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「槞梛俚庵(るなりあむ)


時折綴

2004年03月24日(水) 涙雨

よく眠れなかった―――。

わたしの家の周辺には、1000本近い桜が植えられていてね
毎年咲きそろう桜のトンネルを歩くのが、小さい頃からとても楽しみなの。
ここのところの低い気温で、桜もまだ5分咲きのまま。
午前中は少し太陽が顔を覗かせていたので、ちょっと桜を見ながら
ぶらっ と散歩してきた。
そして…
花冷えの曇り空を見上げて、「和久さん 長さん いっぱいの笑いと元気を
ありがとう…」って、こころの中で叫んだんだ―――。

告別式が行われる13時に合わせたように、また雨が降ってきた。
空も泣いているんだね。

何だかひとつの大きな時代が、終わりを告げたような気がする。

夕べ、「踊る」の青島くん役の織田裕二くんが言葉に詰まりながら
最後に「それでも頑張って生きていかなくちゃ―――」って
こみあげてくるものをぐっと我慢して話していた。
遺されたものは、死というものを受け入れて、そしてまた前を向いて
歩いていかなくちゃならないんだよね。

わたしの母も秋のお彼岸に亡くなったのだけど、
その時、火葬場の責任者のかたからこんなお話を聞いた。
お彼岸やお盆に亡くなった人は、生まれ持った寿命を使い果たしたから。
だからいつまでも悲しんでいては、いけないんだよって。
楽しかった思い出を笑顔で思い返してあげることが
一番の供養になるんだって。

人を笑わせることに身体を張って、そして命を削って
それでもそれが大好きだった長さんは、涙で見送ることは
きっと嫌いなんじゃないかな。

告別式には10000人のファンが訪れたという。
長さんのくれた「笑い」と、和久さんが残した「厳しさと温かさ」は
こんなに多くの人のこころを温めていたんだね。
あの場に行かれなかった人たちも含めたら きっともっと多くの人数になるよね。
わたしもそうだから―――。

「踊る」の公式サイトに、和久さん 長さんへのメッセージを残す場所ができているって蒼い風さんからそのことを聞いて
「踊る」のスタッフさんたちって、ファンのこころをがっしり掴んで下さるんだなぁ…って再度実感した。
いっぱいのメッセージが並んでいたよ。
わたしもそっとメッセージを置いて来た。

6月には「踊る大捜査線 MOVIE2」のDVDが出る。
和久さんとしての長さんは、ずっと ずっと心の中で生き続ける―――。
笑顔と一緒に、きっと思い返すよって呟いた。



2004年03月23日(火) 1年のしめくくり

今日はchimomoの高校の終了式。
ひさびさに早起きして「ねむい〜」なんてぷりぷり言いながら出かけていった。

お昼過ぎに「恐怖の成績表」と、2年生の教科書と一緒に帰ってきた。
勉強が大変で、部活との両立が難しくて悩んだりもしたけど
それでも3学期はまずまずの評定が貰えたようで、ほっ…とした。
やっぱり大好きな音楽は「9」だったよ。(*^_^*)
数学で苦しんだ1年だったなぁ…。
1年生なのに2年生の数学を勉強する上に、数学の上級コースの先生が
試験問題作るのだから、50点取るのが至難の技。
それでもなんとか頑張って、それでそこそこの成績が取れたから
◎だってわたしは思ってる。
2年生になると、進路ごとにクラスが変わる。
chimomoが志望しているコースは、私大文系なので多少数学がラクになるし
得意な語学に比重が傾くので、頑張りやすいかな。
でも音楽などのchimomoにとっては大好きな芸術&技術関係の授業がなくなっちゃうのね。
好きな教科が無くなるのって、chimomoにとってはどうなのかな。
何だか心配。
とにかく1年生のうちから、きめ細かく進路説明が始まっていて
進学校って大変だな… って思ってしまう。

1年間 よく頑張ったなぁって思う。
春休みの課題もヤマほどあるけれど、とにかく今はのんびりさせてやろうと思う。
わたしも1年間、頑張ったよ。



2004年03月21日(日) 哀悼

その悲報を知ったのは、1日遅れの今日だった。
「何かのマチガイでしょう?」
頭の中が真っ白になってしまった―――。

ドリフの長さん 「踊る大捜査線」の和久さんが… 亡くなってしまった。

40代前半のわたしは、ドリフと共に生きて来た世代。
学校嫌いだったわたしは、土曜日が一番大好きだった。
何故かというとね、翌日はお休みで、学校に行かなくて良いんだものね。
それに「8時だよ!全員集合」があったから。
学校で嫌なことがあっても、ドリフを見ておなかの底から笑ったら
また頑張れるかもって思ったから。

そのアト「踊る大捜査線」で、和久さんとしての長さんに出逢って
和久さんの温かさと厳しさが、そのまま長さんの姿であることを知って、
また数倍大好きになって。
「いぶし銀」そういう存在は、長さんのような人のことを言うんだって実感してた。

「踊る2」の舞台挨拶の直前に退院されて、元気な姿を見ることができて
とっても喜んだのに―――。

その後のトーク番組で、和久さん 少し痩せたなぁ… って感じて
声も何だか以前に比べて出し辛そうにしていらしたような気がして
とても気がかりだったの。
そしたら―――

急ぎすぎだよね…。
こんなに早く向こうの世界に逝かなくてもいいのに。
もうこれっきり逢えなくなるなんて、悲しくて 寂しくて。



2004年03月20日(土) 雪のお彼岸

前日からの雨が朝になってもやまなくて、雨足は強くなるばかり。
お墓参りを明日にすることも考えたのだけど、みんなそれぞれ予定があるから
雨の中を思い切って出掛けたの。

埼玉の山の上にある母のお墓に近づくにつれて、雨は雪に変わり
やがて大きなぼたん雪になった。
ほころびだした桜の花や、満開の梅の花も、すっかり雪化粧を始めていたよ。
とても綺麗だった〜。

都会を離れて1時間半ほど。
山や川のあるこの場所にくると、いつも何だか小さな旅行に来たような
そんなキモチにさせてくれるの。
でも今日は格別。
スキーに来たみたいで、何だかウキウキしちゃった。

いつもはお墓参りの人たちで、道も霊園のバスもすごく混むんだけど
雪が降ってきたからかな とてもすいていて、居合わせた人もみんな
「まるで旅行に来たみたいね〜」なんて、和やかな雰囲気になって。
雪のお彼岸も風流だよね。

「花に雪」花が咲く頃、雪が降るってよく言われる。
chimomoが赤ちゃんの時には、4月の初旬で桜が満開になったのに
大雪が降ったことがあってね。
可哀想に、随分たくさんの桜の木が水分をいっぱい含んだ重い雪に耐えられなくて
枝からぽっきり折れちゃってた。

母が亡くなってそろそろ20年。
何回もお彼岸が巡って来たけれど、雪の降る中でのお墓参りは初めて。
あまり寒さも感じないのは、春だからなのかな。

母の思い出を探しながら、のんびりして帰途に着いたよ。



2004年03月16日(火) Home Pageのありかた。

Home Pageを作りたいと思う理由は、100のpageがあるとしたら
100通りの思いがあると思う。
毎日1000を超えるアクセスのあるpageや、政府や官公庁のpageなら
いろんな種類のブラウザを配慮して作ったり、様々な環境の人に留意して
見やすいpageにする必要ってあると思うけれど、ウチみたいに
1日30アクセスも無いような個人の趣味のpageは、もう少し自由に
楽しみながら作ってもいいんじゃないかなって思ってる。

Home Pageはこうあるべきだって、批判ばかりしている人を見かけるけれど
(ウチもひどい批判をされたばかり(T_T))
持論を主張する前に、サイトオーナーの気持ちを探してみてほしいなぁ と思う。

よく「右クリック禁止はウザイからやめろ」とかって聞くけれど、
ウチも右クリックができないようにしているのには理由があるの。
以前無断でイラストを持っていかれたことと、画像へ直接リンクを貼られたことへの無言の警告。
あとはトラウマとかもあるかな。イラストみんな削除しちゃったし。
またイラストを黙って持っていっちゃうような人って、
ほとんど初心者さんが多いのね。
だからわざと右クリックを禁止にしてる。
上級者さんは、右クリック禁止を無効にすることなんて知ってるし。
それにコレが気分悪いと思ったヒトは、ウチにはもうこなければいいわけだし
わたしもそういうヒトの所へは2度と行かないし。
わたしはアクセス数を増やしたくて開いているpageじゃないから、
ひっそりしていて充分と思ってる。
優秀なHome Pageとかって表彰されたいわけじゃなし。
コンテストとか、そういうものに応募する気 まったくなし。
リンクを希望する気もなしだし。
相互リンクなんてしていても、Home Pageの引越し先を何ヶ月たっても
訂正してくれなかったり、いつのまにかHome Pageが無くなってて、
デッドリンクになってたりなんてことしょっちゅうだから
ウチはリンクフリーじゃないの。
とんでもないアダルトなpageにリンクされてたりしたらイヤだし。
(大嫌いな2chも )
まぁ、リンクされててもわからないけれど、これもちょっとした抵抗だったりする。
ネット上ならリンクフリーで「あるべき」って、批判してるヒトいるけど。

現実世界の友人が遊びにきてくれたり、ネットで知り合ったお友達が
覗きに来てくれたり、そんな場所でいられたらそれだけでいい。
それだけでとってもありがたい。

批判ばかり並べてあるpageは、殺伐としていて見るだけで
悲しい気持ちになっちゃう。
そういう人は、自分を顧みたりしないのかな?

人は自分と違う意見を受け入れるのは難しいのかも知れない。
でも相手に押し付けるのじゃなく、違う部分を認め合っていくことは
どうしてできないのかな。
「こうであるべき」ではなく、「こうありたいね」。
何故、お互いの個性を尊重することができないのかな。
Home Pageを持っていたら、批判されることはある程度仕方ないことだけど
トゲのある言葉を投げられるのは、もぅ悲しくてイヤね…。

Home Pageは、自分の本質を探しながら ちょっとの自己主張ができる場所
そして温かな交流ができたら素敵。
それが「槞梛俚庵」のありかたかな。



2004年03月07日(日) ほかほかな夜

未明の激しい雨音に目が覚めて、まだ少し不自由な足で
雨の中でかけるのは、ちょっと不安だな〜 と気になっていたけれど―――

お昼にはすっかり雨もあがって、抜けるような真っ青な空が広がった。
早春の霞のかかった空じゃないみたい。
気温は低いけれど、雨に洗われた大気が心地よくて。
この綺麗な青空、直くんの晴れパワーがまた効果を発揮したからだろうなぁ。
直くんって、威力バツグンの晴れ男なんだよね。
(この青空の写真を「こころいろれんず」にアップしてあるので見てね♪)

直くんのトーク&握手会(ニギモミ会)は、19時からだったんだけど、
17時の段階でまだチケットがあったの。

わたしは見学のつもりだったのだけど、でもやっぱり直くんに逢いたいし(^_^;)
足ケガしたり、体調崩したりしながらも頑張ってきたし。
ここら辺でちょっと 自分にご褒美やってもいいかな?誕生日だったし♪

ステージの高さは10cmも無いし、手を伸ばせば届くような至近距離で
楽しいトークと、「還りの泉」とできたてほやほやな新曲を
歌って下さったんだよ。
この「還りの泉」は、魂に響く歌なんだ。

直くんは小柄なのだけど、何処にそういうパワーをこめているんだろう。
何処にみんなを惹きつける力をためているんだろう。
握手してみて、改めてそう感じたの。
また少し痩せたかな って思ったけれど、でも彼の手はしっかり大きくて、
あったかで。
細いけれど弱くなく、しなやかに強く頑張っているよって、
直くんの無言のメッセージが聴けた気がしたの。

それに夏ライヴのとき、足を怪我していて杖ついて必死で参加したことや
chimomoのママだってことも、憶えていて下さってね。
とても感激してしまった。
それにね「もう大丈夫?」って、逆に心配して頂いたうえに、
「頑張ったね(^○^)♪」って頭なでなでしてもらっちゃって。

直くんという人は、ライヴの時などもあちこちにカメラをたてて
(時には変装して出没したりして)みんなの様子を見ているのだって。
あっちの隅、こっちの陰、車椅子のコはちゃんと案内されてるかな
そんなふうに。
だから何百というファンに会うのに、ひとりひとり覚えているんだよね。
もちろん直くんの記憶力も凄いんだけどね。

嬉しかったなぁ―――。

直くんのくったくのない魔法の笑顔に、生きる力を分けて貰った気がするよ。
あの笑顔は、作ってできるもんじゃない。
作っていたら、そんなハリボテじゃ、あんなに素敵なスタッフさんや
バンドメンバーさんたちが集まるわけないじゃない。
直くんのそのままの姿が表す、そのままの笑顔なんだよね。
つらくても絶やさない、だから惹かれるんだよね。

思い切ってこのニギモミ会に参加して良かったって思った。
帰るときに見上げた十四夜の月が、とっても綺麗だった。
娘と同じものを見、同じアーティストを好きでいられること
あとどれくらいできるかな…。



2004年03月05日(金) 幸運は遅くやってくるもの?

声優&シンガーとして、どんどん成長してゆく高橋直純くんのトーク&握手会は、ちょうど春休みに開かれるアニメイト池袋店に行けたらいいかなって思っていたけど、残念ながらチケットが手に入らなくて―――。

すっかり諦めていたchimomoだったのだけど、お友達の情報で吉祥寺がまだ残ってるんだって と、塾の帰りに電話してきたんだよね。
いつもは土曜日は学校があるから行かれないのだけど、6日は3年生の
卒業式で学校はお休みになったんだー。
「でも… 無理しなくていいよ。」って言うの。
あのコは小さい時から、「これ買ってー。絶対かってくれなきゃやだー」って
言うコじゃなかったの。
だからわたし「無理しなくていいよ。我慢するから」っていう言葉に弱くてね〜。
つい 何とかしてやろう っていう気になっちゃって(^_^;)甘い?
コレって、もしかして、chimomoの作戦?あはは(^_^;)

でもね「月曜から試験だし―――。我慢するよ」なんて言うの。
だけどさ、ダイスキな人に逢えると「頑張ろうっ!」っていう力が湧くじゃない?
それでまた何とかしてやりたいって思っちゃったのね。

ダメでももともと!と思って、DISC INN 新星堂吉祥寺店に電話してみたら、20:00という遅い時間だったのにも関わらず、DVDも取り置きして下さるというお話で、チケットゲット!!
ばんざぁい♪
この時までは、わたしは最初のサイン会の時と同じように
見学のつもりでいたの。

最高の幸運は遅れてやってくるものかも知れないね。

今日で高校1年間のお弁当作りも終わり。
飛ぶように過ぎ去る日々だったなぁ。
時には学食に助けられ、chimomoに助けられ、なんとか頑張れて良かった。
自分にもご褒美、やってもいいよね。



2004年03月04日(木) 回復薬

夕方、学校から帰ってくるchimomoと待ち合わせて、CDショップへ出かけました。
彼女の大好きな声優&シンガーの高橋直純くんの夏ライヴのDVDが
3日に発売になったからなんですね。
今回はアニメイトで予約した人 先着200人に握手会の整理券が
配布されたのだけど、なんと午前中で終わってしまって、
chimomoはゲットできなかったんです。
徹夜組が居たという話で、わずか1時間で配布終了なんて… (T_T)

それで近くのCDショップで、ゆとりを持ってゲットして
そのアト しっかり「鋼の錬金術師」のDVDのVol.3と
(初回限定版に鋼のバインダーがついてくるの♪)
L'Arc〜en〜cielのアルバム「SMILE」を予約しちゃいました(*^_^*)
(こちらももちろん初回限定版♪)

大好きなアーティストやアニメ作品のCDやDVDが出るって聞くと
やっぱり欲しくなっちゃいますよね。

ストレスなどで磨り減ったこころの回復薬なんですもの。



2004年03月03日(水) すべてを統べる指輪の結末

Birthdayに「ロード オブ ザ リング〜王の帰還〜」をお台場の映画館で観て来ました。
3時間半に渡る上映時間も長いと感じないくらいの展開のスピード
目を見張る迫力満点のCG、役者さんの胸に迫る演技
どれをとっても素晴らしいの一言に尽きました。
我が愛するエルフのレゴラスさまも、美麗なアクションを披露してくださり
それはもぅ どきどきしてしまいました(*^_^*)
そしてフロドを演じるイライジャ・ウッドさんの、大きな瞳にはまたも
魅せられてしまいました。
彼は、目だけで演技のできる素晴らしい役者さんだと思います。
何度も涙がこぼれてしまいました―――。

わたしは小説も読んでいて、すっかり「指輪物語」のファンになってしまって。
3時間半でもやっぱりこの最後の章は、描き足りなかったなと思います。
残念なのは、ガンダルフvsサルマンの最終戦(直接闘うのではないけれど)と、そのサルマンの最後が割愛されてしまっていたこと。
結構重要なシーンだったのですが、残念です。
それからファラミアさんとエオウィン姫とのことも―――。

でも、映画は映画できちんとまとまっていて、そしてそれぞれのキャラに
きちんと「終わり」があったのだから、それはそれで良いと思うんです。
あの意味ありげなラスト―――。
映画を観たかたは、どう思われました?
あれはね… あ゛ と、これはナイショ。

「受けた心の傷は、永遠に癒えない―――。」

わたしはフロドのこの言葉に、涙がとまりませんでした。
彼は苦しい旅の間中、ずっとサムに支えられていました。
決して独りではなかった―――。
けれどだからこそ、過酷な指輪の運命を独りで背負おうとしたのだと思うんです…。
大切な人に、辛く苦しい思いはさせたくないですものね。
サムは、フロドと一緒に背負いたかったのだけれど。
自分の身に重ねて考えてしまって、泣けてしまいました―――。

すべてを統べる指輪の結末、あなたもぜひ、見届けて下さいね。



2004年03月02日(火) Birthday

歳をひとつ 重ねました。ひなまつりの前の日に。

ネットを休んでいて久しぶりに帰ってきてみると、お気に入りにしていたpageが
いつのまにかなくなっていたり…
ネット世界の時間の進み方は、異常に早いなぁ…って感じてしまいます。

自分の誕生日に 空にはどんな月が出ていたか、知っている人は
どれくらい居るのかな。
わたしの生まれた3月2日は、満月でした。

ひどい難産だったと言っていた母は、それでも楽しそうに笑いながら
わたしが生まれた日のエピソードを語ってくれた15歳の誕生日のこと。
今もこころに焼きついています。

母は、18年前に他界してしまって居ないから―――。

「誕生日」はわたしをこの世に産んでくれた母に感謝の気持ちをこめて
そしてこころに寄り添って居てくれる人に感謝をこめて

「ありがとう」を言う日だと思っているのです―――。

この日、わたしはお台場の映画館に「ロード オブ ザ リング〜王の帰還〜」を
観に行ってきたのだけど、その間にchimomoが学校から帰ってきて
ひとりで池袋にあるCDショップ・HMVへでかけたらしいの。
わたしのお誕生日プレゼントを買いに。
渋谷や新宿へは、ひとりで行かせたことないんです。
繁華街にはいかがわしい場所へのスカウトが声かけてきたりするし
犯罪への危ういモノがうようよしているから。
池袋も、今は安全な街じゃなくなっちゃっているし、
プレゼントを渡して驚かせたかった気持ちはわかるし嬉しいけれど
今度から出かけるときは、ちゃんと前もって言ってね と話しました。
今時の女子高生に対して古臭い考え方かも知れないけれど、
でも大切な愛娘ですから―――。

それで彼女が選んでくれたプレゼントは、ずっと以前から欲しかった
MALICE MIZERの1999年に発売されたDVDで「merveilles」の
シングルカットになっている曲のビデオクリップ集でした。
これ、何処を探しても売ってなかったのだけど、昨年chimomoがお友達たちと
池袋のHMVに買い物に行った時に見つけて、誕生日に買ってあげようって
思っていたのですって。

彼女の気持ちが嬉しくて、涙がこぼれちゃいました。
それに手に入らないと諦めていたDVDだったので2倍嬉しくて。
何故欲しかったかと言うと、大好きな「月下の夜想曲」のビデオクリップが
入っているからなんです。

早速じっくり鑑賞してうっとり…。
そしてこの時、まだ元気だったkamiの姿に、うるうるしてしまいました。
この翌年、還らぬ人になってしまうなんて―――。

chimomoの優しい気持ちに、いっぱい感謝しちゃいました。
ほんわか 温かい気持ちに包まれたBirthdayになりました。


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