明後日の風
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2007年09月22日(土) 恍惚の山

 池塘の向こうに、ゆるやかな弧を描く山がある。



 既に、山枯れの気配が感じられる湿原の草むらの中を、ゆるやかな木道がどこまでも続いている。平ヶ岳という名前の由来が想像できる。


 晴天だが無風といって良い天候の中、10kmに及ぶヤセ尾根の急登、樹林帯の登山道を歩き続け、3リットル近い水を消費しながら、喘ぐように最後の急登を登りきったご褒美としては、この景色は上出来である。

 体力を消耗し、少しぼんやりとした脳みそも貢献しているのか、秒針がゆったりと流れていく。姫池、という愛らしい名前のこの池塘群の中を、ひんやりとした風が吹いている。


2007年09月16日(日) 「穏やかさ」への愛おしさ

 能登という地域には、田舎の素朴さだけでなく、一本筋の入った厳しさのようなものが感じられる。それは、冬の気候の厳しさ、荒々しい海、といったものに耐える人間の姿の反映でもあり、北陸の人が口にする「嫁さんなら能登の人」と言葉にも直接的に表れているのだが、それ以外の季節の「穏やかさ」こそ、僕は愛したい。

 能登への道は、ゆるやかに続く日本海の砂浜に沿ってはじまる。やがて、能登半島の背骨とも言うべき山中の道路を走る頃には、能登半島地震の影響がまだ癒えていないことを実感させられる。

 すっかり町並みが新しくなってしまった輪島の町。一軒のすし屋に入った。黙々とすしを握りながら、
「空港ができて観光客が増えたよ」
という主人の言葉に、少し明るい光を感じた。

 未だ傾いた門前の総持寺祖院の堂宇群に衝撃を受けながら、過疎の町の復興への難しさを感じながらも、僕が愛すべき「穏やかさ」が早く復活することを祈らずにはいられない。


2007年09月15日(土) 西日の先の豊かさ

 妙義山、浅間山、そして北信五岳、幾重の山並みを見物してきたハイウェーは、妙高山の麓を大きく右にカーブし、広大な稲穂の海の中、ゆっくりと標高を下げながら、日本海へと吸い込まれていく。雪深い上越らしい幅広い道は、大河の流れにも似て、ドライバーの私の心に、安定感を与えてくれる。

 僕はサービスエリアに入った。
 鱒すしとそばのセット。そばの関西風の汁と赤巻が、北陸が近いということを教えてくれる。



 ここから先、道は、一転して日本海の断崖に沿う険しい道となる。その最後のトンネルを抜けた時、西日のまぶしさの向こうに、富山連峰を従えた豊かな富山平野が見えるに違いない。


2007年09月12日(水) メインストリート

 小さな駅前ロータリーに小さな駅舎。
 駅前には、小さな八百屋兼魚屋があり、国道へと続く直線道路は、ただそれだけでメインストリート足りうるのである。

 メインストリートを進むと、小さな橋があった。このせせらぎの緩やかな流れに沿って、この町はできているのである。せせらぎの音が唯一の音、であるかのように、この町は静かに毎日が過ぎていくのだろう、そんな想像を許してくれる。




 重量感の構えの「柿の葉寿司」の店、短いメインストリートはそこで締めくくられる。店内には、柿の葉寿司はもとより、鮎寿司や、各種盛り込みなど、多様な寿司のサンプルが並んでいる。
「これ、どれでもできるんですか」
やや驚きを含んだ僕の質問に、珍しくお客さんがやってきた、という雰囲気を隠さない店員は、
「はい。これから作りますので。ただ、柿の葉寿司なら詰めるだけですから、早いですよ」
とのこと。
「・・・」

 しっかり、柿の葉寿司を詰めてもらう。

 しっかり乗換駅であったこの駅。
 ローカル線ゆえの待ち時間。これも、列車の旅の楽しさである。いつの間にかやってきた高校生がじゃれあう横で、僕は柿の葉寿司をほおばっている。


2007年09月11日(火) 鉄ちゃん魂の復活

 携帯電話のゲームで、「国盗り合戦」というのもが流行っているのをご存知だろうか。
 全国300箇所に分割したエリアを順次訪問し、300箇所全部を訪問すると、天下統一となるといういたってシンプルなゲームである。携帯電話にGPS機能が実装されたことに伴うゲームだが、これは、収集癖、ようするにスタンプラリー好きの人間には、たまらなく楽しいのだ。それが、携帯電話会社のパケット代収入に貢献する、鉄道会社の交通費や高速道路会社の通行代に貢献する、などという、裏話は、この際どうでも良くなるのである。実際、5万人近い人が、このゲームに登録している。

 今回、近畿エリアを2日である程度制覇してやろう、と意気込んで関西に乗り込んだ僕だったのだが、この「国盗り合戦」よりも、鉄道に乗るということ自体を楽しむ、いわゆる「鉄ちゃん(鉄道オタクのこと)」魂に火をつけることになった。


 六甲山をぶち抜く北神急行や、神戸電鉄、神戸市交通局(地下鉄)など、初体験のルートはわくわくする。新神戸から見えるビル群を後に、六甲山を抜けた時、そのまばゆいばかりの山の緑と青空に、たった9分でこの世界に到達する驚きに感激し、急勾配とカーブを下って神戸市内に入っていく神戸電鉄から、六甲山を屏風に控える神戸市内の特殊地形を実感し、地下鉄が地上に出たあたり、そのベットタウンにある、ラーメン店のラーメンが意外にうまいことを知ったという優越感に酔い、はじめてみる宝塚大劇場にシャッターを押し、久しぶりの阪急梅田駅の規模の大きさに、学生時代の思い出を重ねたりするのである。

 どんな発見あるのか、懐古趣味に浸るのか、それが楽しくて、また鉄道に乗ってしまう、そんな昔の感覚が、この1日で復活した。


2007年09月09日(日) テント場の景色

 満点の星空は少しずつ消えて行き、日の出に向かって、山のシルエットは確実なものになっていく。



 五龍の頂へと続くトレイルが、しっかりと見える頃、山荘前のテント場は、華やかになった。
 夏にテント泊を経験した、というただそのことだけで、テント場の景色が自分の新たな認識の範囲として定義された、という事実は、新鮮な発見だった。

 長い「遠見尾根」は、振り返るたびに、新しい角度の五龍岳と鹿島槍ヶ岳を提供してくれる。長い尾根にも一理あるのだ。








2007年09月08日(土) カレーの味

 岩で多い尽くされた山頂。
キレットの東側から上昇気流に乗って、雲がひっきりなしに登ってくる。
 その雲の切れ目から時折見えるこの山の山肌は、意外にも伸びやかで、傾斜はあくまでもきつい。遠い谷底に、小さな渓流が見えている。




 「遠見尾根」という言葉が象徴するそのひどく長いが緩やかに続く尾根と、鎖場が続く山頂への最後の1時間の岩稜帯の険しさの分岐点に、ほっこりと赤い屋根の五龍山荘が建っている。その赤い屋根を、白岳から眼下に見下ろした時の安堵感は一際大きかった。それだけ、この尾根は長いのである。

 五龍は、ゆるやかさと険しさが交錯する山として記憶に残る。そして、山荘のピリッと辛いカレーの味は、不思議にその交錯した気分を調和させてくれるのである。


2007年09月02日(日) 水に湧いた自然の息吹

 会津の山は深い、と思う。
 新潟から、六十里越のトンネルを過ぎた駐車スペースから見ると、360度山であり、只見川沿いに入る国道は、常に、小さな集落の続く川沿いの小さな段丘の中に続いていく。ダムの多い只見川本流はいただけないが、支流には清流が多い。河井継之助が越えて来たはずの八十里越に沿う豊かな清流。集落に真ん中にある橋の袂に、3人ほどの人が集まっている。他には人の気配がない。この年老いた人々は、カートを支えにして集まってきたようだ。
 こうした小さな集落は、山間の快走路のドライブの中で、何気なく過ぎていくのだが、この一つに「天然炭酸水」が湧いている、ということを知ったのは、つい数週間前のことだ。
 
 観光案内図に小さく書かれている以外には、国道には何の標識も案内もない。集落の名前だけはわかっているので、勘を頼りにハンドルを左に切り、集落の中に入っていく。走ること数分。杉木立の脇に「炭酸水」の小さな看板を発見した。
 2メートル四方の石組みの井戸に、水が滾々と湧いている。小さな水泡が湧き出ているのが、炭酸水の証である。「そっ、」と汲んだペットボトルに口をつける。正に、天然の「ペリエ」そのものであった。

 車に戻ると、一人の老人が杖をついて歩いてきた。
「水飲みましたか」
という会話からはじまる一連のやりとりは楽しかった。
 老人によると、春になると、あふれるように炭酸が湧くのだという。
 自然の息吹、が水に溶け込むのだろうか。


さわ