稀春の日記
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2002年10月31日(木) 始めての裁判

 朝、9時頃に目が覚める。でもって、出かける準備など。今日は裁判所に行くのだ。

 電車の中で、まだ疲れていたので(っていうか、朝起きたときは、風邪を引いたんじゃないか、と思ったくらいだった。ノドも痛かったのだ。段々治ったけど。)、MDを聞きながら寝ていた。

 ●袋駅到着。
 とりあえずお昼御飯を食べることに。どこか新しいところにしようかなぁ?と思いつつ、あまり時間も無いので、大戸屋で食べることに。
 しかし、大戸屋は出てくるまでが長いのだ(^^;
 鶏ソースかつ丼+せいろうどんを注文。今日のはちょっと御飯が軟らかかったなぁ…。鶏かつとうどんは良い感じだったんだけど。
 で、食べ終わる。あと、風邪薬を飲んだ。結構時間がギリギリになってきていた。

 急いで学校へ。外だとあまり良いトイレが無いと思ったので、学校のトイレを、と思って。始めは図書館本館にしようと思っていたのだが、5号館の方が近そうな気がしたので、5号館へ。しかし、入る前に、知り合いに会った。少し話しを。急いでいたので、早めに切り上げてもらったが。で、急いでトイレ。

 そして、急いで駅へ。丸の内線へ。そしたら、地下道を歩いているときに、外国人の人に話しかけられた。あぁ、もう!どうしてこう、人が急いでいる時に限って…。なんか、「有楽町線へ行くにはこっちの道で良いのですか?」と聞かれた(←英語で!)でも、「あ、そっちは定期売場って書いてあるから、多分あっちの方だと思います」と(←日本語で!)言って指さした。案外分かるものですな。しかし、う〜ん、ちょっと不親切かも(^^;まあ、時間も無かったし。第一、そんなにとっさに英語なんて出てこないさ。(考えても全然しゃべれないと思うけど(^^;)。

 で、かなり急いで丸の内線へ。キップを買って、ホームへ。電車は12:08。
 ワリとギリギリで乗れた感じ。乗って30秒〜1分以内に出ていた。
 久しぶりに丸の内線。
 でもって、いよいよ、霞ヶ関。到着は12:30頃。集合が12:45で、リミットが12:50なので、早めに、と思ったのだ。
 こういうのは出るときが肝心なので、A1出口から出られるように頑張って探す。かなり分かりにくかった。なんで「霞ヶ関」なのに、あんなに狭いの?って感じ。(官僚は使わないのか!?)
 ともあれ、無事に地上へ。

 大きな道路が通っていて、ビルが並んでいる。東京地方裁判所まで、本当に歩いてすぐ。
 T君が一番乗りだった。まだみんな来てない。とりあえず散歩でも(^^;ということで、少し歩いた。そしたら、向こうからY先生が来た。一緒に東京地裁の前へ。
 で、結局来たのは6人。中へ。

 ちなみに、今日はゼミ1の希望者で、東京地裁の見学なのですよ。(社会学部のゼミなんだけど、ヴェーバー文献読みと、ディベート練習とを交互にやる、ということをやっていて、ディベートの参考に、ということで、裁判の見学に行くことに)。

 さて、玄関で荷物検査と身体検査(空港とかにあるような機械で)をする。で、くぐる機械にいきなりひっかかった。

機械:「ピンぽーん」
僕:「あれ?」
係員:「はい、ちょっとこっちに」
僕:「…!?(^^;」

ちょっとビビってしまった。どうやらベルトの金属がひっかかったらしい。問題なく通過。ふぅ(^^;

 でもって、そこにあるカウンターで、今日の予定を見る。刑事裁判で、「新規」というのを狙う。それで、部屋番号と時間をメモして、ついでに罪状(?)も簡単にメモって、法廷へ。

 始めは有印私文書偽造の裁判。先生+3人で見に行った。
 法廷へ入る。傍聴席へ。まだ係りの人(というのか?)が、準備をしていただけ。とても静か。時計の針が進む音が「カシャ」と、大きく聞こえる。そういえば、法廷の感じに一番近いのは教室かもしれない、なんて思ってしまったりした。
 時間(たしか13:15かな?)になり始まる。検察官・弁護人・被告・書記の人、などが入ってきて(順番は忘れた)、最後に裁判官が入って来て始まる。いきなり「ご起立下さい」と言われたのでビックリ。全員立って礼をしてから座って、裁判が始まった。
 しかし、話しは前後するが、被告人が入ってきたとき、両脇に警察官なのかガードマンなのか、ともかく、逃げ出したり問題行動を起こしたりするのを防止するような、そいういう人が二人いた。で、被告人は手錠をはめられて、しかも、紐みたいなもので、ガードマン(?)の一人とつながれていた。犬みたいに。なんというか、凄い世界だと思った。生々しい。
 で、裁判官が入ってきて裁判が始まった。検察側と弁護側が色々しゃべって、被告人に質問をしたりして、進んでいった。
 ところで、次回の日程を決めるのがなかなか決まらなくて、それがちょっと意外な感じがして、結構面白かった。裁判官、書記官、検察官、弁護人などの日程があわないとダメなんだね。

 2つ目の裁判は、途中から入った。
 中国語の通訳付きで、しかも、被告人が2人。かなり長かった。なんだか人生色々ですなぁ。っていう感じ。
 15時頃に終了。2つ目の裁判はかなり長くて、やっと、という感じだった。
 でもって、裁判所の外で、他の人を待つ。で、先生の話がちょこっとあって、あとは解散。

 池袋で、キャンドゥへ。MDを5〜6枚。あと、ナポリタンのもとを購入。
 あと、ジュンク堂へ入ってブラブラ。
 そろそろ就職のことも…というのもあって、一冊購入
●竹村出版編集部[編]『勇気と想像力と、好きな仕事と人生』竹村出版、2002年
 なかなか良さそうな本だったのでこれを選んだ。
 どうも、素直に就職活動を始める気になれないので、とりあえず、少しさかのぼって考えてみよう、という感じかなぁ。他にも何冊か、そいういうタイプの本で欲しいのがあるので、早めに買って読んでおきたいところ。うん。

 でもって、帰る。何時の電車かな?えーと、多分18時半とかその周辺くらいかな。
 電車の中で坂口安吾『堕落論』を読んだり、寝たり。

 しかしなー、どうも、ここ一週間くらい本を読む量がずいぶん減っている気がするなぁ。
 疲れている、というのも大きいかもしれないけど、もう少し読むようにしなくちゃ。

 ちなみに今月一ヶ月の読書状況↓(こうやってみると始めから終わりまで読んだ本って少ない…)。

◆読了した本―――――
池波『食卓の情景』
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(上)』
斉藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』
ヘリゲル『日本の弓術』
桜井哲夫『アメリカはなぜ嫌われるのか』
阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』
前田愛『成島柳北』
漆原友紀『蟲師』

◆読みかけた本・かすった本・等々―――――
団藤重光『死刑廃止論』←ゼミ1
宮島喬『文化的再生産の社会学』←社会学入門講座
ル・ゴフ『歴史と記憶』←S大、H先生の勉強会
『記憶』←S大、H先生の勉強会関係
梶井厚志『戦略的思考の技術 ―ゲーム理論を実践する―』←ホンの少し読んだ
村上陽一郎「近代知の形成」、大澤真幸「知/言語の社会学」。どちらも、『岩波講座 現代社会学 第5巻 知の社会学/言語の社会学』岩波書店、1996年、所収の論文。←前者は読了。しかし、後者が途中で止まっている。
J.K.ROWLING『HARRY POTTER and teh Philosopher's Stone』BLOOMSBURY(←ハリーポッターの第一話、の英語版)←ホンの少し読んだだけで止まってしまった(^^;
宮島喬編『現代社会学』有斐閣
『iモード以前』(だっけ?)という本。数十ページ(40ページくらいかなぁ?)程立ち読み
佐藤俊樹『不平等社会日本』←途中まで読んでめんどくさくなってきた
安田武『遊びの論』←2/5ほど読んだ。
…など…。

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 う〜ん、これを書くまで読んだことを忘れていたけど、そういえば、阿刀田高の『ギリシア神話〜』は割と面白かった。他にも同じような趣旨の本が何冊か出ているので、それも読みたいなぁ、と。
 あと、斉藤孝の本も気になるのが何冊か。
 それと、できればハーバマスの『公共圏の構造転換』にチャレンジしてみたいんだよねー。
 あと、お仕事関係の本も読まねば。
 それから、坂口安吾の小説などもちょっと気になる。いま『堕落論』を読みかけているがワリと面白い。
 しっかし、11月はどうなることやら…。もっと本が読みたいが、授業とかが、さらに忙しくなりそうな気もする。


2002年10月30日(水) 「完璧」なんてクソくらえ!

 朝、寝坊気味。

 2限、遊びと人間。今日はアイルランド音楽の演奏者の人が来るという。
 とっても良い授業だった。
 マクルーハンのホット/クールの分け方で行くと、クールの方に入る音楽な感じ。完成度が低い(音楽的なものではなくて、なんていうんだろう、割と素朴な音楽だったり、即興的な要素があったり、という感じなのですよ)ので参加度は高い、という感じだろうか。それに、生で(しかも近くで)聞いたっていうことも、良かったかも。やっぱり音楽は生じゃないと、と改めて思った。「音」を出して遊ぶこと、それ自体の楽しさ、みたいなものを感じることができた。
 演奏者の人が「完璧なんかクソ食らえ」とか言っていたのが印象的。

 最後の曲、本当に泣きそうになった。涙をこらえてしまうというつまらない習慣のせいで、ついついガマンしてしまったが、これがコンサートとかでまわりが暗かったり、あるいは、誰もいなかったりしたら、間違えなく泣いていたと思う。
 勿論、解説の影響もあったかもしれない。言葉の力、っていうのも凄かった。ある種のカリスマかも。

 とても引き込まれた。気がついたら授業が終わる時間になってしまっていた。

 終了後、コンサートのチラシをもらった。あと、CDを売っていた。2500円だったので、サイフの中身をはたいて買う。残り金額が200円あるかないか、っていう位になってしまった。でも、2500円で良かった。3000円だったら、買えないところだった。ちなみに、サインもいただいた。

 そんなこんなで、授業が、授業時間をオーバーして終了。それから、感想を書いたり、チラシをもらったり、CDを買ったり、サインをしてもらったりしていたら、結構時間がたってしまう。

 今日は、お昼休みにゼミ1の打ち合わせの予定だったのだ。ゴメン、みんな。てな訳で、走ってその教室へ。
 しかし、あー、誰もいない…。時既に遅しか!?
 で、教室を通り抜けて廊下に行ったら、T君が。さっきまでもう一人いたんだけど、なかなか来ないから行っちゃったらしい。ごめーん。電話するT君。戻ってくる、とのこと。よかった。ホント、ごめんなさい。あと、もう一人も来た。で、打ち合わせ。といっても、主に、前回休んだ人に説明とか。あと、調べの確認、とか。

 で、3限前に打ち合わせが終わったので、少しお昼を食べる。パン。しかし、口内炎が痛くて…。

 そして3限、都市文化論。Y先生。…しかし、疲れていたせいか、結構ウトウトしてしまう。頑張って、話しを聞こうとしたんだけどなぁ…。

 3限の後、図書館へ行って、ちょっと考え事など。
 本当は、『成島柳北』をコピーしたり、MDを買ったりして帰ろうかと思ったんだけど、さっきCDで、ありったけのお金を使ってしまったので、買えないことに気がつき、そのまま帰ることに。

 21時ちょっと過ぎてから、フジTV(←だっけ?)の「天才柳沢教授の生活」を途中から見る。マンガの原作を1〜2冊読んだことがあったので、チラと見てみた。そしたら、一部、ウチの(今行っている方の)大学のキャンパスが出てきてビックリ。

 その後の記憶はあまり無い。う〜ん、一体何をやっていたのか…。多分メールとかネットとかは多少見たと思うんだけど。
 で、気がついたら朝。後で聞いたところによると、TVも電気も付けっぱなしだったらしい。


2002年10月24日(木) 博物館の文法

 朝、起きるのが遅くて、1限は20〜30分くらい遅刻。

 2限、政治学2。フーコーの続き。

 お昼休みは、図書館(本館だったかな?)に行って、3限の準備。(しかし、後で分かるが、そこまでガリガリとやらなくても良かったのかもしれない?)。

 そして3限。ゼミ1。班ごとに別れて相談など。

 4限、現代社会理論。で、今回の授業、めちゃくちゃ面白かった。
 後期は「歴史の社会学」(sociology of history)(*「歴史社会学」(historical sociology)とは違う)、ということで、具体的には博物館を取り上げながら進んでいたのですよ。
 例えば、大ざっぱに言うと、歴史博物館というのは、歴史的事物を収集・分類・保管、などして、展示する。展示をするときは、それぞれの時代から代表的なものを取り上げて、それに解説のパネルなどを付して、で、時間の流れの順番に並べる。博物館に来た人達は、そのようにして、あらかじめ作られた物語をたどっていくことになる。…こういう博物館の文法、のようなものがある。
 ところが、今回の授業で取り上げた、ケージの「ローリーホーリーオーバーサーカス」の中の「ミュージアムサークル」というのは、そのような博物館の文法、とは、全く違う基準に従って、モノを配列する。その基準というのは、要するに「偶然」であって、乱数表やくじ引きの結果に従って、展示するモノや、その順番を決めていくことになる。そうすると、埴輪と放射能測定装置とカラスの剥製etc...が一緒に並ぶ。パネルなどの解説もない。これは、博物館の側ではなく、見る側がそれぞれの物語を作る、そのような展示である。…と、まあそんな感じ。
 ここで、マクルーハンのホット/クール、というメディアの分類も使われた。それは「ホット=完成度高/参加度低」と、「クール=完成度低/参加度高」というのである。これを、上のに当てはめると、普通の博物館、つまり、博物館の文法に従って、展示を行い、パネルやら解説やらを添付し、あらかじめ物語を作って提供する、という方が、ホット。そして、ケージの「ミュージアムサークル」のように、偶然に任せて、展示品も、その順番も選び、解説やらパネルやらは付けず、見る人が自由に物語を組み立てられるような、展示を行う。こちらがクールとなる。確かにホット/クールの差異って言うのは、ワリと恣意的というか、相対的、感覚的な感じもするのだが、こうやってみると、納得がいく部分もある。学問的に厳密にはともかく、日常的な使い方としてはまぁ分かる。
 そんなこんなで、とても興味深い授業だった。
 あと、先生が「ローリーホーリーオーバーサーカス」の図録を持ってきていて、これがまた面白かった。普通の図録っていうのは、大体冊子の形になっているものなんだけど、この「ローリー〜」の図録は、箱の中に、絵とか文章とか楽譜とかがバラバラに入っているだけ。順番もない。だから、取り出して見て、しまって、また取り出して、…とやるごとに、並びがかわる。楽しい。この図録欲しいなぁ…。


2002年10月20日(日) 「中立」という言葉の怖さ

 本当に「中立」の立場、絶対に「中立」の立場、なんてない。それは、学問だろうが、日常生活だろうが。たとえ、自分の取っている態度が中立的だ、と言っていたとしても(あるいは、当人や周囲の人間に、それが、「中立的だ」と認識されていたとしても)、すでに一つの「中立的立場」である、というその時点で、中立的ではなくて、一つの、(適切な言葉か分からないが→)政治的な立場であろう。
 …なんてことを考えたりした。こんな僕の文章じゃ心許ないので、ちょっと引用もしておこう↓

 「学知が「中立的」「客観的」な「真理」それ自体のための探究であるという、ロマン主義的な信念は「芸術至上主義」と同様、学問を「聖域」に囲い込むことで、他からの批判や疑問を排除するというまことに権威主義的で防衛的な効果を持っている。ロマン主義とは言葉の歴史的な意味において、ありもしないものを捏造し、それを神格化する事を通じて、自己中心的な投射のメカニズムを隠蔽するという意味で、まことに「反動的」な思想である。」

 「「真理」と「学問」の名において何が守られ、何が排除されているのだろう?第一に「客観的」な対象の全体を透明に見通せるという命題によって、「現実」もしくは「経験知」の多元性が否定される。第二に「中立的」な認識主体という観念によって、研究主体の位置の限界とバイアスとが不問に付される。第三に「真理」の名において「解」の多様性が排除される。」

 *引用はどちらも、『岩波講座現代社会学 第1巻 現代社会の社会学』の中の論文、上野千鶴子「<わたし>のメタ社会学」から。

 そういえば、なんだか「正義」という言葉にも似たような側面があるように思う。「正義」っていうと、正しいような気がしてしまうこともあると思う。けど、深く考えずに、言葉面だけを捉えて「正義」鵜呑みするのは危ないんじゃないか。その「正義」を唱える「立場」によって、「正義」の中身は変わってくる。そして、その、唱えられた「正義」をどう解釈するかも、「立場」によって全然違う。


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