29号の日記
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2005年02月24日(木) 早春の雨2

 昨夜、洗濯をした。今日職場を上がる時にはただの曇り空だったのに、駅を降りたら雨が降り出した。幸いにも弱い雨だったので、洗濯物はびしょびしょにはならず、半分湿っている程度だった。が、そのことが今日のメインニュースではない。

 昨夜は、メールを書いていたら遅くなり、なかなか起きれず。遅刻寸前の時間になってようやく起床。朝飯を食べる時間はなく、即着替えダッシュで駅へ
。目的の電車にわずかの差で乗り遅れ、遅刻必至か?と思って、次の列車の発車時刻を見たら、「7時59分」。何か事故でもあって、ダイヤが乱れているのか?
 一時間送れの列車がやってきた。・・・何か変だ。第一、「列車遅れまして大変ご迷惑おかけいたしております」の放送もない。
 と、ここでようやく気付いた。俺が間違っているのだと。遅刻必至でもなんでもない。
 職場の地下食堂でゆっくりと朝飯を食べた後、いつもより20分ほど早く、無事出勤した。


 


2005年02月20日(日) 白馬五龍&47スキー場(今季二度目)2日目

 昨日は、ゲレンデにいた時間こそ短かったものの、休まず滑っていたのでそれなりに疲れ、よく眠った。その為、午前8時10分発のバスに乗れ、八時半にはゲレンデ着。
 ゲレンデ整備がまだ完全に終わっておらず、整備が終わった後も、山頂駅へのゴンドラは、山頂を目指す人でしばらく混雑していたので、2時間程は、下界近くのゲレンデ(=初級)で滑る。山の中腹から上は、樹木に吹雪が張り付いて、壮麗な景色。
 
 実は今日も実質半日。とものりとごとう君は高速バスで帰るが、俺は1時45分に二人と別れ、午後2時の送迎バスに乗って駅に直行。電車が来るまでの40分間は、切符を買い、着替え、少々のお土産を買うと、瞬く間に過ぎ、急いでホームへ。おみやげ屋で買ったおやきと、駅前の自販機のお茶、それに車内販売の五目弁当(松本駅駅弁)で昼飯とし、まだ目を通していない、何日か前の新聞を食べたり、外の美しい山並みを眺めたり。途中、とある箇所で、とある山が見えたところで、直接見えはしないが、約5キロ向こうにある、祖先の墓(1年近く御無沙汰)に目礼をしたりしながら2時間。峡府着。

 板はホームに残し、駅前で切花を買い、徒歩5分という至近の距離にある病院へ、2ヶ月振りに立ち寄る。本人はかなりぼけてしまっていて、俺が誰であるかも判然としない感じだが、それでも喜んでもらえたようだ。

 1時間後の列車に乗って帰宅。

 
 
 

 


2005年02月19日(土) 白馬五龍&47スキー場(今季二度目)1日目

 今季二度目のとものりスキーIN白馬五龍&47。
 今回はとものり学生時代のサークルの後輩「ごとう君」(←漢字不明)が来るとのことで期待。その彼とは昨年末、とものり主催忘年会で少しだけ話した覚えがあるが、当時俺は疲れていたのでなんとなく癒し系でいい感じの人柄という、漠然とした好印象と、悪く言えば、ねずみ男のような頬がこけた顔(それはそれで味わい深い)という顔しか記憶に残っていない。

 前回と同様、金曜深夜、夜行快速で出発。八王子を過ぎた辺りでうとうと。
途中、塩山と茅野で一時的に目を覚ましたが、あとは下車駅の神城まで眠れた。この神城という駅、なかなか清楚な響きでいい感じだ。昔からの地名をそのまま残しているところに好感が持てる。商業主義全盛の昨今、「白馬五龍スキー場前」なんて駅名に変更されていても不思議じゃないのに。
 
 早朝、宿に到着し、仮眠。しかし、今週は一週間の疲れが抜けきっておらず、とものりに起こされるも朝起きれず。結局、午前10時半過ぎに起きて、独り、30分間隔で民宿街とスキー場とを結ぶ循環送迎バスでスキー場に向かう・・・筈が、循環バス、いつまでたっても来ない。40分待っても来ないので、もしや、この時間帯は1時間おきなのか?と思いつつ、携帯でとものりに電話してみると、案の定。そこで待ってても1時まで来ないとのこと。板を担いで約10分歩き、別の停留所に向かい、宿を出てから約1時間後(約12時)、ようやくゲレンデに到着。
 
 とものりとは連絡を取ってすぐ落ち合ったが、肝心の、ごとう君は一緒ではなく、とものり一人。話によると、「疲れて食堂で寝ている」とのこと。リフトでいろいろ話などしたかったのになあ。ごとう君は午後3時半頃復活したが、彼は初級者コースしか滑れないため、俺もとものりも、その後一回リフトで一緒しただけで、後は三者それぞれ再び別々に。ごめんね、ごとう君。

 午前中の眠りで失った時間を取り戻すべく、それからは昼飯時間を惜しんで、4時50分の営業終了まで滑りまくった。

 

 

 


2005年02月16日(水) 早春の雨

 昨日、「翌日は雨」との天気予報を見ていながら、「まー、部屋干しすればいいか」と軽く考え、帰宅後すぐに洗濯機を回した。いつもの流れ作業で、洗い終わったものをベランダに干してしまった。その時、何故か天気予報の事は、頭からすっぽり抜け落ちてしまっていた。
 雨は俺が寝てから間もなくして降り始めたらしい。午前3時か4時頃、ふと目を覚ますと外は雨。ベランダのコンクリートは既にたっぷりと雨で濡れて、外の光を反射してきらきら光っている。物干し竿からは雫が滴り落ちる程である。もはや洗濯物を取り込む気力も失せて、「どうにでもなれ」と、そのまま濡れるに任せ、再び眠りへと落ちていった。


2005年02月15日(火) ゴディバ

 なんとなく疲れているので、今日はスポクラではなく、リーマンシュタットの泰式マッサージ屋に行った。たどたどしい日本語で色目を使っておねーさんが擦り寄ってくる華僑系の店ではなく、店長・店員共に日本人の店。
 月に1、2度程度足を運んで店長と仲良くなっていることもあり、店長(男)からバレンタインデーチョコをもらった。帰宅してあらためて包みをマジマジと見てみると、超人気菓子メーカー「ゴディバ」だった。また行った時にはお返しにスキー土産でも持って行こう、と考えた。
 


2005年02月14日(月) ハーシー

 スポクラに行ったら、受付にチョコが入っている小さな籠が置いてあって、「ご自由にお食べ下さい」状態だったので、ひとつもらって食べた。銀紙に「ハーシー」とアルファベットで書かれている。海外の一流菓子メーカーだ。が、しかし、ちょっと甘さがくどい。一流一流と言われているけどこんなものなのね〜、と思った。
 日本人は、他の民族に比べて、甘さ控え目を好むらしいので、直輸入もののチョコだとどうしてもくどく感じるのかもしれない。


2005年02月12日(土) チョコをもらった

繁華街を歩いていたら、ティッシュ配りのような若い女性がいた。配っているものをよく見ると、ハート型のバレンタインデーチョコ。思わず「あっ、チョコだ!」と声に出したらその女の子、俺の方を見てにっこり笑って、チョコの入った広告をくれた。


2005年02月11日(金) 食材

1、はたはた
 先々週の2番煎じで、「あんこう1匹680円」を買おうと、2週間ぶりに魚屋に行くが、残念ながら今日は1200円。諦める。
 が、「はたはた」を発見。秋田県の特産で、一時は資源が枯渇して、幻の魚と化していたやつである。知っているのは名前だけで、今まで食べたことがなかった。8匹で280円という値段だったこともあり、どんな味なのか買ってみる。
 15センチ位の小柄な魚。愛嬌があるというか、かわいい顔をしている。
とりあえず鍋を仕立てる。身は後で使うとして、とりあえず頭と内臓を鍋に入れ、野菜と煮る。いつもは味噌味ばかりだが、ネットで料理法を検索した結果、「はたはたの鍋」には通常魚醤を使い、「もし、なければ醤油」とのことだったので、醤油で味付け。
 なんか、煮立てているうちから、やさしく、いい香りが。で、体を温める効果があるのか、食べていると、体が内側からぽかぽかに。とにかく、やさしい味でした。

2、やなぎまつたけ
 スーパーで見慣れない茸を発見。えのき茸の傘を焦げ茶色に、茎を黄土色にしたような感じ。近づいてよく見ると、「やなぎまつたけ」と書かれていた。おおお!兼ねてから人工栽培に成功したという話を聞いていたが、とうとうスーパーの店頭に並ぶ日が来たか、と感動し、58円という値段も手伝って、3パック買う。
 肉とごぼう、それに葱と一緒に鍋で煮て味噌で味をつけて食べたが、それぞれの味が強すぎて、やなぎまつたけの風味がかき消されてしまっているような・・・。今度はお吸い物のような薄味の調理法で味わってみようと思う。

※茸の本によると、「松茸の近縁種で、松茸は地面から生えるのに対し、柳などの枯れ木や切り株などに生え、香りは松茸に似ている」といった説明がされている。

3、吉野家
 今日、原付で吉野家の前を通りかかったら、店の外にまで長蛇の列が。
そういえば、今日が「牛丼一日だけ復活」の日だったかと思い出す。
  


2005年02月10日(木) スーパーテレビ(11日金曜日分)

 金曜日、別の話題で日記を書いてしまったので、11日金曜日の「スーパーテレビ」の話題を。

 ちょうどスーパーと魚屋から帰ってきて、テレビで一休み、と思って新聞の番組欄を見ると、5時からの「スーパーニュース」で、「涙も凍る脱北残酷物語激撮」とのこと。チャンネルを8チャンに合わせる。

 中国が脱北者の越境阻止の為に国境の川沿いに設置した鉄条網。川の中に浮かぶ、脱北に失敗したと思われる男の死体。中国警察に摘発されないように、郊外の山の中に掘っ立て小屋を建てて隠れ住む脱北者。延吉(戦前から朝鮮系住民が多く住む、旧満州の都市)市内でプラスチックの容器を手に、物乞いをする、身寄りのない幼い脱北者。
 最後は19歳の青年。普通なら働いているか、学校に行っている年代だが、職業は物乞い。身分を明かそうものなら強制送還(=収容所送り)になりかねない現状ではどうしようもないのだろう。しばらく前に、中国人の若者集団にいわゆる「ホームレス狩り」に遭い、歯が何本も折れる程ボコボコにされた上、なけなしの金を巻き上げられたという。冷え切ったコンクリートの床。これから駅の片隅で寝るという。リポーターが「何か将来の夢はありますか」と訊ねると、「何もありません。これからも物乞いで暮らしていくだけです」と語っていた。悲しい。悲し過ぎる。

 俺達は、例えばインド洋大津波で被災した方々に支援の手を差し伸べることは出来るのに、インド洋より遥かに日本に近い旧満州で、中国警察の目に怯えながら、それでも今日一日を生きる為に物乞いをする彼等に支援の手を差し伸べる術を知らない。北朝鮮や中国の軍人や役人の中間搾取を経ない方法で、彼等に手軽に手を差し伸べる方法はないだろうか。

 根本的な解決方法を言うなら、北朝鮮に民主的な政権が樹立されるか、韓国によって統合されるまで、こうした脱北者を日本が積極的に引き受ければいいのにと思う。勿論、本人が望めばいつまでも日本で生活していても構わないという条件で・・・つまり特別永住者(終戦時点で内地(=日本本土)に住んでいた旧植民地出身者)枠の定義を広げて対応するのが望ましい。
 そもそも戦後の日本は、旧植民地に対してあまりに無関心過ぎる。「日本」でなくなった途端に見てみぬふり。ヨーロッパの国々では、いろいろと問題(注)は生じつつも、旧植民地の移民を、かなり寛容に受け入れてきている。例えばフランスなんて、今では国民の十人に一人が旧植民地のアルジェリアをはじめとするアフリカ系になっている。


 なお、昨日のサッカーW杯予選日朝戦については、「思うこと」の方に書いたので、そちらを御覧下さい。


(注)イスラム人口が増えたため、学校でイスラムのスカーフをかぶる・かぶらない云々といった摩擦などが生じている。


2005年02月08日(火)

今朝は雨だった。天気予報で雨と聞いて、洗濯物はベランダに干さずに室内に干したのだが、日曜の夜に、スキー靴をベランダに出して干していたのを、うっかりそのままにしていた。帰宅すると、びしょびしょになっていた・・・。


2005年02月07日(月) 水戸黄門(石巻)

 昨日、おとといのスキーの後片付け(洗濯等)が待っている為、今日はスポクラへは行かず、まっすぐ帰宅。
 先週と先々週はスポクラ優先の為、観ていなかった「水戸黄門」を観る。
今日の悪のテーマは、「過剰な公共事業と献金の着服」現代の世に通じるテーマである。
 悪の張本人は勿論「お代官様」(=民間委託公務員)。それに加担したのが材木問屋(=建設資材業者)と口入れ屋(=民営職業紹介所。※)

 お代官様は、普請(=公共建設事業)として港の改修を行なうから、寄付金を出すようにと、石巻の町の廻船問屋(=海運業者)組合に要請。本当のところ、廻船問屋組合としては、今の港で十分だから、改修工事は必要ないと思っているが、お代官様の意向には逆らえない。
 で、お代官様は、海運業界から集めた献金の半分を着服。残り半分は工事に使われるが、それは結局、お代官様と結託した建設資材業者と職業紹介業者が儲かる仕組み。うーん、まさに悪のトライアングル。見事である。
 このカラクリ、誰もが必要ないと思ってる高速道路や箱物施設を「地元発展のために」という名目で、本音のところ、地元建設業者と地元の雇用確保のために建設してしまい、御礼として地元建設業者団体から献金をもらっている現代の政治家に通じるような・・・。

 

※大抵の職業が世襲が普通だったこの時代、紹介される職業と言えば、工事現場での肉体労働に代表される、臨時・日雇的な仕事が殆どであった。農村からの出稼ぎ農民や浪人(=失業中の武士)、様々な事情で故郷を捨てて都市に流れ着いた、身分不詳のゴロツキのような人々が顧客であった。
 雰囲気はいわゆる蛸部屋のようなものであったらしい。何故なら、口入れ屋は、口入れ希望者(=就職希望者)から徴収する口入れ料(=紹介手数料)で利益を得ていたため、口入れを希望する失業者が賃銀(=賃金)をもらう前に仕事を辞めてしまうと、利益を取りっぱぐれてしまうからである。(就職希望者は大抵、紹介を受ける時点では無一文なため、必然的に口入れ料は、就職後の賃銀から天引きという形になる。)また、なるべく早く利益を確保したいという口入れ屋の思惑は、どうしても、労働者を無茶に働かせてしまうという結果を生んだ。


2005年02月06日(日) 白馬五龍&47スキー場2日目(追加版)

 今日は、とものり及び、彼のネットつながりの友人宮崎氏が、DBD講習(ダブルブラックダイヤ=最上級コース)を受けるというので、彼等二人には及ばないが俺も申し込むことにした。講習を受けた者は、DVD講習修了者だけがすべることが出来る、一般コース外のコースを滑る特典が与えられる。

 受付は47スキー場の麓にある小屋。8時50分に五龍スキー場のゴンドラの麓に着いた俺たちは、すぐさま五龍ゴンドラに乗って山頂駅へ。
とものりによれば、受付はDBD講習の9時から9時20分の間であるそうだ。
 山頂駅に着くや否や、47スキー場の麓に向かって滑り出す。もし、希望者が多かったりしたら、9時20分を待たずに、「本日の受付は終了しました」なんてことになるかもしれないと思って、ほとんど直滑降で滑走。まあ、まだ朝ということもあり、ゲレンデが荒れていないので、高速滑走が可能だったという事情もあるが、5分足らずで麓に着いた。とものりの方が、互いを見失わない程度に俺より速かったのだが、後で奴に、「俺より下手なのに、あんなにスピード出すと危ないよ」などと言われてしまった。かなり悔しい。

 で、講習。座学と実技からなり、座学は、講師がプリントを読んでおしまい。実技はといえば、予想通り、10名程の参加者の中で俺が一番下手くそだった。
 実技が終わった後、とものりと宮崎氏は早速、コースに何度も再チャレンジ。俺は2本ばかり再チャレンジした後、木がなく、スピードが出せるコースが懐かしくなって、「ルート3」(コブコブの上級コース)に行ってみた。そしたら、いつもは途中でなかなかターンできなくて難儀している難しいコースの筈なのに、殆ど途中で一時停止することなく、快適に滑ることが出来たのだ。参加者の中で一番下手くそで、恥ずかしかったが、その恥に見合う効果があったのだと思う。

 ひとつ書き忘れていた。47のゲレンデ内で
「ゴンドラ乗り場横のかまくらフェスティバル会場でふるまい酒のサービスがあります。」
と放送があったので行って、七輪で焼いた餅と白馬錦をごちそうになった。俺は結構日本酒は好きな方だけど、昔ながらの一升瓶のお酒を買うことはなく、720ミリの瓶や、おしゃれな瓶に入ったもの、それに「日本酒」の既成概念を越えたような今風のネーミングのものを買う傾向があって、「白馬錦」という、いかにも昔ながらの銘柄にそれほど期待はしていなかったんだけど、飲んでみたら激旨。お代わりをもらおうと思ったけど、一人で何杯も飲んでは、他のスキー客に悪いと思い直し、そのまま係の人に礼を言って、その場を後にした。


2005年02月05日(土) スキー(白馬五龍&47スキー場)1日目

 今日は雪。スキー場は空いている。間抜けなことに、連絡用の携帯を宿に置き忘れてきたので、かなり不自由。
 9時半から17時まで、実質7時間くらい滑った。少しは上手くなっているのか、それとも単に積雪量・雪質共に良い状態である為か、アドベンチャーコースのような難関コースもサクサク快適に滑れた。
 ゲレンデで、とものりのネット友人(とものり自身も実際に会うのは初めてらしい)が現地集合。本当にこの人、セクシュアルマイノリティーなの?と思わずとものりにこっそり突っ込みを入れた位、まるでゲイゲイしさを感じさせない人。スキーの知識は豊富で、俺などはちょっと、彼のスキー専門用語についていけない程。
 夕飯は、太らないように御飯は程々にする予定が、5杯も食べてしまった。
 みんな疲れたのか、食事が終わるとさっさと寝てしまった。俺自身はあまり疲れてないのは、スポクラによる効果か?平均週2日程度なんだけどねえ。


2005年02月04日(金) トリプルブッキング

 今夜から夜行快速で土日、とものりプロデューススキー旅行。定時退勤促進旬間という追い風もあるので、さっさと帰ろうとしたその時、違うフロアの同僚から、「半年前にリストラに遭った、元バイト君が、再就職決まって、今たまたま近くに来ているんだけど、彼を囲んで飲まないか」という誘いが・・・。タイミング悪過ぎ。
 俺自身、元バイト君とは仲が良かったので、飲みたいところだったが、苦肉の策として、近くの喫茶店で20分程度お話ということで折り合いをつけた。
 それではそろそろ、と彼と別れようとした時に、携帯メールの着信音が。
チェックしてみると、稲葉山県にUターン就職している学生時代の友人が、「急で申し訳ないけど、今日たまたま東京に来ているので、良かったらこれから飲まない?」とのこと。なんでよりによって今日・・・。折り返し彼の携帯に電話をかけてみたら一瞬通じたものの、電波状態が悪く、途切れてしまった。仕方なく留守電に断りのメッセージを入れる。
 その後、スポクラに立ち寄り、「ヨガヒーリング」参加。これは金曜日のこの時間しか参加できない稀少なメニュー。名前の通り、癒し効果があるので、とっても重宝しており、欠かしたくない。
 一時間後、「ヨガヒーリング」が終わると速攻で浴室に入る。いつもは20分くらいかけているが、今日は10分強で済ます。急いで風呂から出て着替え、帰宅。既に前日までにまとめてある、スキーの荷物を持って駅へ。無事目的の列車に乗り、集合待ち合わせ時間通りに新宿に到着。


2005年02月03日(木) 海フォアグラ

 先週日曜日、「鮟鱇」(あんこう)がまるごと1匹680円で売られていて、恐らく安いんだろう、と思いつつも、さばき方が分からない為、一度帰宅して、ネット上でさばき方を確認し、さらに、「鮟鱇にはコラーゲンがたっぷり含まれており、特に、肌が荒れ気味の人にとっては天然のサプリメント。しかも低カロリー。」という素晴らしい情報も得て、勇んで再度店に行った。が、いざとなるとなかなか手が進まない。鮟鱇なんて2、3年前にパック入りの切り身を買ったことがあるだけなのでびびってしまう。鮟鱇の前を何度も行ったり来たりした挙句、ようやく「ここで買わなかったら絶対後で後悔するだろう」と自分に言い聞かせ、意を決して買う。
 帰宅して重さを量ってみるとほぼ2キロ。多分すごく安いんだと思う。
ネットの画像と首っ引きでさばき始める。およそ1時間で、皮、皮下脂肪、白身、胃、腸、ヒレ、アラ、そして肝に分けた。
 
 で、白身は冷凍庫に、痛みやすい内臓系は冷蔵庫に入れて、毎日一品ずつ汁物の具として美味しくいただいている。今日の出番はいよいよ肝。あんきもである。海フォアグラとの異名の通り、クリーミーでありながらしつこくなく、なんともいえないいい味。しかも、パックの鮟鱇の時は、肝もカットされてほんの一口分しか味わえなかったが、今回はまるごと一匹分なので、十分に味を堪能できた。また安売りされていたら是非買いたい。
 


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