明後日の風
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2007年11月25日(日) |
夕陽のスポットライト |
緩やかに続く川。
その蛇行する川の正面に、スポットライトを当てられたように夕日を浴びる山々が美しい。なだらかな山々には、段々畑が高台まで幾段と続き、そのところどころに、住宅らしき建物が点在する。川にかかる沈下橋。国道のバス停から川を渡り、あの高台まで行き来する人々を想像する時、南紀という土地が、いにしえからしっかりと人の手が入った土地である、という歴史の年輪を実感する。
古湯白浜から、熊野本宮を結ぶ中辺路(なかへち)には、やはり歴史の香りがする。
山陰の朝は明るかった。 底抜けに明るいというのではなく、適度な湿り気があるというのか、艶やかさを感じる明るさだ。直射日光というのではなく、何かレンズを通したような、マイルドな光が満ちている。
| 早朝、白兎神社にお参りし、吉岡温泉で一風呂浴び、何か生まれ変われる気がした僕は、山陰道を西に向かった。大山の麓を緩やかに過ぎ、出雲大社についたのは、正午を随分回っていた。晩秋の快晴のこの日、出雲の地に入ったとたんに、沸き立つような雲が現れ、バケツをひっくり返したような土砂降りになった。 大社の長い参道を歩く。 雨は止むことなく、ますます強くなり、参道は川に姿を変えるほどだ。 ずぶ濡れになった僕は、社殿前の神楽殿の軒下に走り込んだ。多くの参拝者が、肩を寄せ合うように、軒下にたたずんでいる。神楽殿の樋からは水があふれ、さしずめ、滝の裏側にいるような光景だ。
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出雲の神様が、「禊をさせてやろう」と雨を降らしたに違いない。
京都東山の峠を越えて、緩やかなスロープをすべるように僕は五条通りに入ってゆく。 この京都に吸い込まれるような感覚を、自分のハンドルで体験するのは、実は今回がはじめてだ。 深夜の京都。いつもは大混雑の五条通りも数台のタクシーのみ。とにかく東京を離れたいという気分でエンジンをかけたのは既に夕刻だったのだが、すっかり冬景色の安房峠や、氷点下の高山を過ぎ、気付くと名神高速道路の京都東インターチェンジを降りていた。 そのまま僕は老の坂を越えていく。丹後の地は、濃霧の中に続いている。
鉄橋を渡る電車の音、って好きじゃないですか? どんなに殺風景であっても、「ガタンガタン」という音を立てて渡って行く電車の風景が絵になるのは何故だろう。 「夕暮れ」なんていうシチュエーションが加味されれば、なお、味わい深い。「黄昏」という雰囲気がにじみ出ている。 電車が動いていくその先にいろいろな人の期待や悲哀が動いていく、そんな雰囲気が詰め込まれるからだろうか。
随分、日も暮れてきた。僕は多摩川の鉄橋の下にいる。 20年ぶりに揃った友人達と河川敷でバーベキューを楽しんだ。 ノスタルジーというより、ガタンガタンという電車の音に、何か次の20年がはじまる気がした。そんな僕を、鉄橋を渡る電車の窓から、期待を持って覗いている僕がいるような気がする。
晩秋の北陸。僕は能登へと続く海沿いのハイウェーを走っている。日本海から吹く風は強く、吹きすさぶ飛沫に冬を感じる。 「ちょっと温かいものを食べよう。」 そんな気持ちで、僕は一軒のラーメン屋に入った。 10年前、はじめて買った中古車で何度となく通った店だ。蘇る味は昔のままで、少しばかりのしょっぱさが北陸らしい。オーナー夫婦が少し年輪を重ねた分だけ、味の深さが増した気がする。 僕は、国道脇のパーキングに車を停めた。 運転席の座席を倒した僕は、1時間ほど昼寝した。秋の日差しが気持ちいい。
標高800m。テントの中は、シュラフに包まっていてもさすがに寒い。11月上旬だが既に氷点下なのだろう。 「シュー」という湯を沸かすコンロの音とともに、テントの中が温まって行く。温かさの中、僕は起き上がってカップのカレーうどんの蓋を開く。とろみがあって、麺をすする度に、体に幸福感の葉が広がっていく。むっくりとテントから顔を出すと、快晴の空が広がっていた。
紅葉の山は緩やかな道が続く山だった。
決して汗が噴出すことはないのだが、ゆったりと、じんわりと体が温まっていく。秋の山歩きの醍醐味といったところだろうか。 少しずつ視界が広がり、自然林が草原に変わった時、頂上は近い。金剛堂山。雪深い北陸の山を象徴するように、草原の尾根に緩やかなカーブを描く登山道が続いている。
お弁当を開くにはちょうどいい昼下がり。北アルプスの山並みがご馳走である。
さわ
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