29号の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年10月31日(日) 敗北の麦とろ飯

 土曜夜から先程にかけて、実家に一時帰省。疲れた感じで腹の調子が悪い。こういう時は、消化が良くて栄養価の高いものが効果的だろう。無性に「おとろ」(=麦とろ飯)が食べたくなって、帰宅後、安さが売りの八百屋に行った。店頭付近には見当たらず、店の奥の方に、真空パック入りの「鹿島灘特産 長芋」があった。こうした食材を買う客は少ないと見え、辺りは古くなった野菜くずが出す腐敗臭が漂い、見た目新鮮そうではなかったが、「国産だし、真空パックだから大丈夫だろう」と思い、購入した。しかし、その判断は間違いだった。 
 帰宅して、心躍らせながら、「鹿島灘特産 長芋」を真空パックから取り出す。見た目腐っているわけでも、かびているわけでもないのだが、(そのくらいはチェックした上で買っている。)酸化臭と言えば良いのだろうか、ちょっとすっぱく不快な臭いがする。先週ホームセンターで買ってきたばかりの、すり鉢とすりこぎを出して、まずはすり鉢の上で、芋をおろし金にかける。明らかに芋は水っぽく、細胞組織のきめが粗い(=水太りしている)。しかも、驚いたことに、摩り下ろしたはじからあっという間に黒ずんで(=酸化して)しまう。これは不味そうだ。そう思いながらも、テレビを観ながら気長にすりこぎで芋をすり始めた。だしは実家では煮干と昆布で取っていたような気がするが、とりあえずなんでもいいだろうと思ってしいたけの煮汁を加え、さらにすり続けた。
 そして、炊き上がった麦飯にかけて食べてみた。「不味い!」それは、想像を超えた不味さだった。こんなに不味いおとろは、明らかに生まれて初めてだった。もし生まれて初めて食べるおとろがこの味だったら、絶対、おとろ嫌いの子供になっていただろうと確信できるくらいに不味かった。
 茶碗一杯分を麦飯と一緒に食べきった段階で、これ以上不味すぎて食べられないと思い、残っているおとろをフライパンで焼いてしまうことにした。生では食べられない、鮮度の落ちた魚などでも、焼けば食べられる。それと同じと考えて。
 小麦粉を加え、油をひいたフライパンの上で焼く。かるめ焼きのような色と形状の物体が焼きあがった。食べてみる。不味いことは不味いが、生の時より幾分マシになっている。なんとか捨てずに全部食べることができた。
 今度からはとろ芋(=とろろ芋)は鮮度を十分確認して買わねばと、固く心に誓ったのであった。


2004年10月29日(金) (その2)人質殺害の報に接して

 人質の開放条件?として設定された要求期限が29日、に切れたことで、いつかネット上に殺害の速報が載ってしまうのではないかと、不安になって、ネットをしながらチェックしていたが、深夜になって、とうとうネット上の新聞に殺害の記事が載ってしまった。

 しかし、彼等の手口、余りにも人間味がなさ過ぎる。「処刑」するにしても、遺書くらい書かせる猶予を与えるのが人間というものではないだろうか。彼等にはこれっぽっちも「心」というものがないのだな、と、心底思い知らされた感じだ。

 いっそのこと、人質事件を機に、要求とは逆に自衛隊を「増派」したらどうだろう。彼等の要求がもし「自衛隊撤退」にあるのであれば、テロリスト側にとっては、「人質は殺したが、期待した結果と逆の結果になってしまった」ということになり、「そんなんだったら人質殺さなければよかった」と考えてくれるかもしれないからである。


2004年10月28日(木) 新たに発生したイラク人質事件の被害者香田さんについて思う

 今朝、テレビのニュースで知った。香田さんを拘束したのは、以前韓国人をさらって斬首したグループと同一ということで、非常にまずい事態が予想されるとのこと。

 歩行中にマイクを向けられコメントを求められた小泉首相をテレビで見て、少々腹が立った。「危険だからイラクに立ち入らないようにと再三国民に通告しているのに(イラク国内に)まだいたんですか。思慮が浅すぎる。」というようなことを言っていた。その場面から俺が感じ取った首相の本音は「あーあー、ただでさえ忙しいのに無責任で勝手な行動で余計な手間取らせやがって。自己責任なんだよ自己責任。」といったようなものだろう。

 テロ組織に強いられて香田さんがメッセージを述べていたのを聞いて、彼は結構胆の据わった男だな、と思った。取り乱していないし、その上慎重に言葉を選んでいる。例えば、
 「彼らは日本政府に自衛隊の撤退を求めています。さもなくば、僕の首をはねると言っています。」
「彼らは」という主語を付けて、「自衛隊イラク撤退」は、あくまで香田さん本人の主張ではなく、テロ組織の主張であることを示している。

 彼一個人としての保身を考えた場合、「俺からもお願いします。俺の首がかかっているんで、どうか撤退してください」と懇願したい気持ちはきっとやまやまであろう。そうした個人的エゴイズムを抑えた、彼の崇高な精神が「彼らは」という主語に凝縮されているように思えてならない。

 


2004年10月24日(日) 昼寝

朝、9時に目が覚めたが眠い。そのまま寝ることにしたら12時半。朝飯(昼飯?)を食べたらまた眠くなって、昼寝。起きたら午後7時。昼間ほとんど寝ていたことになる。我ながら、何故そこまで寝るかね?と思った。


2004年10月17日(日) 山奥のスーパー温泉

 2日目、山小屋に荷物を置いて、新雪に足を滑らせ転びつつ、手ぶらで窓明山、三ツ岩山に登った。少しだけある湿原は既に枯草模様。景色は前回来た時は霧が多かったが今回は眼下に雲海状態で最高の眺めだった。
 下山後は、下山口の目と鼻の先にある「窓明の湯」に直行。前回この山に登った時にも立ち寄っているが、露天風呂、サウナ、気泡風呂など、スーパー銭湯並みに設備が整った温泉だ。しかし、肝心の泉質は、先々週の「大嵐山」の際の村湯の方が上だと思う。
 館内の食堂で、天ぷらうどんを食べる。蕎麦の方が似合う土地柄なのに、何故かこの館内では「うどん」しかない。二人前食べたら、S嬢に、「食べ過ぎ。太るの当然ですよ。」と言われた。



 他にもいろいろと書きたいことがあったような気がするが、時間が経過してしまったので、これでおしまい。
(執筆日:11月3日)


2004年10月16日(土) ガス電気風呂無トイレ無宿泊無料

 学生時代の人と総勢4人(俺以外は男2人女1人)で、会津の三ツ岩山へ。
夏に一度行ったので、どこか近くのまだ登ったことのない山がいいなと言ったのだが、企画者はこの山がお気に入りで、また、他の二人は未登頂ということもあり。そのまま変更なし。まあ、以前行った時とは違い、紅葉も楽しめるだろうし、きのこの収穫も望めるかもしれない、ということで参加。

 朝は浅草発の東武線快速に乗り遅れそうになり、冷や冷や。
この時間、休日の早朝の下り列車なんて大抵は、朝まで飲み明かしたか、夜勤明けかで腫れぼったい目をしている人が多いのだが、この列車だけは空気が違い、同じ目的の客で電車は満員。網棚はザック満載で、これ以上載せる余地がないくらい。

 会津高原駅でバスに乗り換え(これも助手席含め満席)一時間。バス停イコール登山口なので、すぐに登り始める。登り始めて30分。名前はよく分からないが、きのこの群落発見。「ここで時間とったら山小屋に着くのが遅くなってしまう」という理由により、種の同定は後でということになり、とりあえず採集し、先を急ぐことに。

 その後、栗茸らしいきのこ、チャメナツムタケらしいきのこ、を道すがら採集しつつ、登る。遠くに目をやると、明日登る筈の山腹のあたりが新雪で白くなっている。まさか初雪が降っていたとは。今夜は寒くなりそうだ。

 午後4時頃、山小屋に着く。以前一度来た時と変わっていない。何故か北向きに入口があり、入口と目と鼻の先に、あまり名水とはいえない水場がある。
当たり前だがガス電気風呂無で、さらに、登山客が少ない為、トイレもない。山小屋には、野糞の後始末をするためのスコップがあり、小屋の南側の藪一帯が、天然トイレとなっている。もしもここに某T嬢あたりをこの山に案内でもしようものなら、恐らく絶句され、この山小屋への宿泊予定そのものを反故にされることであろう。

 夕飯を作って食べ、精一杯の厚着をして寝袋に包まると、前夜の準備の疲れもあってか、すぐに眠ってしまった。
画像はこちらを参照
http://www.nextftp.com/yasouman/041016.html


2004年10月14日(木) 人間地雷

 通勤列車はいつも混んでいる。
帰りの列車内で、嫌な場面に出くわしてしまった。
途中駅に停車し、ドアが開いたところで、一人の男が突然、もう一人の男を車外に引きずり出し、「暴行未遂の現行犯だ!」と大声をあげた。
 恐らく揺れる車内でちょっと隣の人に体がぶつかったか、足を踏んでしまったかしただけなのだろう。たまたまぶつかった相手が悪かったのだ。
 幸いにも駅員がすっ飛んで駆けつけることもなく、それ以上大げさな事態には至らずに済んだが、似たような経験は俺にもある。
もうかれこれ5年も前になるが、雨の日、俺が持っていた濡れた傘の水滴が服についたとかで、若い女性に因縁をつけられた。「そのままお前の会社についていって勤務先を調べ上げてやる!」とすごまれ、実際、駅を降りてしばらくの間、ストーカーのごとく尾行された。
 もうちょっと通勤列車が空いていれば、互いの体がぶつかり合うこともなく、したがって、こうした「人間地雷」とも言うべき人に当たってしまうようなことも起こらないんだけどね〜。
 


2004年10月13日(水) ウイルスラッシュ

帰宅後メールソフトを立ち上げたら、ウイルス対策ソフトからの警告。「ウイルス付の添付ファイルのメールを検出しました」「メール本文にウイルスの仕組まれたメールを検出しました」と次から次へと7〜8通もの警告が。
なんか今夜はウイルスメールラッシュらしい。対策ソフトの警告と、その後のハードディスクのウイルスチェックのために、半ばウイルスチェックの為にパソコンを起動したような秋の夜長となった。


2004年10月10日(日) HERO

 今日も雨。ちょっと買い物した以外は一日の大半をパソコンの前で過ごした。
 夜、10チャンネルで放送されていた「HIRO」をちょっと見てみる。
秦の始皇帝が出てくるやつだ。ちょっと観てすぐやめた。余りに時代考証が甘くて興醒めだったからだ。
 それは、この時代には存在しない筈の「紙」があったこと。常識中の常識でしょう。「紙」が発明されるまでは、あと300年の年月が必要で、現在に例えるならば、ちょうど水戸黄門がバイクに乗って全国を巡る旅をしているのと同じようなアホらしさと言えるだろう。


2004年10月09日(土) ぜんまい


 この3連休、山に行く予定だったのだが、台風の為中止。
せっかく空いた3連休、何か試してみようということで、思い立ったのが、「時間のかかる調理をしてみよう」ということ。実はずっと前から気になっているものがあった。韓国食材店(横浜は中華街があるので中国人が多いが、その他に半島出身者やタイ人などが多い。)で売られている「ぜんまい」。黒いヒモ状のものがお互いに絡み合ってドーナツ状にまとめられたものが一個500円で売られている。乾燥しているから、戻せばかなりの分量になるだろう。
 雨でお客も少なそうなのでチャンスと思い、ヒマそうな店番のおばさんに声をかけてみた。

「このぜんまい、どうやって食べるのですか?」
案の定、おばさんは日本語が下手で(注)、知りえた情報は、「水を張ったなべの中にぜんまいを入れ、30分くらい火をかけるとともに、大さじ一杯分くらいの重曹を入れる。その後一晩置いて洗う」
ということであった。重曹を入れるベストなタイミングだとか、火を止めたあと、一晩置くにあたってゆで汁は捨てるべきなのかそれともゆで汁につけたままがいいのかとかいった、細かい部分は質問しても要領を得ず、とりあえずぜんまいと重曹を買って帰宅。

 帰宅後、早速あく抜きに挑戦してみる。水を張ったなべにぜんまいを投入し、沸騰したところで重曹を投入。おばさんの説明では、恐らくぜんまい全量に対して重曹大さじ一杯ということだろうが、今回は全体の5分の1くらいの分量なので、重曹も小さじ一杯程度の投入に留める。
 投入した途端、パッと泡が広がり、ゆで汁の泡が緑色を帯びた。なんだか化学実験みたいだ。その後しばらく沸騰させていると、ゆで汁が茶色くなってきたので、一旦ゆで汁を捨てることにする。
 水を加えて再度ゆでる。また水が茶色くなってきたのでまたゆで汁を捨て、新しい水に取り替える。大体30分たったので、再びゆで汁を捨て、水に浸す。

 2、3時間後、翌日まで待てなくて、いいや、と調理に取り掛かる。水を切ったぜんまいに、しいたけと油揚げを加え、ごま油で炒める。ぜんまいはあくを抜きすぎたのか、ところどころささくれて繊維がほぐれてしまっている。いかに形を崩さずにあく抜きができるか、今後の検討課題である。おばさんに、もっと細かいところが分かる日本語コミュニケーション能力があれば嬉しいのだが。

 見た目はささくれてしまったぜんまいの炒め物、それでも十分過ぎるほど美味しかった。どんぶり一杯分くらい作ったのに、一晩でペロリと食べてしまった。これは今後俺の定番料理になるのかもしれない。
 
(注)コリアタウンといってもいいくらい人口も多く、店によってはハングルで商品説明が書いてあるほどで、多分、日常生活で日本語を使わなくても生活に不自由しない為だと思われる。


2004年10月05日(火) 毎日新聞夕刊

 夕方、定時終了後の一休み。職場の応接ソファーの所にある夕刊の一面記事の写真が目に留まった。記事によれば、彼の両親は進攻してきた軍に殺されたらしい。
 泣きそうな目をした子供の写真。写真を見ただけでこちらがもらい泣きしそうになった。
 俺がいくらここで言葉で何か訴えようとしても、十分には伝わらないと思うので、補足の映像とコメントを・・・。
 左上の、ゴミゴミしたコンクリートの街が、この子供が暮らしている街。右下のリッチな一戸建て住宅が立ち並ぶ街が、攻撃側の占領地。




2004年10月03日(日) 茸狩り

雨の中、実家から一時間程車を走らせた山に茸狩りに行ってきた。
予想した通り、イグチ類をたくさん収穫。帰りは温泉にも入ってきた。
もちろん温泉水(飲用)をペットボトルにもらってきたことはいうまでもない。しかし1本1万円近くしたLEKI社の登山用杖を忘れてきてしまったのは悔やまれる。温泉旅館に電話して探してもらったが、見つからなかったとのこと。画像は花イグチ。


2004年10月02日(土) 敗北

昨日、駅前に置いていた原付を移動されてしまった。移動料3000円也。


29号 |MAILHomePage