明後日の風
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2007年10月28日(日) 北アルプスの存在

 緩やかなカーブが続く田園の中の道。
 信号のない流れのよい道は、季節はずれの台風一過の快晴のブルーをキャンバスに、既に雪を乗せた北アルプスの山並みの中を軽快に続いていく。
 勢いのついた我々は、湖畔を走り、小さな踏切を渡り、そして、急勾配の山道を登っていく。400番代の小さな国道。紅葉の中のカーブの続く険しい道は、小さな峠を迎えた。
 「峰方峠」
北アルプスは、ここから見られるためにそこにあるのだ、と実感する。



2007年10月21日(日) 日の国

 快晴の青空の朝。谷間にある小さいが日本情緒豊かな別府の共同浴場。僕はその露天風呂に一人で体を浮かべ、おてんとう様を拝んでいた。
「いい朝だ」
と独り言。こういう日のドライブは良いに決まっている。 

 僕は、大分から阿蘇を越え、熊本から天草へと九州を横断した。



 重量感と爽快感が同居する阿蘇と、広大な海に孤独感を湛える有明海。その対照的な画像が、浮かび上がる一連のものとして表現される。本州に比較して圧倒的に明るい日の光こそ、この表現に欠かせない。


 「火の国」と言われる肥後は、「日の国」でもあるのだ。

 天草五橋が見える群青の三角港。
 天草を眺めるベンチでの日光浴は最高だ。


2007年10月20日(土) ふらり

 ふらり、と僕は新幹線に乗った。
 新大阪を過ぎるとトンネルが続く。トンネルの闇が続くからこそ、その合間に見える車窓の瀬戸内は輝いている。比較的平野を走る東海道新幹線とは対象的だ、と思う。
 関門海峡を抜け、博多に着く頃には日が暮れていた。

 今日の宿を別府に決める。
 単調に見える道も、別府に近づくにつれて山深くなり、峠を越えると別府は遥かハイウェーの眼下に見える。高台からの弓なりの別府湾を抱擁するその街の夜景は美しい。

 街に繰り出した。
 賑やかな別府の町。歓楽温泉としての地位は未だ健在で、十分に賑やかだ。
 ぐるぐると街を徘徊した僕は、一軒の居酒屋を見定めて暖簾を潜った。
 若者の多い店。でも、店主は一見の僕にも気軽に声をかけてくれる。カウンターの端に座った僕は、しみじみと大分の地酒を楽しんだ。りゅうきゅう、とり天といった郷土料理に酒が進んでいく。

 さて、明日はどこに行こう。


2007年10月13日(土) 秋の小さな探検隊

 ふと見つけた登山口の看板。小さな登山口から人工林の中に道が続いている。「探検隊」というには大げさだが、登山地図、というものに頼らずに歩いていく、というのは10代以来はじめてかもしれない。何があるのかという好奇心と戻ってこれるのかという不安感を両立させながら登っていく。

 ほどなく人工林は雑木林というべき自然林になり、緩やかな傾斜の登山道が続いている。夏には鬱蒼としているであろう雑木林のトンネルも、既に、秋の気配のここでは、時折、枝葉の間から遠くの山並みを見ることができる。
 ふと、視界が開けた。後で聞いたのだが「蟻の戸渡り」というやせ尾根だ。今回登山予定だった二岐山(ふたまたやま)の端正な姿が見えている。



 登山開始から1時間半。山頂は紅葉だった。小白森山(こしろもりやま)と大きな頂上の標識に存在感がある。
 福島のどこまでも続く緩やかな山並みが印象的だ。低山登山の魅力満喫というところだろうか。

 さっさと下山して温泉と秋の味覚を楽しむことにしよう。


2007年10月08日(月) 巨人との対峙

 本州最北端のホテル。その窓から見る景色は生憎の雨であった。
 それでも、僕が本州最北端、大間崎に到達する頃には雨は小降りとなり、強風をうまく捉えて空中散歩をする鴎が群れる岬の向こうに、しっかりとした大地を望むことができる。北海道だ。



 「最果ての地」を感じるには、こういう強風の中の曇天こそ良い演出である、と言えなくもない。

 下北半島の雄大な道を南下した僕は、三沢市民の森という、小川原湖近くの整備された広大な木立にあった。寺山修二記念館、その緑の中の建築は、やはり異彩を放っている。
 青森市内にある棟方志功の記念館に立ち寄ったのは、正に昨日。年齢差こそあれ、ほぼ同時代に生きたとも言える2人をこういう至近距離で体験することになったのは偶然だろうか。
 何かを作り出そうというエネルギーが、ある種の粘着質を持って全体に抽出されている寺山修二に対し、自然の声を、体全体を通して聞こう、ということに無心になった棟方志功。その対称的とも言える2人の巨人を体験して、僕は棟方志功に一票を入れたい。

 寺山修二記念館を出た僕は、草原にしっかりとした日の光を感じた。木々と草原が爽やかさに包まれている。曇天はどこかに行ってしまったようだ。


2007年10月07日(日) 霊山の力

 大陸的な雰囲気の続く下北半島。
 長い、平面の直線道路が続き、小さな集落が点在する中、砂浜は緩やかにカーブを描く。その殺伐とした風景が、大陸的と思わせる所以だろう。
 むつ市の市街地を経た道は、大きな老木の続く森の中、標高を上げていく。峠を越え、下った先に、原色にちかい薄いブルーの湖を控えた、白い火山性の砂礫地帯に立ち並ぶ堂宇群を見たとき、
「やはりここは現世ではない」
という現実感を覚えるのである。800mほどの標高の山並みが続く、下北半島北部。霊地恐山は、その存在を隠すかのように、その山並みに囲まれてそこに存在している。
 
 恐山の地蔵堂に鎮座している本尊にお参りした僕は、自然と、裏手にある奥の院に向かって歩き出していた。砂礫地帯から紅葉の山中に向かって小さな石段が続き、その奥に不動明王がたたずんでいた。
 実は、この奥の院と、ご本尊、そして釜臥山山頂の大明神が、実は一直線に並び、この3つにお参りすることが良いのだという。
 この恐山への道すがら、僕は、自然とハンドルを左に切り、知る由もなかった釜臥山の山頂を既に踏んでいたのであった。肌寒い風が吹きすさむ紅葉の美しいその山頂からは、下北半島と陸奥湾の大陸的な情景と対照的に、隠された恐山の姿が顕わであった。

 そもそもこの旅は偶然からはじまり、そして、この3つの恐山の霊地を僕は偶然にも参拝した。何者かに導かれているに違いない、というその雰囲気だけで、僕には「恐山というのは三大霊山の一つに数えられる」ということを納得するに十分なのである。


2007年10月06日(土) 七つ道具

 携帯ゲーム「国盗り合戦」のおかげで、鉄ちゃん(※)に再度目覚めてしまったようだ。
 JR東日本エリアの特急自由席乗り放題の三連休パス。昨晩、新橋駅のみどりの窓口に、営業時間ぎりぎりで滑り込み、やっとのことで購入したそれを、まだ朝の暗い中、ポケットに忍ばせて東京駅に向かう。早朝の東京駅。快晴できらきらと光るホームに、6:08発の上越新幹線「とき301号」は既に入線していた。久しぶりの鉄道の大旅行はこうしてはじまったのである。

 どこの町も、駅に降り立つと、はじめて訪れた時の記憶が蘇る。
 新幹線の開通で大きく変貌した街、既に駅前のデパートが撤退し、跡形も無く更地となってしまった街、など、歴史の流れがダイレクトに伝わってくる。その一方、昔からのラーメン屋がそこにあり、遠くに見える鳥海山や、最上川の豊かな水量がなんら変わらないことに、また安堵したりもするのである。ローカル線は、快晴の田園地帯を進んでいく。「青春18キップ」の旅さながらの楽しさだ。
 新潟、酒田、新庄、福島、仙台、秋田、青森。今日一日で訪れた駅の全てである。




 一筆書きの鉄道の旅のため、新庄駅でポケット時刻表を買った。モバイルが進化し、携帯電話の乗換案内が充実しても、この手の作業は時刻表に勝てないのである。
 売店の片隅に、数冊、申し訳なさそうに並んでいるのをやっとのことで見つけた時、久しぶりの七つ道具との対面に、こみ上げてきたうれしさが忘れられない。

(※) 鉄道をこよなく愛する人


2007年10月01日(月) 秋の気配

 日常は日々過ぎていく。
 10月になった。
 夏は暑かったが、さすがに秋の気配だ。

 最近、「体温と同じ温度のお湯に入る」というのに目覚めてしまい、せっせと近くのスーパー銭湯通いが続いている。
 近くの、と言っても、自宅から片道20km近くあるのだが、通わずにはいられない。
 包み込まれるような、包む込むような不思議な雰囲気が売りなのだが、人間というのは同じ目線や同じ空間ということに、こうも気持ちが安らぐものなのか、実感する。

 24万人の民間人の誕生。
 果たして、包み込まれるのか、包み込むのか、いかがだろう。
 気持ちが安らげば成功ということなのだろうか・・・。


さわ