明後日の風
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北アルプスから戻った僕は、友人の誘いで、会津に近い二岐温泉に泊まった。「秘湯」という言葉は、ここ二岐からはじまった、と言われる。国道にある小さい看板を目ざとく見つけ、細く長い、しかし整備された林道の先にその温泉場はあった。 「お風呂に入りますか」 既に夕食の時間のようだが、女将さんの言葉に甘え、露天風呂に入る。透明な爽やかさのあるお湯に、まだまだ北アルプスの後遺症の残る体をふんわりと漂わせるのである。 一夜明けた朝。残暑とは言え、標高の高いこの温泉場の朝は涼しい。この集落のまとめ役だ、という宿のご主人に見送られて、ハンドルは会津に向かった。会津というと、戊辰戦争、そして白虎隊のイメージから、一本芯が入ったような感性を感じない訳にはいかない。らーめんが有名だ、という小さな食堂でもらった一枚の観光地図。 「河井継之助記念館」 の小さな文字を、僕は見逃さなかった。
只見に向かう長い国道をひたすら走った先、奥会津ののどかな集落に、その集落に囲まれるように、まだまだ新しいたたずまいの立派な記念館がそこにあった。 河井継之助のファンは多いというが、僕は「時代という空間の把握能力を持ちつつ、それを生かすことこそ自分の天職だと思っていたのではないか」と思われる、彼の歴史に対する潔さが好きだ。 八十里越を越え、終焉の地となった、この小さな集落に彼の墓はあった。
今回の旅は、なんとなく河井継之助に誘われたような気がする。
合掌。
先ほど過ごした、美坂高原の爽やかなイメージが蘇る。もうじき「そば」が実る頃だ。
2007年08月16日(木) |
畳の心地 (北アルプス最深部6) |
畳の上での朝。 僕は、ひんやりとする畳の上に、布団から自動的に這い出していた。 このゴアゴアとした畳の素材感を感じながら、ぼんやりとまどろむ心地よさは、やはり下界ゆえだ。
朝に強いことを自認している同行者は、すっかり起きている。 二階にある我々の部屋。窓の正面に、青空を背景にした笠ヶ岳の山並みが見えている。ちょっと山頂が雲に隠れているのが残念だ。
朝風呂に入る。今日も焼岳がくっきりと見える露天。 2000m近い高原の朝はやはり涼しい。 うまい朝食が出てきた。
自分が歩いたトレイルは、笠ヶ岳の遥か向こうになるのだな、と思いながら、北アルプスの風景を後にした。 宿のおばちゃんが「また来てね」といって手を振っている。 「また来たい」 と心の中で思った。
2007年08月15日(水) |
そして山へ (北アルプス最深部5) |
朝から電話で予約した、富山地元民御用達、限定の富山名物の鱒寿司、そして、神通川の遡りたどり着いた静かなブームだという奥飛騨らぁめん、下界に体を馴染ませるには、こうしたご当地グルメは最高なのだが、やはり、脳裏の片隅に、2500mのテント場で食べる、レトルトカレーの味が呼び覚まされる。雲ノ平キャンプ場の、夕日に染まる祖父岳の中で食べたカレーだ。
だから、という訳ではないのだが、ハンドルは新穂高温泉に向かった。 「なんとなく山へ」 そんなキャッチだろうか。
見慣れた新穂高温泉からの北アルプス。 屏風のように迫る、笠ヶ岳の稜線。そして切れ落ちた谷。雲ノ平からみた黒部源流の伸びやか風景とは対照的なこの風景がまたいい。
焼岳を望める露天風呂、そんな小さな宿に飛び込んだ。 「いいよ、あなたたちを信じるから、予約はいいよ。午後4時に来てね」 名前も住所も、そして電話番号も、何も言わない我々を、宿のおばちゃんは信用してくれた。 当然に、夕飯は温かい。雲ノ平で食べたカレーのような、 「ほぉっ・・・」 という雰囲気が、まだ当分火が入ることはない囲炉裏端に広がっていく。
2007年08月14日(火) |
北アルプスの展望台 (北アルプス最深部4) |
満天の星空が少しずつ消えていく。朝だ。 遠くに、黒部五郎が光っている。
その光を求めて、我々は、カールの懐に入っていく。 思いの他長いトレイルを登りつめていく。 カールの包み込むような安堵感。 そこに咲く花や、カールの岩の中を流れる沢の水も、その安堵感の恩恵を受けているに違いない、そんな心地がする。
カールの山は、北アルプスの展望台でもあった。 昨日までの長いトレイル、そして、これから続く、緩やかな北ノ俣への道。そして、北アルプスのランドマークである槍ヶ岳、そしてその名前を実感できる端正さを誇る笠ヶ岳、遠く立山や後立山連峰、乗鞍岳、御嶽山、名だたる山々の全てを一望できる場所として記憶に残る。 その景色を、僕は見飽きることがない。北ノ俣への道すがら、僕はその記憶を反芻し続けた。
2007年08月13日(月) |
夏 (北アルプス最深部3) |
快晴。
魚肉ソーセージ入りインスタント味噌ラーメンの朝食と、ゼリードリンクで勢いをつけた僕は、なんとか、北アルプス裏銀座縦走路にたどり着いた。 割物岳(ワリモ岳)が早朝の強い光を遮り、しかも、雪渓から常に爽やかな風が吹き上がっている。 「風は最高の贈り物」 無風の蒸し暑さに難渋した昨日とは比較にならない、爽快さがTシャツを通して広がってくる。
今、北には水晶岳、南には鷲羽岳が鎮座している。登山口から日本で一番遠い百名山と、日本で二番目に遠い百名山。更に、昨日の雲ノ平を連ねた空間を、一望できる自分は幸せだと思う。稜線を上下しながら、一歩一歩進む度に、景色は新たな発見を与えてくれる。
未だ太陽は高い。
雪渓を横断してたどり着いた黒部五郎のテント場には、蛇口から冷たい岩清水が吹き出ていた。 蛇口に頭を突き出して、わさわさと髪を洗ってクールダウン。 「夏だな」 と思う。
ほどなく山の宴会が始まった。日は暮れて金星が現れ、すっかり満天の星空となった。ウィスキーのビンが既に2つ転がっている。天上での最後の夜を惜しむように、未だ、山の宴会は続いている。
2007年08月12日(日) |
テント場の夕暮れ(北アルプス最深部2) |
樹林帯の急登を喘ぐように登っていく。 黒部源流、薬師沢のつり橋を渡り、梯子を登ってから2時間。 一向に緩やかにならない急登の中、木々で夏の強い紫外線は遮られるが、無風状態は全くのサウナだ。体全体から、汗がほとばしる。 折立から爽やかな山肌を登りつめた太郎平、そこから見た重量感のある薬師岳、河童が遊んでいるというカベッケヶ原の木道を小気味よく歩く楽しさ、薬師沢の豊富な水量のみずみずしさ、こうした記憶が、今となっては恨めしくすら感じる。
ふと、急に視界が開けた。 アルプス庭園。日本最後の秘境、雲ノ平の西端である。最後の力で木道を歩く僕の視界に、少しずつアルプスの山並みが広がっていく。水晶岳の厳しい岩肌と、雲ノ平の伸びやかな山容を対照できた時、 「ここが日本最後の秘境だ」 ということを実感する。
雪渓の雪解け水が豊富なテント場に、夕方が迫る。体力を使い果たした僕は、テント場でじっくりと景色の移り変わりを見るのである。色とりどりのテントが広がる祖父岳のカールに、夕焼けのフィルターがかかる。夕飯のカレーの香りが広がってくる。 明日もいい天気に違いない。
2007年08月11日(土) |
冷凍餃子の力(北アルプス最深部1) |
明日から山に入る。 はじめてのテント泊での長い縦走。 北アルプス最深部に行くという期待感は、いつもより思い荷物と体力の限界に対する不安感に圧倒されている。夜8時。1500mの高地、登山口近くにテントを張った。
テントの中に灯りが燈る。 コンビニで買った冷凍餃子。 フライパンの上に「コロン・コロン」と音を立てたそれは、「ジュー・ジュー」という食欲をそそる音に変わって、テントの中に広がっていく。
蒸し暑さも緩和されたようだ。餃子に冷たいビールがうまい。 登る気力が湧いてきた。
さわ
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