時々管理日誌
時々だけ書く管理人の日誌です。
サイト運営や創作について、日々の雑感など。

2004年05月13日(木) うっかり&リンク規定&おせっかい

毎度おなじみの、『またやっちゃいました……(ーー;)』です。
先日『イルファーラン物語』を更新したときに、前回分から最新分へのリンクを開通させ忘れてました。
目次や更新情報から直で最新分にリンクしてるので、最新分が読めないわけじゃないので、そんなに害はなかったかと思いますが。
アクセス解析で、『イルファーラン物語』最新回ページからトップページに飛んでくる人が今回に限ってぜんぜんいないので、ヘンだなあとは思ってたんですよ。
気づいたのは偶然なんですが、ほんと、たまたま気がついてよかった。

『イルファーラン物語』更新のときって、前回分のリンクを直すとか、DL版作りとか、トップページと目次ページの二箇所に更新情報を出すとか、『小説大好き!』さん用にメタタグを書き換えるとか、ノベルウッド栞機能のためにも書き換える箇所があったりとか、作品本体をアップする以外の細かな附帯作業がすごくいろいろあるんですよね。
今度からそういう仕事のチェックリストを作って作業漏れを撲滅しよう……と、前々から思いつつ、怠けているうちに、またやってしまいました。
次からこそ、附帯作業チェックリストを作ろう!

うっかりものじゃ無い人はそんなもの作らなくていいんだけど、うっかりものこそ、そういうことをきちんとしないとダメなんですよね(……でも、やってない(^^ゞ)。

さて、気を取り直して改装の話の話の続き……といっても、これは改装ではないのですが、もののついでに、リンク規定もちょっと見直しました。
別に規定の内容そのものは変っていないのですが、ちょっと前置きとか但し書きとか、増えました。

他の多くの小説サイトでもそういう場合が多いと思うのですが、あのリンク規定って、もともと、主に同じオンライン小説サイトのリンク集からリンクしてもらうときのことを想定しているものなんですよね。
リンクしたら強制じゃないけどなるべく事後に連絡してね、とか、なるべくトップページにリンクしてね、とか。

でも、リンクといってもリンク集とは限らず、普通に文章の中で『ここにこういうことが書いてあるんだけど……』の『ここ』の部分からリンクを貼るようなことって、よくあるじゃないですか。
それも、『リンク』といえばリンクなんだけど、あのリンク規定で想定している『リンク』とは微妙に違う。

なので、まず冒頭に、『これは主にリンク集に入れてもらう場合のお願いです。そうじゃないリンクは勝手にどうぞ』というような意味の注意書きをつけてみました。

あと、『イルファーラン物語』目次ページには『作品の感想批評は辛口も含めてご自由にどうぞ』ということを書いていたのですが、リンク規定にもそれを書いておきました。

私、自分がサイト内にオンライン小説感想コンテンツを持ってるし、作品捜索系掲示板で人の作品をこっそり紹介することをけっこうよくやっているので(町内の仲人好きのおせっかいおばさんみたいですね(^^ゞ)、そういうときに、そのサイトがリンクフリーなのかとか、サイトトップではなく小説ページにもリンクしていいのかどうかとか、感想を勝手に書いていいものかどうかなどが、すぐにわかるところにはっきり書いてあってくれるとすごくありがたいなぁと感じる機会がけっこう多かったのです。
で、自分なら相手のサイトがこういう風に明示してくれてると便利で助かるんだけどな、と思うとおりのことを、自分のサイトで実行してみました。

人の作品を紹介しようとすると、『これを紹介しよう!』と思い立ってからが、意外と手間なんですよね。たまたま作品を読んで記憶やブックマークに残ってただけの交流の無いサイトさんの場合はもちろん、たとえ知り合いのサイトでもそれぞれのリンク規定までいちいち暗記はしていないから、あらためてその人のサイトに行ってリンクフリーかどうか確めたりするんですが、どこにそれが書いてあるかはサイトによって違うから、時には探し回る羽目になったり。

まあ、リンクフリーかどうかわからなければ、リンクしないで、サイト名、作品名だけ紹介すれば良いだけのことですが、リンクしてあるかどうかで紹介の効果はぜんぜん違います。(効果の違いは自分がよそで紹介してもらった時に実感済み)

話はそれますが、上記のように、私、よく、人の作品を勝手によそで宣伝しているのですが、もちろん書き込む場所は選んでいて、私が出入りしているところは、被紹介先が荒らされたりしそうなヤバい雰囲気だったり、急にものすごくアクセスが増えてサーバーから追い出されちゃうかもしれないほど人の多いところではないので、ご安心ください。

これっておせっかいなのかもしれないんだけど、『こういうものが読みたいから、あったら教えて』と言っている人がいて、自分がたまたまそういう作品を知っていたら、読者さんと作者さんと両方のために、教えてあげたいじゃないですか。出会いのお手伝いがしたいというか……。(やっぱり、お見合いオバさんですね(^^ゞ)
『本と読者のとりもちが仕事』の図書館員根性が未だに抜けなくて、うずうずするんですよ〜!(本屋で本がちゃんと巻数順に並んで無いのを見るとつい並べ直したくなる癖が抜けないのと同じ?)





2004年05月03日(月) 企画参加&ファンタジーの境界線

相互リンク先 ruhe storerの田島光記さんが主催している競作企画 『365ALIVE』に参加しました。
日記CGIを使って、一年365日、現実世界の普通の日常を描いた短編をみんなで投稿する企画です。

実は、企画開始前に一度声をかけていただいていたのですが、その時は、参加したい気持ちは山々だけど自分に非ファンタジーが書けるかどうか、また、日記CGIに投稿できるような掌編が書けるかどうか自信がなくて、『とりあえず保留で、後で何か書けたら参加させてもらいに行く』と返事をしてあったのでした。
(『異世界やファンタジー色が強いものは不可』という規定なのです。)

で、ずっと、発動した企画をROMりつつ、やっぱり参加したいなあと思っていろいろ考えているうちに、中学生の頃に考えてあったネタで何とか使えそうなものを思い出し、書いてみたら、一応、そんなに長くならずに書けたので、参加させてもらったのでした。

ちなみに、投稿した作品は、たいしたものではありません(^^ゞ
何しろ中坊時代のネタだし、ほとんどぶっつけ本番的な一発書きだし。
もし読んでみてくださろうという奇特な方がいらっしゃいましたら、4月29日付けのものが私の作品です。この企画、作品にタイトルはつけないのです。

でも、これ、自分の基準では決してファンタジーではないつもりなのですが、『ファンタジー色が強い』かどうかと言われれば、ちょっと微妙だと思うのです。

ここから、ファンタジーと非ファンタジーの境界についての自分の考えを書くために、この掌編の内容を完全にラストまで明かしてしまうので、もし作品を読んでやろうという方でネタバレが嫌いな方は、この日記のここから下は先に読まないでください。


-----------以下、投稿掌編ネタバレ----------


その掌編がどういう内容かというと、『猫が飼いたいけど飼わせてもらえない12歳の女の子が、空想の中で、自分にしか見えない猫を飼う。その猫は宇宙から来たエスパー猫で人間の言葉をしゃべるという設定で、少女の、空想上の秘密の友達の役割を果たすが、やがて、少女に地球侵略への協力を要請するようになる。怖くなった少女は、その空想との決別を決意し、猫が病気で死んだことにして、空っぽの墓を作るが、猫は生き返ってしまう。しかたなく、今度は、空想の中で、自分の手で猫を絞め殺し、再び墓を作る』という内容です。

こういうストーリーなので、最初のほうでは、まるでSFのような内容が描かれますが、猫が宇宙人だったり人間の言葉をしゃべったり墓から蘇えったりするのはすべて女の子の空想に過ぎず、現実には、不思議なこと、非現実的なことは何一つ起こっていないのです。そのことは、ちゃんと、作品の中で明記されます。
だから、私の考えでは、これは、ファンタジーでもSFでもないのです。もしかすると、サイコ系ホラーではあるかもしれませんが。

でも、中学生の頃に考えた(でも形にすることは出来なかった)元のお話は、ほんのちょっとの差で、ファンタジー・幻想小説だったかもしれません。

ストーリーは、ほぼ同じなのです。ほぼ、中学生のときに考えた、そのまま。
ネズミモチの匂いが準主役なのも原案通り。
違うのは、ただ一点だけ。
今回書いた物語の中では、猫は二回死んで、一回目には『猫には九つの命があるのよ』と嘯いて蘇えりますが、二回目には、もう生き返りません。最後は少女が自分の空想を卒業して終わりというように、きれいにまとめてしまってあります。

でも、中学生時代の原案では、一回目に病気で死んだことにしたときは少女が部屋に戻ると何事もなかったように猫がいて、二回目、ナイフで殺した(完成作品中では絞め殺しているが、原案では『ナイフで惨殺』だった!)に、少女が墓から立ち去った後の闇の中で『猫には九つの命が云々……』『私たちはまたいつかめぐり合うのよ』というような猫のセリフが聞こえるというシーンがあったのです。少女はそれを聞きません。聞くのは『読み手』だけ。

つまり、そこでは、猫を、少女の空想の産物の範疇を越えた、実際に存在する怪異として描いてしまっているのです。物語の中で、実際に怪異が起こってしまっているわけです。
だから、そのワンシーンがあることで、原案はホラー・ファンタジーだったと思います。

その、『誰もいなくなった舞台に流れる猫のセリフ』というラストシーンをカットしたことで、このお話はファンタジーではなくなった、と、私は思っています。

それが成功なのかどうか、よくわからないのですが、とりあえず、原案通りだったら、明らかにファンタジーであり非現実の物語になってしまうので、この企画には参加できなかったと思います。
もし、ホラーとして書くつもりなら、原案通りに書いたほうが、不条理な余韻があって怖かっただろうとは思いますが、怖いものを書きたいと思って書いたのではないし。

では何が書きたかったのかというと自分でもいまいち不明ですが(^_^;)、たぶん、今も昔も、ネズミモチの妖しくも不快な匂いが掻き立てる春の闇についての妄想と、少女の『卒業』を書きたかったんだと思います。少女が空想のお友達と別れて現実の日常を選ぶ、という、ひとつの『卒業』を。

その手のテーマ(『子供時代の終わり』とか『現実世界で生きることを選択すること』とか)って、『イルファーラン物語』にも、やはり中学生時代の作品である『銀河鉄道途中下車』にも、わけあってネットで公開出来ない中編『金の光月の旅人』にも共通するもので、どうやら、今も昔も私が知らず知らずのうちに書かずにはいられない、私の、30年来の((^^ゞ)『持ちテーマ』らしいです。
『森の花嫁』は同じテーマの裏返しだし、他に構想中の作品、未完の作品なども、だいたいみんなそのテーマを含んでいるみたいな気がします。

ちなみに、『湿った春の闇に満ちる花の匂い』というのは、『イルファーラン物語』の次に公開する場面にも出てきますが、これも、この、中学生時代のネタからイメージだけを流用したものだったのでした。
『イルファーラン物語』を書いた頃は、そのネタをそのまま使うことはもう無いだろうと思ってたので……。

もう使えないと思っていた中学生の頃のネタを今更持ち出すことが出来たのは、企画に参加する気になったおかげですね。
あの企画が無ければ、あのネタは、一生日の目を見ることはなかったでしょう。

というわけで、すごく長い日記になりました。
これが掌編の後書きだとすると、本編より後書きのほうが長いですね(^_^;)


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