Home Page
「槞梛俚庵(るなりあむ)


時折綴

2003年09月27日(土) めちゃめちゃ凹んだ。

「加工したり、切り取ったりした写真は、値打ちがない」と
或るかたに言われてしまった―――。

「見ている人を騙している」とも―――。

あまりweb上の日記では、ヒトのことを批判したりしないのだけど…
今回は少しだけ、書きたくなってしまった…。

ヒトは100人いれば、100通りの考え方があるし、
そうだから自分の見方も成長できるのだけど…。

でも 本当にでっかいショックを受けた。

わたしが「ルナリアム」に載せている写真たちは、
言葉の背景として使っているから、柔らかく周囲をぼかしたり
強調させたいものを表すために、少しだけ余計な部分を
切り取ったりしているから…。

感性で ココロで見て貰いたいから、敢えてそうしているのだけど…

わたし、写真って、すごく自由なものだと思ってた。
ココロで切り取って、そして一枚の絵と同じように創る。
だから被写体が同じでも、全く違った絵になる。

―――のに…

何だか 悲しくなっちゃった―――。

それから、ちゃんとヒトのHome Pageを隅々まで見て
ちゃんと心で感じてから、言葉を放ってほしいって強く思った。

もちろん、自分自身も気をつけたいな… と感じた。

言葉は一度、発したら、その時点で自分のものではなくなっちゃうから。

ふぅ…
「今日の空」の9月をアップしたかったんだけど…
めちゃめちゃ 凹んじゃったなぁ―――。



2003年09月26日(金) 火星は凶星?

今年は6万年ぶりに、火星が大接近する年になったせいなのか
大きな事故や事件が、たくさん起きている。

アメリカとイラクの戦争や、大きな火災、そして北海道の地震。

今年のような火星の大接近は、何万年かに1度という珍しい機会に
なるのだけど、火星は通常、2年2ヶ月くらいに1度、
地球に近づいている。
あまり騒がれないけれどね。

火星は軍神マーズ。
だから昔から火星は「凶星」と言われていて、この星が近づく年は
何か大きな災害や事件が起きると信じられてきた。

きっと、良いこともたくさんあったのだと思う。
でもあまりにも悪いことの方が起きるから、忘れられちゃうんだろうね。
火星にとっては、まったく迷惑な話かも知れないね。

十勝沖地震が起きた時間、こちら東京も揺れた。
震度2弱くらいだったと思うのだけど、離れた場所での震動が
こちらまで伝わったんだね…。
地球は生きているんだね。

十勝沖地震に遭われたかた、復旧にあたっているかた
どうか一日も早く人も街も回復しますように―――。



2003年09月24日(水) 哀しみに区切りをつけて

23日は、お彼岸のお中日―――。

高く澄んだ秋の空を見上げながら、母の墓前に立った。
久しぶりに家族みんなで訪れることができた。

彼岸花が道の両脇に咲いている…。
とんぼがつい―― っと飛んできて、わたしの指先に止まる…。

幼い日、学校の帰り道、とんぼの群れ飛ぶ中で、友達たくさん
一列に並んで、指を一本立てて、誰の指に一番早くとんぼが止まるか競った。

夕焼けに染まった路地は、影が黒々と迫り、
紅葉が真っ赤に夕日に照り映えて燃えていた。
遅くまで遊んでいて、ふっ―― と顔をあげたら、
真っ暗な曲がり角から、妖怪が出てきそうで怖くなり、
走って家に帰った秋の日々―――

泣き虫で弱虫で、何をやってもぶきっちょな子供だったわたし。
母には、たくさん怒られた。
でも母の傍に居るのは好きだった。

思い出は走馬灯のよう
くるくる 通り過ぎて
顔をあげたら、そこには娘が微笑んで立っていた。

数十年の時間旅行をしたかのように
今 自分が何処にいるのか すぐに理解できなくて
何度も瞬きして立ち尽くす。
あの日のわたしと、娘の笑顔が重なった。

母の墓前で過ごす時間は、ゆるゆると
上空の雲が流れるようだった…。

お彼岸が終わって、わたしの哀しみもまた、日記が繰られるように
ひとつ区切りをつけて、古くなって過ぎてゆく。



2003年09月21日(日) 学園祭は台風の中

chimomoが高校に入学して、初めて体験する学園祭は
台風が近づく冷たいどしゃ降り雨の中、開かれた。
20日と21日の二日間で、後夜祭もある。
chimomoたちはおにぎり屋さんをやりたかったらしいのだけど、
模擬店は上級生優先ということで、1年生は却下されてしまったらしい。
「フルーツバスケット」の影響で、自分たちもおにぎり屋さんがやりたい と思ってたんだろうなぁ。

それで1年M組は、バルーンアートをやることになった。
そう言うと聞こえは良いのだけど、単に長い風船で、
犬やネズミの形を作るだけなんだけどね。
chimomomoも最初は風船が爆発しちゃいそうで、
「コワイよ〜」って言ってたけど、当日には器用に作っていて、びっくり。

M組の「風船屋さん」はタダで作っていたこともあってか好評で
お客さんが連日たくさん来ていた。
そうしたら2年生にも風船屋をやっているクラスがあって
何でタダなんだとか、だぶってるんだとか、ねじこみに来たらしい。
そちらはヘリウムガスを使っているので、風船が浮くんだよね。
凝ってるの。
だから1個50円で売ってるんだけど、やっぱタダにはみんな惹かれちゃうのか、
M組ばっかヒトが来ていたみたい。

でもちゃんと先生同士で了解を取り合っていたというのに、
2年生のクラス担任は、生徒にM組はタダだけどっていう話を
通してなかったらしいのね。
それでモメゴトが起きちゃったみたい。
M組の教室に、2年生の風船屋のポスターを貼ったり
宣伝してあげるなどで交渉を取り付けたようだ。
1年M組の子だち、なかなかウマイ交渉術を持ってるみたい(^○^)
それにね、担任の先生もとてもマメで熱心な先生で、
これまた絵がとても上手なの。
M組の宣伝ポスター、皆さんにも見せたいくらい。

chimomoが活動している室内楽部の演奏会も開かれ、
時間に合わせて見に行った。
やっぱり音がずれていたり、テンポが速くなっちゃったりして
残念だったけれど、バイオリンという楽器は半年や1年で
上達するほど甘くない。
それをモーツァルトのコンツェルトを弾くのだから無理もある。
でも経験者はchimomoを入れて4人足らず。
素人の2年生に1年生がどうやって教えたらいいか難しい問題もあったり。
バイオリンの先生が居るわけでもない部活だから、
あまり熱心に活動もされていない。
彼女は活気の無い部活にいつもイライラしながら出ていた。
友人もやめてしまったし、ちょっと苦しいところだ。
chimomoは今までソロでずっと習ってきただけに、
音に関してはかなりウルサイ。
音楽性や感性、そういうものを大切にしてきたから、
ゆずれないものがあるのだろう。
室内楽がある ということも高校を選ぶ条件のひとつに入っていたのだけど
これから先、続けるかやめるか、彼女が選択することだろうから
わたしとしては見守ってやることしかできないだろう。
そんなことを考えながら、ずっと聴いていた。
複雑だった。

「chimomo お疲れさま」

それからは軽音楽部のライヴを見て、もぅびっくり。
プロ並みのギターやドラムテクニック、ヴォーカルのうまさに
目を見張ってしまった。
「好き」ということは、すごいパワーを生むんだなぁ…。

映画研究会は、今年もNHKのコンクールで優勝した。
その上映会も開かれていて、研究会の部員たちも熱心で
とっても素敵でね、彼らの中に居ると自分まで同化しちゃいそう。

このK高校に通っている生徒は、みんな人なつっこくて
話しかけやすい雰囲気を持っている。
学園祭に来る父母やOBたち、また高校を下見して回っている
中学生にまで、声をかける。
その笑顔がなんとも輝いていて素敵なんだ〜。
chimomoは良い高校を選んだなぁ… と改めて感じた。
勉強はすっごく大変なんだけどね。

台風が近づいていて、2日目は少し時間が繰り上がってしまったけど
後夜祭も難関なオーディションを勝ち抜いてきた選りすぐりなバンドの演奏が楽しめたり、それは盛り上がったよ。
どしゃ降りの雨の中、連たこあげが中止になってしまったり、
模擬店も寒そうで可哀想だったけど、2日間では見切れないほど
楽しい学園祭だった。

2年生が作っていたじゃがバタ、すごく美味しかったなぁ♪
心残りがあるとしたら、いつもは生徒だけしか食べられない学食が、
学園祭のときは、わたしたちでも食べることができるの。
だからうきうきして学食に行ったんだけど―――。
名物K高校ラーメンが売り切れで、食べられなかったんだぁ… (T_T)
来年は絶対!食べるぞ♪



2003年09月19日(金) 夕暮れにひとり、亡き人を偲んで

今日は母親の命日。

18年前の今日、旅行に出かけていた母の突然の死の報せを受け取った。
晴天の霹靂。

それでも前の日から、胸の奥がどうしようもなくざわざわしていた。
いったい何なんだろう… と夜も眠れずにずっと起きていた。

真夜中に電話が鳴った。
悪い報せであるということは、受話器を取らなくてもわかっていた。
あの胸騒ぎも、きっとこれも「虫のしらせ」というんだろうと思った。





母の死目にはあえなかった…。
親不孝ばかりしていたから  かな。





時折、高い波が押し寄せてくるかのように、
理由のわからない寂しさに襲われる。
こんなとき、無条件で甘えられる母がいたら…
何度も 何度も そう思う。

死に別れるということで、無理矢理 親離れしたわたし。
こころの中には、育ちきっていない部分が残っている。
何歳になっても、その部分は育たない。

我慢ばかりが上手になってゆく。
自分を殺すことばかりが上手になってゆく。


お彼岸の入りに亡くなった母は、天から与えられた寿命を使いきったんだと
火葬場の偉いヒトが教えてくれた。
お盆やお正月に亡くなる人も同じなのだそうだ。

お盆の明けに逝った友人は、33歳だった。
彼女もまた短い寿命を使いきったのだろうか…。

生まれたときには、寿命が決まっているという。
だとしたら、わたしの寿命は、あとどれくらい残っているのだろう…。


8月、9月は祈りの月。
それもお彼岸を残すだけで終わる―――。
夕暮れに、たったひとりで、母の思い出を偲んだ。



2003年09月15日(月) 初秋の休日

母の命日には少し早かったのだけれど、この連休に法事が終わった。
毎年 毎年、母の居ない現実をつきつけられるこの「とき」。
無条件で甘えられた人の居ない寂しさには、何年経っても慣れない。

「ひとつずつ、終わって行くな…」
いつも元気な父がぽっつり言ったヒトコト…
何だか急に、父が一気に歳をとったように感じて、哀しくなった。

こうして母の命日が過ぎ、お彼岸が過ぎると
わたしにとってもようやく 秋がくる―――



2003年09月05日(金) 日直日誌

2学期が始まりました。
わたしもお弁当作りに、また追われ始めました。
だけど夏休みボケが治らなくて、しんどいかなぁ(^_^;)

娘のchimomoが通う高校は私立なので、土曜日も午前中まで
目一杯授業があるんです。
9月に入ってから、思い出したように夏の暑さが戻ってきて、
駅からの長い道のりを歩くのは、相当大変です。
それで少し、バテバテのご様子。

クラスには「日直日誌」なるものがありまして、当番になるとノートに
1日の授業で気になったこととか、その日の出来事を書くのだけれど
みんな自分のことを書き連ねているんです。

chimomoが今日は当番で、そのノートを持って帰ってきたので
見せてもらっちゃったら―――

今の高校生がどんな生活を送ってるか、一目瞭然。
もぅそれはそれは「面白い」んです。
部活でのできごと
携帯電話に関するいろんなこと
(学校の規則では、携帯電話を持ってくることは禁止なの)
勉強が厳しすぎること
(K高校は、毎日何らかの小テストがあるので
 きちんと予習と復習をしてないと赤点取っちゃうんですね。)
土曜日まである授業がキツイこと―――
(元中学の友達は都立だから土曜日はお休みで、
 みんな寝てるのに〜 とか)
中には、おいおい… 大丈夫?って言いたくなっちゃう子が居たり、
びっしり3ページも書き連ねている子が居たり
いろいろだけど
先生も丁寧にコメントを入れていて、クラス全員による
「交換ノート」みたいなの。
悩みとか書いておいたりすると、他の子が「こうしたらいいんじゃない?」
なんてアドバイスしてあったり、先生の経験談が書かれてたり。

なんか いいですよねぇ こういうの。

日直日誌 というよりは、交換ノート。
1年間終わるまで、楽しく続けてくれるといいなぁ…。
chimomoの次の当番が、待ち遠しくなっちゃうのでした。


 < 過去  INDEX  未来 >


冰月まひな [MAIL] [HOMEPAGE]