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2003年11月30日(日) 研究4

今やっている研究というのは、上から与えられたテーマだ。
正直、このテーマがあまり生産的だとは思えない。
方向性が今ひとつずれているんじゃないかと感じる。
しかしまあ、ただの練習だと思って割り切る。
研究をするのはこれが初めてだから、あまり大きなことも言えない。
まずは一つやり遂げてからだろう。
(意見を言うべきときは上に対してでも言わなければならないが)

『君は、科学がただの記号だって言ったけど、そのとおりなんだ。記号を覚え、数式を組み立てることによって、僕らは大好きだった不思議を排除する。何故だろう? そうしないと、新しい不思議が見つからないからさ。探し回って、たまに少し素敵な不思議を見つけては、また、そいつらを一つずつ消していくんだ。もっともっとすごい不思議に出会えると信じてね……』
(森博嗣『幻惑の死と使途』)

この研究では、もっとすごい不思議に出会えるとは信じられない。

『研究ってね。何かに興味があるからできるというものじゃないんだよ。研究そのものが面白いんだ。目的を見失うのが研究の心髄なんだ。君が、今、殺人事件に夢中なのと同じ。君だって、殺人が好きなわけじゃないだろう?』(森博嗣『詩的私的ジャック』)

しかし、目的がないと夢中にはなかなかなれないと思う。
この研究の目的にはごまかしがあるように見えてしまう。

『面白ければ良いんだ。面白ければ、無駄遣いではない。子供の砂遊びと同じだよ、面白くなかったら、誰が研究なんてするもんか』(森博嗣『冷たい密室と博士たち』)

面白いと思う瞬間は、ときどきある。


2003年11月29日(土) 一人ワルツ

分かり合えてるかどうかの答えは
多分どこにも無い
(鬼束ちひろ『私とワルツを』)



今日は独り善がりに突っ走ってしまったように思う…。



人それぞれお互いに言い分がある。
どちらの言い分にもそれ相応の正当性がある場合、
価値観の問題に帰結する。



優しいものは とても怖いから
泣いてしまう 貴方は優しいから
誰にも傷が付かないようにと
ひとりでなんて踊らないで
どうか私とワルツを
(鬼束ちひろ『私とワルツを』)


2003年11月28日(金) 五分後の世界

ここ一週間ほどが一つの正念場になりそうだ。
もっとも、それが終わればまた次の正念場が来る。
そう考えると、正念場ではなくそれが日常なのかもしれない。


かわいそうになあ
気付いちゃったんだよなあ
誰も生き急げなんて言ってくれないことに
(日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』)


2003年11月27日(木) 来るもの拒まず

逃げた先から戻ってきたのなら、
これまでどおりの接し方で迎える。
そういう逃避時間がその人に必要だったということだろう。
それ自体は恥ずべきことではない。人間だから。

こちらにすれば、その人がいるありがたみを確認する時間だったと言える。


2003年11月26日(水) 去るもの追わず

何かから逃げるということは、
場合によっては自分だけでなく他人に迷惑をかけることがある。

もっとも、逃げ出すような状況の人間は、
他人のことまで気にしていられない状態まで追い込まれていることもある。
だから、別に気にはしない。
逃げ出した人間をとやかく非難しても何も解決しないのだから。

逃げてばかりいると、その人の居場所がなくなるだけのことで、
それに対して誰も責任を負ってはくれない。自分しか、負えない。


2003年11月19日(水) See you again

今日、数ヶ月ぶりに会った人が僕に言った。
「次は(来年の)8月に会いましょう」

この人と会うのは今回でまだ3回目だ。
最後は握手をして別れた。


2003年11月18日(火) I like the way you really are

突如、非常に「女らしい」仕草をする。
それは計算されたものなのか。
自分勝手で相手に失礼なことを承知で言うなら、

「お前はそのままでいいんだよ、そのままのお前が好きなんだ」

わざとらしくない女らしさなら、
上手く騙されるのだろうけど。


2003年11月16日(日) 猫と貴方に花束を

引っ越した。(同市内だけど)



映画『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』を観た。
「ひさしぶり」という感じ。
映画というより、TVシリーズからそのまま木更津キャッツアイ。
TVシリーズのノリが肌に合った人なら十分楽しめると思う。
楽しい作品をありがとう。(一部やりすぎだが)

ただ、一般的にこういう映画化で思うことだが、
TVシリーズ最終回でいったん終わっているので、
映画での「オチ」でそれを越えるものを作るのが難しい。
同じことをやっても焼き直しになるし。



微妙な人間関係は早く白黒はっきりさせたいものだ。
そうでないと、いつまでもそのことが気がかりで他のことへの集中が途切れてしまう。


2003年11月12日(水) 阿修羅のごとく

映画『阿修羅のごとく』を観た。
演技力のある人が揃うと見応えがある。
それを森田芳光が手堅く演出。



知人に見せる顔
友人に見せる顔
親友に見せる顔
恋人に見せる顔
家族に見せる顔
そして、
自分に見せる顔

どれも違う。
阿修羅のごとく。


2003年11月10日(月) 研究3

研究に関して一つの区切り。
11/06の日記に書いたように、
次に向けての準備はしないといけないのだけど、
少し自由な時間は増えると思う。
これで他のことの辻褄合わせが少しできる…かな?


2003年11月08日(土) Complicated

USJには行かなかった。(昨日の日記参照)
いきなり予定が変更になり、別の場所で遊んだ。
楽しかったから、まあいいかな。
「USJに行く」のではなく、
「○○(一緒に遊ぶ人)と」が大事なのだから。



自分の気持ちがよくわからなくなった一日。
気持ちというより、打算かな。


2003年11月07日(金) 木更津キャッツアイ

映画『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』…TVドラマ『木更津キャッツアイ』の初回をたまたま見たとき、たいして面白くないと思い、次回以降を見なかった。しかしその後、ある流れからビデオで見ることに。すると、面白い。回を追って見ていくうちに、キャラクターがこちらに定着してくるからかもしれない。映画は、TVでの雰囲気を残しつつ「映画」になっているのだろうか。それとも、「TVスペシャル」的なノリなのだろうか。



明日はUSJに行ってくる。
……行くたびに、「もう来ることはないかな」と思いつつ、なぜかこれで4回目。
一緒に行く人間はいつも違う。
「USJに行く」のではなく、「○○(一緒に行く人)とUSJに行く」と考えている。


2003年11月06日(木) 研究2

昨日のつづき。
実現は可能のようだ。
だが、しばらく時間をおかなければならない。
それまではまた準備期間だ。


2003年11月05日(水) 研究

いやはや、研究って予定通りにいかないものだなあ。
「これで一つ結果が得られる」と思っていたのに、予想外のアクシデントで測定不能に。
でも、起こりえることではあった。
ただ、たとえ予想していても、防ぐことができない類のものだったのだけど。
もう一度やってみて、それでダメなら、
この研究は実現不可能、という結論になるかもしれない。


2003年11月01日(土) 考えて悩んで、最後は笑いたい。

人との出会いばかりがあっても、その後の展開がないと空しい。
だからといって、すべての出会いを展開させる時間も体力もない。
いますでにある人間関係だって大事にしたい。
ジレンマ。


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