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2004年09月30日(木) 捨てる価値

「何か別のもののために大切なものを捨てるというのは凄いことだ。捨てられる、ということが凄い。それだけの価値をその別の何かに見出せているということだからね」

捨てるための言い訳とは、また別の話。


2004年09月29日(水) Various Blues

空の絵を描くように先生に言われた。
僕は青色の絵の具を一面に塗った。
「空を見に行こう」先生が僕に言った。
空は青色だけど、その青には色々な青がある。
そう先生は教えてくれた。


2004年09月28日(火) 中秋の名月

月が、
見えないんだ。


2004年09月27日(月) 夏影

壊れるのは一瞬だった。
永遠なんて、ないのだから。

(えいえんがほしい?)

いや、もういいんだ。
壊れることはわかっていたんだから。
それにね、たいして落ち込んでいるわけでもない。
ただ、かわいそうに思う。
君のことを。


2004年09月25日(土) 研究10・ターニングポイント

「実は君には期待していたんだ。でも、仕方がないね。もう決めてしまったんだから。私は強制できる立場にはない。君がこれまで私とやってきたことは、きっと無駄ではないと思う。それに、これで縁が切れてしまうというわけではないしね」

すべてのことができるわけではない。
ときには、あるテーマを切り捨てる必要がある。
そういうことを見極める力も、研究を進める上で重要だ。
ただしそれは、すぐに諦めてしまうということと同義ではない。


2004年09月24日(金) イノセンス

近頃じゃ夕食の話題でさえ 仕事に汚染されていて
様々な角度から物事を見ていたら 自分を見失ってた
(Mr.Children『Innocent World』)


2004年09月23日(木) 最初の一歩

一般的に、最初の一歩というのはぎこちない。
だが何事においても、
その一歩がなければ始まらない。
その一歩がなければ終わりもない。
終わりを恐れて一歩を踏み出さなければ、
それは終わりですらない。

ただ、実際には、始まりも終わりも、
どこかで厳密に境界を引ける類のものではない。
後から思い返せばあれが最初の一歩だったのだ。
そんなものかもしれない。
終わりは、終わりだと決めたときに終わる。


2004年09月21日(火) 朝が来るその日まで

答えの出ることと出ないこと。
答えを出すべきことと出すべきでないこと。

答えが出たと思っても、
翌日には変わっている。
最終期限の日に、
どちらに転んでいるか。
その程度のものなのかもしれない。
でも、それまで悩むのと悩まないのとでは、
過程だけでなく結果も異なる。

多分ね。


2004年09月20日(月) アナログなものたち

しかるべき時がやってきて、誰もがピンボールをやめる。それだけのことだ。
(村上春樹『1973年のピンボール』)

何かを手に入れるためには
何かを捨てなければならない。
でもそれを
捨てるための言い訳にしてはいけない。
多くの物事はピンボールとは違う。
「それだけのこと」では済ませられない。
そう思った。


2004年09月19日(日) 世界の終わり

「歩く速度ばかり速くなって、どこに行こうというの?」

選択肢のない袋小路。
つまりそれは、終わりだ。

「君を止めてくれる人が必要だと思う」


2004年09月18日(土) 科学と工学の間

科学技術の研究においては、
技術的課題として重要なこと、
改善していくべきものというのがある。
その一方で、新しい現象・原理の探求、というものがある。
前者は前例があるのである程度の保証がある。
後者はそういう保証がない。
しかし達成されたときのインパクトは大きい。
それを何に使うかは、後からついてくる。



「これを使えば、これだけのことができる。それはわかった。しかし、現行のシステムで代替できるものなら、勝てない。まさにこれならでは、これでしかできない。そういうものを君には期待している。できるか?」


2004年09月17日(金) 没有不可能

Impossible is Nothing



「どうしてその道を選んだの?」
「とくに確信があったわけじゃないんです。でも、この方向に進めば面白そうだな、くらいには思っていました」
「面白かった?」
「はい。幸い、まだ飽きてもいません」


2004年09月06日(月) Science&Nature

研究というのは、早さの勝負でもある。
同じようなことをしている場合、
いかに先に成し遂げるかが重要だ。
「世界で初めて」という称号は、
最初の人間(研究グループ)にしか与えられない。

ただし、これは客観的な業績としての話であり、
早さばかりを追い求めるのが当人たちの幸せに直結するわけではない。
また、その業績が後世に残るのか歴史の中に消えるのかも、同様だ。

「ScienceやNatureに載ればいいのか? それが本当に凄い研究成果なのかどうかは自分で中身を見て判断しないといけない」

ただし、ScienceやNatureに載ることが憧れとしてあるのは確かだ。そのような憧れの対象というのは、物事を進めるモチベーションになる。そういうふうに人は生かされている。


2004年09月05日(日) 想像力

人間には2通りある。
できる人間と
できない人間だ。

しかしその場合の「できる」
というのは、
しばしば当人の偏見による。
あるいは社会の偏見による。

人間には2通りある。
そのような分け方をしたがる人間と
第3の発想をもつ人間だ。

後者でありたいと思うが、
ときに前者に陥ってしまう。


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