たぁちゃん日記。
さな



 イヤイヤとしゃんしゃん♪+子供の自立

ここ数日でできる事がまた増えてきました。


タイトルにもあるとおり
「イヤイヤ」と「しゃんしゃん」です。


イヤイヤはニコニコしながら首振ってます。

うわ〜、可愛い〜〜vv
けどどこで覚えたんだろう?
保育園かな???


…違いました。


たぁが私の顔をつねったりする時に
私がイヤイヤしてるんですね。
それを見ていて覚えたみたい。


この週末はご飯のときもイヤイヤ。
抱っこのときもイヤイヤ。
遊んでいてもイヤイヤ。
ホントは嫌じゃないくせに〜。(^^;

視界がぐるぐる回って楽しいのかな?
事あるごとに首振ってました。


「しゃんしゃん」

これは手をたたく事〜。
しゃんしゃんしゃんって言いませんか?
言うよね?うちの方だけじゃないよね???


これも私が「げんこつ山のタヌキさん」
「糸巻き巻き」を歌いながら
たぁの手を動かしてる時に覚えたらしくて
今のところ盛大に空振りしてます。(−−;

空振りばっかしてるから
最初は何してるんだかわからなかったわ。


今度はバンザイとバイバイを覚えようね♪



さてさて。
ついこの間、友人Nからメールが来ました。


彼女ははーちゃんにスパルタ教育(笑)をしてるんだって。
その教育の手始めが子供の自立心を養う事。


目が開いてても時間になったら
ベッドに寝かせて自力で眠れるようにする。
抱っこで寝かしつけない。

アメリカでは生後5ヶ月を過ぎると
一人でネンネができるように
指導していくらしい。

この方法で10〜12時間くらい
眠れるようになるのもひとつの自立なんだって。
睡眠を自分でコントロールできるって言う。

お昼寝の時もこれをやるらしい。



で、これをはーちゃんに実践してるのだとか。



…たぁちゃんはね。

だいぶちっさい頃から
一人でネンネしてます。
時間も10時間〜12時間寝てたな。


抱っこで寝かしつけた事なんて
数えるくらいしかないかもしれない。

そのせいで抱っこすると寝ない子になってたし。
抱っこしてもらって視界が変わると楽しいらしくて。


で、今はもう時間が来ると自力で寝てます。
睡眠時間は休みの日が12時間くらい。
平日は私の出勤に合わせてもらうので
10時間弱になってるかも…。

横で私もうだうだしてて一緒に寝てたりするけど。
そういう時はたぁの方が寝るの遅い…。
たぁが何時寝たのか知らないし…。(^^;


うーん。

うちの子は自立への道を勝手に進んでいたのね。


ちなみにしゅうちゃんは。
私が抱っこして寝かしつけてたので
たぁより自立が遅い事になるね。


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夕方、抱っこでお買い物してる時も
眠くなったら寝ちゃうんだよねぇ。
これも自分で睡眠をコントロールできてるの?

そんなたぁ様だから夜中に車出す事はないのよ。



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2002年08月31日(土)



 水中から伸びる魔手

会社に恩を売ろうキャンペーン実施中☆
会社の恩情で勤めているようなものなのに。笑


でも今月は休日出勤しまくり
出血大サービス中でございます。
半日だけど。



土日は実家に戻ってました。
初七日も行かなかったんでね。

お線香上げに。



日曜日。


天気もいいのでしゅうちゃんはプール♪

ミッフィーちゃんの小さいプールです。
お相手は妹1、ずぶ濡れにされてました。


たぁも足だけつかりに行って見ました。


ところが。



仲間が来たとしゅうちゃん興奮。(^^;;;;;



しゅう「あいやいやいやいやい!」


とかなんとかお子ちゃま言葉でたぁを誘います。
入るなと威嚇してるわけじゃありません。


まぁお前も入って来い!
いいからここに座れ!
一緒に遊ぼう!



しまいにはたぁに抱きついて
こっちに来いと連れて行こうとする始末。笑


その間、私はたぁを離すことはもちろん
引っ張る事も出来ずにいました。
引っ張ったらしゅうも危険だし。

あぁ、でもしゅうちゃん。
まだ君とは遊べないんだよ〜〜〜。
しかもプール。


抱きつかれたたぁですか?
展開についていけてなかったです。
泣きはしなかったけどびっくりしてたみたい。


まぁね。

いつもなでた後にこづかれて泣かされたり
二人で寝っ転がってたら足でグリグリされたり
座ってたら突然倒されたり…

土曜の夜も

最初は歩行器押してくれてたんだけど
壁に当たったのをきっかけに
壁にガンガンぶつけられたり。
歩行器ごとだから実害はないといえばないけど。

激しすぎるっちゅーの。
見てて怖いんだよ。
脳みそ揺れる〜〜っ
と言う訳で速攻歩行器から身柄確保したけど。


そんな従兄弟ですからねぇ…。


でもいい傾向よね♪
一緒に遊ぼうって誘ってくれるのって。

年長の自覚も生まれつつあるのかな〜と。


たぁがきた事によって今までの地位を追われたしゅう。

そのせいかイタズラして怒られたり
今までなら笑って許されてた様な事もね。
本人もそれ気づいてるみたいだし
だから余計にいたずらが増えるんだけど。



その日の夜。

たぁをクーハンの中に座らせておいたら
そこにしゅうちゃんも入り込んでたようです。
ん?二人も入れたっけか?


でまぁ、二人でお互いの顔をつねりあい。


どっちが先に手を出したんだか。(−−;
妹たちが割って入ってくれたようだけど
入らなかったら多分しゅうちゃんにかまれてた。
かなり痛かったみたいね。(^^;<しゅう


妹1「あなたの息子も負けてなかったわよ」


それって喜んでいいのかしら?



来年の夏には二人でプールで遊べるかな?
その時は今よりもっと激しいんだろうなぁ。

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2002年08月25日(日)



 ロミオとジュリエット+初おまる

保育園でおまるがスタートしました。

座れるから出来ない事はないんだろうけど
着々と前に進む息子に
私は相変わらずついていってないような。


ドキドキの初おまるは成功したようです。



保育士さんに「上手でしたよ」とほめられ
その気になる母…。


私がその気になってどうする。
てか、その気になっておまる買っちゃいそう。



それから月齢の近いRちゃんと
よくお見合いしながら遊んでるんだけど
時々二人でお話してるらしい。

交互にしゃべるから会話してるみたいなんだって。


もしかしたら本当に会話してるのかもしれないけど。

たぁ「ぼくのママいつも手抜きなんだよ〜」とか?汗
R 「母親なんだからサボっちゃ駄目よねぇ」とか。



にしても、月齢が近いとお互い気になるのか?

たぁは歩行器に乗せてもRちゃんの所に
よく行ってるらしくて
その姿を見た保育士さんたちは
「ロミオだ〜」と言っていたようだ。

0歳児のロミオとジュリエット。
生で見てみたいかも〜。


たぁの様子を聞いていた時の本人は
歩行器で広い室内をぐーるぐる。

それがまたおかしい。


かっこつけて車の運転する人みたいなの。


背もたれに片腕をかけて
もう片方はテーブルに伸ばした状態
それで後ろ見ながらバックしてるんだもん。

しかも足さばきは鮮やか。


爆笑しちゃいました。


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ママりん死ぬほど嫌いだから。

若葉マークの男がかっこつけて運転しててね〜
かっこつけてスピード出すんじゃねぇよ。
って思わず怒っちゃいました。
私が横に乗ってるのに事故ったらどうするつもりじゃぁ。


本当にかっこいいのはきちんと運転できる事。
事故ったら駄目とは
私の口からはとてもとても言えませんが。笑

2002年08月22日(木)



 丸8ヶ月

丸8ヶ月の記録です。


ホフク前進ができるようになりました。
和室に連行するとあっちへズリズリ
こっちへズリズリ…。

はいはいはまだ出来ないけどね。
つかまり立ちもやらせればすぐ覚えちゃいそう。
あんまり積極的にやらせてないけど
歩行器のってるせいか覚えちゃったみたい。


その歩行器は足さばきも見事になって。
今では自由自在に操っています。


ご飯は何とか2回食。
それでも時々1回なのは
母の気合が足りないせいです。

最近はご飯をあげるタイミングがわかってきました。

小腹が減った頃にあげると
よく食べるみたいです。

大人が食べてると目で訴えてくるしね。
食べてると言う事がわかってきたみたい。


マグマグも今更ながら使ってみました。
ストローも上手に使えてました。


お座り→うつぶせ

まだ完全にマスターしてないけど
どうやら出来るみたい。

やろうとして
座ったままくるくる回ってる事もあるけど。


言葉も増えました。

「まー」って泣いたりしてます。
この間は「ままー」でした。笑
母をさす言葉として使ってるわけじゃないけど
うれしかったり。


それから待望の歯が生えてきました。

今度こそ歯です。



こんな所かな。



2002年08月19日(月)



 父の奇行

私は叔父に感謝しなくてはいけない。



その言葉の意味を知る。




葬儀が執り行われる朝。
みんなばたばたと支度をしていた。

私は居残りなのでのんきなものだ。


妹2が「行かないの?」と聞いてきた。
行かないよ、笑って答えた。


外を見ると母の妹が来ていた。
たぁが産まれた時にお祝いをいただいていた事もあり
たぁを見せに行く事に決めた。 

これはいらついていた母を怒らせる事となる。
「帰ってきたとは言え、公にはしてないんだから
あんまりふらふらしないでちょうだい!」
と言う事らしい。


私が葬儀に参列すれば嫌でも知られてしまうよね。
けど、そうなった時は仕方がないと思うのがうちの母なので
別に隠しとおすと言う気はないらしいのだが…。



…また3人きりになった。
祖母はやる事を求めてうろうろしているので
何も言わずやらせる事にする。

それから今日はあまり祖母に近づかない事にした。


祖母は一人でないと泣けないのだ。


私がうっかり近寄ってしまったとき
祖母は泣くのをこらえていた。
悪い事をしたと思った。



さて。

その頃の斎場では母が怒る様な出来事があったらしい。


葬式のあの行列の事なのだが…。

うちでやる場合
血縁で一番年若い者が杖を持つ。
魂が迷う事のないように案内役をするのだ。(確か)

曾祖母の時は私が杖を持ったらしい。
当時3歳なりたてで覚えてないけど。
祖父の時は当時5歳の従兄弟だった。

今回は杖自体なかったようだ。


お膳もなかったので母は行列に加わっていない。
喪主の妻がお膳を運ぶので。


今回のその行列。
甥っ子や姪っ子たちも加わったのだが。


それは姉の子供一人と、妹の子供のみ。
父の娘は誰も加わらなかった。



それを聞いた時はなぜ妹1にしなかったんだ?と思った。


私や妹2はちびっこいのがいるから
加わりたくても出来ないけど
妹1はそうではない。

それに一番最後まで叔父と一緒に生活していたのに。


列の不恰好さに何人かの人が批判もしていたようだ。



でも、喪主である父が決めた事だと知って納得した。


母は「やっぱり自分の兄弟の子の方がかわいいのかな」
と言っていたがそれは違う。


父は私の不在を誰にも聞かれたくなかったのだ。


妹1が並べば長姉はどうした?と聞かれる。
おかしいぞと噂される。

具合が悪くてこれないんだとか
祖母が心配だから残ってもらったんだとか
適当にかわせばいいことなのだけど…。
父にはそれが出来なかったんだろう。

そこは父の長所であり短所でもあるんだろう。


父は他人の批判をする人だ。
でも自分の身内を棚にあげる事は出来ない人だ。


私のことを聞かれたら
かばいたくてもかばえないだろうし
批判するにもしきれないだろう。



今回、弟の急死で大きなダメージをおったばかり。


これ以上の負担は背負いたくなかったんだろう。




父の奇行は私がさせた事なのだ。



叔父に感謝…。


この言葉の意味は
叔父が亡くなった事によって
私が家に帰る理由が出来た
と言う事らしい。


母もそう思ってるかは知らないが
妹たちはそう思って感謝しろと言う。


悪いけれどそういう意味では感謝できない。
父も絶対にそう思わないだろう。


叔父が亡くならなければ
こんな風にお披露目する事はなかった。
受け入れ態勢を作ろうとしている父に
この急展開は許容量を超えてしまったはずだ。

父が私を受け入れる課程で
どうしてもうるさく言う人の存在は消せない。
その時に叔父がいれば父の心的負担は軽減されていたはずだ。

私も無条件で受け入れてくれる人を失ったのだ。
その死に対してありがとうなんて言えない。


父が私を止めた理由は
たぁの事が原因ではなかった。

それを責めるつもりはない。


人にはそれぞれペースと言うものがある。





と、まぁ色々考えてしまいました訳です。

まーた、この子はうだうだ考えてるよ
って友人には言われそうなくらい。


今回家族の本音と言うか
性格とか見てしまって辛かったな。


例えば。

母はやっぱり気分やさんぽい。
八つ当たり半分で怒られるのはいややん。

父とは長期戦。
仕方ないよね、この場合。

妹1は母いわく優柔不断。
その性格でがんばれ中間子。

妹2は…。


私の苦手な叔母に性格が似てきた…。
本人に言ったら怒るだろうけど。


って言うか参列したお前ら全員に言いたい!

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長々お付き合いしてくださりありがとうございました。
明日の日付からまたいつもの日記です。

2002年08月18日(日)



 感謝の気持ち…

母が言った。

あなたが帰ってこれたのは
叔父さんのおかげなのだと。


お盆休みに家に帰っておいでと
連絡があったあの時。

母が休みになったら連れてきたいと言ったら

叔父が
「お盆休みくらい帰ってこれないんじゃかわいそうだ」
と言っていたそうだ。


これを聞いた時、流石に涙が止らなかった。


帰ってきた私に普通に接していたし
私とたぁを無条件で受け入れてくれる人だった。
一番最初にたぁを抱っこしたのも叔父らしい。
その時の私は荷物を運び込んでいたので見ていないけど。



16日、夜。
父に「お前は行くな」と言われる。

17日の通夜の事だ。

たぁも調子が悪いし…。
ぶり返すのが怖いので
言われたとおり欠席する事にした。


17日、通夜当日。

祖母が行かないと言う。
子供の葬式には親は出席しない。
子供に呼ばれるからだそうだ。


余談だけれど。

だんなの葬式にも出席しない。
喪服すら着ない。
うちの実家の方ではそういう風になっている。
ゆえに祖母は祖父の葬儀には出席していない。
戸籍上は祖母が出した事になってるけどね。


今日一日誰もいない家に
祖母一人を残す事は出来ないので
最初は連れて行くつもりでいた。


結局、私が残る事になったので
私が祖母を見ている事になった。


その流れで18日も欠席となった私。


母が言うのだ。
「老いた親の姿なんて涙を誘うだけだし
祖母も辛いだろうから」

だから悪いけど18日も残っててくれと。


嫌だったけど仕方ない。



叔父の遺体に別れを告げる。
「ありがとうございました」
誰にも聞こえない声で言った言葉は届くのだろうか。



大人5〜6人がかりで部屋から叔父を運び出す。
外でも棺を受け止める人がいたので
総勢だともっと多くの人の手が介入している。

棺の乗った車が長いクラクションを鳴らした。

そんなのドラマでしか聞いた事なかった。
実家でやる葬儀とはまた違っていた。

祖母は縁側から何も言わず見送っていた。


3人きりの実家はやけに広い。

祖母はしきりに
妹2が連れて行ったしゅうの事を気にしていた。
置いてきたり(置き忘れたり)しないだろうか?
手を離したりしないだろうか?

息子の手を離してしまったと感じているのだろうか?



今更だけど。

実家に行く事が決まって、誰にもいえない事があった。
言葉や文字にしてはいけないと思っていた事があった。


お盆に帰る。


それは私とたぁの存在を認めてもらう事。

認めてもらうのは親や親戚…
近所の人、と言う生身の人だけではなく
祖先の霊も例外ではない。


認めてもらえなかったら?
離れ離れにされてしまうのだろうか?


誰かが連れて行かれそうな…
そんなばかげた考えに支配されていたのだ。



眠りの浅い日が続く。
私はたぁを抱くようにして眠っていた。



それは実家に戻った時もそうだった。

それまでは背中を向けて寝ていても平気だったのに。
手が届くところにいないと不安になるようになった。


誰にもいえないでいたのは
ここに書かなかったのは
それを呼び込みたくなかったから。



叔父は身代わりになってくれたのかもしれない。
そう考えるのは馬鹿げているのかもしれないけれど。

2002年08月17日(土)



 ヤブ医者か否か?

8月16日。

叔父の死後処置を近所の婦長さんにしてもらう。
鼻の詰め物がなくて垂れ流し状態だったのを見て
やってくれる事になった。

葬儀の日程は17日通夜
18日告別式となる。
間に友引が入るからだ。



そして。

朝おきるとたぁが熱かった。
発熱である…。

こんな時に…
いや、こんな時だからか。


はかったら37.8。
午後になってあがっても困るので
早めに医者にかかる。

しかしかかりつけの医者はお盆休み。

仕方ないのでしゅうちゃんが
実家にいる時にかかった病院に電話。
その病院のお盆休みは前半だったらしく
今日から通常営業(?)。

予約入れてかかってきました。


病院ついたのが9時10分ころ。

受付を済ませると看護婦が出てきて
「来院の理由」を聞いてきた。
朝から熱があることを伝え
聞かれたことに答える。

せきや鼻水は昨晩少しあった。
機嫌は特に悪くない。
下痢はしていない。


しばらく待たされ診察室に通される。

聴診器を当て寝かせておなかと喉のチェック。


診断は軽い夏風邪。
熱さましの座薬のみ処方。


午後。

叔父の親友がやってきた。
昨日、叔父の携帯から電話をしておいたのだ。
電話口で「嘘でしょう?」を連発していたのだが…。
本当に嘘ならいいんだけど…。

親友Aさんは号泣していたそうだ。
何の前触れもなく、突然に逝ってしまったのだ。
当たり前の反応だろう。


たぁは機嫌が悪くなる。
さらに3時にミルクを飲んだ直後に吐く。
しかし熱は8度と大してあがっていない。
ちなみに解熱剤は未使用。


ちょうどその時葬儀屋が来ていて
叔父の亡骸に処置をしていた。
叔父の旅支度もするようなので
その様子を一部始終見ていたのだが…。

あかんぼ抱いて見るものではなかった。

叔父の遺体にはガスがたまっていた。
そのガス抜きをしていたのだ。
空気の漏れる音とともに
卵が腐ったような匂いがしてきた。

数分後、再びたぁが吐く。

吐くものなんかあったんだろうか?
という勢いで。


それに気づいた母に
「そんなザマで母親になんかなるんじゃねぇ!」
…と怒鳴られる……。


これはかなりへこんだ。


叔父の遺体を泣きながら拭いたが
叔父の死に対する涙も
母親に怒鳴られたことに対する涙も
一緒になっていてパニック状態だったかもしれない。


妹2に運転してもらって再び病院へ。
他にあいてるところなんて休日夜間しかないので
同じ病院にかかる。

あらかじめ電話で症状(吐く)を伝え
薬を処方してほしい旨も伝えてもらう。
(私はたぁを抱っこしてたので)


病院到着、すいていたのですぐに通される。


ミルクを飲んだ後2回吐いた事
身内に不幸があって明日明後日と
出向かなければならない事を伝える。
(暑さ対策で斎場借りることになったので)

結果、吐き止めの座薬を処方される。
妹が電話で言ってた薬だ。


さな「えーと、身内に不幸がありまして
  どうしてもいかないとなんですけど…」

医者「だから?」

だから何?みたいな。

さな「…薬を出してほしいんですけど」


うろ覚えだけどこんな感じ。


医者「飲めばすぐ直る薬なんてないからね〜」

さな(んなこたぁわかってるわ!)
  「でもこれで治るんですか?」


医者「様子見るしかないね」

さな「明日連れて行けるんですか?」

医者「それはわからないね
   様子見てもらわないと」


ありがとうございました…
いつも診てもらったあとに口にする言葉。

いえませんでした。



飲めばすぐ治る薬を処方しろなんて言ってない。
そんな薬があれば病気で死ぬ人なんかいないだろう。

なんでもかんでも薬を与えるのは好きではないけど
薬で治るなら薬が欲しかっただけだ。
2度も噴水のように吐いてるし。

様子を見て…悪くなったから連れてきたのに。


待合室で待っていた妹に
吐き止めしか貰えなかったと言うと
「聞いてみる」と言ってくれた。

情けない姉ちゃんである。


妹2「○とか×とかもらえないんですか?
   私も小児科で看護婦やってるんですけど
   そういう薬を処方しませんか?」

そんなようなことを看護婦に言う。
薬も受付で出してもらえたから。

看護婦「月例が低いから様子を見るしかないんですよ」

最初は丁寧に対応していたが
妹2が看護婦だと言って
べらべらまくし立てたあとは
はぁ?なんなのこの人〜?
と言う対応…。

ま、その気持ちはわかる。
いきなりけんか吹っかけられんだしな。


看護婦「じゃぁもう一度先生と話してもらえます?」

と言うわけで再び診察室へ逆戻り。
先生は相変わらずのらりくらり。


医者「でも、せきも鼻水もあるかないかっていってたでしょ?」

ちょっと私切れかけました。
あるかないかなんて言ってないし
お前(医者)に言ったわけではない。
お前(医者)に聞かれたわけでもないしな。


妹2は看護婦に話した内容を話し
お盆休みで病院もしまってるし
具合が悪くなってもかかれないことを話して
その後、最終兵器を出した。

「処方してもらえないとうちに帰れない」
これマジです。笑

母にそんな感じで追い出されたようなもんですから。


しぶしぶながら処方してくれる医者。
3種類くらいの薬名がセットになっているハンコをポン。

…ちといい加減なんじゃな〜い?
怒られるから処方してくれなんて言う患者に
そんないい加減でどうする!って
逆に怒るところではないかと思う。

少なくとも私は怒られると思っていた。


薬をいただいてうちに帰ると
三度たぁが吐く。
ほとんど胃液だ。

急いで吐き止めの座薬を挿入。
30分待てば平気らしいけど
その病院では1時間と言うので50分ほど待つ。


その後、恐る恐るいつもの半分のミルクを与えた。


薬が効いたのか今度は吐かない。
ほっとしたのもつかの間。
また…。(T_T)


何が原因なんだ?
軽い夏風邪なのか?

軽い夏風邪ってこんなひどくないだろう。


時間も遅かったので休日夜間病院に行くことにする。
処方された薬と一日の状態を説明し診察を受ける。


当番医「便は出てる?」

あれ?そういえば出てない。
たぁは私に似ず快便小僧なので
1日に3回する時もあるのだ。
全部普通便で大量だったりするしな。

当番医「便秘かもしれないから
    浣腸してみる?
    もし違ってても害はないから」(にっこり)

最後の言葉は多分…
私がめっちゃ不審な顔をしていたからかもしれない。


実際、半信半疑で浣腸をしてもらったもの。


結果。

今度は吐かずにミルクも飲めました。
もっとよこせと要求するくらいだし
機嫌も直ったみたいだし…。


またあの医者にかかっていたら
便秘だと言われたのだろうか?

それとも
便が出てないなんて言ってなかったじゃない
って言われたんだろうか?

なんとなくだけど、後者のような気がする。



夜、棺に入れられた叔父と対面する。
一番大きなサイズの棺らしい。
特注でなくてよかったね。

昨日は白い顔で横たわっていた叔父。
今は化粧を施され寝ているだけだと言われれば
そうだと思ってしまうような顔をしていた。



叔父上。

こんな風に寝顔を見られるとは…
思ってもなかったでしょう?

2002年08月16日(金)



 まるで夢のような出来事。

何から書いたらいいんだろう?
よくわからないから最初から書いてみる。
でも正確には何処が最初なのかはわからない。
故に内容は前後する事もあると思う。


それ以前に、本当は書くべきでは
ないのかもしれない。

でも、記憶が風化してしまう前に
何もかもに幕がかかってしまう前に
私が忘れてしまわないように。





8月15日はとにかく暑い日だった。

昼間、不機嫌だったたぁが
少し機嫌を直したのを見計らって
私は一人アパートへ戻り
ただ立ってるだけでも汗だくになる中
アパートの大掃除に取り掛かっていた。


しばらくして妹2が手伝いに来てくれて
2時間ほどで掃除を切り上げた。
とにかく汗が気持ち悪かった。

ちなみに片付いたのはキッチンだけで
洋室和室は片付ける途中で切り上げたので
かえって散らかってしまっている。

「もういい、明日にしよう」

妹1に預けたまんまのたぁも気になるし。
元気ならいいのだが
体調を崩し始めているようだったから
それがとても心配だった。


ミルクの残りが少なかった事もあって
妹2に寄り道する旨をつげ別れる。


別れた直後、午後4時半近く
その妹2から電話で
叔父が倒れた事を知らされた。
どうやら妹1から電話があったらしい。


その連絡を受けた私は
ついに来たか…と思った。

叔父は過去に一度倒れている。
その後、薬も処方されているのだが
電気工事の仕事をする叔父は
面倒くさがって飲むのをやめてしまっていた。

次に倒れたら仕事に支障をきたすかもしれない。
支障ですめばいいけれど…。


叔父は独身で実家の敷地内に住んでいる。
一族の一人、と言うよりは家族の一人と言う感じだ。
私はいずれこの叔父の老後の面倒も見るのだろうと思っていた。


私が実家に戻る時なのかもしれない。


乾いた空に雷がひかるなか
ぼんやりとそんな事を考え
ミルクを買った私は家路を急いだ。

後に、病院へ駆けつけた両親も
その時は私と同じ事を考えていたと
障害が出てしまったら
現状では面倒が見れない
と思っていたと知る。


帰路につく私に再び着信。
時刻は5時をさす頃
今度は妹1だった。

めいっぱい急いで帰ってるのに
こいつはせかすきか!と思ったら
対応が不機嫌になる私。


「あのね…叔父さんがね…」
と切り出す妹1の声は震えていた。
「聞いた。もううちのそばだからすぐ着く」
ぶっきらぼうに答えると
緊張が取れてほっとしたような声になる。


そんなに心細かったのかと思った私は
晩御飯はカレーでいいかな?
と考えつつアクセルを踏み込んだ。



家に着くと妹2人と祖母と叔母が
コマネズミのように動いていた。

玄関から盆棚の飾ってある和室
更に奥の部屋までとにかく片付ける。
その部屋は泊まりに来ているイトコ達が
いる部屋で帰るまで万年床状態なのだが…。


よくわからないうちに
そのコマネズミの集団に加わった私だが
視界の端に今現在進行している現実を
目の当たりにする事になる。



奥の座敷に南北に敷かれた一組の布団。
目に痛いほど真っ白なシーツ。


倒れた叔父が自宅療養?
そう思ったのは一瞬だけ。



なぜなら、その枕は北を向いていた。




昼に仕事先から一度戻った叔父は
いつも通りの叔父で、泣いているたぁに
「なに泣いてるんだ〜」と話し掛けていた。

私は眠い目をこすりながら
「不機嫌なんだよ〜」と答えた記憶がある。


父の兄弟の中では一番体格が良くて
一人身で来てしまったせいで
祖母が一番可愛がってた子供。


その叔父が死んだ?


それじゃあさっきの妹1からの電話は
それを知らせるためにかけてきた電話だったのか?


誰にも確認を取る事は出来なかった。
コマネズミの集団がその事実を無言で告げていた。


嫌な現実だった。

信じろと言われても
にわかには信じられない
けれどそれは紛れもなく現実だった。


こうなるともうやる事は決っている。
葬式の準備だ。


妹2人の話しによると
その時の私はたらら〜ん♪と帰って来て
「ミルク買って来たよ〜」
と、あまりにものんきだった。

そして途中から
突然動きが変わったらしい。



片付けながらもやはり夢のように感じていた。



父より一足先に帰ってきた母が
玄関先で叔母と顔を合わせた。
その瞬間、2人は泣き崩れる。

現実が色濃くのしかかってきて
私も泣きそうになったがこらえた。
泣いてる場合じゃない。


ぱたぱたと要領悪く動いているうちに
近所の人や近い親戚が集まり出した。

みんな一様に信じられないと言った顔だ。


そして午後6時ごろだったか
父の叔父の運転する車が庭に入ってきた。
その車には父も同乗している。


叔父の帰宅だった。


家の中にいる人に
「帰ってきたよ」とつげて
叔父を迎える。


何人がかりだったのかは覚えていない。
体格のいい叔父を布団の上まで運び込む。

父も泣いていたのだろう。
汗だけではないものがそこにあった。


まず祖母が近寄り、泣いた。
後にも先にも祖母が人前で涙したのはこれっきりだ。

コマネズミの一団にいた叔母が
その反対側で泣き崩れた。
彼女は叔父と一番仲が良かった。

私はたぁを抱いたまま祖母の近くに寄った。
一人で泣かせておくには祖母は年を取りすぎていた。
すぐに父の姉である伯母がやってきたので
祖母の隣りを譲り私は後ろへ下がった。

私もそれ以上そこにいる事は出来なかった。


それ以降の事は記憶があやふやだ。

盆棚が片付けられたのは覚えている。

けれど簡易的な祭壇が枕元に設置され
葬儀屋が来て式の段取りを決める
その間の出来事を私は見ていない。


コマネズミの一団にいた間中
年下のイトコ達にたぁを見てもらっていた。
中学生の2人には夕飯抜きは良くないだろう。

今日はバーベキューの予定だったので
特に夕飯の準備はしていないし
すぐに食べられそうなものは
ラーメンくらいしかない。

「何か食べる?ラーメンならあるけど」
そう言った私に叔母が
「こういう時はラーメンは駄目だよ」
とたしなめた。

麺類は葬式が終わるまでは食してはならない。
こんな悲しい事が細く長く続いてしまわないようにだ。
私はそれをすっかり忘れていた。



一通りがすんで枕元に座り線香を上げる。

ギリギリの所で現実を遮断していた
刺繍の入った真っ白な布が
うっすら赤くにじんできていた。


これは何?
両隣に並ぶ妹に問う。

私は叔父の体が夏の暑さに耐え切れず
溶けてきているのかと思った。
そんな筈はないのだけど。

伯母に問うと顔にかかった布をさっとはずしてみてくれた。


妹2が「死後処置が悪い」と言った。
普通なら施されているはずの処置が
その時の叔父にはまったくなく
そこからにじみ出たものが
布に染みを作っていたのだ。

現役看護婦の妹2が叔父の顔を拭いた。
「感触が残ってるよ…」
寝る直前に彼女はそうつぶやいた。
あのままにしておけないだろうから
明日の朝、私が処置をするしかないかなぁ、とも。



父は4人兄弟。
伯母、父、叔父、叔母。

流石に上2人は違った。
ただ泣くだけではどうにもならない事
やらなくてはいけない現実に対処出来る。

出来ると言うより
対処しなくてはならない。
そんな役回りかもしれないけれど
長姉長兄である彼らには
それはもう当たり前のように染み付いていた。



実家に戻って3日目。
青天の霹靂ってきっとこういう事。

2002年08月15日(木)



 実家@1〜2日目…飛躍的な進歩…

実家に戻って一番心配だったのは父の反応。


で、これが予想通り近寄ってこない。
q(T▽Tq)(pT▽T)p

近寄る事が出来ないんですね。
不器用な人だから
私が産まれた時もそうだったみたいだけど
どう接して良いかわからず遠巻きになる。


でも、晩御飯を食べる時に
父が「こっちにつれてこい」と言ったので
(食べてる間見てる人がいなかったから)
連れていってみててもらいました。

更にミルクを所望したので
つくって父に飲ませてもらいました。
その時はみんな手が空いてたんだけどね。


父は嫌がったけど。
本気で嫌がってないし
長子の私がミルクっ子だし
慣れてない訳はなかろうと。


まぁ、いいカンジで親子関係も修復されたかな。



たぁは歩行器に乗ってたらら〜ん♪としてます。

車に乗って廊下を走るしゅうちゃんの後を
歩行器で追いかけたり(そう見える)。
だっこする時、手を出すようになったり。
しゅうちゃんに意地悪されて(?)泣いたり。


こういう所でしか見れないたぁを見せてもらってます。


しゅうちゃんは突然言葉が増えて
「たぁたん」って言いながら
歩行器押してたり
お茶をあげたら「ありあと」って言ったり。


小さい子がいるからこその
成長ぶりを見せてくれてます。

お兄ちゃん扱いされたり
今まで自分がいたポジションを追われて
少しストレス?も感じてるみたいだけど。


そういう時は
たぁのそばにいないで
遊びに来てる私のイトコ達の方へと
行ってしまう…。σ(^_^;)アセアセ...

あっちにいけばまだ年少として扱われるしね。



祖母は…普通の対応でした。
普通に可愛がってくれた。

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親戚や近所の人達は
何も詮索してこなかった。

と言うより…


来たら私が子連れでいるもんだから
びっくりしてパニック状態になったと言うとこかな。
知ってる親戚はたぁを可愛がってくれたけど。


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結婚して子供を産んだとか
後妻として結婚したとか
色々噂があるようで…。

否定はしてないし
するつもりもないからそのように、と。



私は少し気疲れしてしまったけど
こうやって円満に進んでいくのは
私を取り巻く人のおかげなんだろうな。

その一番はたぁが笑顔でいてくれる事でね。


生後238日目*授乳量600ml

2002年08月14日(水)



 いよいよ

*土日の日記もアップしました*


どきどきのお披露目です。


明日実家に帰ってきます。
戻るのはいつになるか…。


すぐ帰るかもしれないし
休み中ずっといるかもしれない。



でもま、実家にマイパソおきっぱなので
それがネットにつながってたら
日記も更新してると思います。



ちょっと、明日帰ることにして後悔。


荷物がありすぎ〜〜〜とか
全然まとまらない〜〜〜とか
今のところの予定だと結構滞在しそうだし
明日は出勤日なので
明後日行く事にすればよかったかな〜と。


まぁいっか…。

近いし、足りないものがあったら
取りに帰ればいいんだ。



…いよいよ


父と対面です。



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私が実家に入ってしまったら…
会うことはできないんでしょうね…。


生後236日目*授乳量730ml


*土日の日記もアップしました*

2002年08月12日(月)



 しゅうちゃんとたぁちゃん

お昼ごろ妹たちから電話があって
「昼食べたら行く」と言うので
たぁちゃんと二人で待ってました。

途中たぁは寝てしまったけどね。
でもってやってきた妹たちに起こされてたけど。(−−;


きょうのたぁは
しゅうちゃんに頭を押されたり
しゅうちゃんに倒されたり
しゅうちゃんにお腹をたたかれたり
ある意味初めてづくしでした…。(−−;


この二人はお互いの成長を促していくんだろうな。


しゅうちゃんは年長者としての自覚を
たぁちゃんは打たれ強さを
それぞれ習得していくのかもしれない。


母親とは逆のことをね。


妹2が「従兄弟だから似てるとこもあるんだね」
と言っていました。
私が前に言ったときは信じてくれなかったくせに。


それと妹1は相変わらず面倒見がよかったです。

しゅうとたぁ二人をいっぺんに面倒見てるし
たぁの横でしゅうにご飯あげてるし。



今日の離乳食はかぼちゃ豆腐。
しゅうちゃんも食べたそうだったのであげたら
あっという間に食べてしまいました。

あとで聞いたら豆腐はあんまり食べないんだって。<しゅう
かぼちゃ味だから食べれたのかな。

2002年08月11日(日)



 花火大会

たぁぽんと子父と私で花火を見に行きました。


しかし私がのんびり支度をしていたせいで
電車に乗ったのが8時くらい…。

たぁぽん眠そう…。


我が家には抱っこ紐がないので
おんぶ紐で前抱っこをしていきました。
結構そうやって連れてきてる人もいて
みんな考えることは同じなのね〜
と思ってしまった。(^^)


たぁぽん初めての電車は「なんだろう?」
という感じでした。
そのうち喜んだりするようになるのかな?


会場に着くと花火大会は始まっていて
かなりの人が出ていました。


去年、しゅうちゃんが花火の音に驚いて
少し泣いたという話を聞いていたので
どうかな〜?と思ったけど
たぁぽんは大きな音は平気みたい。


河原をうろうろしながら
座れる場所を見つけて
そこで3人で花火鑑賞。

最初のうちは暗がりにいる人たちのほうが
気になっていたたぁぽんですが
少し立つと花火にも興味を示して
夜空をじーっとみつめていました。


最後まで見てしまったので帰りは10時過ぎ。
電車に乗ってアパートに戻ったのは10時半回ってたかな?
たぁぽんは帰りの電車で眠ってしまいました。

駅がめちゃくちゃ込んでて
思い出したのは明石の事故…。
入り口の階段で将棋倒しでもあったら
ひとたまりもないです。
少し早めに切り上げればよかったな…とちょっと後悔。


でも、そうならないように何段かおきに
警察の人がいて、誘導してました。


駅では隣り合わせたおばちゃんにうちわで扇いでもらったり
おじちゃんに元気な子だなぁと話しかけられたり。
(まだ起きてたので)
まぁ、よかったのかな。



この花火大会。

妹も私の借りてる駐車場に車を置いて
友達としゅうちゃんと見に行ってました。
昼間、妹に電話で花火大会のことを聞かれて
裏に止めて電車で行ったほうが良いかも〜
という話をしてたので。


帰りの時間が一緒かな?
と思ってたのだけど…
妹たちは知り合いの車で送ってもらったみたい。

やたら裏道を使いたがる人で
かえって時間がかかったように感じたようです。<妹
確かに渋滞に素直にはまってたほうが早かったかも。
もしくは電車に乗ってしまうとかね。


なんだかんだで11時半くらいに
裏の駐車場に来たって言うんだからびっくり。
何やってたのよ…って聞いちゃったよ。

2002年08月10日(土)



 ストレス2*予防接種・三混3

暑いからね〜。
みんな微妙に機嫌悪いんでない?



今日はヘルプで私がやってる仕事を
手伝ってくれた人がいたんだけど



文句タラタラ。



「これじゃ仕事にならない」を連発
「いつも(この状態で)どうやってたの?」
と周りに愚痴(?)こぼしまくり。


仕事にならなくても何とか仕事にするんだよ。
いつも試行錯誤しながら仕事してんだよ。


更に「これ使っていいの?」と聞くので
「それはHさんのだから…」と言ったら
「誰々のだからって言ってたら仕事にならない」だとぅ!

んじゃ聞くな。
最初から勝手に使え。



勝手に使うと後々大変だから(それ使う人が)
本人(Hさん)いるんだし
本人に聞いてみるなり
一言使うよって声かけるなりしてもいいと思う。


っていうかお客さん気分で仕事するのやめてね
他部署からヘルプに来たなら分からないだろうから
私が聞きにいってもいいけどさ。
なんじゃこりゃって思った事をべらべら言いまくってもいいけどさ。


今日は私も機嫌悪かったのか愚痴ってきちゃったよ。


それはさておき。
今日は仕事を半日で切り上げて
三種混合の3回目を受けに行ってきました。


お迎えに行くとちょうどたぁは寝ていて
寝ぼけた顔で笑ってくれました。
これから起こる事など知らずに…。
※離乳食食べきった直後に寝ちゃったんだってよ。


1回目の時はちくっとした時に少し泣きました。
でも「???」って感じですぐ泣き止んで。
2回目の時は割りと泣きました。
打たれてびくっとして泣き出す感じ。

3回目の今回は打つ前から泣いてる。(^^;


うぅ〜〜〜って半べそ?


これも知恵がついたと言うかな?
痛いことされるって雰囲気で分かったとか?




今週末は花火大会&水遊びの予定です♪
水遊びは出来なくても森林浴できたらいいなぁ。

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生後231日目*授乳量 400ml(2回)

2002年08月07日(水)



 マグマグ+強行突破!

今頃になってマグマグを出してみました。

これって本当に小さい時から使える代物なのね。
乳首もついてるし、最終的にはコップになるし。


先日やってきた妹1に
「順番違うんじゃん?」と言われまして。
まぁ、私の行動はそういうのが多々あるけども。笑


妹1「コップの前にストローなんじゃ…」


あぁ、言われてみればそうやって段階踏んでくよね。
保育園でコップだったし上手だって言うから
哺乳瓶からコップにレベルアップしちゃったけど。


そういう訳でストロー初挑戦☆してみました。


最初は横からぴゅ〜って
吸いすぎたジュースが飛んでたけど
すぐに慣れたみたいでこれまた上手に飲めました。


赤ちゃんの吸収力ってすごいな。
すごい速さで子供に近づいていってるよ。

後は自分で持って飲んでくれればオッケーかな。



それから実家の父の事。

ものすごい速さで成長していくたぁを見て
今この時期を逃したら後がないような気になった。

赤ちゃん後期に入ってるんだもん。
この先、子供になったら
赤ちゃん特有の可愛らしさはない。


なんとしてでも会わせたいと思っていました。


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お盆休みですか…。

お盆休みと言えばお盆があるんですよ。
うちは本家だし、田舎だし…
通常より人の出入りがあるんですよ。



母ってギャンブラ〜?汗



この電話がなくても、たぁを実家に連れて行くつもりではいました。

タイミングのいい事に今月は夏休み月間。
保育園もお休みの日が増えます。
預けて出社か休んで自宅保育か…。
土曜日はいいんだけど
お盆休みが園と会社で1日ずれてるのがあって…。


それを理由に直接父にお願いしてみようかと。
流石にお盆休みは鬼かなと思って
土曜日の休日出勤のときになんだけどね。


本当は保育園のほうで都合をつけて
預かってくれるんだけど…。
それはこの際、最後の手段として取っておいて
頼み込んでみようと思ってました。


「父はたぁを見たくないの?!」
……そんな事はないだろう…。

「今見なくてどうするの?」
……一生見ないと言われたらどうしよう。

「私とたぁの遺影と対面がいい?!」
……おいおい。

「父がよくても私はよくないんだよ」
……すっげぇ、わがままな娘。


畳み掛けるつもりでもいました…。


どうしようもない事態でなら
そして他に頼めない時期になっていれば
(前日電話しようかと思ってたので)
しぶしぶ…と言う感じでも預かってくれるだろうと。

うちに母(か妹)を派遣…と言うのもあるかもだけど。
それでも試してみる価値はあるだろうと。


もし駄目だとして。
父がもっと頑なになってしまったとしたら。
そしたらどうしようと言う不安もあったけど。


自分のことだし他力本願じゃいけないのよねっ!と。



でも、母に先手を打たれてしまいました。
やっぱりR子さん、私の母なのね。


母「お父さんにも承諾とったから♪」


そんな訳で今年のお盆休みは
ちょっくら実家に帰ってきます…。

あぁ〜、何言われるかドキドキだわ。



生後230日目*授乳量 530ml(3回)

2002年08月06日(火)



 時期がきたら…+おっとこまえ〜♪



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会社には育児の先輩がたくさんいる。
そして女の子のママより男の子のママの方が多い。
これって男の子は親離れするのが早いからかな。


仲良くしてるおばちゃんと
「時期がきたら…」と言う話しをしました。


ティッシュを全部出しちゃう時期。
カセットテープを引っ張り出しちゃう時期
今ならCDをぶちまけてしまう時期かな?

話しててナルホドと思いました。

思わず「あ〜〜〜っ!」と叫んでしまうような
いたずらをする時期がきたら
やめさせる努力をしないで
やりたいだけやらせて見ないと駄目みたいね。

そういうのも成長の大事な過程の一つ。
と割り切ってある程度やらせてしまうのがいいらしい。


そう言えばしゅうがうちに来るたびに
文庫本を棚から全部落としてってくれたよな。
でもいつの間にかしなくなったな。

駄目って言っても聞かなかったから
危ないものじゃないしと言う事で
好きなようにさせてたんだけど。


我が家には低い棚が多い(?)ので
いずれたぁが今より動くようになったら
配置換えしないとかなぁ?って思ってたけど
そういう風に環境を作る必要はないのかも。

そういう環境を作る事によって
たぁの興味を引くものが減ったら
それはそれで大変なんだなぁ。

あ、配置換えが面倒なわけではないですよ。
私模様替え好きだし…。
ココに越してからはしてないけど…
ってかできるわけないんだけどさ。



それから、甚平をもらいました。
去年、しゅうちゃんに買ったやつ。
妹が持ってきてくれました。


さっそく着せてみたら。



たぁちゃんかっこいい!!



しゅうも変じゃなかったんだけど
たぁの方が似合ってる〜!


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生まれた時から親父くさい顔だと言われてたけど…
最近はそうでもなくなって可愛くなったと思ってたけど…



生まれ持ったもの(親父くささ?)はそうそう変わるものではない?



しゅうはトリコロールとか
割と可愛いデザインとか似合うけど
たぁは落ち着いた配色の方が似合います。
デザインも然り。
シンプルで落ち着いたものの方が似合うの。


イトコ同士なのになぁ?
顔似てないからそんなもんか。


記念に写真も撮りました〜。
最近ね、カメラ向けると笑ってくれます。
前は「なんだ?」って感じで笑うのやめちゃったけど。

これも進歩だよね。


そうそう。

しゅうの時に
「人好きで愛想がいいのは旦那に似たのかも」
って言ってたけどあれ撤回しないとね〜。


愛想振りまくのも人見知りが遅いのも
旦那の血じゃなくてうちの血ね。

しゅうもたぁもそういう所そっくりだもん。



生後229日目*授乳量 800ml

2002年08月05日(月)



 たぁちゃん日記。

あさからホイクエンにつれていかれた。

どうしてかなぁ?
きょうはどようび、ひるまでねてていいんじゃないの?


でもいいんだ。

ホイクエンではおいしいものがたべられる。
おおきなおともだちもたくさんいる。
ぼくとあそんでくれる。


やすみのひのママは
(ふつうのひのママなんてよくおぼえてないけど)
ヒタスラネル。

ぼくがけってもたたいてもおきない。


でもなんでかなぁ?
ふとんからおちたときと
しずかにしてるときは
おきてくるんだ。

しずかにしてるときはイタズラしてるからだってさ。

ぼくはイタズラなんかしない。
ママがいつもさわってるものにさわってみたいだけ。


でもママはわかってくれない。


ぱそこんのまうすはかじっちゃだめなんだってさ。
ぼくは、おもちゃはまずくちにいれてみることにしてるんだ。

そうやっていろいろカクニンしてるんだよ。



それからママはときどきオチコム。


ママ


おふとんからオチタら、ちゃんともどって
おなかになにかかけないとだめだよ。

そうしないとだめっていつもいってるでしょ。



オヒルスギにママがオムカエにきてくれて
そのあとおうちにかえったら
おねえちゃんがきてた。


キコンのオンナノヒトはオバチャンでいいけど
ドクシンのオンナノヒトはオネエチャンなんだって。
じゃぁ、ホイクエンのセンセイもそうよぶのかな?

むずかしすぎてよくわかんないよ。


おねえちゃん、ママのイモウトはおかしい。


おねえちゃんがわらうと
ぼくもつられてわらっちゃうんだ。
へんなの。


ゆうがた3にんでおかいものにいった。
ママがいきたがっていたザッカヤサン。
いろんなものがあって
いろんなおとがしたよ。


ガチャンっていうおおきなおとがしたとき
ママとおねえちゃんがびっくりしてたのはなんでかな。


ザッカヤサンではずっとママにだっこ。
ママは「うでが〜」ていってたけど
「いまのうちだけだし…」ともいっていた。


ぼくはというと、だっこしてもらえればそれでいい。
ぼくがだっこしてほしいときにはいつもだよ。

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生後227日目*授乳量 800ml

2002年08月03日(土)
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