大谷かず子の日記
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2004年05月25日(火) |
中央公民館のインド舞踊公演へ |
インド・ケーララ州から来られたカタカリ舞踊。 カタカリ舞踊についての詳しいことはこちら↓
インド文化庁派遣 カタカリ舞踊公演 平成16年4月29日〜5月30日
ケーララ州はインド南部に位置しアラビア海に面している。 カタカリ舞踊はケーララに伝わるさまざまな舞踊をアレンジして完成したと言われているそうです。 赤や緑オレンジの顔の色にどこか歌舞伎を彷彿とさせるメーク。 足や腕、衣装のいたるところに鈴がついている。 大きな装身具は重そうだ。 目と手、指先の動きでさまざまな表現をする。 まるで手話のようだ。 赤と白の独特な(上手く表現できない)衣装も鮮やかでキレイだった。 しかし、カタカリ舞踊劇の筋書きはインドの叙事詩。 本日の演目は「ロマンスの花」。 解説をもらったけど……。 でも、神秘的というか独特の雰囲気は十分味わう事ができました。
インド文化庁から派遣されたカタカリ舞踊団の鷲宮公演は東鷲宮小学校と新潟県十日町市・赤倉小学校との交流事業を発端とし、十日町市・ミティラー美術館の長谷川館長の計らえで来演の運びとなったそうです。 主催は東大輪(本田・新田)老人会。 椅子を後から足したほどの盛況でした。
実行委員会のみなさま、ありがとうございました。鷲宮にいながら、ステキな異文化体験をさせて頂きました。
娘を歯医者に連れて行くついでに、夫も無理やり連れて行く。 奥歯が1本、ずいぶん前からグラグラしていたのに「ガマンできないほど痛くない」とのバカな理由で放置していたのだ。 当然「このままだと隣の歯までやられてしまう」と即、抜歯! 幸い、隣が大丈夫だから入れ歯にしなくても大丈夫とのこと。
80歳で20本、自分の歯を残すのが理想とされていることだし、しっかり管理したいものだ。
しかし、日曜診療の歯医者が増えていますね。 …正直助かってます。
宮代町在住のフォーク歌手、田代ともやさんが音楽仲間らで作る「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」のチャリティーライブに行った。会場は「パストラルかぞ」。 趣旨に賛同したミュージシャンの歌15曲が入ったCDを募金と引き換えに購入。 選挙の時にウグイス嬢をしてくれた友人が今回のライブに(CDにも)参加しているのだが、彼女がバンドをやっていたなんて知らなかった。
ライブはとても良かった。彼女の歌もよかった。 募金もしてきた。
田代さんは2年ほど前のテレビ番組で、混乱の続くアフガニスタンで幼い子供たちが麻薬の原料となるケシの栽培に従事する姿を見て「自分に何かできることはないのか」と経営するライブハウス「ON AIR」で募金活動を始めたそうです。 「ケシ畑を美味しい食べ物でいっぱいの畑に替えたい」 私も少しは力になれただろうか。
「戦争は常に人類の敗北」ローマ法王ヨハネ・パウロ二世がイラクへの戦争回避を訴えた言葉だそうだ。
イラクでの日本人誘拐事件では「自業自得」「自作自演」などの心ない言葉までが投げつけられたりすることに心が痛かった…。 ――自分は安全な場所にいて、衣食足りて平和に暮らしている…。
憎しみの再生産を断ち切るために何が出来るのか… これを書きながらもグルグルと頭の中をめぐっている。 心に重い何かを残したイベントだった。
バザーの準備委員会の準備。 昨年、初めてお客さんとして参加した私。 しかし私、バザーでお客だった経験がほとんどなく、いつでもモノを売ってる方、主催してる側だったので、バザーにお客として参加して身の置き所に困ったというか、なんだか違和感があったように記憶していたのですが…。 今年は主催者。 役員はじめ、ボランティアを募り、大勢の人たちと行うバザーを想像して…。
転校してきて1年未満なので初体験。 勝手がわからずウロウロ…。
「そうね…やっておけば、ウロウロしないで済むわね」と納得。 学校に行かなければならないので、その日に役員会を持つ委員会も多かったよう。 「そうね…いい考え!」
だんだん顔見知りやお友達が増えてきた私。 アチコチで立ち止まり立ち話したり、手を振ったり出来るようになった。 「そうね…役員やると友達ができるって言うものね」 引っ越してきて10ヶ月。 運動会の時は3人くらいしか顔を知ってる人がいなかった私ですが「この学校の人」になったな〜としみじみ実感したのでした。
初めてアスカル幸手に足を踏み入れました。
素晴らしく立派な建物です。かっこいいなあと思いながら道路をとおりすぎてばかりでしたから、今日は入ってみて驚いた。 鷲宮のコミセン「おおとり」ができたときも「おお、凄いぞ!」と感動したものでしたが、そんな比じゃない。 そもそも駐車場の規模からして違う。靴を脱いで入るというのにもビックリ。トレーニングセンター、巨大ホール(体育館でもあり可動式椅子によって千人規模のホールにも変身)、立派な会議室、和室その他。利用料もリーズナブルだと聞いています。
で、合併協議会。
新しい市の名前をどうするか、という問題が中心でした。 今までにない盛り上がりでした。やっぱり、自分の住むフルサトがどんな名前に変化するのか、皆さんすごく興味があるようです。 二市一町全体に公募した結果を受けての協議。委員さんたちの責任はさぞ重いことでしょう。 不明朗な部分がないよう神経を使っておられる委員さんたちのご苦労を想像すると、頭が下がります。
政府主導の「平成の大合併」の前では新しい名称なんて小さなことなのでしょうが、それもすごく大事だと感じる住民の気持、私もまた普通の住民の1人として実感として分かります。 沢山の思いを重ね合わせて、うまく軟着陸できることを願うばかりです。
今日は夫が仕事なので寝坊もしていられない。6時半起床。 しかし、身体はスローモーションのよう。 天気イマイチ。掃除はパス。
10時から子供たちの歯医者の予約が入っていたので連れて行く。 最近は日曜に診療してくれる歯医者が増えて助かってます。 帰宅してからは落ち着いてPCの前に座って調べ物したり、アマゾンから届いた本を読んで勉強したりして過ごすことができた。
今日は凄い1日だった。 朝の部、昼の部、夜の部。
朝、洗濯しただけで、後のことも子供のことも夫(たまたま休み)に任せて、 朝9時半に小学校へ。 先日承認された16年度役員の第1回運営委員会が10時から開始。 12時に終了して、片付けて、打ち合わせ。
ダッシュで家に帰り「これゆでて食べて!」と冷凍うどんをドンと出して、すぐに保育園へ。 在宅時間15分。 いわゆる「タッチ・アンド・ゴー」ってヤツです。うはー、戦闘機みたいだ!
次は保育園新旧役員会です。 なんとか新体制が立ち上がり、役割分担して三時半終了。 その後、引継ぎやら総会までの仕事など新会長さんに申し送りして、帰宅すると17時前。
大急ぎで仕度をして、18時に会場の蕎麦屋へ。 18時半から小学校PTAの新旧懇親会。 超ハードスケジュールでも、みなさんと仲良くなれたし、宴会も盛り上がり本当によかった。
・・・しかし、さすがに疲れました。
2004年05月12日(水) |
上内小学校は私の母校です |
小学校の町内サッカー大会で上内小学校へ あっちにもこっちにも知りあいがいっぱい。 久しぶりに会う仲間たち。 あちこち立ち止まってお喋りおしゃべり。 まだ1年経っていないし、ちょくちょく遊びに来ていたのに、なんだかなつかしい。 まだ上内が「私の学校」という感じがするのは何でだろう…。 って、よく考えたら「母校」だよ!あたり前かぁ。
校庭には町内の6年生が一同に集まり、保護者もたくさん応援に来ていて、とても賑やか。 子供がいっぱいいた頃の校庭はこんな風だったな…。 ふと、思い出した。
昼前に失礼させていただいて、保育園で役員引継ぎの件の相談。 その後2件の約束(1件遅刻すみませんでした)を終えて帰宅すると5時。 「ああ〜夕飯何にしよう…」この台詞、毎日つぶやかない事はない。
ご挨拶
PTA会長としてご承認を頂きました大谷かず子でございます。 微力ではありますが、少しでも皆さまのお役に立ちたいと考えております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、「学校と家庭と地域が連携し合って」というフレーズを最近よく耳にします。 素直に受け止めれば、PTAはもっと存在感を増していてもよさそうなのですが、私の実感では、それがなかなか難しいような気がしています。 役員を決める苦労をはじめ、職業の有無、学校との距離の取り方や子どもとのかかわり方など、さまざまな立場や意見があり、共通の“正解”が見つけづらいのが現実ではないかと思っています。 しかしだからこそ、私たちは前向きなPTA活動を実践してまいりたいと考えています。
PTAは、児童の父母と学校の交流の場です。意見の交換、また討議の場ともいえますが、結局は子ども達を健やかに育てたいという一つの目標を持った「交流」言う事に帰しますので、たくさんの会員の参加を後押しするような活動を模索していきたいと思っています。 皆様の中には「PTAの非効率さ」など、さまざまなご意見をお持ちの方もおられると思います。どうぞ、率直なご意見をお聞かせいただきたいと思います。みんなで知恵を出し合い行動していくことが、よりいっそうの発展に繋がるのではないでしょうか。
「少し無理しても時間を作ってPTA活動に参加してよかった」と思えるような活動。 「楽しくて、ちょっぴりタメになる」そんなPTA活動を目指していきたいです。 最後にみなさまのよりいっそうのご協力をお願いいたしまして、簡単ではございますが挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
2004年05月09日(日) |
実は外仕事が好きです |
地域の草取りだった。 鎌に軍手にエプロン。 ヤル気が滲む格好で参加! 娘の同級生のお母さんと「子供の宿題」の話題でお喋りしながら草取り。 (ちゃんと手は動かしてました)
その後、友人が広報作りのためにPCの修行にくる。 うちのPCで練習。 側で解説しながら、探し物と手帳の整理、新聞の切り抜き等々の仕事した。 人が来ていてもそれぞれバラバラに勝手なコトをしているダイニング。 家族もそんな光景に慣れきってフツーに過ごしている。 わが家のダイニングは立派な事務所となっています。
息子が学校で掃除の時間に滑って転んで、後頭部に大きなタンコブを作った。 「念のために迎えに来て欲しい」と学校から電話が来た。 はっきり言って「よく転ぶヤツ」です。 「上手に転ぶ練習」しよう。 大怪我する前にね。
2004年05月05日(水) |
連休最終日・・・・洗濯ヂゴク |
天気が悪いのに例のごとく「大量の洗濯物」が… 洗濯機を何回も回しても無くならない。 干すところがない。 乾かない。 帰省のあとのこれがイヤです。
次女が祖父からもらった小遣いで「小鳥」を手に入れる。 鳥が大好きな彼女がようやく手に入れた「セキセイインコ」の雛。 面倒見るのはやっぱり主に私なのね…。 かわいいから、まっいいか。
朝から雨。 今日は姑に会うため、グループホームに行く。
グループホームとは、痴呆症のお年寄りが少人数で家庭的な雰囲気の中で専属のスタッフと一緒に日常生活を送る、第二の「住まい」です。 姑の暮らすグループホームは、定員9名(全室個室)。 概ね65歳以上で要介護1〜5と認定され、諸事情により家庭での介護が困難な方たちが利用しています。 個室の家具や布団、着替え、茶碗や箸、身の回りの物、趣味の品などを持って入居します。昔で言うなら「下宿屋さん」のような感じでしょうか。 面会はいつでもOKで、事前に連絡すれば外出・外泊可能。 ゆったりした毎日を楽しみながら、自立した生活が出来るように支援してくれます。
NPO法人の運営。
優しくて無口で働き者だった姑は、しばらく前から目を離すと物凄く遠くまで散歩に行ってしまうようになりました。日常生活にも困難なことが多くなり、だんだん同居する兄一家が世話しきれなくなりました。ケアマネージャーさんに相談して、ディサービスやショートステイなどを利用していたのですが、昨年10月にこのホームの開所とともに入所することができました。 沢山の人に「運が良かったね」と言われました。私も心底そう思っています。 特養等はたくさん入所待ちの方がいて、なかなか入れないそうです。
姑はとても元気そうで、スタッフの方々がよくお世話して下さっているのが感じられました。 顔の色艶もよく、こぎれいに身なりを整えていて、少しふっくらとしたかな? 次女の顔や頭を撫でて、うれしそう(不思議なことに次女にだけヤケに反応してかまっていました)。 犬が好きなので「犬のぬいぐるみ」をお土産に持って行ったのですが、イマイチのウケでした。 末っ子息子は、食堂で風船を使ってレクレーションしているお年寄りたちの中にいつの間にか勝手に仲間入りして、汗だくになって遊んでおりました。 お年寄りたちには大ウケで 「イヤ〜笑わしてもらった。楽しかった!」 と感謝されました。こちらこそ、遊んで下さってありがとうございました。
まだ新築の匂いのする明るく清潔なホーム。 家庭的で本当に「第二の住まい」だなと思いました。 子どもたちは「バアちゃんち」と自然に呼んでいます。
自分の家で暮らせるのが幸せなのかもしれない。 けれども、義兄夫婦には助けが必要だったし、あのままでは誰かが倒れてしまうことになったと思う。 全国にはたくさんの要援護高齢者の施設待機者がいるだろう。 これまた勉強しなければならないなーとイロイロと考えた訪問でした。
・・・・・・・・・・・
夜、9時半頃帰宅の途につく。 渋滞は先のほうで次第に解消していったのでスムーズに25時に無事帰宅。
2004年05月03日(月) |
新緑の中で思ったこと |
子どもたちを連れてすぐそこの山へ山歩きに。 ワラビと筍とフキとセリを取る。 ようするに「山菜採り」です。 どんなところで何が採れるか教えながら歩く。 子どもたちも採る。 なかなか普段は出来ないがここに来ると体験できることがたくさんあってうれしい。
沢で「蛍の幼虫」や「オニヤンマのヤゴ」「どじょう」を見つける。 沼には「イモリの卵」もあった。 そこら中、自然がいっぱい。 子どもたちは大喜び! テレビゲーム「ぼくのなつやすみ」の世界が実体験できるのだ。 わが家の子どもたちは、しあわせものだなー!と思う。
私が子どもの頃、鷲宮町も自然がいっぱいだった。 東京荒川区、小さな路地が遊び場の下町から越してきた私には見たことがない世界だった。 青毛掘川にシジミがいた。 タナゴやめだかを取って遊んだ。 宝泉池に仕掛けを沈めて「川エビ」も取った。 カブトムシもクワガタもいた。 父や母がふれあい方を教えてくれた。父と散歩しながら身近な草花の見分け方を教わって、目立たない雑草にもそれぞれステキな名前があることを知った。 見渡す限りのレンゲ畑でお姫様の気分に浸ったりした。 とても楽しい思い出で、とても良く覚えている。 「自然」と遊ぶことで、自然の力や美しさに畏敬の念を抱くができた気がする。
今でも私たちの周りには自然はあるかもしれない…自然のなかで遊んでいないだけなのかも。 「最近は子どもたちと外で身近な自然を探したりしていないな…」とちょっと反省。 鷲宮の子どもたちが、どこか遠くの自然体験ではなく、普段の生活の中で身近な身の回りの自然とふれあいながら「ふるさと鷲宮」を再発見してくれたらいいなあ。 そんなことを思いながら春の山を歩いた。
(でも、地元に住んでる子どもたちは山だの川だのでは余り遊ばないんだそうです。なんだかとってももったいないなーと思いました)
昨夜、到着した時は肌寒かったが、今朝は朝から上天気で暖かい…というか暑い。 義兄が庭でバーベキュウしてくれるという。 わ〜い! 子どもたちも私も大喜び!
夫の実家は長岡市の隣に位置しています。 八重桜がまだ咲いていて、ハナミズキが咲き始めたところ。 山の緑はやわらかい緑色。 新緑の季節! 田んぼに水が入りカエルが鳴いている。 周りの田んぼでは連休中に田植えを済ませるため忙しく働いていました。
とっても気持ちがいい。
夫が洗車を始めた。 何しろもう半年以上掃除していない。 子供の食べカスやらなんやら中も外も、物凄く汚い。 走るゴミ箱状態だったのだ。 黙って手伝う。 「走れば何でもいい」と思っているのだが、限界がある。 これでよその人を乗せられるかな?
今日からゴールデンウィークで子どもたちは5連休。 わが家は新潟の夫の実家へ帰省します。 しかし父親が今日は仕事の為、仕事を終えて夜から新潟へ出発です。
昼間はそれぞれ、次女はスポ少へ、私は保育園の保護者会へ。
午後から大急ぎで荷物を詰めて、子どもたちを風呂に入れて洗濯して…。 ドタバタ仕度。
19時半出発→日付が変わらないういうちに到着(交通量は多かったが渋滞なし) 新潟は10℃。 肌寒い。
大谷かず子
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