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オールキャストで送るリアルドラマの最終回。 まさに年の締めくくりに相応しい。
終わりと始まりの集う場所。
「楽しさしかないこの場所に私はついていけなくなる。今の私は向上したいと思っているから」 「以前は俺もそうだったが、今はそう捨てたものでもないと思っている。無意味だ、と思うかもしれないけど、無意味なことを上手にこなせるというのは意味のあることだ」
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オールキャストと書いたが、 もちろん本当にオールではない。 現実に存在するドラマは一つではないから、 異なるドラマの登場人物を一同に集めることはできない。 だがとりあえず、このドラマに関してはオールキャストだ。
一年の時を経て、 ここに収束しようとしている…のか?
君が、世界から見放されていると感じるなら 僕のはっしこをかじるといい。 (菅野よう子・坂本真綾『少年アリス』)
一人で生きていきたいというわけではない。 だが、一人でも生きていける強さが欲しい。
二人でいることで停滞するくらいなら、一人でいい。 前へ進める関係でありたい。
適切な距離を保ちつつ、お互いが刺激になる関係が、望ましい。 忙しいときは無理に会う必要はない。疲れてしまうから。
恋愛観だけで恋愛はできないが、感情だけの恋愛ももうできない。
そんなことを、ある人と最近話した。 意見が一致しすぎて驚いた。 「あなたは俺ですか?」
「あまり他のことに手を出さないほうが良いと思うけどな」 「いやいや、外の世界を知ることは大事やって」
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精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言えぬ、思想とは一つの行為である。勝つ行為だ、という事です。(小林秀雄『私の人生観』)
「考える前にまず行動しろ」と、人に言うのは簡単でも、いざ自分がやるとなると色々と考えてしまう。それでも、少しずつ、行動する割合が増えてきていると思う。
光の地平線の輝きは美しく、幻想的であり、CG的だ。 CG的という表現は倒錯だが、そういう表現が浮かんだ。
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ハッピー・バースデー。 しかしプレゼントをもらったのは僕だ。 来年からの課題の励みを。
FOUND
2003年12月24日(水) |
すべての男は消耗品である |
人間は自分がイメージしている人間になる。
高い山ほど挑戦する価値がある。
すべての男は消耗品である。
「Aとならきっと幸せになれるよ。それでいいじゃないか」 「幸せになれるかどうかではなく、誰と幸せになりたいかが問題なんだ。そしてその誰かは、Aではないんだ。わかるか?」
誰も幸せにならない選択肢を選ぼうとしている。
僕は、君が、好きだ。
でも、見つけられない。
2003年12月20日(土) |
wonderful world |
楽しい宴の裏でうごめく人間模様。 事実は小説よりも奇なり。
それでもいったいこの僕に何が出来るって言うんだ 窮屈な箱庭の現実を変えるために何が出来るの (坂本真綾・岩里祐穂・菅野よう子『ヘミソフィア』)
窮屈な箱庭の現実を変えるために僕が出来ることをしたいと思う。 出来ないことでも、しようと思う。
人生は善いものだといったり、人生は悪いものだといったりするのは、意味のないことである。人生は善いものであると同時に悪いものである、といわなければならない。 というのはわれわれが善悪の観念を持つのは人生によってだからである。 (アナトール・フランス『エピクロスの園』)
善と悪、正と偽、明と暗。 人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、 自分の位置を探そうとします。 自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。 だけど、彼ら天才はそれをしない。 両極に同時に存在することが可能だからです。 (森博嗣『有限と微小のパン』)
私には正しい、貴方には正しくない……。 いずれにしても、正しい、なんて概念はその程度のことです。 (森博嗣『すべてがFになる』)
人はラベル付けすることで安心する。 でもそれはどこかニセモノに見えてしまう。 それを疑わない人間も、いるけれど。
研究のこの先の課題が具体的に見えている。 ただし、それを実現するには時間が足りない。 どこかで妥協して時間を稼ぐしかない。 大事なのは、瑣末なことに時間をかけすぎず、 本質が何かを見極めてそこに時間を注ぎ込むことだ。
当初予定していたテーマを進める過程で別のもっと面白そうなことを発見した。 まだ可能性の段階なので、それが本物かどうかをまず確かめる。 プライオリティーのスイッチ切り換えだ。
ちなみに、時間が足りない、と書いたが、だからといって研究だけに時間を割くつもりはない。 研究はビジネスライクな態度で臨むくらいがちょうど良いと思う。 追い込みすぎると、楽しくなくなる。 そして惰性で研究を作業することになる。
2003年12月14日(日) |
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい |
世界は下らない、と氷室が言った。 だから自分は悪くないとでも言いたいのだろうか。 悟ったふりをしてあきらめてカッコつけてるつもりでもダサいよそれはすごくカッコ悪い俺はそう思うなだってそれじゃ何も解決しないのだから本当は氷室だってわかっているはずだこんなこと考えるなんて嘘だと。
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい、ただの理想論、 でも少しずつなら、近づいていける、 ときにふらつくこの足でも。
気持ちだけではどうにもならないことがある。 自分の思いに実力がついてこないと、とても悔しい。
自分なりに精一杯やってきたのに、突如第三者が現れて、 自分が苦労してもできなかったことを代わりにあっさりとやってのけてしまう。 そんなとき、その人のプライドや自信がどれほどまでに損なわれるのだろうか。
損なわれたものの回復を祈りながら、 今までお疲れさま (ここに書いても届かないのだけど)
「私、彼女に相談されたのに何も言ってあげることができなかったんです。私の言葉が彼女を決断させてしまうのが怖くて…」
人は誰かに相談するとき、すでに答えが出ている場合が多い。 ただ、かける言葉によっては、その答えをひっくり返すこともある。
何もしてあげられない無力さを噛み締めながら、 次はそうでない自分になろうとする。 その繰り返しだ。 何もしないことが答えである場合もある。 何かをした気になりたいがためだけに無用の行動をすべきではない。
2003年12月09日(火) |
Love Is Destructive |
好きだから幸せになれるのか。 幸せになるために好きになるのか。
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女優のレニー・ゼルウィガーが、以前ある雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。
「最近、私は恋愛をしなくても大丈夫だと思えるようになった」
一人で生きていけるなら、必要がないのだ。 でも、必要がないということと、いらないということとは同義ではない。 恋愛をしたほうがより充実できるなら、それは大事なものとなる。
そろそろ俺も、自分の立ち位置をはっきりさせたほうが良いのかもしれない。
2003年12月07日(日) |
すべてがFになった日 |
自分の不甲斐なさを悔やみ、 楽しさに酔いしれ、 遠くに行く友人を見送り、 幾人かの悲しみを聞いた。 そしてそれらが混じりあった歌を叫ぶ。
あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。 僕らはそんな風にして生きている (村上春樹『風の歌を聴け』)
どこにいるかは問題ではありません。 会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ。 (森博嗣『すべてがFになる』)
人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、何もないのだ。 (森博嗣『笑わない数学者』)
「ストレスが溜まると、煙草を吸いたくなるの」 「煙草を吸うと、ストレス発散できる?」 「発散ていうより、吸っている瞬間は何も考えなくて良いの。普段はいつでも何か考えてるから、何も考えずにすむ時間が気持ちいい。だから最近はまた煙草を吸うようになった」
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「煙草を吸うと、健康に良くないよね。寿命も縮まるかも」 「煙草を吸うことで、仮に一秒寿命が縮まるとするなら、私はその一秒間の自分をあえて殺す。自殺願望みたいなものね」
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ちなみに、 俺は喫煙したことはない。 今のところ、するつもりもない。
何を見つけるのか? それは、本当の自分自身、ではない。 そんなわけのわからないものではない。 生きていくための武器、つまり将来の仕事だ。 誰にも頼らず、一人で生きていけるための仕事。 それを見つけることができれば、自分に自信を持つことができて、 少しずつ、他人との距離がわかってきて、人間関係を築けるようになる。 (村上龍『13歳のハローワーク』)
武器として、研究が今のところ最有力候補だ。 だからその分、研究に関するプレッシャーもある。 今のところ、それに押し潰されるのではなく、 むしろバネに利用している。 それが反転しないように、 あるいは、反転したときにどう対処するか。 そのときこそ「人間としての強さ」が試される。 「人間としての強さ」なんて表現、 それこそ曖昧でわけのわからないものだが、 大事なものであることだけは確かだろう。 そしてそのためには、研究ばかりしていればいいというわけにもいかない。
研究の実験でようやく意味のあるデータが出せて良かった。 この後それをどのように発展させるかがまた課題なのだが。
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今日は研究以外にもイベントが。 一日中やっても何もデータが出ない日もあれば、 別のことをしながらでもデータが出る日もあるということだ。 研究結果はその日だけで決まるのではなく、事前の細かい準備の積み重ねの結果だから。
で、そのイベントとは。 知り合いが映画に主演し、それを観に行った。 スクリーンに映るその表情は、普段のその人とは違う。 俺が少しだけ知っている、その人の裏側にむしろ近い。 いや裏側ではなく、それこそが本質というべきか。 その表情とは、「無」だ。 無表情ゆえに雄弁に語る。 そんなときもある。
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