大谷かず子の日記
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2005年08月31日(水) 駅頭活動


いつもの時間にいつも通りに駅頭活動。
受け取ってくれる枚数もだいたい同じだが、ここ2、3回気持ち残りの部数が少ない。
それから、ほんの数人ですが、
「おはよう」とか「がんばって」とか「お、ドットコムね」とか、声をかけてくれる人が現れた。
とってもうれしいです。
励まされます。
これからも頑張って出し続けよう、立ち続けます。
ありがとうございます。


2005年08月30日(火) 国政選挙

衆院選が告示


「刺客」「くノ一」などとワイドショーで話題になっていた、所謂「落下傘候補」
地元への利益誘導や地縁、血縁関係なし。
党のマニフェストを実行するというのが第一義。

完全小選挙区制の英国では普通にこうだと聞く。

落下傘がもっと増えれば、「女性の候補者が増える」「政策論争の本格化」「若返り」「世襲議員の減少」なんて事が期待できるのかな。

でも、完全小選挙区・政策本位の落下傘候補を徹底すると、自然に二大政党に有利になり、少数政党や無党派層など多様な意見が国会に反映されなくなるというジレンマが。
それに、現行の「地域代表」的国会議員は、地方特有のニーズ・有権者のナマの声を吸い上げ中央に届けるシステムでもあります。

財源も含めて地方分権がもっと徹底していれば、国政選挙はそれこそ「国政」のことだけを俎上にのせたマニフェストの戦いになるのでしょうけれど。

国政の転換期となるドラマティックな展開になるのでしょうか。


いずれにしろ、投票率が高くなることだけを祈っています。


2005年08月29日(月) 暑い暑い

少し「涼しいなぁ」と思っていたら、また「暑い」。
「体調がおかしくなっちゃうよぉ」と愚痴りつつ…
ドットコム・ペーパー印刷。


2005年08月26日(金) 夏休みの終盤

夏休みも終盤、宿題がまだ終わっていない子どもたちのお尻を叩いてやらせる。
集中力なし、呆れる…!
歯医者通いも続いている。
次女(4年)は今日で終了。
弟(2年)は新学期へつづく…。
毎日「部屋が汚い片付けなさいっ!」と怒るのもいいかげん疲れた。
「じゃあ、怒らなければいいじゃん」と長女(高2)に言われたが、そうはいかない。
際限なく、ゴミ箱みたいな部屋になるに決まっているでしょ!
(という私の仕事部屋もどうにかしないとなぁ)

ドットコム・ペーパー製作中です。


2005年08月18日(木) 読まなくちゃ

今週は夏休みにして、積んである本を読んだり、散乱している書類の整理をして過ごすつもりだった。
なのに現実は、そう甘くはなくて、連日「打ち合わせ」や細々した「作業」に駆り出されています。
積読(ツンドク)が増える一方です。
読みたい本も、読まなきゃならない本もどんどん増えるんです。
さあ頑張って読むぞ!


2005年08月16日(火) 宮城県沖地震?

また揺れた!

町内某所(1F)にいた私。
あれ? 揺れてませんか?と最初はかまえておりました。
しかし、けっこうデカイ。
船に乗っているような揺れが長く続くと、少々ビビリ気味。
思わず家(5F)の子どもに電話。
「すっごく揺れてるけど、物は落ちてきてないよ」とのこと、よかった。

最近、地震が多いと感じている。
震度4以上地震が、度々起きているような気がするが、気のせいか?
私は中越地震で、身内が被災しているので余計に敏感になっているのだろうか。

とにかく、少し大きな地震があるたびに家族と話すようにしている。
地震などの災害が起きたら「それぞれがどう行動するのか」
大切なことだと思います。
まずは家庭でそれぞれが、そして地域で助け合う。
初動は個人です。
自分の備え、地域の備え、公の備えが連携の取れたバランスのよいものである必要があると感じています。


2005年08月15日(月) PCトラブルに悪戦苦闘

一般質問の通告をしました。
今回は「子育て支援」「防災」「協働のまちづくり」についての三点です。

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ところで、またまたPCトラブル
一大事が起こった!

メーラーが消えた…ていうか、リセットされて新しい状態になってる。
何故? ど〜して? なんでなの〜?
と叫ぶも原因は不明。
メールソフトを起こしても中身空っぽ。
当然、設定も消えているので送受信も出来ない…。

ある程度のバックアップは取ってある。
でもね
そうは言っても、ひと月分くらいのメール(添付ファイルも)は何処いっちゃったの?
もう真っ青!
これだからPCってやつは…

さて、このあと私が、なんとか消滅したメールを取り戻そうと悪あがきをして、どれだけの時間を費やしたかはご想像にお任せします。(目から血が出るほど画面とニラメッコしました)
は〜っ、PCなしでは仕事にならない。
だけれどもPCに費やしている時間はどうよ…。
疲労困憊です。

追伸:設定を一からやり直し、アドレス帳をバックアップから戻して、なんとか送受信可能にしました。
   が、結局メールは取り戻すことが出来ませんでした。(とほほ)


2005年08月13日(土) お盆

お盆です

上尾で農業をしている弟が、奥さんと2人の子どもを連れて葛梅の実家に帰ってきました。
たくさんの「ナスや梨」を持ってきてくれました。
どうもありがとう。

実家で母と同居している妹夫婦は「コンビニ経営」
お互い町内に暮らしているのに、中々顔を合わせることが出来ないでいる。

母も現役で勤めているし、みんなそれぞれ忙しくて「盆や正月」くらいしか集まることが出来ないのは、いささか寂しいのだが、皆元気そうで一安心。
母の手料理も久々にたべた。
実家の子どもたちはまだ小さいので、仏壇の周りのあらゆる物が上へ上へと避難されていて可笑しかった。

子育てに仕事に、今、人生で一番忙しい時期なのかもしれない…


2005年08月09日(火) いろいろ

子育てネットワークのチラシ作りのお手伝い。

私の仕事は、手書きの原稿をワードで組むこと。
お安い御用です、こういうことならいつでもお手伝いしますよ〜。
組みあがった原稿はイラストを入れてくれるスタッフの所へ運ばれて仕上がります。

終了後は、大学講師の深作氏と
地域と子育て・子育ち、育児支援のこれからの展望などについて雑談。

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町立図書館で移動図書館事業が廃止となって、不要となった図書館車が秩父市に無償で譲渡されることになりました。

http://cc.msnscache.com/cache.aspx?q=2127942957693?=ja-JP&FORM=CVRE3


2005年08月08日(月) 議会広報研修会

議会広報研修会 埼玉県自治会館

講師は 城市 創(じょういち はじめ)氏

「議会広報クリニック」という研修

6町の議会だよりがクリニックに提出されており、それを一つひとつ見ながら、良いところ、残念なところ、どう対処すればよかったのか、注意するところなどが解説されるのだが、これがとてもわかりやすい。
講師の先生の話も上手くて聞きやすい。
高校の時から編集作業に携わっているが、具体例を見ながらのさまざまな指摘に「目からうろこ」の話も多々ありました。

一番残った話は
○表紙のテーマは前もって考えておく
○追跡記事の企画がない、報告フォローも必要(毎号でなくてもよいから)

「形骸化してきていないか」と言われれば「そんなことない」と言い切れない部分があるような気はしていました。
とっても勉強になりました。


2005年08月07日(日) 桜田ニュータウンのお祭り

昨日と今日は桜田ニュータウンのお祭り

今年もお御輿の先導の山車を引く。
下の子2人と一緒に参加。
それにしてもただ事でない暑さ!
子どもたちの顔も真っ赤。

夕方から昨年同様出店のお手伝いをさせていただく。
今年も作ってきたサワーの看板を手に持って呼び込み!
あいかわらず、声はでかい。
売れました! 材料が無くなり完売に。

昨年の様に雨に降られることもなく、2日間ともにかなりの人出。
盛り上がりました。
大盛況で祭り終了。

実行委員会の皆様はどれだけご苦労されたことでしょう。
本当にご苦労様でした、ありがとうございました。


2005年08月04日(木) 移動児童館

昨日の疲れも取れぬまま、我が家は通常業務。

夫は仕事。
長女は登校日。
小学生2人はプール。
そして、私は「移動児童館」に。

移動児童館・子育て広場は今回もイベント無し。
夏休みなので「参加者がいなかったら…」などと考えたりしました。
少なめではありましたが、まずまずの参加者。(普段の児童館よりいるかも)
先月も来てくれた顔が何人も見えました。

今月は、ボランティアさんもいつもより多く、お手伝いに来てくださいました。

「子育て広場」のような事業や「子育て講座」や「子育て講演」など、さまざまな育児支援事業を拡充させていくためには、スタッフやボランティアの育成が欠かせません。
最近、切実にその必要性を感じております。
地域で子育て・子育ち支援に関心と熱意を持って活動するボランティアを育成する「育児ボランティアの育成事業」もやらなくちゃいけませんねぇ。


2005年08月03日(水) 帰ってきた

のんびりと昼前に、お世話になった義姉の家を出発。
シーサイドドライブに。
長岡から西山町〜石地海岸〜出雲崎・天領の里(道の駅)〜寺泊〜越後七浦〜岩室温泉〜弥彦山(だいろ坂)〜山頂〜三条・燕IC〜帰路

出雲崎の道の駅では「なんちゃって磯遊び」
子どもたちは、小さなカニを捕まえていました。(もちろんリリース)

こうして我が家の、短〜い夏休みは終了したのでした。


2005年08月02日(火) 帰省

朝6時50分集合、JR東鷲宮駅で人権の啓蒙品(ティッシュ)配布。
駅頭での配り物は慣れたもの。
人数もたくさんいるので、30分ちょっとで配り終える。

大急ぎで家に帰り、出かける準備。
これから1泊2日で新潟へ帰省です。

今日と明日は「長岡祭り」
長岡の花火大会に今年も行くことになりました。
9時に出発。
途中、お土産を買いながら、食事をとりながら、のんびりと帰る。

関越自動車道は、中越地震本格復旧工事で、六日町インターチェンジ〜長岡ジャンクション間で、最大40kmの一車線規制が実施されていました(一部区間解除区間あり)。
8月5日(金)で一旦工事規制を解除。お盆期間中は通常どおり4車線での走行でき、お盆明けの8月17日(水)から工事が再開するそうです。

それにしても、暑い。
埼玉よりも暑く感じた。
じりじりと突き刺すような日差し。
日中35℃の暑さも、日が暮れると涼しい。
爽やかな風が吹き、絶好の花火日和となりました。

私たちは、信濃川西岸、長生橋付近で観覧。
スターマインやナイアガラ、三尺玉などの大型が次々と上り、フィナーレには、市民らから集めた約2500万円の協賛金による「フェニックス」と名付けられた花火が登場。平原綾香の「ジュピター」が流れ、6か所から計1000発が一斉に打ち上げられ、幅約1・5キロにわたって夜空が花火で埋まりました。
長岡花火はこれが2日間続きます。
3日には平原綾香さんが会場で「ジュピター」を歌うと聞いて長女が「明日が良かった」と悔しがっていました。(贅沢を言わないの)

1945年8月1日の長岡空襲で約1470人が犠牲になりました。
花火大会は慰霊や戦災復興を願って47年に復活し、今年は60回目にもあたります。
そして、震災からの復興を誓い、決意を示そうと、被災地の有志が寄付を呼びかけ「フェニックス」は打ち上げられました。
感動的でした。
全国の応援してくださった方々にお礼申し上げたい気持ちです。


大谷かず子