明後日の風
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登山口は既に廃業したコンビニエンスストアの駐車場だった。 秋だというのに水が滾々と流れる水路に沿って、数件の農家が連なる集落の中の道を進んでいく。ひさしから吊るされた何本もの柿の実が、2階の窓を塞いでいるのも、晩秋の風景だ。 「げ、しぶぅ〜」 と渋柿を頬張って、口をとんがらせるような子供はここにいるのだろうか?
杉の人工林の中に続く細い登山道は、いつしか自然林となり、歩きやすい道幅で続いていく。馬頭観音の文字が彫られた岩を過ぎると、街道一の難所だ。しっかりと積み重なった登山道の枯葉を「ざ、ざぁ〜」と音を立てながら登っていくのも、なんとも子供っぽいのだが、晩秋の登山の特権なのだから仕方がない。
「なんだぁ〜、この登り」 と少々心が折れそうになりつつも、 「楽勝じゃん」 と言う雰囲気で進む最後の急勾配。ついにはロープのお世話になり、 「太ももキツイです。」 と心が叫んだところで、山頂。
小さな石造りのお社に手を合わせる。福島の浜通りの山は、やはり海が良く見える。「大倉山」という小さな看板が目に入る。
2008年11月22日(土) |
山頂の炊き込みごはん |
晩秋。 昔、会津への塩の道であったという登山道は、どこまでも緩やかで、歩きやすい。登山道、いや、旧街道というべきかもしれない、枯葉に埋まった道を、僕達は淡々と歩き続けるのである。 この、淡々としたペースが、ちょっと冷たいな、という晩秋の空気の中に、白い息を吐き出させ、そして、丁度よく調節される体温が身を守ってくれるのである。さすが、街道、よく考えられている。
山頂に立った。 阿武隈山地の緩やかな山並みを背に、太平洋が広がっている。 関東から北海道への長距離フェリーは、必ずここを通過する。 「昔は良く乗ったなあぁ」 そう思いながら、きのこの炊き込みごはんを食べる。ちょっと濃い醤油味と甘みがうまい。
島の高校生が服のまま海に飛び込んでいた昨日が嘘のような小雨の沖縄。 正直、寒い。 プライベート露天風呂付の宿で羽を伸ばしてやろう、という戦略は、景色の爽快感を失いつつも、寒いから沁みる風呂の温かさの恩典で相殺され、とりあえず満足度はアップした。
小雨となると、突如としてやることがない沖縄。 秋ともなると、夏には賑わうであろうカフェも閉店しており、どうしたものか、と思い悩むも、よく考えると、 「観光地化される前の沖縄はこういうものだったのだろう」 というケーススタディーであったりもするなぁ〜、などと思索を巡らし、我ながら 「どういうシチュエーションでもポジティブだぁ、自分」 と妙に納得したりもする。
結論は、南部のニライ・カナイ橋というドライブコースを走り、近くの「浜辺の茶屋」で、のんびりとフライトまでの時間を過ごそうか、という至って「ひねりのない」スケジューリング。とりあえず進む。
曇天のニライ・カナイにはやはり爽快感はなく、程なく訪れる交差点にたどり着くと、なんとなく、「浜辺の茶屋」とは逆方向にハンドルは切られることとなった。 近くの広場に「幸せのかけ橋」なる展望台があった。展望台の上に立ち、両手を広げると、左手の先に沖縄本島の最高の聖地「斎場御嶽」、右手の先に、沖縄の神が降り立ったという「津堅島」があるのだという。 どうも、神様は、僕をここに連れて来たかったようだ。
雨が降る中、両手を広げてみる。 遠くから見たら、 「なんだ、あれ、雨の中で何やってるの」 と滑稽な出で立ちだろうが、こちらは至って真剣だ。なんらかのパワーが注入されたに違いない。
本土はすっかり冬を感じる季節でも、沖縄は暖かい。 那覇国際空港のブリッジで、「ムッ」とした南国らしい湿度を感じる時、そして、琉球音階の空港アナウンスのチャイムを聞く時、ここは沖縄だと実感する。11月で気温は30度。 「正直、このまま海に飛び込みたい」 と思う。ま、正直、空港周辺では飛び込めるところなどないのだが…。
空港から、行きつけの「そば屋」に直行。腹ごしらえをして、今日は、沖縄本島最北端「辺戸岬」を目指す。
名護を過ぎると「ヤンバル」。沖縄のスロードライバーに困惑しながら、のんびり走り続ける海岸線の道は、何度走っても、 「どうして、こんなに僕は焦っているのか」 と考えさせられる道である。 海の色が明らかに新鮮になる。山の豊かさに比例して、海も豊かになるのを実感できる。ハンドルの行く手に、スコールを予感させる雲の造形美が飛び込んで来た。路肩に駐車。思わず、シャッターを切る。
この絶妙なバランスは、やはり神の手のなせる業だ。 岬まではまだまだ。 う〜ん。軽自動車が前を走っている。こりゃ、相当かかりそうだ。
さわ
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