vol.7 リサイタルのこと - 2001年12月27日(木) あれから随分と日がたった。生徒達や知人・友人達へチラシとチケットの送付、他の演奏会での自分の宣伝、プログラムの原稿作り、そしてもちろん練習。普段の生活の中で仕事をし、実質的にはその合間での活動だから、時間が足りないのなんのって。お金さえあればマネジメントを頼めるのだが、自分でしたら半分以下の費用ですむから、貧乏暇なしである。 コンサートを控えている人のカバンの中というものは、いつ、どこで、誰と会ってもすぐにコンサートの宣伝ができるように、チラシとチケットの2点セットが常備されている。私のカバンの中もしかり。だいたい、キャパの半数の聴衆が集まれば、まんべんなく席が埋まっているように見えるものなので、最低キャパ数分はさばかなければならない。今回の私の場合300余席あるので、最低150人に来てもらわないと演奏会の体裁が整わない。前回は張り切って約480席のホールだったから、やはりそれだけ配りまくって244人の人達が来てくれた。でも正直なところ、そのうちの60人位は身内やその知りあいとか、私の先生の生徒さん達だったりする。同じ畑にいる人たちはよくご存知だろうが、こういうコンサートをかの千蔵八郎センセイに言わせると「義理コン」という。「義理コン」はその収支は二の次で、いかに多くの人達に自分の研究成果を聴いて頂けるかが問題だ。 私のリサイタルは、たぶんもうこれで最後だろう。まだ2回目だけど。分不相応なことだとは思うけど、どうしてもきちんとした機会を持って、シューマンの謝肉祭が弾きたかった。学生時代からの夢のひとつである。夢をすべて実現できるなんてまずないし、たった一つでも実現できるのはとても幸せなことだと思う。そしたら思い残すことなく、ジャズの勉強をはじめることが出来そうな気がする。ジャズも学生時代の夢の一つなのだけど、こればかりはやはり二の足を踏んできた。 「JAZZなんか始めたら、クラシックのタッチや感覚が失われはしないか?」 「もう、ショパンが弾けなくなるんじゃないか?」 そんな不安が私の前に立ち塞がっていた。JAZZミュージシャン達やJAZZファンには大変失礼で大きな誤解かもしれないが、ナニゲにJAZZはクラシックに比べてジャンキーなイメージを持ってきたので、どうしても前向きになれなかった。 今回前向きになれたのは、JAZZは理論に基づくれっきとした芸術である、ということを身をもって感じたいと思ったからだ。つまり、姿勢としてはよくないのだろうが、JAZZが好きなわけじゃないのである。作曲の勉強を始めたのも大いにあるかもしれない。だから「知的興味」なのである。 まぁとにかく、今はリサイタルのことだけ考えよう。大晦日もお正月も返上だ。 ...
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