29号の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年01月30日(日) 賞味期限04年5月のキムチ第二弾


 去る1月20日、賞味期限が昨年5月のキムチをスープに投入しておいしく食べた話を書いたが、その第二弾である。今日はお好み焼きに。
 材料は小麦粉、水、賞味期限04年5月「王宮の白菜キムチ」、鹿肉(ヤフオクで2キロ2000円で落札。B級品。)、鰹節、マヨネーズ。
 結果、とっても美味しいお好み焼きが出来ました。(写真)


2005年01月29日(土) 圧力鍋(写真付)

 先週末、ホームセンターの広告を見て激安だったので、圧力鍋を買いました。1280円。容量2,2リットルという小型タイプ。軽くて邪魔にならなくて、独り暮らしには最適の大きさ。
 で、今日初めて使用。最初に挑戦したのは玄米。しかしこれは大失敗。水の量が少なくて、まだ米がやわらかくならないうちに焦げてきてしまいました。
仕方なくやり直し。かなり焦げ臭い米を食べることに。次回は失敗しないぞ。

ちなみに画像は、翌日(日曜日)作ったトマトスープ。
こちらは大成功。昨年だったか一昨年だったか白馬47スキー場で食べたボルシチを思わせるいい味でした。


2005年01月28日(金) リステル猪苗代の謎

先日行ったスキー場「リステル猪苗代」の謎、それは、上のリフトを降りたところから、尾根上を麓まで下るコースに、「チャイニーズダウンヒルコース」という名前がつけられていたこと。スキーマニアとものり氏によれば、「由来は分からないけど、長い斜面のコースを言うみたいだよ」とのこと。その由来が知りたいということで、ネットで検索したところ、出てました。

以下引用↓

ウィスラーピークからの長い長いダウンヒルコースは、別名「チャイニーズ・ダウンヒル」という。ウィスラーでは、チャイニーズというだけで「スキーが下手」という意味があるらしい。彼らがてんとう虫のようにとにかく一番高い所に登ってしまうと、周囲のガケなんぞ降りることができない。そこで大回りをしながらやさしい山道をトロトロすべり降りるのである。そのためそのコースは中国人が大勢いるので、この名がついたそうだ。

↑引用終わり

そうそう、中国には厳冬地帯はあっても豪雪地帯はないので、当然スキー場も(少なくとも10数年前までは)、あの広い中国内にひとつもなかった筈。なので、仕方ないといえば仕方ないんですねえ。


2005年01月27日(木) 石油系溶剤

職場で向かい合わせに座っている女性。(30代前半)いつも厚ぼったい化粧と、ケミカルな匂いの香水に悩まされているのだが、今日はいつもにも増して香水の匂いがきつく、どうにも耐えられなくて、花粉予防の為と称してティッシュを鼻に当ててたりした。何であの臭いがいいのかなあ?


2005年01月23日(日) 雪中ツーリング

 世田谷美術館でやっている、「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝」展を見に行ってきました。電車だと、まるでそこから正三角形の二辺をなぞるようなルートである、一旦渋谷に出て、東急田園都市線に乗って更にバスという経路しかないので、原付で向かうことにしました。
 走り始めてすぐにパラパラと小雨。亜熱帯の横浜を抜け、東京都内に入った頃から小雨は小雪に変わりました。
 革ジャンに革パン、それに足にはスキー用の靴下という完全防寒装備。さらには10年前にプレゼントでもらって以来、一度も使ったことのなかったマフラーを首に巻いていた為、首まわりは暖かいものの、だんだん体が冷えてきました。ようやく左前方に、世田谷美術館のある砧公園の枯れ並木が見えてきました。最終日ということもあってか、もう、閉館まであと一時間少々というのに沢山の人で賑わっていました。
 帰りも勿論原付。東京都内を抜けて神奈川県に入った頃から雪は雨に変化。途中、ドンキホーテに寄って食品を買い込み、帰宅しました。帰ってから熱い風呂に入って体を温めました。

 


2005年01月22日(土) ルオーの絵画

 有楽町駅近くの出光美術館に行ってきました。たまたま開かれていた企画展は「源氏絵の世界」で、それはそれで、熟練木工技術の粋を極めた玉手箱とかに驚嘆したりしたのですが、実は、入口付近のルオー(←人名)の宗教画が一番心に残りました。といってもそれは、ルオーの意図したものとは全く違うけど。というのは、絵そのものよりも、それに付けられた画題。
 「何という流血の畝、何という落涙の大地」と名付けられていました。なんかこれ、皮肉にも現在のパレスチナ人の置かれた状況を表すのにぴったりな表現。ブルドーザーで農地を踏み荒らされ、抵抗するパレスチナ人は射殺され
・・・。


2005年01月20日(木) 人体実験

 昨日、冷蔵庫の野菜が残り少なくなっていたので、昨日の夜、禁断の「賞味期限8ヶ月経過の本格キムチ」の封を切った。
 昨年4月あたりに買ったものの、直後から、4月とは思えない程の汗ばむ陽気で、すっかり季節外れの趣で、今日まで冷蔵庫で眠っていたもの。乳酸菌の活動の為か、少しミルキーな感じの、白いドロっとしたものが白菜に絡んでいるのが袋越しに見える。開封してみると、嫌な臭いはなく、キムチのにおいだったので、多分大丈夫だろうと判断。念の為、火を通すことにして、水を張った鍋の中に、肉、白菜、玉葱を投入し、「賞味期限8ヶ月過ぎキムチ」を入れて煮込んだ。他に調味料を何も入れなかったのだが、いい感じのキムチスープになった。
 一日経ったが腹の調子が悪いとかそんなことは一切ない。まだ3分の1程残っているが、さて、またキムチスープで食べようか、それともお好み焼きでも作って、その具にでもしようかと思案している。


2005年01月19日(水) 部屋の整理

 定時退勤日強化日ということで、半強制的に19時前に退勤とのこと。
今週2回目のスポクラに行き、新陳代謝が高まったところで帰宅。
勢いで、ここ10日くらいおざなりになって散らかり放題だった部屋を、2時間程かかって、完全ではないが片付ける。


2005年01月18日(火) 1.17

昨日は阪神大震災からちょうど10周年とのことだった。新聞やテレビで「10周年」と読んだり、聞いたりして、心の中で思わず、えっ!と絶句した。感覚的にはつい4、5年前と思っていたのに・・・。この10年早かったなあ、というのが率直な感想。


2005年01月17日(月) 黄門様再放送

 今日は宅配便再配達の為に早目に帰宅したが、宅配業者が訪問したのはそれ以上に早く、再々度の不在票になってしまった。あーあ、これではせっかく早く帰った意味が・・・と思いつつ、ふと新聞のテレビ欄を見ると、昨年の夏頃再放送が終わった「水戸黄門」があと10分後=夜8時から始まるではないか!
 急いで米を炊飯器にセットし、正月に親からおすそ分けされた自然薯(やや鮮度が落ちている。)の皮を剥き、すりおろしたものを、すり鉢に入れ、すりこ木を手にテレビに向かう。水戸黄門を見ながら、時間のかかる、おとろ(注)を作って、食べてしまおうという魂胆だ。

 さて、副題は、「頑固な母がついた嘘 (磐城)」、舞台が磐城の平と小名浜(注)ということは、水戸を出て間もないということだ。どうやら、一月から再放送を始めたばかりらしい。

 今回の悪事は、利益供与を目的とした、業界団体による政治献金。またしても、現代の世に通じる悪事の設定にうっとり。

 もっと具体的に言うと、魚問屋の同業者組合が、郡奉行に献金するかわりに、運上金(漁業権にかかる税金)値上げの断念をお願いするという筋書きである。
 組合の中で、今回の「弱い正義」役が、女店長である。彼女は、そんな政治献金なんて、形を変えた賄賂じゃないか!と、献金に反対。組合規約で、全加盟業者が賛成しなければ議題は成立しないこととなっているため、献金を決める会議はお流れ。
 しかし、独り反対したことで、様々な嫌がらせを受ける女店長。
ある日、女店長の店に、「殿様に鯛を献上する」という名誉を得る機会がやってくるが、実はこれは政治献金をもらえる筈だった郡奉行と、献金に賛成した、加盟業者が結託して計画した罠だった。
 水揚げされた鯛は、小名浜港の水産市場で入札されることなく、浜で直接、組合が買い占めてしまう。更に、女店長が漁師に直接お願いしても、漁師も買収されているため、応じてくれない。
 このままでは期限の日までに殿様に鯛を届けることが出来ない、、、ということで、話が進んでいく。(もう眠いので中途半端ですが寝ます。)
 

(注)標準語名:とろろ
(注)いずれも現在の福島県いわき市の一部


2005年01月16日(日) 猪苗代リゾート

 リステル猪苗代スキー場、さすがに狭くて一日で飽きたということで、二日目の今日は、ホテルから無料連絡バスで2、30分のところにある、「猪苗代リゾートスキー場」に行くことにする。連絡バスの時間は8時半。早目に準備を整えた筈が、いざ、あとはバスに乗るだけという番になって、コンタクトをバッグのどこにしまったか不安になって、部屋との間を往復したりしているうちに、バスを待たせたまま8時半が若干経過してしまい、友人にひんしゅくを買った。
 今日は朝から重い雪。しかし、猪苗代リゾートスキー場に着くと、ホテルより標高が高い為か、いい感じの粉雪。
 猪苗代リゾートスキー場も、大きいスキー場ではないが、ゴンドラがある。ゴンドラ山頂駅からのコース取りは多彩で、ゴンドラを利用すれば、ほぼ全てのコースを滑ることが出来る。しかも空いていて殆ど待ち時間無し。
 何故かゴンドラの途中の支柱に、ぬいぐるみの熊がちょこんと座っている。(写真)体半分が、吹き付ける雪で白くなっている。そう、途中から雪は吹雪に変わっていた。
 ここは、表示上中級コース、実質初中級コースがメインだが、上級コースもある。「ナイアガラコース」と「サンライズコース」。どちらも圧雪されていないが、昨日の上級コースより滑り易い。
 昼飯は割と新しい建物で、「カツ出汁茶漬け丼」というものを頼んだ。ちょっとバイト新入りですと言った感じの、地元と思われる、二十歳前後で、数年前に流行った感じで若干流行遅れではないかと思われる感じの、メッシュっぽい明る目茶髪のロン毛君(注)が、慣れない手つきで盛り付けてくれた。ボリュームもあって、なかなか美味しかった。
 その後、吹雪が激しくなる中、4時半まで滑って帰路に着いた。新幹線なので午後9時に帰宅。よく、T氏と行く白馬のスキー場だと、現地を午後4時に出ても、帰宅は11時くらいなので、それに比べてかなり時間的に有利で、お得な感じ。

(注)只、俺はたとえ「若干時代遅れ」だろうが、こういう髪型は好き。


2005年01月15日(土) リステル猪苗代(写真付)

 友人と二人でスキー。別にデートとかそういうのではない。友達Iである。
場所はリステル猪苗代。(福島県)
 「上越・信越方面はよく行ってるから東北方面がいい」との俺の希望プラス、旅行会社での安さから決めたという。
 スキー場の施設や設備、交通、それにコストパフォーマンスなどに極めて広い知識を持つ、スキー博士とものりが言うところには、
「値段の安さにつられてまさかリステルなんて選んでないでしょうね。リフト3本、コース6コースしかないしょぼいスキー場だよ。」
とのことであった。
 果たして、確かに、リフト3本(高速リフトなし)、コース6コース。しかも上級コースの全部が圧雪されていなくて、一旦転んでしまうと板が沈むコースばかり。
 しかし、その代わり、リフト待ち時間ゼロ。リフト係の人は、5時を過ぎてナイターの時間になっても、リフト一本おまけしてくれた。

 宿はスキー場前のリステルホテル。「本館」と「タワー館」があり、俺達は本館。はっきり言ってボロい。本館の部屋とその廊下はボロアパートみたいな感じ。 しかし、夕食のバイキングは「当たり」だったし、風呂は露天つきのタワー館の風呂にも入れるので、案外お得かもしれないと思った。ちなみに「タワー館」に宿泊すると、一人一万は下らないそうである。


 写真左のゲレンデは「チャイニーズコース」どこら辺が中国チックなのか、命名の由来は全くもって不明。コース自体を滑った印象は、白馬47スキー場の「ルート1」コースに似ている感じ。写真中はメインのゲレンデ。時刻は5時ちょうど。写真右は本館の俺達が泊まった部屋。ホテルというより、殺風景なアパートそのものであるが、見かけに騙されてはいけないのだ。


2005年01月14日(金) ホームセンターのバイト君

 今日、労組の飲み会に誘われた。出向で夏の終わり頃以来会ってない奴も来るということだったのだが、昨日、課のヒラ飲み会だったこともあり、2日連続はきついのと、明日早朝から友人とスキーに行くこともあり、顔だけ出して、申し訳ないと言って封筒を渡して帰路につく。
 帰り道、ホームセンターに寄り、スキー対策の日焼け止めを購入。
 ホームセンターのレジのバイト君、3人いるのだが、そのうちの1人はレジを打たないで、お客の買ったものを店のビニール袋に詰める役。袋に入れるのはしなくていいから、並んでるんだから、空いてるレジに移動して、レジ打ってくれれば待たずに済むのに、と思う。それに、俺の番が来る前からそのバイト君、俺のための小さいビニール袋を広げてスタンバイしてる。普通だったらレジの人に「袋要りません」と言うところなのだが、既にスタンバイされていては言い出すのも悪いので、結局、すぐごみになってしまうレジ袋を渡されてしまった。


2005年01月11日(火) Mや丼

 割引券を持っていたので、スポクラの後、定食チェーン店「Mや丼」に立ち寄った。そこで、期間限定安売のチキン南蛮丼の味噌汁付き(440円)を頼み、割引券のおかげで無料で冷奴をもらった。
 で、結果として失敗。割引券につられて立ち寄らなければよかったとさえ思った。油たっぷり。肥満まっしぐらって感じ。
 帰宅してから、脂肪分解の薬効があるチベット産「雪茶」を飲んでようやく中和。


2005年01月03日(月) 古代史三昧(写真付)

 昼前に実家を出る。上野で降りる。上野の森美術館で、昨年11月頃から開かれていて、本日最終日の「兵馬俑展」を観る。事前にネットで検索したら、「展示数が少ないので、宣伝されてる程迫力を感じない」とのことだった。確かにアレは、数千体がズラリと陣形をとって並んでいるからすごいのであって、たかだか10体や20体が一体一体陳列されていたって、大して迫力など感じないだろうと余り期待していなかった。が、行ってびっくり。人の数に。まるで俺が小学校1年生の時の、上野動物園のパンダ並み。二重三重の人垣で、展示品に添えられた説明文を読むのに一苦労。果ては、壺だとか、当時の屋根瓦の破片とか、普通の美術館や博物館に展示されていたら、誰もが目にも留めないで通り過ぎるだろうと思われるような展示品までもが黒山の人だかり。






 まあ一応見るべきものは見て、行ってみたかったと言っていた親父の為に土産を買って、30分程で出てきた。(渡すのは2、3ヶ月位先になるだろうが。)
 その後、すぐ近くに上野寛永寺があるのに気付き、ちょっと出遅れだが初詣。立札の説明文を読むと、祭神は徳川家康とのこと。昨日のテレビ「国盗り物語」での家康が目に浮かぶ。三方ヶ原の戦いで信玄にボロ負けして、味方の兵を置き去りにして独りだけ城に逃げ帰った直後、「絵師を呼べ!この惨めな俺の姿を絵に残し、俺の生涯の戒めとしなくてはならない。」と叫んだ場面だ。
 喉が渇いていたのでお清め所でちゃっかり水を飲んで、本殿で簡単に参拝。すぐ近くにおみくじ販売機があって、50円だったので安いと思い、試してみる。結果は、、、うーん、とうなってしまった。


 無料券があるので、20数年ぶりに上野動物園へ。入口入ってすぐのところにはパンダ。20数年前は、「立ち止まらずにゆっくり進んでください」と係員が声を張り上げる中で、ガラス越しにちょっと見ただけだったと記憶しているが、今回は当然ながら、草木の生えている庭の中を歩き回るのを、のんびりと眺めることが出来た。
 遠くで雄叫びをあげる象の声を聞きながら、うろつく獅子や虎、たそがれているゴリラ、なかなか正面を向いてくれないふくろう、寝そべってくつろいでいるペンギン、完全に時期を外している紅葉などをのんびり眺めていたら、「まもなく閉園です」の園内放送。やはり全部は回れなかったか、と思いながら、夕暮れ迫る園内を、出口に向かう。

 そして帰宅。4日ぶりにメールアドレスを開けると、120通のメール。20通以上がウイルス添付付きスパムメール。ウイルス添付のないスパムメールが40通くらいか。とても1日で全部はチェック出来ない。

 7時半からはテレビ漬け。まずは「大化の改新」。おいおい、蘇我の入鹿って中臣鎌足と若い頃マブダチだったの?そして、こんないい奴だったんだっけ?しかもロン毛。本当かなあ?当時は、「文字を読める」イコールインテリだった筈なのに、中臣鎌足、新婦といきなり農耕生活。いくら史料がないからってそれは余りにも現実離れしてないか?「下級役人してました」あたりが自然じゃないの?
 史料が断片的なところを創作で好きなように補っているんだろうけど、ちょっと好きなようにし過ぎでは?まあ、実写にCGを合成した飛鳥の都の姿は綺麗だったし、服装とかは耳飾りとかはよく出来ていたと思う。

 11時半からは、「古代都市の7不思議」ローマ・ギリシャ・エジプトとそれぞれ45分ずつ。続いて午前2時から「古代遺跡ロマン」これが午前3時40分終了。一応平行してビデオに撮ったけど、ちゃんと撮れてるかどうか心配で、結局生で全部見てしまった。直後に就寝。



2005年01月02日(日) 国盗り物語

 正月によくある大長編テレビ時代劇、「国盗り物語」を観る。
舞台は戦国時代。主人公は織田信長。
 俺にとっての信長像は「急進的で残酷な独裁者」である。で、俺の好きな戦国武将と言えば、明智光秀。数年前、ネット友達とのオフ会が大阪で開かれたついでに、大阪の手前の京都から鈍行に片道1時間以上乗って福知山に行き、明智光秀が祀られているという神社に足を運んできた程だ。
 
 番組自体が12時間に及ぶ長いものなので、敬愛する光秀君が出て来ない筈の前半部分はざっくりとカット。夕飯を食べ終わった頃、「そろそろかな?」と、思いテレビをつけると、ちょうど出てきていた。信長に仕え始めて間もない頃の光秀君。

 それからは、番組の準主人公的な扱いで、光秀君が何故、独裁者信長を弑逆(しいぎゃく)するに至ったかが丁寧に描かれており、実に良心的な描かれ方をしているなと感動。
 
  もともと、織田軍団と足利15代(=ラスト)将軍との調整役を務めていて、15代義昭と親しかった光秀君に対して、そのことを重々承知の上で「お前が総大将になって足利義昭を滅ぼせ」と戦を命じる無神経さ。

 主君の命令と、良心や私情との板挟みになってストレスをためて体調まで崩してしまう光秀君がとても気の毒。 

 比叡山焼き討ち(=僧侶3000人以上虐殺&当時の時点で700年前の文化遺産消失)を思いとどまるようにと、跪(ひざまず)いて諫言した光秀君に対して、逆ギレした信長が、蹴りを入れ、さらに顔を何度も地面にたたきつけたり、

 宴会コーディネーターを申し付けられた光秀君が、つつがなく盛大な宴会を開催した後、信長からお褒めの言葉をもらおうとして、何か言った途端、その言葉が生意気に聞こえたらしく、やはり逆ギレして、ほかの家臣が見ている前での暴力。もうこれは一種のDV(ドメスティックバイオレンス)そのものではないかと思う。

 以前、本で読んだ時に書かれていたエピソードがよく描かれているなと思う。(「国盗り物語」という名前の本ではなかった。)

 皆さんも観て下さいよ。「こんな過程があったのなら、光秀君が信長に殺意を抱いたのも理解できる」ときっと共感出来るはずだから。
 

 




2005年01月01日(土) 明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます。昨日から風邪気味。まだ紅葉も終わっていない数日前から、いきなり雪だから体がついていけなかったのかもしれない。しかし今日は温暖。すぐ治りそうな気配。昨日、実家の北側の道路の雪を、北側のブロック塀(一日中日影)に寄せて除雪しておいたのだが、親父が、(日中日なたになる)その道路の北側の畑にどかしてしまった。「融かさないとダメ」という理由。俺としては少しでも長く雪の残骸を見れる方がいいのだが・・・。


29号 |MAILHomePage