29号の日記
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2005年10月29日(土) 四字熟語

午前中皮膚科、午後歯医者で、病院で一日が終わり。
帰ってから、どこかで聞いたことのある心理テストをやってみる。
 
曰く、
『「四字熟語」を、「3つ」思い浮かべてください。』

というもの。俺の結果は、順に、
弱肉強食
千変万化
輪廻転生

というもの。で、コメントは、


『1番目から順に、

「あなたの人生観」

「あなたの恋愛観」

「死ぬ直前に、あなたの人生を振り返った感想」

です。』とのこと。


2005年10月24日(月) ダイヤルQ2

 何かのページからのリンクで、ふとした拍子に「○○ちゃんを救ってください」(海外臓器移植のための募金依頼のページ)に行き着いた。ダイヤルQ2で簡単に募金が出来るとのことなので、思わず電話をかけてみた。
 ついでにそこからのリンクをたどってみると、他にも移植を待つ人の募金依頼のページがたくさん。今迄、時々新聞やニュースで報道されるくらいだったから知らなかったけど、実はこんなにたくさんいるんだと知ってびっくり。


2005年10月23日(日) パリーン!

 スーパーなどでの食品等の買い物で、たくさんの荷物を抱えて帰宅。
その中に、台所の流しの前の「蛍光管」一本。
重いビニール袋の端をつかんで持ち上げた途端、もともと袋から3分の1程付き出していた蛍光管は、袋から落ちてタタキに落下。その高さはわずか数十センチだったが、打ち所が悪かったらしい。パリーン!
 紙の包みに入っていたのにも関わらず、こんなんで割れるの!ってくらい簡単にひびが入ってしまった。ああ、一本420円が無駄に・・・。
 割れやすい物を買って来る時は、いろいろあれやこれやと買わない方がやはり良かったのだろうか・・・。


2005年10月19日(水) キングダム オブ ヘブン

 平日だけど大丈夫かなと思いつつ、借りてきた。
 念の為1泊2日にして正解でした。翌日のある平日に、通しで観るのは負担が重い。できればこれは劇場で観たかったな。でもここ数年、人付き合いが希薄で、一緒に観る恋人なんていないのでこうしてテレビ画面で観てる。この作品もかなり横長の画面なので、昔からの縦横比のテレビ画面だと、小さな画面がより一層小さくなる。

 舞台背景は12世紀。十字軍。「1184年」と出てきたので、日本ではちょうど、鎌倉幕府成立直前。源氏と平氏が争ってる頃。
 主人公の男に向かい、聖職者が、「自殺したアンタの母君の魂は成仏できない。(あ、キリスト教だから「成仏」とは言わなかったな。確か「地獄に堕ちる」だったかな?)母の魂を救いたければ、十字軍に参加して罪滅ぼしをしろ」とアドバイスしたのだが、主人公は逆ギレし、聖職者を刺し殺してしまう。村にいられなくなった男は、図らずも、聖職者のアドバイス通り、「聖都」エルサレムへと旅立つ・・・といった感じで物語が始まる。

 エルサレム近郊の、地中海東岸に船が辿り着いた時、主人公だったか周辺人物だったか、とにかく誰かが、「世界の果てに来た」という言葉を使ったが、これは明らかな間違いで、「我々は世界の中心にやってきた」と思ったはず。当時ヨーロッパで作られた地図を見れば、エルサレムこそが世界の中心に描かれているのだから。

 この作品、現代という時代に、図らずもかなり影響されているらしく、登場人物は大きく3つに区分することが出来る。すなわち、原理主義的キリスト教徒と、リベラルなキリスト教徒、それにイスラム教徒。ちなみに主人公は「リベラルなキリスト教徒」という設定。原理主義的キリスト教徒は「異教徒なんて殺してしまえばいい。きっと神も喜んでくれるだろう」という神経の持ち主。あまりにご都合主義な「神の御意志」を聞くにつけ、観ているこちらはあきれて笑いが止まらない。逆に、「リベラルなキリスト教徒」、本当にこんなリベラルな考えを持ったキリスト教徒、この時代にいたの?と、つい疑ってしまう。いろんな考えを持った人がいたはずだから、リベラルな考え方をする人自体は確かにいたかもしれないけれど、それを口にしたり、態度に示すことが出来たかどうかは極めて疑問だ。下手をすれば、「異教徒に肩入れする者は神の敵だ」とか「異端者だ」とか言われかねず、命の危険すらあった時代なのだから。
 
 当時、エルサレムを支配していたキリスト教徒の君主(第一次十字軍遠征によって占領し、その状態が数十年あまり続いている状態だったらしい)は、らい病・・・今で言うハンセン病だったらしい。
 実は、この作品のオープニングの前に、「当作品中で、「らい」または「らい病」(疒+頼という字)として語られている、いわゆるハンセン病は、今では完全に治る病気であり、作品中に描かれているようなことは現在では起こりません」という表示の画面が現れた。
 実はこの病気、少し前にテレビや新聞で、過去の感染者強制隔離問題に対して国が謝罪したことで、大きく報道されたのだったが、普段の報道では、過去の政策の誤りによる偏見や誤解を解く目的での、「空気伝染しないので、患者を隔離する必要などなかった」「感染しても、日常生活を送ることは可能」といった報道がほとんどで、「では実際、どんな症状が出る病気なのか」「治療法がなかったであろう当時、どんなふうに恐れられていたのか」という、基本的な知識が何も知らない状態だったので、そういう病気だったのか、と初めて知ることが出来、興味深かった。例えば、「今では「結核」は抗生物質の投与で治る病気と知っているが、それ以前は、不治の病として恐れられており、咳が出て、血を吐いたりすることを繰り返しながら衰弱していき、死んでいった」といった、そういう基本的な知識が欲しかったのだ。作品中で分かった限りでは、「体の一部が痛みなどの感覚を失い、やがて生きた木が枯れ木になるかのように、顔や体が、血の気のない枯れた感じになっていき、時間をかけて衰弱して死に至る」というものだった。その君主が常時仮面を着用していたのは、枯れ木のように変わり果てた顔を他人に見られぬためか、もしくは、(本来は感染しないが)、感染すると信じられていたために、他人に感染させてしまうことがないようにかぶっていたのかのいずれかだろう。

 この、「リベラルなエルサレム君主」の病死の後を継いだ王は、この時代らしい原理主義者。エルサレムの城を出て異教徒征伐に乗り出すが、これが、実に無謀な戦い。ちょっと太平洋戦争当時の日本軍を連想させる。「無敵の筈の神の軍隊」を壊滅させたイスラム軍は、エルサレム城下に迫り、ここで主人公の出番。兵士でない一般市民を前に、「自分達の家族や友人を守りたいのなら武器を取り、守れ」と演説。

 イスラム軍によるエルサレム攻城戦は、前評判通り、迫力がある出来。当時の投石器の威力ってすごいんだな、と思う。下手な爆弾よりよっぽど威力がありそう。イスラム軍の中に、水車のような回転をしている、大掛かりな兵器らしきものがあったけど、何に使うものだったんだろう?攻城塔に破城槌。火に弱いのは三国志の時代から変わらないな、と苦笑。

 もう一度か二度、じっくりと鑑賞したいところ。そのうち「新作」でなくなったら、こんどはゆっくり一週間借りたいものである。
 


2005年10月14日(金) グレートウォリアーズ

 ヤフオクで落札した中古DVD「グレートウォリアーズ」を観る。
レンタル屋を2、3軒探したんだけど、置いてないので、敬愛するヴェルキンゲトリクス(この作品の主人公)に免じて購入。
 ヴェルキンゲトリクスとは古代ローマ時代のガリアの英雄。ガリアとは現在のフランス一帯。但し、現代と違い、統一国家はなく、ライオンの生息する森に、ガリア人と総称されたケルト系の人々が、多くの部族に分かれて半猟半農の生活を営んでいた。弥生時代の日本と同じような状況下にあったと考えて酔うだろう。

 ガリア人の城塞都市。整然とした石積みの城壁に囲まれた中に、中世のものと余り変わらない立派な家が立ち並ぶ。ちょっと違うんじゃないの?と思う。文明の発達具合が弥生時代レベルの筈なんだから、せいぜい、自然石を積み上げただけの城壁に、掘っ立て小屋のような家で、全体としては吉野ヶ里遺跡のような「環濠集落」的なものだったんじゃないの?と思うのだが。
 
 ガリア人の着ているものも、なんだか違うぞと思う。後の中世の農民でさえ、ぼろのような服をまとっていた筈だが。中には、これって、現代のポロシャツを染め直しただけじゃないか?と思われるものがあった。
 
 さて、ヴェルキンゲトリクス役の俳優は、ロン毛の似合うかなりの色男。で、今回、敵役として登場するカエサル(字幕ではシーザーと書いてあったが、わざわざ英語訛りの発音で呼ぶ必要性を感じないので、以降カエサルで統一。それにしても、古代ローマ人が英語を話すのは違和感感じる。せめて人名くらいはラテン語で呼んで欲しい。)は、ちょっと中年太り気味で、頬がたるんだおっさん。確かにこの時点でカエサルは中年の筈だが、仮にも世界史で10指に入る英雄なんだから、もうちょっと引き締まった中年を俳優に選ぶべきなんじゃないかなと思う。
 
 しかも、このカエサル、本物と違い、ちょっと鈍すぎる。ローマ重装歩兵が陣形を整えて城下に迫ったところで、城内から、兵士に向かって、生きた鶏が投げ下ろされる。兵士が鶏の奪い合いを始めるが、カエサルはあっけにとられているだけ。通常の指揮官なら、「何をしている!(これは我が軍を混乱させようとする敵の罠だ!持ち場に戻れ!)」と兵士に一喝するべきところ。ましてカエサルなのに、ぼんやりあっけにとられているだけとは、シロウト以下じゃん。

 両軍の決戦の場となったアレシアの戦い。援軍を至急にとのヴェルキンゲトリクスの使いの者を前に、援軍を求められた城では、どの部族の者を援軍の総大将に選ぶかで揉めた末、結局、総大将が4人!という異常な事態に。国家として統一されていないとは、外敵に対して一致団結して当たれないという意味でかくも脆弱なものなんだと改めて思い知らされる。

 ようやく援軍が到着するも、4人の総大将のうちの一人が、功をあせるあまり、「攻撃はかけるな(睨み合ったまま兵糧攻めにしろ。)」とのウェルキンゲトリクスの命を無視し、ローマ軍を攻撃。他の総大将も、抜け駆けは許さんと攻撃を開始したのを見て、ローマ軍の守備の完璧さを熟知している彼は嘆息。ああ、その気持ち、すごく分かるよ。

 結果として、ガリア部族連合軍は大敗。突撃したガリア部族連合に対し、ローマ軍の矢の雨が降り注ぎ、後には死屍累々。ここの表現も正確ではない。単に狙ったんじゃなくて、ローマ軍は、突撃不可能なように、自陣の前に「堀」「茨を積み上げた障害」「落とし穴」をこしらえていたので、本当なら、「突撃している」ガリア兵にではなく、「茨に服がひっかかってまごまごしているガリア兵」や、「落とし穴にはまっているガリア兵」の頭上に矢の雨が降り注いだ筈である。

 ともかく、その、本来、自分のせいではない敗北の為に、彼は、ローマ軍の陣へと向かう。「降伏する。自分の命と引き換えに、ガリア人の捕虜、それに城内に残っている者達の命を保障してくれ」と、本来ここで言ったはず。

 俺がヴェルキンゲトリクスに惚れ込む理由はこの彼の言葉にあるのだが、この作品では彼からこの言葉は出てこなかった。おいおい、この言葉こそが最大の見せ場じゃないか。

 まあいいだろう。日本では余り知名度が高くなく、海外では映画として上映されたにも関わらず、日本では映画としては上映されなかったらしいから。彼に関する作品を観られるというだけで、ありがたいと思うようにしよう。

 ちなみに、俺がヴェルキンゲトリクスを知ったのは、確か「世界不思議発見」かなにかのテレビ番組で、カエサルをテーマに取り上げたものだった筈。その時テレビに映っていたヴェルキンゲトリクスは、上半身は裸に近く、文身(両腕にトライバル風のタトゥーあり)の猛者だった。この作品での「イケメンのヴェルキンゲトリクス」とは随分違う。多分、テレビ番組の方が本当に近いんだろうけど、俺はどっちも好きだ。


 


2005年10月11日(火) あしなが

 昨日、農産物直売センターで楢茸(ならたけ)とおぼしき自生ものの茸が売られていて、デラぶどうのプラパック程度(重さでいえば100グラム程度)で750円と値は張ったが、購入。レジで「これは楢茸ですか?」と聞いたら「あしなが」だよという返事。あしなが?聞いたことないな。地方名だろうか?と思い、今日ネットで検索してみたら、やっぱり思った通りだった。大して珍しくなく、収量も多いきのこ「楢茸」に間違いなかった。
 
 その「あしなが」を、同じくセンターで値崩れを起こしていて140円で買った冬瓜(俺の言葉で表現するなら「外皮が濃い目の緑色をした、ずん胴な夕顔」)と煮付ける。味醂を切らしているので、調味料は酒(飲用の純米酒)と醤油(これは特売品)、あと、肉(肉汁を期待)
 
 楢茸を鍋に投入すると、栽培モノとは比べ物にならない香りが立ち上る。そう、これだよこれ、これこそ山の香り。

 しかし、落とし穴があった。「外皮が濃い目の緑色をした、ずん胴な夕顔」である。幼い頃、お盆によく親父の田舎からもらってきていた、見慣れ、食べ慣れた夕顔(白瓜を巨大化したような、薄緑色のもの)と、姿は違っても、ほぼ同じ味を予想していたが、これが違うのである。いくら似ても形が崩れず、味も染みない。食べ慣れた夕顔だったら、一時間も煮て、翌日になればトロントロンになって、味もしみている筈なのに。しかもこの「外皮が濃い目の緑色をした、ずん胴な夕顔」、食べ慣れた夕顔より、更に輪をかけて食物繊維が豊富らしく、翌日、思わず下したかと思った。


2005年10月10日(月) 25分・2時間50分

 昼間、半袖のYシャツ等をクリーンングに出す。
最近はノーアイロンのものが大半になっているため、自分で洗ってしまうことが多く、利用するのはほぼ2ヶ月ぶりだ。
 この店、5月末に、今迄利用していた店が突然閉店になってしまったため、仕方なく選んだ店である。
 今日はポイント2倍デーとかで比較的混んでいる。俺の前に3人。
しかし、一人当たりにかかる時間が長い。理由は簡単。いろいろな割引券やらポイントカードのせいで、料金体系を複雑にしてしまっているから。自分で自分の手足を縛ってしまっているも等しい。こっちだって「会員カード」に「プリペイドカード」「50円割引券」「前回仕上がり当日に引き取りに来てくれた方割引券」をレジで提示しなければならず、煩雑なことこの上ない。
 結果として、3人待つのに20分近くを要した。行き帰りの時間を合わせると25分。

 せっかくの雨。ここ1年10ヶ月もの間、使えないまま放置していた「買った当時は新品」のプリンタ。電話サービスで問い合わせてみると、何度かの「回線が大変混雑しております。再度お掛け直し下さい。」の後、運良く繋がった。しかし、そこからが長かった。担当の指示に従ってあっちの設定をいじり、アンインストールや再インストールとかれこれ一時間。相手も相当根負けしたのか、「これで多分いいかと思います。あとはこちらからFAX送りますので」ということで、電話が切れた後になって、エラー画面が。再度電話しても繋がらないので、とりあえず、「こういうエラーが出ています」とFAXを送った。クリーニングを引き取りに行くなど外出の後、再度電話。でここからが長かった。2時間近くの間に2回のアンインストール&再インストール、4度か5度の再起動を行ない、ようやく印刷できるまでになった。
 電話は残念ながらフリーダイヤルではなく、自分持ち。全国一律3分20円のIP電話だが、それでも併せて2時間50分だから、「回線が込み合っています。しばらくしてからお掛け直しください。」で勝手に切れたものを併せれば1200円を超える。
 プリンタはやはり、マイクロソフトの息のかかった会社のものを、本来より割高な値段を出して買わないとウインドウズとの相性が悪いのだろうか、、、と、そんなことが頭によぎった1時間+1時間50分の電話だった。


2005年10月09日(日) 雨ってことでDVD

 昨日に引き続き、雨。三連休なのに。朝、7時半に一度起きたものの、外を見て雨だと知って、一眠り・・・のつもりが午後2時。明日こそ午前中に起きようと思う。

 蔦屋でDVD「ローレライ」を借りてくる。一ヶ月程前から借りよう借りようと思っていて、全貸し出し中だったり、「旧作が一週間200円で」セールで旧作を優先して借りたりして、ようやく今。

 恒例となった、ネットでの評判チェックでは、駄作の声が多かったので、それ程の期待はせずに観る。結果は、並。5段階評価で3。但し2寄りの3ね。 史実にはなかった「東京原爆投下計画」のおかげでしらけるかも、と懸念していたが、そこそこ話に入っていけた。確かアニメの「エヴァンゲリオン」を制作した監督がこの作品に関わっている筈だけど、もろにその影響か、出てきた少女が、エヴァンゲリオン風なのにはちょっと??と思った。
 ネットでの評判によると、「映画館では、映画後半の頃、明らかに戦争を経験した世代と思われる人が何人も、途中で席を立って出て行ったと言っているが、一体どこが気に入らなくて途中で観るのをやめたのだろうという疑問については答えは分からなかった。
 もともとの1対2くらいの超横長画面がそのままテレビ画面に映し出されたので、すごく小さい画像を観るはめになってしまった。これは改善の余地ありと思う。
 まあ、近いうちに借りる予定の「キングダム・オブ・ヘブン」に期待したい。
  


2005年10月06日(木) バック・トゥー・ザ・フューチャー2

 今日、テレビで放映されていたのを観た。確か中学か高校の頃にヒットして、当時、自分の周りにも結構、映画を観たという人がいて話題になっていた覚えがあるが、俺は当時見なかった。第一、自分が住んでいた街には映画館はなく、電車で片道20分行った都会に出るしかなかったから。英語が苦手だった自分としては、タイトルの意味が、辞書を引くまで分からなかったことも、あまり関心を抱かなかった理由のうちのひとつだろう。「フューチャー」が「未来」の意味と知っていれば、当時もう少し興味を持ったかもしれない。

 で、今になって観てみると、いわゆる「タイムマシン」、話題になった当時は「なんだかジェット推進装置がついている妙な改造車。あんなので時間旅行できるわけないだろ」と思ったものだった。今見てみると、ベースになった車がそのまんま80年代の車なので、レトロな印象を受ける。

 逆に今見ても新鮮に感じるのが、いわゆる「反重力スケボー」。こういうの本当に未来に出てきそう。

 話のスケールは小さい。個人というミクロな構図。主人公の高校生と、タイムマシンを生み出した科学者、それに、「スポーツ年鑑」を手にした悪役高校生の3人が分かれば話についていける。俺としては、スターウォーズのような、空間的にマクロな視点での作品の方が面白いと感じた。


 


2005年10月04日(火) 梟の城

 水曜日借りたレンタルビデオのうちの残りの一本。「梟の城」
かなり有名な作品の筈。で、観てみたら、話の盛り上がりに欠け、せりふは聞き取りづらく、生首が飛んだりといった生々しい映像(苦手)もあり、日曜日に途中まで観たままになっていた。そのまま返してしまおうかとも思ったが、本日、夜中に目が覚めてしまい眠れなくなったので、子守唄代わりに残り半分を鑑賞。結果、話の大筋が掴めぬまま、2時間17分が終わってしまった。総合評価は5段階中の1。
 おそらく現代の実写の山並みに、CGで描いた家々の画像を合成して作られたと思われる、京都や奈良などのパノラマ画像。それに、最後の方での、忍者対忍者の一対一の対決の臨場感の二点だけが、かろうじて評価できるかな、といった程度。


2005年10月03日(月) メルアド変更

もう随分前から検討を始め、
1ヶ月程前から重い腰を上げ、準備に取り掛かったメールアドレス変更計画を昨日いよいよ実行。
で、効果は、すごい!今まで1日に40通、50通と来ていたスパムメール(あやしげな出会い系、あるはずもない逆援助交際への勧誘、それに闇金の勧誘、海外からの英文メール等)が一掃。ウイルスメールも毎日のように来ていて、しばしばウイルス対策ソフトが起動したり、メールソフトが動かなくなって再起動、、、なんてことをしていたのが嘘のよう。さっそく新メールアドレスに対し一通のスパムメールが来ていたのが・・・だけど、まあ、1通や2通だったら、当分は脅威にはならないでしょう。
 今日はいつもと帰り時間は同じなのに、帰宅後の時間がたくさんある感じ。毎日、ほとんどがスパムメールの山の中から、一部のスパムでないメールをより分け、削除していた不毛な時間がいかに長かったかを強く意識させられました。


2005年10月02日(日) ブログ更新ジェネレーター

「ブログ更新ジェネレーター」(下記参照)

http://portal.nifty.com/koneta05/07/26/01/
で日記を自動作成してみる。

ここから↓

寝る前に更新するのが日課になりつつあります…。

きょうもおきたら午後でした。流れ行く雲をぼんやり見たり、雲の種類をネットで調べたりしてました。本当はほかにやらなきゃいけないことがたくさんあるのですが。ついつい誘惑に負けてしまい…。弱い生き物です。

やっぱり21世紀は心の時代だな、唐突にそんなことを思いました。できることからはじめてゆきたいです。

お風呂はいるのでこの辺りで。オイオイ。

ここまで↑

今日も起きたら午後でした、って、いきなり当たっている。
流れ行く雲をぼんやり見ることも、21世紀は心の時代だななどと思うこともなかったが。


2005年10月01日(土) ナイト・フロム・ザ・フューチャー

 水曜日の「旧作レンタルビデオ7泊8日200円デー」にて借りたビデオのうちの一本を観る。「ナイト・フロム・ザ・フューチャー」

 総合評価は5点満点中の2
 ロックが好きな、現代のアメリカもしくはカナダの高校生がタイムスリップ。タイムスリップのきっかけが、エレキドラム?と思われる楽器のショートがきっかけというのがちょっとクレしん的。クレしんのようなアニメだったら「ま、いいか」となるが、実写の映画となると、かなり無茶な設定に感じる。
 村人に気づかれ、「変な服を着た奴がいる!悪魔か?殺してしまえ!」と追いかけられ、殺される寸前の所を、通りかかった女騎士に助けられ、お城へ。着いたところは、「アーサー王」の城だった。「アーサー王」とは、名前だけは有名だが、ほとんど伝説の王。日本で似た存在感の人物を挙げるならば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のようなものだろう。
 映画の中で、西暦538年とか言ってるから、「ああ、ちょうど日本に仏教が伝わったのと同じか。いわゆるアーサー王の時代って聖徳太子が活躍したと言われる年代より半世紀前なのか」と知る。
 城には王や武将の他に魔法使いがいる。ああ、この時代はまだブリタニアはキリスト教化されていないのだな、と知る。高校生が携帯してきた道具箱を魔法使いが開けると、中から工具が。「台湾製」と書いてあるの、「これは悪魔の呪文に違いない」と決め付ける辺りは笑える。その結果、魔法使いが王に、「こいつはきっと悪魔に違いありません。災いが降りかかる前に処刑してしまいましょう」と助言。
 明日は殺される日だというとき、本人と一緒にタイムスリップしてきたかばんの中の電子辞書らしきものを検索して、処刑の日の正午にちょうど「日食」が起きたという史実を知る。「我を殺さば太陽は永遠に失われるぞ」と王を脅かし、処刑を免れる。日食を予言して古代人もしくは原始人を驚嘆させるって技は、あまりに使い古されたネタで、全く新鮮味がないんですけど・・・。
 王は文盲なのか、従者風の文官が王の口述を筆記している。ここら辺りは多分史実として正しいんだろう。しかし、城はちょっと立派過ぎないか?農民が荷車に麦わらを満載しているが、この時代の農民に荷車は、余りにも時期尚早なんじゃないか?
 戦いの場面は、うらみやねたみ、それに王位簒奪を狙う配下が起こす内輪もめ程度のものでスケールは小さい。
 この高校生、かなり器用で、持ってきた道具箱の道具を使って、いろいろなものを作ったり、鍛冶屋に指示して作らせたりする。フォークとスプーンを鍛冶屋に作らせて、周囲に、「これを使って食事をすると、手が汚れなくて便利」と触れ回るあたりはどうかと思う。1500年後の現代でさえ、民族によっては、例えばインド人のように、食器を使う習慣がない(手づかみで食べる)人々が大勢いるのだから。急に「使ってみて」と言われて使って「まあ便利」と当時の人が感じてくれるかは極めて疑わしいと思う。
 ついに器用な彼は、足踏み式発電機を作る。自転車のようにペダルをこぐとタービンが回転する仕組みだ。しかしそれで「タイムマシン」を作った気になるのはちょっと虫が良すぎるのでは。案の定、どんなに頑張ってペダルをこいでも、元の時代には戻れなかった。
 この手の話は多くの場合、主人公が元の時代に無事戻って話の決着がつくものだが、果たして、それは「なんか変な香水の匂い」で意識が朦朧となり、気づいたら元の世界に・・・という落ちだった。このくだりも、過去へタイムスリップするくだり以上に唐突かつ、説得力に欠ける。まるで現実感がなく、「今迄夢を見ていた。その、長い夢から覚めた」と説明した方がいいくらい。夢と違うのは、主人公が今回のタイムスリップで一回り、人間として成長しているという点。今迄、気になっている女性がいるのに、モジモジしていて、告白できなかったのが、現代に帰還した途端、ダッシュで意中の女性に突撃告白。強引な告白だが、最後の話の閉めとしては悪くはなかった。


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