2003年11月30日(日)


「うるせぇなぁアバレンジャー…」
そんな不満をご主人に向けたいのを我慢して、僕はロフトで寝ていた。
ご主人は夜からずっとおきていてアバレンジャーを見ているらしかった。
しばらくしてから555が始まった。
夢の続きが気になる時に、すげー邪魔だった。

うるさい上に、更にもご主人様は声を張り上げている。
なにやら慌てふためいているっぽい。
馬鹿かコイツは。
「どどどど、ど、どれぇ、ににに、にに、ににごうさんがぁ…」
う〜ん、と目を開ける奴隷。
二号さんがうにゃにゃっとロフトにやってきた。
二号さん?
二号さんですか?!
「待っててねぇ二号さぁん、今ご飯用意するからねぇ」と下手に出るご主人。
奴隷は眠かったけれど、とりあえず二号さん用ベッドに掛けていた毛布を分け与えた。
二号さんは朝露に濡れていたので、雨天だということがわかった。
引越し先に帰らないでうちに帰ってきたのは、おそらくシャンプーが嫌だったからだろう。
二号さんはタオルで拭かれるのが大好きで、雨の日などわざわざ外出するくらいである。
引越し先の飼い主は、その点がわかっていなかった。

へっ ばーかばーか!

二号さんのことは奴隷のほうがよっぽどよくわかってるわ!
勝ったわ奴隷!新しい飼い主に勝ってるわよ!
と思いつつ二号さんも奴隷も眠りにつき、気がつくと二号さんは外出していた。

その後マスの行く末を本格的に考え始め、とうとうご主人の実家に預けることにした。
ご主人は散々お母様から怒られたけれど、マスを引き取ってもらえることになった。
よかったねマス。

と、その後メルチェしたら里親候補の方からメールが来ているじゃありませんか!
今日はいいことずくめ?!
ますの行く末が本当に決まりそうな予感…!



2003年11月29日(土)


いやぁ「君が望む永遠」はいいよなぁ。
見るたびに泥沼化していく主人公に乾杯!
栗林みな実たんハアハアですな!

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熱い陽射し 眩しくて 思い出すの あの夏を
痛みなんて 知らずにいたの 笑顔いつも嬉しくて

夢も憧れも 求め続けてた
私を呼ぶ声が 遠く聽こえる

ずっとずっと見つめてた 真っ直ぐな想いは
果てしない空へと駆け抜ける
あふれる涙をそっと この手に抱きしめる
いつかまた 会えるかな あの丘で・・・

青い風に 誘われて 雲がかたち 変えていく
過ぎた時間を 教えてくれた 写真 今はセピア色

二人で交わした小さな約束
心の片隅で 靜かに眠る

ずっとずっと忘れない 大切な想いを
終わらない明日へ描いていく
あなたがくれた言葉は 宝物になって
この胸で 輝くの 永遠に・・・

ずっとずっと見つめてた 真っ直ぐな想いは
果てしない空へと駆け抜ける
あふれる涙をそっと この手に抱きしめる
いつかまた 会えるかな あの丘で・・・

*****************************************************

しんじくんが可哀想だよなぁ〜。



2003年11月27日(木)


猫ネットワーク始動。

新入りがやってきた。
油断にそっくりの白灰トラ猫だ。
油断と違う点は、顔が油断にも増して逆三角形であることと、
アイライナーが油断よりも効いていること。
僕はこの子を以前見かけていたが、近くで見たのは初めてである。
今日は口コミによって餌を貰いに来たらしい。

油断と酷似したコイツ、はて、僕はなぜその違いがわかったのだろう。
実は僕、人間の違いはあまりわからない。
なにしろブルース・ウィリスが髪形を変えただけで誰だかわからなくなったくらいだ。
人間の顔というのはまったく覚えるのが難しい。
でも猫の顔というのはまったく覚えるのが易しい。
一度しか見かけたことのない奴も、酷似した模様が数匹いたとしても、
再会したときには結構覚えているもんである。
猫の顔って、個性溢れてるよね!ホント!

またコイツがやってくるかどうかはわからないけど、
近所に居着いたなら名前をつけてやろう。



2003年11月26日(水)


二号さんに見捨てられたぁ〜〜…!!(泣)

マスがやってきてからというもの、二号さんの機嫌は悪く、
折り合いのつかなかった彼女は、とうとう家出してしまった。
それがこないだ。
そして今日ご主人が二号さんの姿を目撃。
ご主人は最近猫の声が空耳で聞こえるという病気にかかっていた。
しかし、その日の目撃は正しかった。
すぐさま追いかけたご主人、二号さんを捕獲。
嫌がる二号さんを抱き上げて帰宅。

が、「もういいでしょ、早く出してよ」

その言葉を最後に二号さんは出て行ってしまった…。

久しぶりに会った二号さんは、シャンプーの香りを漂わせ、足の裏まで綺麗だった。
雨風に負けてやしないかと心配だったが、見事なまでに真っ白な毛並みを披露していた。
いつもご飯としてあげていたキャッティ(\398)には目もくれず、
ミルクを少々飲んだだけで「いいじゃんもう、飲んだんだからさ」と…。

ウワーンウワーン!!ヽ(`Д´)ノ



2003年11月22日(土)


夢を見た。

ライオンの家族として過ごす毎日。
父、母、兄と、僕は一番下の妹だった。
小さな島に住んでいて、兎などを捕って暮らしていた。

ある日僕たち一家はチーターに追いかけられた。
父と兄が、僕と母を守ってくれた。
父が正面からチーターに向き、兄が後ろから攻撃。
チーターは兄の手によってのされた。

そうして暮らしているうちに時は過ぎ去り、島に人間どもがやって来るようになる。
僕たちはそれでも慎ましく暮らしていた。
が、ある一人の若者の手によって、父と兄は殺されてしまう。
若者は、服部平次(コナン)とかアスベル(ナウシカ)とかに似ていた。
ライオンに襲われるとでも思ったのであろう、撃ち殺してしまったのである。

人間たちはそれでもやって来る。
僕と母とは、夜寝る時も緊張しなければならなくなった。
獣道は人間が通り、とうとう森の中でさえ眠れなくなった。
僕たちは海岸に下りることにする。
崖を下る獣道の手前では、あの若者がいた。
「海岸に下りてはいけない」と言っていたようだが、僕は母を先導して降りていった。

砂浜の隅のねぐらに落ち着き、母と並んで横たわる。
すると、海から凶悪な人々がやってきて僕らを囲んだ。
攻撃の準備も万端のようだ。
母が、「私たちは争いを好みません。大人しくしていますから乱暴なことはしないで下さい」
と言うと、その人間たちは僕らを拉致した。

気がつくと、母は寝かされていた。
手術が始まる。
「うわあああああああああ!!!!」
母は奇声を上げていた。
キュイィィィンとかガガガガとか不気味な音が響き渡る中、母の声はよく響いた。
痛そうで、苦しそうで、僕は耳をふさいだ。
次は僕の番だ…。

その頃若者は僕たちを探していた。
「まさか、あいつらに…」と必死に駆け回っていた。

ご主人に起こされる。
くそ、クライマックスはこれからじゃねぇのか!



2003年11月20日(木)


二号さんを病院へ連れて行った。
というのも、病院から「予防接種の時期が来ますた」という葉書が来たからだった。
15日前後とあったがすっかり遅くなってしまった。
でも二号さんの健康のためにゃ!

とチャリをこぐこと数分間、その間二号さんはとってもおりこうさんにしていた。
昨日、一昨日と、マスをチャリに乗せてたからその差は歴然。
二号さんのなんとおとなしいこと!
「まだ?揺れるからこわいよぉ」くらい言うだけで、あとは静かに香箱座り。
病院についてからもおとなしくて立派。
通院手帳に貼る写真を撮ってくれたのだが、それもまた恐ろしく可愛い!
なんていいこなの二号さん!

でも、今日は二号さんの予防接種ではなく、去年の子供たちの予防接種の日だった。
よって本日は無料健康診断をさせてもらって帰ることとなった。
体重は2.9kgとちょっと痩せてしまったが、健康であった。

二号さんLOVE♪♪



2003年11月19日(水)


マスの性格を解したはいいが、困ったことがひとつある。
それは、猫への接し方。
兄たんちに行ってから、兄たんの接し方を学習してしまった。
二号さんを追いかけるようになったのである。
確かに兄たんは、3ヶ月くらいのとき、二号さんを追いかけ回して遊んでいたが、
それを6ヶ月のお前がやってはいけない。
と教える間もなく二号さんはブチ切れ、昨夜から行方不明。

「アンタが出て行かないならあたいが出て行く!!」

そう言い残して二号さんは午前1時の寒空の中出て行ってしまった。
相当怒ってる…。

で、今日こそ病院へということで、マスを六郷動物病院へ連れて行った。
病院内でもピギャーピギャーうるさくて、お医者さんは苦笑。
マスは食いすぎ、出しすぎ、軟便であるために、奴隷は寄生虫を疑っていた。
が、幸いなことにただの食べすぎであった。
一日4回に分けて適量食べさせるよう奨められ、整腸剤を持たされて終わり。
めでたしめでたしだ。

それから帰宅し、マスが寝てる間にご主人とロフトでいちゃいちゃした。
と、下からまたピギャーピギャーと昼寝から覚めたマスの泣き声。
仕方がないなぁ、と下に降り、抱いてやると、ちゅぱちゅぱと甘えてきた。
ちょうどよく裸だったのが運の尽き。
マスが赤子のように吸い付き、手を乳房にうにうにさせている。

気持ち悪ぃぃ! 激!キモイ!

あまりの薄気味悪さに、奴隷は憎しみまでわいてくるほど。
ムカつく…なにこのクソガキ…小憎らしい…。
なんともいえない気持ち悪さに奴隷はただただ我慢するしかなった。
これが他猫の子だったからよかったが、もし自分の子だったら遠慮なくぶっ飛ばすぞ。
んなキモイことすんなよ。
マジ虐待するよコレは。
奴隷、子育てはしたいけど自分では絶対出産すまいと決めた。
多分、いや、絶対必ず間違いなく虐待で殺す。

ご主人は、猫に乳をやる奴隷を温かい目で見守っていた。
奴隷はもう我慢できず、ご主人の乳首にマスをやったが、
マスにとってはどうにも具合が良くないらしく、すぐに奴隷のほうを見やった。
やめろぉぉ見るなぁぁ。

夜は二号さんと一緒に寝た。
帰ってきてよかったよ二号さん。



2003年11月18日(火)


早朝起きてレポートを仕上げ、午前のゼミに出た。
今日は、午後マスを病院に連れて行く予定である。
お昼ごはんを食べてから六郷動物病院へ行く。
が、なんと今日は学会発表だかなんだかで東京へ出張中とのこと。
残念ながら健康診断はお預けとなり、マスを連れ帰った。
マスは行きも帰りもキャリーの中でピギャーピギャーうるさかった。

このごろマスはテンションが下がってきた。

最初は、親近感を持たそうと話しかけたり甘えてきたり腹出して寝てみたり、
ムカつくくらいテンション高くて、僕らはすっかりコイツに引いてしまっていた。
かと思うと、二号さんが怒るからという理由で抱っこは控えたり近づかなかったり。
僕はいまいちコイツの性格がつかめなかった。
しかし、慣れてきてから徐々にコイツが解ってきた。
マスは確かに甘えん坊だし、人見知りも猫見知りもしない。
ただ、初対面の人(猫)に対してテンション高くして好かれようとするのである。
ほらクラスにいるじゃん、そういう奴って。
もともとそんなに明るいわけでもないのに友達作ろうと必死な奴。
みんな引いてんのに元気ありあまってますって感じで話しかけてくる奴。
んでその実、家ではすげー普通の子だったりみたいな。
そういうタイプが、マス。
最近慣れてきたものだから、段々とその性格が見えてきた。

マスはもともとテンションの低い奴だった。
一人になるのが嫌だから、いい子してただけ。
でもねマス。
アンタの言う「いい子」はね、猫も人も引くんだよ…。



2003年11月17日(月)


兄たんちから帰ってきてから、マスはなんだか元気がないように見えた。
ずっと窓から外を眺めて、物思いにふけっている。
奴隷は、「なんか落ち込んでるみたいよ」と言い、
ご主人は、「やっと落ち着いてきたみたいだ」と言った。
二号さんはあいかわらずマスのことは認めていない毎日であるが。

その日の朝、マスは外に出たがった。
今までずっと家猫として食っちゃ寝の生活で満足していたようなのに、突然の衝動。
どうしたんだろう、と思いつつ、奴隷は外出させた。
飼い主の元に戻る気になったのだろうか。
それとも、本当に落ち込んで出て行ったのだろうか。
ご主人は、マスを外に出した奴隷を「おまえのせいだ」と罵倒し続けた。

「帰ってこなかったらどうするんだ」
「おまえが又三郎(マスのこと)をなおざりに扱うからだ」
「なんでそんな落ち着いていられる、心配じゃないのか」

まぁまぁそう興奮しなさんな。
ご主人、あいつが出たがったんだから仕方ないじゃないよ。

――それから二時間――。

ピギャーピギャー!!
窓の外から、あのよく通る甲高い鳴き声。
そこにはマスがいた。
アパートの前の庭で、こっちを向いて必死に何かを主張している。

「僕は来られたよ! ここに来られたよ!
 えらい?! っていうかえらくない?!
 二号さんだっていつもここにいたもんね!
 僕だってできるんだよ! 僕すごいよ!」

それからご主人はアパート前にすっ飛んで行った。
マスもご主人のほうにすっ飛んで行った。
どうやらマスは、回り回って二時間で目的地に着いたようだ。
やはりあいつは方向音痴の迷い猫だった。
ご主人の腕に抱かれて帰宅したマスは、その後の一日は満足げな生活をした。
アパート前に行くことが大冒険だったのだろう。

少しマスの性格が見えた今日この頃。



2003年11月15日(土)


最近僕は二号さんとロフトで眠り、御主人様は下のコタツでマスと眠っている。
理由はひとえにマスのため。
マスはわがままで、一人になると大声で人を呼んで付き添わせるのである。
今日も、奴隷とご主人とでお風呂に入っていると、「ボクもそこ行くぅー」と入ってきた。
湯船の周りを歩き回り、ご主人は「おまえ危ねぇよ降りろよ」とあたふたしていた。
二号さんといえば、あいかわらずの猫嫌いが更に激しくなり、本当にムカついている。
早速朝方には出て行ってしまった。
出て行ってから、マスはロフトに上って二号さんのベッドに横になる。
さすがにそれは奴隷もキレて、頭をはたいて下に降ろした。
ロフトは二号さんにとって唯一休める憩いの場。
だから、マスがロフトに上ったときは、僕は否応なしに殴って叩き落す。
上ろうとしたときに見つかれば、「おまえ今何しようとした」と睨みを利かせる。
それでもマスは上るし、色々な悪さもした。

てめぇナメんじゃねぇぞコラ。

僕はこのふてぶてしいマスをクマたんと兄たんに紹介することに決めた。
遊びに行く。
すると、マスは兄たんとプロレスごっこなぞをして楽しんでいた。
「かわいいじゃないかー♪ 兄たんとも仲良くしてるようだしさ♪
 いいよ、今晩ウチで預かろうか? 二号さん大変なんでしょ?」
クマたんの申し出に、遠慮もなしに承諾した。
願ってもない申し出であった。
そして、マスと兄たんを順番にシャンプー・リンスし、二人をコタツに入れた。
ずっと風呂に入れたいと思っていたので本当に助かった。
爪まで切ってもらって万々歳だ。

その後である。兄たんがキレたのは。

兄たんはコタツを飛び出した。
ロフトに上り、書斎(本棚)へこもった。
「兄たん?!どうしたの?!」
僕たちは焦った。
どうやらコタツという要塞を占領されたらしい。
おまけに、マスという新入りに喧嘩で勝てなかった。
そしてマスはご飯を食い始める。
ばくばくと、ばくばくと、ありえない量を食い始めたのだ。
クマたんは急いで兄たんの元へ走り寄る。
兄たんが一等可愛いということを得々と説明し、機嫌を取った。
兄たんはすっかり傷つき、悲しみ、怒り、いじけた。
マスはぐーすか眠り始める。

「なんてふてぶてしい!騙されたよ!」

クマたんはようやくマスのふてぶてしさに気付いたのだった。
ちゃんと迷い猫の貼り紙に「性格:わがまま・食っちゃ寝・我が物顔・甘えん坊」と書いたのに。
甘えん坊はおまけに付け加えたようなものだ。
間違ったことは何も書いていない。

マスは、コタツ布団に寝転がって「苦しゅうないぞ」と言った。
誰が膝ベッドしてやってると思ってんじゃボケが!
元の飼い主に相当甘やかされたらしい。
物怖じもせずに、クマ家を我が家であるかのごとく振舞っている。

その夜、二号さんはのびのび過ごした。



2003年11月13日(木)


どうやら、僕の名は猫社会では有名らしい。
思えば猫に関して縁がありすぎた。

「エンガワ&二号」親子。
ここに越してしばらくして出逢った。
二号さんはまだ小さく、エンガワは人懐こく足にまとわり付いた。
この頃はまだ猫のことなんて知らなかったから家に入れず、たまに餌をやっていた。

「兄たん&タレ&ガミさん&牛&めやに」兄弟姉妹。
五匹の捨て猫を拾った。
このころから僕は猫に利用され始めたのだろうと思う。
子育てを全面的に支援し、子供たちそれぞれの親まで決めてやった。
協力してくれる猫など居なかった。

「田沼意次」ネゴシエーター。
こいつと出会ってから今まで、一言も声を聞いていない。
話しかけても、びびらせても、怒っても、田沼は絶対に口を利かない。
二号さんをよくいじめる。
こいつが油断をタレこんで引き入れることとなる。

「油断」フリーター。
田沼に連れられてやってきた友達だか兄弟だか夫婦だか。
今では田沼以上によくやってくる。
ひどいときは昼間の間ずっとウチの前にいたときもあった。
とにかく早食いで、よく食うし、食うまで我慢がならなくて人の手をはたくときもある。
こいつは、2度だけ子どもを顔見せに連れてきた。

「坊主&味噌」兄弟姉妹。
油断が連れてきたので、おそらく油断の子どもであろう。
たいした愛想はない。
坊主は今でも時々道で見かけるが、味噌は行方不明。
野良の道は厳しいのか。

「マス・コミュニケーション」。
迷子になったときの保護シェルターとしてウチが機能していることを目の当たりにした。
こいつは堂々とウチを利用している。
猫社会での口コミの広さに驚愕。

こうして僕は様々な猫から利用されてきた。
猫の口コミってすげぇ。
マスのこともきちんと解決すれば株が上がって、また他の猫から頼りにされるのだろうか。
なんだか猫社会の脅威を感じずにはいられない……。



2003年11月12日(水)


バイトから帰宅し、チャリを置くと、そこに猫が待ち伏せていた。
田沼かと思ったら、見たこともないガキ。
「待ってたんだよー!遅かったじゃん!」と声をかけられ、そのまま家へ。

「いやぁ〜助かったYO! あ、今日は泊まるからね、よろしく」。

否応言わせず、そのガキはしばらくお世話になると言いのけた。
ぜってぇ田沼の子だ。間違いねぇ。なにしろ模様がそっくり。
田沼と見紛うのも無理はないほど。
違うのは、そいつがガキだということだけである。
その年齢およそ半年くらいであろうか。
時々僕の耳たぶをちゅぱちゅぱ吸うし、男の子なのに甲高い声で鳴く。
僕が焼き鳥とチューハイを手にすると、彼も欲しがって鳴いた。
うるせぇよこのくそガキ。
と思いつつも、可愛らしいオメメと綺麗なキジトラ模様に笑顔で許してしまう。
彼は、入ってくるなり「お、飯はここだな、むしゃむしゃ…」と食事し始め、
「お、便所はここだな、よっこらしょと」と早速脱糞し、かと思うと眠り始めた。

さて、二号さんといえば、どうにもこの新入りが気に食わない。
高みから眺めてばかりで、尻尾も立てないし唸りもしないが、ムカついていることは確か。
試しに二号さんが降りてみると、やはり嫌いらしく、シャーッと言った。
二号さんは猫嫌いなのである。

その後、僕たちはいつも通りロフトで寝て、ガキは下に居させた。

僕はご主人と違って猫語を少しだけ理解することができる。
子供は比較的理解が楽であるため、そのガキとは多少の会話ができた。
ほとんど僕の質問にガキが答えるばかりであったが、応答は明確であった。
話によると、どうやらガキは迷子になってしまったようだ。
迷子になったのかどうかを問うた時だけ、力いっぱい頷いていたからである。
なんだかんだ居座る素振りを見せていても、やはり母親が恋しいみたいでもあった。
僕が、探してやるからしばらく二号さんの下手に出ていなさい、と言うと、承知してくれた。
でも、こいつの食欲だけは、僕にはどうしても理解できなかった。

そうしてクマたんに報告し、名前をどうしようか相談した。
クマたんは、田沼意知や新井白石や荻生徂徠などの名を挙げてくれた。
それに、こいつの飼い主も探さねばなるまい。
こんだけ家猫なのだから、やっぱり元々家猫なんじゃなかろうか。
そんな思いを抱きつつ、ポスター作成に必要なもの――カラーインクジェットを買った。
帰宅すると、

…ハードディスクはもう寿命を迎えようとしていた…。
バックアップもろくに取れないくらい、そりゃぁもう…。



2003年11月08日(土)


夢を見た。

今は戦争中。
女でも男でも戦争のために借り出され、米軍に協力せねばならなかった。
僕たちは集団で米軍のお偉いさんの話を聞き、海からやってきた兵器を運ぶ仕事に就いた。
その日の兵器は、原爆だった。
米軍司令官が、わからない言葉で長々と僕らに説教する。
僕らは英語がわからず、無表情に、無感動にただ黙って起立していた。
そこへ日本人兵士、先生と呼ばれている男性が、話を制して歌いだした。
それはグレートマジンガーみたいなアニメの曲で、勢いがあって懐かしい曲だった。
僕たちはそれを聞いて涙した。
それから列になって海の中に入り、運ばれてきた兵器のそばまで来た。
その途端、よからぬ事態が起こった。
原爆が海の中へ崩れ落ちてしまったのだ。
数秒後には爆発してしまう!
僕はその数秒の間に岸まで泳ぎ、必死で這い上がって森の中へ逃げ込んだ。
と、大爆発。
幸いにも規模は小さく、直径数メートルの範囲のみにダメージがあったようだ。
……このまま森の中に潜んでいれば逃げられるかも、そんな思いが僕の心によぎった。
けれどもなぎ倒された木々の中にうごめくものがあればすぐに見つかってしまう。
案の定、発見されてまた隊列の中に戻ることとなった。

氏ぬかと思った。




2003年11月07日(金)


夢を見た。

僕はご主人様の子を妊娠。
実家に帰って産む。
二日連続で一人ずつ産んだ。
これにはさすがの僕も驚いた。
一人は「味噌」みたいな仔猫で、気が弱く人見知りが激しい女の子。
一人は「坊主」みたいな仔猫で、やんちゃで元気のよい男の子。
必然的に、僕は女の子の方に目を掛けてやらねばならなかった。
その間男の子は二号さんが子守をしてくれていた。
仔猫というのは生まれてまもなくは耳が小さいのだが、そんな時期は一日で終わった。
三週間ぐらいは「小さくてかわいい〜」と言ってられるかと思ってたのが間違いであった。
しばらくして僕は男の子と顔を合わす機会に恵まれた。
二号さんと男の子は仲良く遊んでいて、耳はもうだいぶ大きくなっていた。
女の子もそれに混じり、三人が仲良く遊んだ。

でも、あまり(・∀・)イイ!!夢ではなかった……。

そのあとついでにチョンの夢を見たのだ。
僕とご主人はチョンの国のとある集団の中に入り込む、スパイみたいなまねをしていた。
最終的には百人ぐらいのチョン警備隊に囲まれたんだけどね……。



2003年11月04日(火)


こんなゲームがありました。
ルールは簡単。
怪しいところをクリックすればよいのである。
絵にはストーリーがありますから。

それが紹介された掲示板では当時大フィーバー。
「難しかったけど面白かった!」
「絵が綺麗で動物の鳴き声も可愛い!」
「ゲーマーじゃなくても頭を使って楽しめる!」
などという絶賛が飛び交う中、僕も試しにやってみたが、そのときはクリアできなかった。
あとでご主人にでも訊こうとその場は途中の面で諦めたが、今日そのことを思い出した。

「ご主人、ご主人、すっごいいいゲームがあるんだけどさ云々」
「もしかしてお前が言ってるのこれじゃねぇ?」
「あー!それそれぇー!やったの?!クリアした?!」
「俺全然意味わかんなかったんだけど」
(゚Д゚)ハァ?

そういえば、かの掲示板でも、みんなの絶賛の中「意味わかんない」「なにこれ?」
などというしらけたカキコもあったような気がする。
そういう人等は非常に興醒めだったのだが、まさかご主人がその類いの人間だったなんて。
それはともかく、僕はご主人にやり方を説明し、途中まで導いてやった。
そして、ヒントにヒントを重ね…

クリア!

おおおお感動だぁぁ。嬉しい。これをクリアできて本当によかった。



2003年11月03日(月)


学祭最終日、お笑い芸人「ロバート」が来るというので、友達と見に行く。
ちなみに公式ファンクラブページはなかったようなのでリンクは貼らない。
っていうか、ロバートって誰?みたいな。
僕は初めて目にしたのだが、どうやら相当な有名人らしく、周囲は異様な盛り上がり。
去年の「江戸むらさき」その他等とは大違いなようだ。
(と友人が言っていた。)

ロバートの三人(秋山・山本・馬場)登場。
トークを繰り広げる。
でも、なんか三人あんまり仲よろしくないみたい。
秋山が真ん中で話題提供し、それに山本が突っ込むって感じで、馬場混じれてない。
秋山さんさぁ、馬場さんもいじってあげなよ。
聞くと、秋山・馬場は福岡出身、山本は群馬出身、僕が想像するに、福岡出身ペアは
上京してきたはいいが、群馬出身と仲良くなってしまったがために、仲たがいが起こり、
「おまえより群馬のがおもろいわ」とか何とか言われてハブられてるんじゃないかと。
だって秋山、馬場に話全然振らないんだもん。
馬場は元々が大人しい子なんだろう、自分から行けず戸惑っていて振られるのを待つばかり。
そんなんじゃ大きくなれないよ…。

凱旋ライブが終わると、僕たちは1号館の各部活の発表を見に行く。

歴史研究部…テーマ「鎌倉」。スペースの都合もあったのだろうが、調査量少なすぎ。
民俗学研究部…テーマ「湯沢町」。まぁまぁ。でもちょっと資料が少なかったかな。
考古学研究部…テーマ「はにわの里」。研究nothing。あとは埴輪や土器を作って販売。
法律研究部…テーマ「刑法」。大変充実しておりました。

考古学全然やる気ねーじゃん!!(怒
僕もはにわの里行ったけどさぁ!いっぱい資料あんでしょぉ?!

はにわの里には、八幡古墳・二子山古墳・薬師塚古墳と三つも古墳があり、そのうち一つは
復元もしているし、古墳下には竪穴式石棺を展示、それと別に資料館もあり、
また、当時の住居跡の復元や埴輪作りの跡までが再現されている。
それをコンパクトにまとめられる(模造紙一枚)とは、まったく呆れてものが言えない。
しかも手作りモノの販売とは何事ですか。
素人目にも「…うわぁ…何これ…」と思える埴輪や土器を、くれるならまだしも、売るだ?!
大体、埴輪と縄文土器じゃ時代区分全く違うじゃねーか!
おまえらは弥生時代と縄文時代もわからんのか!
めちゃくちゃに並べてんじゃねぇよ!作りゃいいってもんじゃねーよボケ!
それともなんですか、縄文土器と並べられてるのは土偶ですか?!
しかも発表のスペースは入り口の壁だけで、あとはボードゲームの遊び場!
こんなに教室で遊びまくってる部活、他になかったぜ?!
こんなんで予算もらえるんだから、ホンット考古学は楽だなぁ!ええ?!

僕と友人は、それから世間話をしに1号館の6階でジュースを買ってロビーで寛いだ。
3時を過ぎたあたりで、「ちょっと小腹が空いたねー」なんて言いながら外に出た。
外に出れば学祭の露天がいっぱいあるのだ。

ねえ――――!!

どこにもねえよ!!
学校一周回っても一店たりとも営業してる露天ねえよ!!
お、おいおい…今日は学祭最終日だぞ…最後の盛り上げは?叩き売りは?
応援団さえ店たたんでるよ…どうなってんだよこりゃ…。
たしかに雨がぽつぽつ降ってたけど、もうだいぶ止んでるじゃん。
っていうか毎年雨の日ってあったじゃん…それでも営業してたじゃん…。
ねぇみんな!昔を思い出してよ!
暗くなってもまだ電気つけて「らっしゃいx2!今なら¥100引きだよ〜!」とかって
激安売りして、最後の花火はみんなでわいわい騒いで見たよね!
…それが…がら〜ん…。
あのー…演劇研究部、16:00から発表らしいんですけど、もう終わりにしていいんですか?
軽音部だってまだ2号館あたりでライブしてるみたいなんですが…。

今年の学祭は驚くべき廃れ具合でした。



2003年11月02日(日)


悪夢を見た。
今度は死にそうになっちまったよ。

甲田山という(架空の)山がある。
僕は以前その麓の温泉に行ったことがあり、もし甲田山に行きたいというのならば
新幹線に乗らねばならないため、以前は諦めたところであった。
しかし今回友人らに甲田山に行こうと申し出た結果可決されたので行くことと相成った。

車で直接甲田山行きの駅まで行く。
駅のおじさんは、甲田山に上ることを反対した。
どうやらかなり危険地帯らしいのだが、友人らと相談した結果やはり上ることにした。
そこは新幹線の駅のはずだったが、なぜかロープウェーだった。
ロープウェーに乗り込むと窓から二号さんがうにゃにゃっと入ってきた。
さて、上るとそこは人ごみ。
そうして上った人たちはある地点を目指して歩かねばならなかった。
それはそれは長い道のりで、途中で脱落者(死者)が出るのが当たり前なほど。
閻魔大王のところから海王神のところに行くよりつらそうだ。
様々な難関で人々は死んでいき、僕の仲間も何人か脱落した。
壊れたミニ四駆のコーナーがずらりと並んでいる道もあった。
二号さんみたいな白黒の猫がたくさんいる道もあった。
そういえば二号さんは無事だろうか。
でも、ここは僕自身が生き延びて麓まで降りることが先決である。
そうして最後に辿り着いたところはトイレだった。

ロープウェーに乗ってとにかく降りる。
大人数がいっぺんに到着したため順番待ちもあったほど。
数人だけしか残らなかった仲間とともに下に着いた。
でも、帰り道がわからない。
周囲では、顔無しの小男ややせ細った下人どもが狙っている。
疲れ果てた人等はベンチで休んだり水を飲んだりしているが、僕は早く下りたかった。
しかし、小男に目をつけられ…うわぁぁぁはなせぇぇぇ!

はたと目を覚ます。
二号さんどこにいるの…。



2003年11月01日(土)


夕飯のパスタ(ミートソーススパゲティ)を食い終えて「JM」なぞを見つつ、
昨夜の「スターリングラード」のビデオを同時上映し、そのビデオが途中までしか
再生できずに最後の最後のオチが見られなくて憤怒としていて、奴隷は苛立っていた。
おまけに「JM」はかなりつまらなかった。
タケシ要らねぇ。
ちなみに「スターリングラード」の方もまたつまらなく、非常にガッカリである。
映像は、迫力があり綺麗で相当苦労しているのがわかるし金もかかっているだろう。
物語は、戦争の中の狙撃手という役柄に焦点を当てておりリアルでよくできている。
でもすっげー退屈。もったいねーよ。
ってか戦場に出てくる女性がたった一人っての、おかしくねぇ?明らかに作為的じゃねぇ?
そもそもみんなが寝てる中にヤんなよと。

テレビを消してゴロゴロする奴隷。
「ねぇご主人〜。奴隷おなかすいたー」。
奴隷は苛々すると何か食べずにいられないのだった。
「ごーしゅーじーんー、うどんつくってぇ」。
すると、ウチにうどんがあるのかと問うたが、僕が言いたかったのはうどん自体を作るということ。
最近黄金伝説で影響を受けたご主人は、うどんが作りたいといって止まなかったのである。

かくして突如うどん作りが決行された。

僕は幼少の頃に祖母が作るところを見ていたが、一人で作るのは初めてである。
とりあえずレシピを検索し、ご主人にすべて準備させた。
ご主人は一生懸命小麦粉をこね、30分寝かし、再びこね、足で踏み、1時間寝かせた。
僕は横で茶々を入れるだけである。
そうして奴隷が眠くなってきた頃、ようやくうどんを伸ばし始めるご主人。
長い間そうして伸ばした後、麺の切り方がわからないというので僕が手を出す。
ご主人は、「屏風折りにして」切るということが理解できなかったのである。
仕方がなく僕が指示を与え、伸ばした生地を折っていった。
麺を切るのは僕の役目になった。
ご主人はあまりにも下手すぎたのだ。

出来上がったのはもう夜中。
にもかかわらず、僕たちは早速麺を茹でることにした。
丁度良く、今日は学祭で知り合いからネギを一束(\100!)で買ってきたところだ。
いそいそと支度をする。

試食。

うむ、けっこう食える。

売り物で出てきたら即行店をあとにするだろう出来であることは間違いないが、
どうしてなかなか旨いではないか。
奴隷たちは250gの小麦粉と塩10gと水で作った安い安い食べ物に舌鼓を打った。
満足である。

ご主人はといえば、作り終えたらかなりの達成感があったと見え、楽しかったという。
よかったねご主人。




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