポートアイランドの更に沖合いに作られた人工島にある神戸空港に僕は初めて降り立ったのだ。
ポートライナーはぎしぎしと言わせながら、ゆっくりと橋を渡って、神戸空港からポートアイランドに入る。遊園地の後はすでに都市公園となり、工場や倉庫、そして、大規模なコンテナクレーンが並ぶ人工島は、あくまでの国際港の埠頭としての自分の役割を知りぬいたようにそこにあった。
三宮から20年ぶりに「南京町」に足を伸ばした。 名物の「豚まん」。一個90円。 小雨の中、持ち帰り希望のお客が行列をしている。 店内では、10人ほどの従業員が、息つく暇もなく、豚まんを包み続ける。 「もうしばらくお待ちくださいね」 若い、男性の主人だろうか、声をかけてくれる。 この優しい関西弁の一言に、神戸の品の良さ、が漂っている。 ポートアイランドも、少しずつ、神戸の町に納まっていくのかもしれない。
分水嶺の峠から、ファインダーいっぱいに見えていた八ヶ岳。 1時間ほどで登れる山頂からは、更によく見える。
ちょっと汗をかいてから高原の温泉に入ってやろう、という僕のちょっとした目論見は、まんまと当ったのだ。
ごろごろとしたザレ場で息切れし、雪解けであろうか、黒土のぬかるんだ登山道の嫌気にはやや閉口したが、山麓に広がる高原のゆるやかな田畑を眺めながら続く、緩やかな笹原の道の先に、こんもりとした草原の山を見た時、「飯盛山」という名前の由来に納得する。
岩肌が露出した山頂に腰掛ける。 山頂には我々しかいない。 「山はいいなぁ〜」 僕は、何度もこの言葉を発しながら、八ヶ岳を眺めている。夕暮れにはまだ時間がありそうだ。
箱根の峠道。 夜になるとしっかりと暗くなり、通過する車もぐっと少なくなる。 山の中腹を縫うように道が続き、遠くに、湯元の灯りが見えている。
ハンドルを左に切った。 谷底への九十九折の細い道を下っていくと、そこは別世界だった。
漆黒の中に、満開のさくらが浮き上がる。 今日の一等賞は月にあげたい。
満開ですね。 遊歩道は、しっかりとさくらのトンネルです。 う〜ん。なんか、モコモコしてますね。 意外な新発見ではないか、とちょっと喜びながら歩きます。
この「ほっこりとした雰囲気」がなんとも春。「散りぎわが・・・」などと言われる桜ですが、そうでもないかもしれない。
大声で歌い続けるおばさんの声が遊歩道に轟きます。 やっぱり春です。
「さくら」は風に揺れています。
さわ
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