徒然草日記...至都

 

 

観戦観戦 - 2002年08月31日(土)

大阪から女友達が別件で2人も来るというので
今日は久しぶりに西武ドームに観戦に行くことにしました。

獅子は10連勝していて絶好調だけど
先発が急遽、潮崎だから、ちょっと心配。
相手は牛だし、そろそろ負ける頃かもしれないし
何より今月4敗しかしていないのに
其のうちの1敗を観ている自分。
というか自分が行ってから、負けてない。
やっぱ行かない方がいいのかなあ???

それでも開門直後に球場到着。
第三に張り付いている女友達1に会い
ミーハー全開で慎ちゃんにサイン貰って写真をとってもらった。
サインはメガホンにしてもらったのだけれど
そのメガホンに付いている「ふさふさ」を
慎ちゃんが怪訝そうに見つめていたのが印象的でした。

試合は、その慎ちゃんが打たれて負け。
ちょっと複雑だなあ。


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私の夏・サンダル - 2002年08月30日(金)

此の夏は暑かった。とにかく暑かった。
で、8月も終わりだというのに未だに暑い日々が続いている。

今年の夏は例年に無く「サンダル」を履いた。
毎日毎日暑いから、どうしても涼しさを求めて
足下にはサンダルが。

今年は特に気に入ったサンダルが多くて
珍しくも2足も新調してしまったこと
それも関係しているのかもしれない。
しかも両方ともyoshinoya@国産だ。
此処数年舶来モノの靴しか履いていなかったのに。

ただしサンダルでは何度か痛いめにあっている。
込み合った電車の中で何度男性の革靴やスニーカーに
素足のつま先を踏まれたことか。
よく女性のヒールで踏まれるのは痛いというが
素足を靴で踏まれる痛さと何方が痛いだろうか。

でも結局夏中サンダルで通勤を続けてしまった今年の夏。
こういう年もあってよかった。


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北紀行・4 - 2002年08月29日(木)

8月25日;札幌から帰京。 ひと言:欠航の憂き目。

今日で北の大地とも御別れ。
天候に恵まれたのだか恵まれなかったのだか不明だが
北の雰囲気を堪能できたので結果全て可。
昨晩は思わぬ処で#18日本代表時代の写真にも会えたし。

午前中の短い時間だが旧北海道庁舎、北大植物園、大通り公園。
旧北海道庁舎、入館は無料だが中は見事に重厚にて綺麗。
実は初めて今回入った。植物園もそうなのだが
中々行けそうで行けない処自分のペースで見たくても見れない処。

大通り公園では何処かの団体(足長募金に近い感じか?)が
署名を強要してくる。その回数がなんと10回以上!!!!!
最後には遂に切れて以下の言葉を投げつけてしまった。

「あなた方は崇高な思想があって活動をされているのでしょうが
こちらは休養のために観光をしている。その短時間の合間に
何度も同じ署名を強要させられては折角の気分が台なしである。
もしも貴方がどちらかに観光で出かけられて
同じように接せられたらどのような気分になりますか?
愉快な旅であったと思えますか?
署名は地元の方に御願いしたら如何でしょうか?」

結果は沈黙或は驚愕しか返って来なかったが
あれは一体どういう団体だったのだろう???不愉快。

で、全日空ホテルで昼食を摂るとカフェに禁煙席が無い。
煙りモクモクの中の食事は。。。。。

電車で千歳空港へ向かう。
しかし此処で最後の大イベントが待っていようとは
此の時は思いつきもしなかった。

そう、JALの欠航(整備不良故の)である。
前後の全ての便が時刻通りに運行しているのに
我々が利用する予定の便だけが欠航。
しかも理由が整備不良で緊急時の脱出装置が作動しない。
まあ使用しなければすむことだけど、
もしも、を考えて欠航を決定したJALの判断は
危機管理としては立派だと思う。思うが。。。しかし。。。

結局、特別空席待ちチケットを発行され
苛々と空港で過ごすこと3時間余。無事機上の人となり
その日のうちには帰宅することが出来たのだが
最後にこんなプレゼントを貰うとは
ついていたんだかついていなかったんだか解らない
ホント印象深い、北紀行だった。




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北紀行・3 - 2002年08月28日(水)

8月25日;3日目 小樽→札幌

朝食は朝食券購入未なのでホテルではとれず。
空腹を抱えたまま朝食を提供してくれそうな食べ処を求めて
ホテルを出発。荷物はクロークへ。

しかし生憎の土砂降り。
昼の運河では傘からぽたぽたと水滴を落しながらの記念写真。
記念写真。個人的には好きでないが母と出かけるとよく撮るなあ。

雨中行軍の雰囲気で運河から小樽の街中旧市街へ。
何処もやっていない。朝遅くて夜早いなんて怠け者が多いなあ。

ぐるりと歩いて気付いたのは「北一ガラス」の街ということ。
べネツイア美術館も旧い3号館も喫茶店も伊太利レストランも
全部が全部北一関連事業。

唯一、小樽オルゴール館のみが健闘中か。
スイス・リュージュ社のヴィンテージ・ベル型オルゴール購入。
実物を見て購入したかったものなので満足。それと
さすがに手は出なかったがジュモーのアンテイークドールを
何体も見れて、手に取ることさえできた。満足満足。

ホテル経由で小樽駅へ。
往きはヨイヨイ返りは恐い。とは此のことか。
とにかく坂道なのだ。なだらかで何処までも続く坂道を
ようよう登りきった処に駅があった。

小樽から快速で札幌へ。
今度は天候が回復した為か往路のような風情は感じられなかった。
札幌駅から徒歩でホテル全日空へ。

札幌全日空ホテルは。。。散々だったがビジネスと割り切れば可か。

夜の札幌の街を散策する。
まずは腹ごなし。味の時計台ラーメンでみそと塩拉麺を食す。
美味いなあ。そして満腹になったので歩き始めた。
ライトアップが綺麗だという旧北海道庁舎や時計台。
時計台前で、また記念撮影。今晩も風が強い。雨に注意だ。

明日はいよいよ帰京。休みも終わりだ。






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北紀行・2(つづき2) - 2002年08月27日(火)

長万部、洞爺湖、苫小牧、と越えて札幌に到着。
札幌でスーパー北斗を降り小樽往きの快速に乗り換え。
指定席だからラクチンラクチン。

こちらはほとんどが自由席の快速だけあって
車両の雰囲気は普通。
ところが、此れがまた最高に良かった!
日本海沿岸に沿って列車が走る。汽笛がポーっと鳴る。
荒れる日本海と哀愁のある汽笛の音。
これぞ北紀行。演歌の世界。としみじみ。

小樽下車。
ホテルは小樽運河沿いなので、
そこまでは2人分の荷物を背負って歩いていかなければならない。
徒歩10分とあったが、実際はどんなものなのか。
途中廃線となった線路や旧い建築物を見ながら歩く。
歩くに良い街らしい。

運河に着くと、すぐホテルだった。ホテルソニア。
アンテーク趣味をくすぐるホテルという触込のプチホテルだ。
部屋は6階のメゾネットタイプ。
ホテル側によれば特別室らしいが急峻な階段で階下階上に分けられ
使いにくいこと甚だしい。
期待した運河もそれほど美しくは見えない。
夕食は無しだったのでホテルに近辺の食事処を訪ねるが
どうも要領をえない。いまいちかなあ。いろいろ。

夕暮れの運河を散策してから最寄りの鮨屋に入る。
「福鮨」という地元の方々が入っているお店。
鮨8かん、ぼたん蝦の御造り、蟹汁、その他いろいろ。
全てが美味いっっっっっ 和食が美味しいなあ。

食後の腹ごなしに、もう一度ゆっくり夜の小樽運河を散策。
ホテルに帰り、ゆったり。
好い一日だった。有意義な一日だったなあ。



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北紀行・2(つづき) - 2002年08月26日(月)

屋根無しの五稜郭から雨に追われて
ほうほうの体で函館駅に逃げ帰った我々は
ホテルから荷物を引き取り目の前の函館駅へ。

此れから小樽まで約3時間半の長旅だから
いろいろと買い込まなければならない。

まずは「弁当」昼食がわりになる「駅弁」だ。
駅構内を物色して結局構内食堂で作成されている
鮭いくら弁当に決めた。それと自販機でお茶も。
お菓子も六花亭のチョコやキャラメルを買込んだ。

さてホームには始発ということもあって
既に列車がスタンバイしている。
と、その隣のホームにはイベント列車「どらえもん号」が。
ホームにはどらえもん人形も登場して
発車する電車に手を振って見送っている。
好いモノ見たなあ。

さてスーパー北斗の車内は結構綺麗で広い。落ち着いた雰囲気。
進行方向の右側だから日本海が見渡せるはずだ。
うんうん好い感じ。

出発を待って早速「弁当」を食べ始めた。
やはり作り立ての方が美味しいものね。で、美味かった。
此方に来てから食べ物では「はずれ」が無いなあ。

途中、国定公園内の大沼を通過する。
列車の両側いっぱいに湖水地方が拡がる。
生憎の天候だが、綺麗というか、見事というか、
こういうのを楽しめるのが個人旅行&列車旅行の醍醐味。
(さらにこの日はつづく)


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北紀行・2 - 2002年08月25日(日)

8月23日;2日目 ひと言「移動日」

午前中に昨日行きそこなった?五稜郭に行かなければならない。
そして、昼過ぎにはスーパー北斗で小樽に移動だ。
いろいろと気がせく一日になりそうな予感。

しかしその前に、まずは朝食。
ホテルの2F昨晩夕食をとったレストランでのバイキング。
旅先でも朝から洋食主義の私と和食主義の母。
2人の欲求を満たすバイキング。しかも美味いっっっ
朝から幸先が好い感じだ。

チェックアウト後にクロークに荷物を快く預かって貰って
再度市電で五稜郭まで。
市電は何となく暢気な雰囲気。平日の朝なのになあ。
ほのぼのとした気分になる。

五稜郭で市電を降りてから。。。
結構徒歩で距離があるとは解っていたが見事に迷う。
だから個人旅行は面白いのだが。
今日は時間が迫っているので、やや焦る。

ようやく五稜郭タワーに辿着きタワーに登る。
城塞としての五稜郭の全貌が一望できるだけでも登る価値あり。
土産物は上も下も十年以上前と変わらずであれだが。

五稜郭の中を散策する。時計の針を気にしながらだが。
お堀には鯉が泳ぎ水鳥が舞う。
お堀に架かる橋をの前でパチリと記念撮影。
風が強い。あおられそうになる。

満開であったら綺麗だろうと思われる桜の木に囲まれ
同じく藤棚を通って中に入る。

中は広場という印象。
中央に現在は使われていない井戸があり
周囲には花が植えられている。井戸には神様がいるからねえ。
この前でパチリと記念撮影。

周囲には松林が。。。見事な松の前でも記念撮影と思ったら
空からポツリポツリと大きな水滴が!?
雨風ならぬ雨なのか。慌てて撤退。

ほうほうの体でタクシーで函館駅に逃げ帰った。
(以下まだまだつづく)


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北紀行・1 - 2002年08月24日(土)

8月22日 JALで羽田から一路函館へ。
函館空港から市バス利用でJR函館駅へ向かう。

函館駅前のハバービューにチェックイン開始時刻前に到着。
開始時刻前なのに快くチェックインさせてもらい
クロークに荷物を預け、まず腹ごなし。
ホテル2Fの巴で三食丼(いか、甘エビ、いくら)定食を。
美味いっっっっっ

駅前の観光案内所で市電案内図を貰い市電で末広町まで。
今回の旅行の目的は「ハリストス正教会」を観る。
と、函館の「夜景」を観る。である。
まあ本来の目的は、「母を北海道に連れていく」だが。

函館の街は「坂道」だ。
坂道という坂道を登ったり降りたりしながら
イギリス領事館、旧函館公民館、ハリストス、金森倉庫群
などと歩き回る。
途中偶然に入った紅茶専門店が非常に美味いっ!!!
東京でも横浜でも飲めないような紅茶を飲ませてもらった。

少し、いや、かなり早めにロープーウエイを使って
函館山山頂に向かう。山頂で日が暮れるのをひたすら待つ。
考えていたよりも日没が遅かったので
かなり長い時間を座ったままで母と2人ゆっくり話しながら
過ごすことになった。それはそれでいいかも。

やっと日没を迎えて夜景を賞味・堪能してから下山。
駅前のホテルに戻ると。。。
まだ夜7時半前だというのに街が真っ暗!!!
店という店が全部閉店していて呑屋しかない!?
仕方がないのでホテルの2Fの仏蘭西料理を食す。
此れが美味しかったっっっ

しかし、夜が早すぎるのが意外というか当然というか
とにかく印象に残った。函館でした。



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いろいろ・4 - 2002年08月23日(金)

いろいろ溜まっていて各々はごくごく小さなことだけれども
チリも積もれば山となる。
で、ストレスフルフルに溢れてしまいました。

で、今も、このままだと「過労死」。。。するかも???
などと、半分本気で考えていたりもします。

まあ、最悪の事態になる以前に「逃げる」という最終手段
も残されてはいますが。

敵前逃亡。
だけは「嫌」ですが、そうも云ってはいられなくなるかも?

或る程度、態勢を建て直さないと
まともに「戦う」ことさえできなくなって
「勝ち戦」をむざむざと「落し」たりすかもしれないし(笑)
(いや全然喧嘩とかしているつもりではもちろん無いんだけど)

そっちの方が「逃げる」より百倍くらい「嫌」ですから。


というわけで、
この後夏季休暇を取って
リフレッシュしに北海道に行ってきました!
「北紀行」必ず書きますのでよろしく(^^)v


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いろいろ・3 - 2002年08月22日(木)

まだまだ有るんです。嫌なこと(笑)
沢山たくさん有るんです(爆)困ったことです。ホントに。

・職場で「事故」が起きた。
→事故は人間が関わっている限り多少は起ることなので
それ自体はかまわない。といえば、かまわない。

本当の問題は「事故の処理」「事故後の対応」
そして「再発予防のための(目に見える)努力」である。
目に見える、というのは、「結果を出す」ということ。

・まず、事故後処理および対応について
規則に則ったことをしなかった。
というか、規則が有ること自体を知らなかったらしい。

あまりに職員の意識が低い。と云わざるをえない。

・その後の、それこそ「根拠の無い経験的なはなし」からの意見。
というよりは、批判。それとも、異なる私見なのか?

何かことが起った場合には、常に会社として対応する。
そのための所謂マニュアルがある。それが当たり前である。
それをそういうものがあることを「知らない」だとっ(怒)

今後起りうる全ての責任は会社が負うものであり
個人で背負いきれるものでもない。

そして個人で背負うだけの気概も無いのに
いたずらに自己意見を根拠も無く述べ主張するのは
社会人としては言語道断であると云わざるをえまい。

ど〜〜〜〜〜して皆そんなに暢気印でいられるのだろうか?
それとも此れは管理者側に立ってしまった者の宿命なのか。




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いろいろ・1の個人的考察 - 2002年08月21日(水)

と言うわけで、いろいろ・1の問題或は論旨整理。

・まず相談された件は自分とは或る意味無関係の仕事。

・相談してきた相手は、下、ではなく、上(しかも6つ上!)
であったこと。
 →下、から助言を求められて応える、のは本来の職務のひとつ。

・わざわざその、上、が、下、に助言を求めた背景には
「非常に困ったこと」がおそらくはあったであろうことが
 十分に推察される。

・だから、翌朝まで、自分も寝苦しい夜を過ごした。
 →勝手に、と云われれば、それまでだが。

・翌朝、早速、問題が「何故起こったか」
そして「どうすれば早期解決が望めるか」を相談するために、
通常よりも、早めに、職場に行った。
 →此れも、勝手に、と云われれば、それまで。

・相談している間に浮かび上がった問題点を指摘、
解決策を助言しようとした。

・が、指摘の段階で、それに対して、怒声、が返ってきた。

・それが「根拠の有無」を問う、ものであった。
 →基本的に、私は仕事に関しては、根拠の無いことは云わない。
 ましてや、無責任な助言などしない。
 そうすることは、全て時間の無駄であるからだ。

・従って、私からの回答は、
「エビデンスは有ります。」
「文献が必要ならいくらでも御見せします。」
「何語のものがよろしいですか?英文も邦文もありますが。」
になる。

・その後の、その場が凍りつくような、沈黙。静寂。

・そして、相手が沈黙のまま、退場。

よ〜〜〜く考えれば、公衆の面前で、
上に、恥をかかせた形に、なるのかもしれない。
しかし、仕事は仕事だから。それが私の主義。

・相手を信頼していた。
 →という意味は、そういう対等な討論ができる相手であろう
と考えていたから。

・だから、がっかりした。
 →ヒトを見る目を誤ってしまった自分の発想の甘さ。
に対して、だ。

どうしてヒトって本当のプライドが持てないのであろう。
「知らないことを知る努力」を怠ったら
全てが終わってしまうのに。




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いろいろ・2 - 2002年08月20日(火)

嫌なことの続き、まだ書きます。
まだまだ、有るんです。困ったことに。
久しぶりの更新が此れなので
嫌な方(って読んでいる方いるのか?)は読まなくてもいいです。
そのうち、元の所謂「日記」に戻りますから。

・気分転換のため日曜日に野球観戦へ出かけた。
約1ヶ月ぶりの観戦、約2ヶ月ぶりの本拠地。

・遠方から友達も来ていて気分が非常に楽になりつつあった。

・しかし、乗換駅で顔見知りのヒトに会って。。。いきなり
「今日は岩隈だから、どっちで見るんです?」などと云われて、
「私は近鉄嫌いですから」と続けられて
「今日は当然、内野、ですよね」と決めつけられた。

・その方だって千葉ロッテの選手のファンで
密かどころか公に応援しているにもかかわらず、である。

・まるで、外野で観戦する資格が無い、と決めつけられたようで。

・いろいろなヒトがいるから、仕方がない。のだけど
なんか顔見知りではなくて、友達、だと思ってたから
寂しかったよ。

・もうひとつの、重ねての、「人間関係の喪失感」

・結局、その日は内野自由席で観戦。
試合は負けてしまったけど、それなりには楽しかったよ。


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いろいろ・1 - 2002年08月18日(日)

いろいろと各々は小さなことなのだけれども
所謂ストレスなことが溜まってしまった。
其の結果が、ストレスフルになってしまい
前日の「ひとり」になってしまった。

その小さなことを少しづつ積み上げてみたい。

・8月14日の夕刻、会社から緊急呼び出し有り。
→慌てて連絡すると、自分の仕事のことではない(呆)

・その日、当番の者が
自分の仕事を自分だけで処理できずに連絡した模様。

・しかも、いつでも電話の傍に居て欲しい。とのこと。

・落ち着かない気分でその夜を過ごした。
結局連絡は2回だけだったが、それでも十分。

・しかも、翌日になってから、其の仕事においての話し合い。
→相談されたから答えただけなのに、
「そのエビデンスは、あるのか!?」
などと怒鳴り返されてしまった。

・前夜から付きあわされた揚げ句の暴言に「がっかり」
というか、疲れました。

・相談された相手のことを信頼していただけに。

・職場における「人間関係の喪失感」を味わった。



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ひとり - 2002年08月17日(土)

以前よりも私は独りになってしまった。

中途半端に楽しい時間があっただけに。
この孤独感、ひとり暗闇にとり残される感覚は悪夢に近い。

自分だけが暗闇にすっぼりと包まれていて
周囲では笑顔の顔見知りに取り囲まれている。

最初から独りならそれは少しも恐くない。

顔見知りの姿があることが恐ろしいのだ。

嫌われているならまだしも無視されて
まるで最初から其処には誰も存在しないかのように
振る舞われることが恐ろしいのだ。

人格とかいう以前にその存在自体を否定されてしまう恐怖感。
挨拶さえ返して貰えず顔を見たのに
敢えて顔を伏せて見なかったことにされた。

あの沈黙が無性に恐くて足が向かない。

特に土曜日。
行きたくないから誘われなくてもかまわないはずの飲み会
があるのだろう。 ただただ恐い。

個人的楽しみを削がれてしまうような
やりきれなさと怒りと絶望感。
助けは何処にもない。


...

どうして - 2002年08月16日(金)

週末が近づくと憂鬱な気分になってしまうのだろう。
会社が休みだというだけで楽しい気分になるはずなのに。
別に仕事だけが好きで(いや嫌いではないんだけど)
という訳ではないし会社命の人間でもないというのに。

週頭はその前の予定に関わらず
頭の中では何処かの応援歌がエンドレスで流れていたりする。
つまり行っても行ってなくても行きたいなあ、と思っている訳だ。
心から。
なのに肝心の週末になると気鬱になってくる。
バイオリズムが悪いんだろうか。

行けば元気が少しは貰えるだろうとは思うが
どうもその逆があったら困るなあ。などと考えてしまう。
転ばぬ先の杖なんだか取り越し苦労なんだか。
或は、脅えなのか。

会いたくないヒトや顔を見たくないヒトに
もしも会ってしまったらどうしよう。などと考えてしまう。
実際には体験的知識として
会っても大概は無視するかされるかで平気なことが多いのだが。

必ず自分を受け入れてくれる誰かが
その場所に居てくれないと怖い。というのは
或る意味トラウマなのかもしれない。



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婚姻に纏るはなし・2 - 2002年08月15日(木)

>婚約者

此の不確かな存在。
生涯を誓った相手でありながら
未だ互いに法的責任を負うモノでは無い。
そして容易に解消という名の元に他人に戻れる。

仕事上で知りあった或る方、本年とって43歳なのだそうな。
で、契約を進める都合上、保証人を立てなければならない。
それで何方か御親族の方を、と御願いしたら
「婚約者」というのが現れた。この方の年齢が42歳。

いやこの際年齢はどうでもいいのだけれど
「婚約者」というのは公的な「保証人」としては如何なものか。
という問題がある。
血縁でなし親族にも未だなってなし、法的な存在では未だ無い、
はずである。
何か事が起こってしまった時の保証人だから
此の件においては可能ならば親族が望ましい。というか慣例。
もしも途中経過で破談になってしまったら
此の契約下においては「保証人不在」の状況に容易になりうる。
此れは社会的契約的にあまりに大きな危険が伴う。

そして40代の男女の社会的常識が此のライン
というのが妙に気持ち悪い。というか、うさんくさい。
42-43前後の組み合わせにしては、
婚約者を保証人にとは、あまりに幼稚な発想と感じる。

というのは、此の年代のカップルで
以前に一度詐欺にあったことがあるからだ。
被害届を出したが未だに警察からは梨の礫。
最もこの時に騙されたのはウチの会社だけでは無く
本人の「婚約者と称する彼女」が最大の被害者になったのだが。

悪夢再来のようで気分が悪い。



...

婚姻に纏るはなし・1 - 2002年08月14日(水)

>破談

大学の後輩で会社の後輩でもある
一見社会的には親しいように見える彼女。
はっきりいって性格的には合わないが嫌いではない。
それなりに可愛がったが心ならずもの関わりで
行動を共にしたことがある程度。

その彼女、去る3月末の先輩の退職パーテイー席上で
わざわざ我々に「婚約者」を紹介してくれた。

此のパーテイーはあくまで公のモノなので
送られる側以外の私的なことを持ち込むことは、
少し、いやかなり不謹慎だったのだが。

元々常識の枠が大概のヒトよりも広めの人間だったので
大方の人々はおめでたいことだからと、大目、にみた。

その彼女から
「婚約合い整い披露のお知らせ」が届いたのが7月下旬。
「御多忙中申し訳ないが8月10日までに返信を」とのこと。
お知らせが7月下旬で返信が8月10日、肝心の披露が9月上旬と
誠に慌ただしい、と感じた。

さて、その返信だが他意はなかったがすっかり忘れていた。
そのことに思い至り、慌てて記入、投函しようとしていた処
今度は「皆さま方には御祝福の御言葉を戴き」で始まり
最後に「婚約を解消し今後は互いに新たな幸せを目指し」で終わる
葉書が届いていることに気付いた。

こういうのを青天の霹靂というのだろうか。

3月、紹介された相手にかなりの違和感を覚えたが
当人が幸せそうなので、まあ、いいか、と思った。
後で泣かなければいいけれど、などという考えが頭を過ったのは
此のことの予感或は予見だったのか。

三十路を過ぎ職も失う。今後の生活に不安を覚える年ごろ。
自分の足でしっかりと立っていなければ
それ以上のモノを失ってしまう可能性を改めて考えさせられた。




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常識非常識 - 2002年08月13日(火)

常識の範囲とはどの辺りまでを指すのだろう。
そして非常識とはどこら辺りからになるのだろう。

本日元同僚から仕事を正式ルートに乗っ取って依頼された。
此れは甚だ遺憾な仕事ながらも一応常識内。

直接依頼された者が彼からの依頼であるという理由で断固拒否。
此れは気持ちは理解できるが組織内では非常識。

仕事に伴う様々な軋轢。大変不愉快。
此れを上手に対処するのが社会人であるのが常識。

今回の件を依頼してきた彼の身の処し方は
会社内規で最低退職6ヶ月前までにはその旨通達するのを破り
突然一身上の都合とやらで退職、直後職場近くで独立。
此れは一般社会的には常識範囲なのだろうか。

あげく今回は己が夏季休暇を取りたいがために
やっかいな仕事を他所に有無を言わさず押し付けてきた。
此れは十分非常識であると思う。

此れほど身勝手でずうずうしい振る舞いをしながら
所謂宣伝屋で口が巧いので新規独立後も程々に通用している模様。
此れは常識非常識の何方の範疇に入るかは不明だが
個人的には非常に許されがたいことのように思える。

社会性の中の常識非常識のラインはどの辺りにあるのか
是非とも明確に知りたい処である。








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誰の為でも無く - 2002年08月12日(月)

誰の為でも無く誰のせいでもなく何よりも自分の為に
成すべきことを選択し成しえたら
どれほど幸運な機会を得られたと云えることだろう。

自分のできうる許容範囲内でのみ職務およびそれ以外
を全うするのに誰の指図も受ける必要は全く無いと思われる。

にもかかわらず
誰かが自分の出来うる以上のことを成しえたと知ると
それがどれほどしょうもないくだらないことだ
と理解していても腹が立つ。
ヒトはヒトであり自分ではない。と理性では納得していても。

此の週末は自分のために何より必須だったのは
心と身体の休養にほかならない。

買い物に出かけ自分の欲するものを購入した。
それ以外も売られてしまったのは自分のミスであるけれど。
快楽と苛立ちの両者は
どうしていつでも背中合わせに存在するのだろう。

身体の方は寝た寝た寝た。昼夜を問わずよく眠った。
結果必要最低限以外のことを成しえなかったからといって
誰にも責められることなど無いはずなのに
無性に腹立たしく苛立つ気持ちを持て余している。

誰の為でもなく生きているのに情けない。



...

無意味な後ろめたさ - 2002年08月11日(日)

行こうと思えば行けるのに行く気になれないから行かない。

疲れていないつもりでも身体を横にしたくなり
一度横になるとそれが如何なる悪条件かであったとしても
容易に長い眠りについてしまう。

身体のみならず心も疲れているためなのか
他人に穏やかに接するのが苦しい。
公的な立場ではそうすることが容易くできても
私的な場面になると途端に刺々しい応対になってしまうようだ。

そんな時には出来うるかぎりひとりの時間を作ること。

それが大事と頭では理解していてもそれとは違う部分が
妙な或る意味全く無意味な後ろめたさを感じてしまう。
そういうふうに生きる方が楽なはずなのに
それを認めてしまうのが恐いようないけないことのような
無意味でくだらない後ろめたさ。

それを非常に強く感じた此の週末でした。

野球なんて私的な娯楽だから
行きたい時以外は行かなくても全然かまわないもののはずなのに
沢山行くのが当たり前というかえらいような感覚の人達と
接している為なのか妙に後ろめたい気分になり
結果ますますイライラしてしまう。よくない。


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身の処し方 - 2002年08月10日(土)

引き際というのがある。
此れは登場するよりも或る意味重要であると思う。

登場は華やかでも地味でも
其の経過によっては如何様にも変わることができるが
引き際というのは此れが最後ということなので
その後の変化はもちろん望めず
それまでの評価が如何様であろうとも
場合によってはそれら全てが覆る可能性を常に秘めている。

逆説的に捉えれば引き際が鮮やかであれば
それまでの評価が芳しくなくとも
ヒトの記憶に麗しく残ることができるということだ。

最近時のヒトと云われる方々が表舞台から去っていくが
それが本人の望むと望まざるとに関わらず
記憶に麗しく残る引き際を演じられることが少ないように思える。

自らは悲劇の主人公として振る舞っているつもりでも
自己中心的な独善にしか見えない場合それは醜く空しい。

飛ぶ鳥跡を濁さず。はかなり困難な趣である。


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云うは易し為すは難し - 2002年08月09日(金)

元外務大臣田中真紀子議員が突然辞職した。
議会が開催されていなかった此の時期に、である。
辞任理由は自民党での党員資格を2年間停止されたことや
公設秘書の給与流用疑惑に対する非難から身をかわすことらしい。

御本人は後者は潔白であると主張しており
前者の処分は不当であると考えている模様である。
しかし真実潔白であるならば
給与明細などの必要書類をしかるべき場所に提出すべきである。

今回の一連の事件の経由を見ていると
どうにも本人が今まで主張してきた透明性が感じられない。
むしろ御本人が以前外務省を指して述べた言葉の方が
よく似合うように思える。

また彼女は味方は家族と使用人だけであると述べていたが
庶民の代表で「みなさんから真紀子さんといつまでも呼ばれたい」
などと自ら云っていた方が「使用人」などという言葉を
公然と使うことに大いなる違和感を感じる。

個人的に彼女には最初から所謂うさんくささを感じていた。
ヒトの非難や批判は得意であるが
自分の意見や主張を述べるのは非常に不得意である
というように感じていたからにほかならない。

以前此の日記で「出る杭は打たれたのか」と題して
辻本元議員についての個人的見解を書いたが
彼女は政治には所謂素人であった。
一方田中元議員は金権政治の礎を築いた田中元総理の娘であり
元総理の脇で政治の裏も表も見ていたはずだから
政治に対して素人だったわけではなかろう。

どんな世界にあっても「云うは易し為すは難し」である。




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私の夏・甲子園 - 2002年08月08日(木)

いよいよ夏の甲子園大会が始まった。
今年も連日暑い日差しの中奮闘する球児を見れる。

此の大会が始まると夏真っ盛りの感があり
終わると夏が終わった。と思えてしまう。
そういう意味では、夏の終わりを告げているようにも思える。

地元神奈川県大会を制したのは桐光学園。
全国一の205校を擁する大激戦地からの出場である。
しかも今大会の予選はくじ運悪すぎなほどの困難な道程だった。
春はあるけど夏は初めてというのだが是非頑張って欲しい。

其の他関東勢を初めとする東日本勢にも頑張って欲しい。
何となく野球は東低西高の雰囲気が否めないからだ。

で、好選手を見ると、
つい何処の選手でもいいから来年は是非獅子のユニを着て欲しい。
などと思ってしまう。
でもこの中の何人かは必ずそうなるんだよね。

頑張れ高校球児。此れは立派な就職活動だぞ。



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6連戦第2ラウンド - 2002年08月07日(水)

出かける前の第一ラウンドはホームで2勝4敗だったから
どうなることやら。とかなり心配だった。
此処でも書いたけど最悪6戦全敗も覚悟した。
良くて2勝程度なんではないかなどと極めて弱気。

しかし終わってみれば4勝2敗。
しかも福岡でも大阪でも勝ち越しという満遍無さ。
負けた2試合も接戦を演じてただでは負けない印象を残した。
勝った試合も接戦を制してというのと大勝というのとの二つ。

最近すっかり貧乏性なので首位にいても落ち着かない。
いつか大連敗が始まってしまうのではないか
或は対戦チーム、今は牛だ、が急遽大連升してしまうんでは
などと心配が堪えない。
最後までこういうのが取り越し苦労で終われればいいんだけど。

明後日からホーム&ビジターでの6連戦第3ラウンド。
とりあえず初戦は#18の復帰登板。
長い夏休みだったので快投を魅せて欲しいものです。
そろそろ参戦したいなあ。


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時の流れ・2 - 2002年08月06日(火)

その焼き立てパン屋ができて間も無く
個人的な春がやってまいりました。久しぶりに王道を行く春。

最初のデートの待ちあわせが小田急ハルクのカリヨン時計前。
なんて王道なんでしょう。
もっともその後は日本酒専門の呑屋をはしごだったけど。
2人合わせて1升弱。多いんだか少ないんだか。

そのハルクも潰れてしまって今はもうない。
いやカリヨン時計はあるけど。
騒がしくもナイキとビックカメラになってしまって
あの風情は失われてしまった。

2回目のデートの時は件のパン屋で焼き立てパンを買っていった。
カレーパンと餡ドーナツ。嫌そうな顔してました。
餡、食べれない。というか大嫌いだったらしい。
そういうこと全然知らなかったから。
自分の好きなものを買っていっただけだったから。

今焼き立てパン屋はコインランドリーになってます。
此の辺り無かったから別の意味で実用的で良い。



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時の流れ・1 - 2002年08月05日(月)

。に身を任せ。。。てるわけではありませんが
確かにボーッとしていると時間が過ぐるのが早いです。

我が家近辺に初めて焼き立てパン屋が出来ると聞いて間も無く
我が家の前の山崎パン屋さんが店を閉めました。

待望のパン屋さんは開店当初は午後には売り切れ閉店
となるほどの異様なまでの盛況ぶりでしたが
2年ともたずに此れまた閉店。
愛想が無いとか横柄とか云われてましたが
それを云う以前に味が飽きられてしまったためらしい。

そして我が家界隈には今、パン屋さんがありません。
毎朝食パンで紅茶或は珈琲でヨーグルトも必須なモノには
大変痛い結果となってしまいました。

もちろんコンビニやスーパーは沢山あるんだけど
美味しいパンが毎日食べたいという欲求には応えてくれない。

なんとかして欲しいよ。まったく。


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たんき・2 - 2002年08月04日(日)

いろいろな意味で「たんき」な私の個人的考察の続き。

>短期

何事に対しても、短期集中型、である。
それが人生の岐路であるような重大なことでも
それ以外の些細なことであっても、だ。
一度目標が定まると一気に邁進する。
それまでは、かなりの逡巡があるが。

腹が決まればとにかく強い。
多少の困難が立ちはだかろうとも簡単には引き下がらない。
そういう自分もすごく好き。


>短気

文字通りである。
サクサク物事が進まないと自分に苛つきますなあ〜〜〜



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たんき・1 - 2002年08月03日(土)

いろいろな意味で、私は「たんき」である。

>単騎

子供の頃から「群れる」のが嫌い。というか苦手。
協調性が無い。というのとは、ちょっと違う。
周囲と諍いを起こしたがる。というのとも、もちろん違う。

ただ、いつでも、自分の考えが、まず、ある。だけである。

従って、えてしてチームプレイが苦手。個人プレーが得意。
で、単騎での行動をとることが概ね多い。

単騎で動く為には全て自己責任が伴うのだが、
此れは全然問題無し。
というか、此のほうが却って、気が楽、だったりする。

自分のことを自分で処理できる、のは当たり前だし。
そうできる自分がすごく好き。




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私の夏・篭 - 2002年08月02日(金)

みんなが持っているから持ちたくない。という気持ちと
みんなが持っているけど持ちたくなる。ことがある。

例えば、趣味のかばん。

ブランド物が結構好きで、毎年流行の形のモノが欲しくなる。
流行モノは一年限りのことが多いから
あまり高価なモノは不必要だとは思うが
だからといって安物はすぐに飽きる。
まさに、安物買いの銭失い。

今年は、夏モノで、ロベルタの篭を買った。
それも早ければ早いほど恰好良いしお洒落だし、というので
5月の声を聞いてすぐに購入した。

今年は一般的な梅雨があったので、
なかなか持てなかったのは残念だったけど
7月中旬頃からは夏満開。で、毎日のように使っている。

みんなが持っているようで持ってないので、なお嬉しい。





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獅子失速 - 2002年08月01日(木)

快調すぎるくらい快調に飛ばしていた獅子特急が失速しています。
いや、失速というよりは、急停止かしら。

毎年140試合の間に所謂大連敗をしてしまう時期ってあります。
一昨年は、8月下旬から9月にかけて約1ヶ月も停止。
去年は、最後の粘りをみせなければならない時期に停止。
それに比べれば、今年なんて7月末からだから
全然、まだまし。と思いたい。

今まで、たくさん勝っておいて良かったなあ。
まだ貯金もあるし、幸いゲーム差もあるし、
などと自分を慰めています。

とは云うものの、同一カード3連敗は、ちょっと嫌。
しかも此れから、
福岡ー大阪と上位チームの本拠地での対戦なので、かなり嫌。

最悪全敗かもしれないけど、
できたら2勝ぐらいはして欲しいなあ。
ゲーム差無くなっていてもいいけど、
せめて、首位で帰ってきて欲しいなあ。

来週末から本拠地で、再出発を祝ってあげるから。
ああ、不吉な話。



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