明後日の風
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2009年01月29日(木) 名鉄の謎

 名古屋。
 僕が初めて地下鉄を体験した街であり、地下街を体験した街でもある。

 名古屋駅に隣接する地下街、サンロード、テルミナ、ユニモールやエスカですら
「でっかいなぁ〜」
と幼心に思っていたのだが、
「栄(さかえ)にとてつもなく大きな地下街ができる」
ということを、いかにも東海ローカルという感じのするTVニュースで聞くようになったのは、いつ頃だっただろうか・・・。

 それはセントラルパークと名付けられ、21世紀までまだ随分と時間がある1970年代であろう頃の僕には、夢の街と映った。

 今日、その街から出る一本の郊外電車に乗る。
 名鉄瀬戸線。
 その始発駅は「栄」という定着している街の名前ではなく、あくまで「栄町」という、たった一字だけで、郊外電車らしい古風な感じを漂わせてくれる。改札を潜り、階段を下りていくと、いかにも「名鉄」という赤い電車が停まっている。
「急行、尾張瀬戸行き。どの列車も一番早く尾張瀬戸に到着します・・・。」

とりあえず乗ってはみたのだが、
「果たして、この電車は目的の駅に停車するのだろうか?」
その疑問を解決するために、路線図を探索する。

 予想通り、路線図はドア上部に存在していたのだが、東海地方の血管とも言うべき名古屋鉄道の路線図のその複雑さゆえに、列車の等級を書き入れる余地はないらしい。車両を移動して改めて見つけた瀬戸線のみの路線図。その路線図には、我々の期待をよそに「全ての駅名ただ並んでいるだけ」であった。
 立ち尽くす我々に、
「停車駅わぁ〜・・・」
という車掌のアナウンスが流れてくる。どうも目的の駅には停車するらしい。
 
 立派に、ミステリー列車だ。

 そして、到着した駅。
 キップの自販機の脇、列車の等級を入れた小さな路線図を見つけた。 


2009年01月24日(土) 文明への代償

 雪がちらつくなか登ってきた日向山(ひなたやま)。
 その名前通り、天気の良い日にはとても良い展望が楽しめるのだと思うのだが、今日は、杉木立の中の緩やかな山頂に、寒さが充満している。
「今日、いちご狩りできます」
途中のフルーツ公園のビニルハウスのこの誘惑を断ち切って、ここまで登ってきたのだ。

「シュぅー」
というコンロの火に手をかざしながら、我々は「おでん」が煮えるのを待っている。
 鍋の蓋を開けると、湯気が「ふわっ、」と山頂に立ち上った。


 下山路は枯葉の中に続いている。
 雪化粧した武甲山を眺めながら下る道だ。
 その道は、緩やかな尾根伝いに大きな観音像につながっていた。
 武甲山に背を向ける観音さま。
 偶然かもしれないが、この文明への代償に悲しみを抱いているように見えるのは、僕だけだろうか・・・。



 「ありがとう」
と言いたい。


2009年01月12日(月) 水の芸術

 ぐっと冷えた冬の日。
 眠い目をこすって電車に乗る。
 ビルの間から時折差し込む光のまぶしさに目を覚ましながら、1時間も電車に揺られれば、そこは単線の山の駅。山に日光がさえぎられたそこは、キーンとした冷たい空気が満たされた登山口だ。

 某有名ガイドブックで三ツ星になったという高尾山。
 薬王院への表参道を避けるように、沢沿いの、そして岩の多い急登を登り、しっかりと参拝を済ませて山頂を目指す。その頃には、すっかり雪景色だ。
「急に寒くなったからなぁ〜」
路面凍結が危ないのは車だけではない。

 雪の道を慎重に進む。陣馬への尾根も、高尾山頂を過ぎるとめっきりと人が減る。登山の領域に入ったのだ。
 雪の積もる巻き道。杉の落ち葉の中に、可憐な花を見つけた。



 霜柱草。
 シソ科の植物が作る、水の芸術だ。寒いからこその喜びがある。


2009年01月03日(土) てるてる坊主

 青空の雪景色。
 なかなか気持ちいい。
 二日間お世話になった温泉宿。大きくはないがしっかりとした御影石作りの湯船に、こんこんと湯が入る。僕の好きな、やわらかいお湯で満たされている。
 ちょっと日が差してきた。この朝風呂の雰囲気が、僕は好きだ。
「この風呂も今日が最後だなぁ〜」
じんわりと皮膚を効能が通っていく感じがする。

 出発の時。すでにしっかり明るい。湯の町のご近所さんがやってきて、どうもこれから地元の時間になるらしい。部外者はおいとまするに限る。そんな雰囲気を感じてくれたのか、宿のおかみさんはしっかりとお見送りをしてくれた。
「これ、野沢菜。自分で煮たんだけど、うまくいってるといいけど」
と大きめの瓶詰めを笑顔で渡してくれる。
「また来たいな」
と思う。

 エンジンをかけた。これといって行き先はないのだが、青空の中、ゆるやかな下りカーブの続く道を、下っていく。ふと、「中山晋平記念館」の文字。その文字に誘われるように、信州の田園地帯を僕は10km近く走った。
 
 「晋平の里」は、扇状地の麓にあった。白壁の美しい寺があり、遠くに北信五岳がしっかりと見える美しい土地だ。田圃の脇を美しい水が流れていく。「しゃぼん玉」が飛んでも絵になるのだ。



『美の存在しない土地に天才は生まれない。』
と言うのをどこかで聞いたような気がするが、自然の造形美に囲まれたここは、十分にその条件を満たしている。



 田圃のあぜ道の先、少し雪が積もった墓地に、中山晋平の墓があった。
 「これからもいい音楽ができますように」
と手を合わせる。
 偶然にも、遠くで記念館のカリオンが「てるてる坊主」を奏ではじめた。なんとなく、僕の気持ちに中山晋平が「これから晴れるよ」と答えてくれたようで、うれしかった。

 蓼科山が夕陽で赤い。やっぱり晴れた。


2009年01月01日(木) あけましておめでとうございます




今年も時々のぞきに来てください。
宜しくお願いいたします。


さわ