29号の日記
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2004年07月29日(木) 寄り道〜従兄弟とローゼンカステル県農協

 帰り道、氷見谷公園の方からかすかに歌声が響いてきた。すごく癒し系の歌・・・聞いたことがある・・・数秒後・・・それは俺の好きな歌のひとつ「カズン」の「冬のファンタジー」だった。7から8年、もしかすると10年近く前の歌だ。野外ライブコンサートでもやっているのだろうか?歌声に誘われるように公園に足を踏み入れると、たくさんのテントが並び、中央では特設ライブステージが設けられていて、まさにその、歌声の主が舞台に立っていた。男女の二人組。正に二人は、従兄弟同士の二人組グループ「カズン」だった。
 「カズン」は代表曲「冬のファンタジー」が一時、歌の週間ベストランキングで1、2位あたりまで昇りつめた直後、浜崎あゆみだったか誰だったかがヒット曲を飛ばした煽りを受けて、その人気の陰に隠れてしまい、そのまま一発屋で終わってしまったような、そんなエピソードを覚えている。こういう無料のライブで今は細々とやっているのかと、その後の現実をこの目で見ると、人気というものと、世の移り変わりというものの儚さをしみじみと感じる。
 「冬のファンタジー」の後も何曲か続けて歌った。いずれも癒し系の、ストレスを一時(いっとき)、忘れさせてくれるような、そんな歌である。
 ライブが次の歌手の番になるのと同時に、二人がステージの横の折りたたみテーブルの前に立ち、直筆サインをその場で書きますと言って、CDを売り始めた。集まったのは俺も含めて10人かそこら。アルバムCDと新作シングルCD。「このアルバムCDの中には『冬のファンタジー』収録されていますか?」と聞いたところ、「残念ながら」という答えだったので、新作シングルCDの方だけ買った。二人の共同作業でサインしてくれ、握手までしてくれた。どうせだったらアルバムの方も買えば良かった。どうしよう、また列に並ぼうか?と考えているうちに、あっという間に列はなくなり、それと同時に、二人も舞台裏に行ってしまった。

 その後、2組程のグループが歌を歌い終えたのが10時半。10時半でライブは終了ですとのアナウンス。ライブステージを取り囲むように立っているテントのひとつがライブ中から気になっていた。ローゼンカステル県農協のテントである。県のPRの為か、梨が2個300円で売られている。冷えているのではなく、すぐその場で食べられる売られ方をされているわけではないためか、売れ行きは芳しくないようで、遠目に見やったところ、まだ売れ残りがだいぶあるようであった。(氷水の中でキンキンに冷やしたものを、皮を剥いて、4つに割って串に刺して、その場で食べられるように売れば、こんな暑い日なんだから、もっと効率よく売れたのにと思う。)

 で、近寄ってみると、案の定、「今お買い上げの方に、県産コシヒカリをプレゼント!」「ちょうど良かった。俺、今週月曜日から米切らしちゃってるんですよ。」(←事実)と言ったら、「米はちゃんと食べないと〜」と言われて梨の入ったビニール袋に溢れんばかりに県産米試食用小袋をサービスしてくれた。帰宅して確かめたら、300グラムの試食用小袋が7つ(2.1キロ分)もあった。

 今日はタダでライブを聴けたし、300円で梨3個と米2.1キロももらえたし、すごく得した気分になった。

 


2004年07月25日(日) 久しぶりのレンタルビデオ

 金曜夜に、蔦屋でレンタルビデオを借りてきた。ちょうどレンタル解禁となった「タイムライン」。前回、「タイムマシン」を借りてきてから約半年くらいか。久々のレンタルビデオである。ビデオを使うのがあまりに久しぶりだったので、操作がわからなくて、土日の日中、二日間悪戦苦闘した挙句、購入店のヤマダ電機に行って「このリモコン、壊れてるんじゃないでしょうか?」と聞いたら、
「壊れていないですよ。まずテレビのリモコンで1チャンと12チャンの間にある、何も写らないチャンネル画面を出してから、「ビデオ1」の画面にするんですよ」と説明してもらって、帰宅し、ようやく観ることが出来た。

 本当は土曜日に観て返すつもりだったので、一日延滞で300円も取られた。本来の一泊料金と併せると750円。前売り券で映画を観る金額の半分くらいもの値段になってしまった。ちなみに、返しに行った際の受付のバイトは名前からして、中華系のようであった。牛丼屋、和食居酒屋、回転寿司屋、コンビ二に続き、いよいよレンタルビデオ屋にも中華系、進出してきたのね、と思った。今に東京や横浜ではフリーターの定番バイトがなくなってしまうのでは?と心配するのは杞憂であろうか。

 ちなみに、肝心のレンタルビデオの粗筋だが、時空間転送装置で英仏百年戦争のさなかの中世フランスに実地研究に行った考古学者が発したSOSと、彼を助けに行った8人の若者に襲い掛かる過酷な試練・・・という、SFと歴史ものを融合させたもの。両方とも好きな俺の為にあるような作品。時空間転送装置の作動原理は、本当にそういうシステムなら現実に転送できそうな、納得のいく説明になっているし、城攻めの際には、唐竿式投石器が、つるべ井戸の原理で燃える石を飛ばす様子がしっかり映像化されているし。これは俺にも分からない原理の「ギリシア火」という、巨大な火矢(敵兵が消火のため水をかけると、何故か一層火勢が強まるという、当時の最重要軍事機密のテクノロジー)も出てくるし。お勧めです。



2004年07月24日(土) 瓜科植物三昧

 商店街の八百屋で新鮮な「へちま」を見つけた。横浜には、その温暖さが呼び寄せるのか、他の関東の都市と比べて沖縄県人比率が高いように思われ、沖縄食材を扱っている店も知っているのだが、遠く沖縄から運んできているためか、見るからに鮮度が悪いので、へちまを見かけても買うことは今までなかった。しかし、この八百屋でたまたま売られていたへちまは新鮮で、おまけに値段も手頃だった。
 夏が旬の瓜科植物(西瓜・メロン・胡瓜等)は「体を冷やす働きがあり、夏に食べると体の中に溜め込んでしまった熱を排出してくれるという効用がある」そうなので、早速買った。
 商店街をさらに歩いて別の八百屋で、今度は夕顔が売られているのを発見。「冬瓜」という名で呼ばれている、緑色でまくわうり形の西日本タイプのものではなくて、長さが50センチ以上あって、白っぽい色で巨大な胡瓜のような形をした、俺にとってはお馴染みの、正真正銘の夕顔だ。しかもこれも安い。早速これも購入。あとメロンも買い込んだ。今週は瓜科植物三昧の週になりそうだ。


2004年07月20日(火) 新幹線山行(4)

山行自体は、19日月曜日に終わったが、紙面が足りないので、掲載続行。


綱場。ロッククライミングの趣。




下山口「夏油温泉」千年以上の歴史と伝説に彩られた秘湯。
この後、日に3本のバスに乗って一時間。JR北上駅に到着。


2004年07月19日(月) 新幹線山行(3)

写真集


白山紗参(しゃじん)。 俺の好きな高山植物のひとつ。下界にも「釣鐘人参」という、近縁の植物がある。朝鮮人参とは無関係。





















山小屋付近に生えていた、野生のいちご。つるだけなら沢山あるが、実はあまりついていない。









薄雪草。ヨーロッパアルプスの「エーデルワイス」近縁種。そこかしこに生えていた。











白山風露の花。俺が好きな高山植物ベスト3のうちのひとつ。薬草として有名な「現の証拠」に近縁の植物。昔は実際に薬草としても用いられたらしい。











下山口近く。梢の向こうに立派な人道橋(写真中央に、うっすらと赤く見えている線)が見える。


2004年07月18日(日) 新幹線山行(2)

 学生時代の仲間から声がかかり、新幹線で奥羽山脈の焼石山(岩手県)に登ってきました。その2日目です。
 朝5時起床。4人の中で俺が一番寝起きが悪い。でもこれでも俺としてはすごくマシな方。
 公共交通機関がないので、予め昨日のうちに頼んでおいたタクシーで登山口へ。盆地内はほとんど信号もなく、タクシーは水田地帯の良く整備された道を、80キロくらいのスピードで走る。随分走って、ようやく盆地が終わり、山道に差し掛かる。この山道がまたすごい。未舗装の一本道。そんな山道を、時間的には盆地内の平らな道を走っていたのと同じくらいの時間をかけて登山口にたどり着く。市街地の宿から登山口まで合計50分。

 登山口の標高は700メートルか800メートルくらいの筈であるが、すでに、ビロビロに伸びきった水芭蕉が無造作に生えていた。
 登り始めようとすると、霧雨のような雨が降ってきた。覚悟して雨具を取り出す。

 30分程して雪渓に出くわす。(写真参照)雨のせいか、それとも雪渓がずり落ちる際に引きずられて崩れてしまったのか、地盤がえぐれて、木道が谷底に落ちてしまっている。
 えぐれた谷を巻いて先を進む。雨のせいで登山道が沢のようになってしまっていて、まるで沢登りの趣き(写真参照)。最初の頃こそ一生懸命、靴が水につからないように注意して歩いていたが、そのうちびしょびしょになってしまった。



 さらに30分すると、水場「銀明水」に辿りつく。休憩。銀明水は他の登山客にも大人気で、水汲みの行列が出来ていた。勿論俺もその行列に並んだことは言うまでもない。
 今が盛りの高山植物は、足場が悪いのと、ふらつきそうになるほど横風が強いのとで、じっくり眺めている余裕がなく、せっかくなのに惜しい。(写真は白山一華)

 全く視界の利かない焼石岳山頂で、風の来ない、岩場の陰になっているような場所を選んで昼飯。簡単にパンで済ます。誰のセンスが、主食用パンの他に、ご当地菓子パン「ずんだあんマーガリン」があった。以前の「ずんだシェイク」もそうだが、俺と「ずんだ」とはかなり相性が良いらしい。思わず一人で全部食べそうになって、紅一点のS嬢に「あー、一人で食べちゃ駄目ですよ。4人で2本なんだから」と諭されてしまった。

←山頂写真

 その後、ひどい風の中を、今日の山小屋目指して歩く。予定コースタイムより一時間あまり遅れて午後3時、山小屋発見。まるで「大草原の小さな家」。近付いてみるとマジ立派。S嬢の話によると、2年前に再建されたばかりだとか。2階建て。
 しかも、先程のお花畑とは違って、こちらはあまり登山客の歩かないコースらしく、他に宿泊予定者なし。電気もガスもないけど、水は徒歩1分の場所に「金明水」が湧き出ている。ほとんど貸別荘状態だなと思った。


  
 
 


2004年07月17日(土) 新幹線山行(1)

 学生時代の仲間から声がかかり、3連休を利用して新幹線で奥羽山脈の焼石山(岩手県)に登ることに。今日は初日。現地のふもとの街(水沢市)まで行って早く寝て明日に備えるだけ。
しかも、午後3時に現地に着いて、午後6時の夕飯予定までは、明日の昼飯のための買出しをするくらいで、他には何か予定をしているわけではないとのこと。
 なので今日は、夕飯までに戻ってくるからということで、それまで単独行動させてもらうことにして、岩手県に住む網友(ネット上の知り合い)に会ってきました。
 1時間に一本しかない電車の都合で、宿についたのは6時半。仲間達は俺が帰ってくるまで夕飯を待っていてくれていて、少々申し訳ない気持ちでした。


2004年07月15日(木) 中国語チラシ

 ポストにチラシが入っていた。新築マンションのチラシ。
いつものことだ・・・と思ったら、簡体字中国語(人民共和国で使われている漢字で記された北京語)で書かれていた。 


2004年07月11日(日) 2年ぶりの更新

 今週末の休日はどこにも行かず、のんびり過ごした。
俺はこのホームページ以外に、趣味系のホームページを作っているのだが(ある程度親しくなったらお教えいたします。)、ここ2年もの間ほとんど更新しておらず、リンクコーナーはリンク切れ目立ち、かつて設置したカウンターも、いつのまにか設置主体がカウンター貸出事業を人知れずやめたのか、表示すらされなくなっていた。
 それらを更新し、一言コーナーに近況を書き込んで一応のページ更新とした。


2004年07月08日(木) 偽マイクロソフト製品セールスのスパムメール

 6日の日記に続いて、今日は、「偽マイクロソフト製品セールスのスパムメール」を取り上げる。最近毎日に近い頻度で届く英文メールである。
「Jenuine Soft」とか書いてあって、純正のソフトであることを主張しているのだが、良く見ると、扱っているソフトは「MICR0S0FT」社の製品。分かるだろうか。この巧妙なトリックが。セール対象の商品は「0FFICE 2OOO」や同「XP」などである。俺は始め、入力ミスかと思った。


2004年07月06日(火) 簡体字スパムメール

 いつものように、帰宅後メールチェックをすると、4〜5通のスパムメールが。大半は英語のスパムメールなのだが、今日はその中に簡体字(中国本土で使われている、大幅に簡略化された字体の漢字)のメールが届いていた。これから中国本土での経済発展に伴って、この類のメールはますます増えていくんだろうな、と思った。ちなみに内容は、「浩然学英語2004」という、英語学習ソフトのセールスだった。


2004年07月05日(月) 今年度二度目の山行

 学生時代の先輩方と、日曜日帰りで、山に登ってきました。
いい気分転換になりました。
(後で写真をアップする予定あり。今週末か?)

朝4時起床。関越道を北に向かう。
天気は快晴。素晴らしい山日和。
霧の名所の関越トンネル付近も、背後の俎岩が、朝日を浴びて赤く染まっている。
k-etsuf0.jpg
トンネルを抜け、オフシーズンのリゾート植民都市Y2を通過。
k-etsuj0.jpg
次第に平野が広がっていく。朝日を受けて、水田から立ち昇る朝靄が何とも幻想的で美しい。
試しに携帯写真を撮ってみたが、うまく写らなかった。あの美しさを写真で再現するには高度なテクニックが不可欠なのだろう。

 高速を降り、登山口へ。途中から民家が全くなくなり、山道に入る。携帯も圏外表示。
トンネルが続く。昔、ダム工事のダンプが行き交った筈の道なので、舗装と道幅はしっかりしているが、照明が少なく薄暗く、内壁は岩が露出している。昔行った「ディズニーシー」のアトラクション「海底2万マイル」を想起させる。もしこのトンネルが都会にあったら、洞窟探検のテーマパークとして人気を博すことだろう。

 登山口の場所は分かりづらく、携帯も圏外なので新幹線-レンタカー組と連絡も取れず、結局、ダム道路終点の只見湖まで行って、そこのドライブインに立ち寄り、店のおじさんに聞いて教えてもらい、引き返した。言われた地点は何と、先程俺自身が一度立ち寄ったものの、「水場はない」と聞いていたのに沢があったのと、「駐車禁止」と書かれていたために「違うのかな」と思って先を急いだ場所であった。今度は、新幹線-レンタカー組が待っており、無事合流できた。駐車禁止についても、草丈のある舗装されていない道路をしばらく行くと、駐車するのに適当な広場があり、ほかにも数台の車が既に駐めてあった。
 
 さて、登り出すとたちまち汗が。30分で着替えたくなるくらい汗をかいた。日頃、都会の汚染物質にまみれた体から出てきた汗のせいか、痒い。
 一番年齢的に若く、一番荷物も軽いのに、贅肉のせいか、俺が一番先にバテた。
 ヒーヒーいいながら3時間半で山頂到着。山頂自体は熊笹に覆われたなんの変哲もないところだが、遠く越後駒ヶ岳等、残雪をまとった上越国境の連山が見渡せ、美しい。

 山頂直下の雪渓にシートを広げて昼飯となる。直射日光が照りつけているので、雪渓は期待していた程涼しくはなかったのが少し残念。一応雪渓のお約束、白峯葵の花も見れた。日光黄菅はまだ葉や若芽だけ。

 ひとしきり山頂気分を味わった後、下山となる。下山は2時間半。俺は下りの方が得意だ。

 下山後、村営日帰り温泉「ユピオ」で汗を流した後、リゾート植民都市Y2まで出て、この地方の名物「へぎそば」を食べて解散となった。


おまけ


 パッと見、似ていますが、北の国の首領様の銅像ではありません。某新幹線駅前ロータリーにある、我田引鉄の感謝碑です。参考までに、「田」とは票田、「鉄」とは新幹線を意味します。


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