2003年10月26日(日)


葬儀(猫)のために実家へ帰省していたご主人が、今日戻ってきた。
ご主人はたくさんの荷物を持ち、その一つ「鳩サブレー」を僕にプレゼントしてくれた。
何を隠そう僕は鳩サブレーが大好きなのだ。

あれは忘れもしない中学生のとき…。
友人が「土産だよ」と、家族で食べるはずの鳩サブレーを一袋だけ僕のためにくれた。
友人は茅ヶ崎に住んでいたことがあって、小学生のとき群馬に引っ越してきたのだ。
僕は直ちにその袋を破り、世にも珍しいそのサブレーとやらを口に入れた。
なんと香ばしく甘いのだろう。
それはクッキーと似て非なるもので、ビスケットともまた異なるという微妙な位置にいた。
原材料は、小麦粉、砂糖、バター、鶏卵、膨張剤のみ。
このような家庭でも十分にあるはずの材料でサブレーが作れるなんて。
軽い驚きと感動をもって、僕はサブレーを味わった…。

そんな過去の思い出に浸りつつ、僕は一袋、もう一袋とあっという間に平らげてしまった。
そして、同時に『鳩のつぶやき』を読んだ。
この冊子は箱の中に一緒に入っており、創業当時からの出来事がつづられてある。
サブレーの発明、名前の由来、創業時の悪評、関東大震災、戦争、そして現在…。
それは一つの物語になっており、僕はまたもや鳩サブレーに感動を覚えたのであった。

そして、御主人様は言った。
「ウチの近所に鳩サブレーの工場があるんだけど、昔の同級生がそこで働いてんだ。
 どうしてんかなー今…。
 その子ちょっと頭が弱い子で、なんかその工場の前通ったら思い出して食欲失せたよ。
 今、鳩サブレーってそういう人たち雇って操業してるみてーだよ」。

僕のショックは計り知れない。



2003年10月24日(金)


イイズカの特売でココア370gが\198だったので、ご主人が喜ぶと思い、買いに行った。
ついでにすっぱムーチョとウィダーも買って。
帰宅すると、なにやら新聞受けに紙切れがささっている。
クロネコヤマトの配達員が午前中に来たらしい。
僕が丁度授業に出ていた時間帯であった。
何が届いたのかと見てみると、NECとある。

はて。これは覚えがねーぞ。

でも「アクセス」と書いてあったからイーアクセスの間違いであろう。
それならば合点がいく。心当たりがあったのだ。
僕はヤマトの紙切れに書いてあった携帯番号に電話し、配達してくれるように頼んだ。

午後三時。ブツ到着。

それはやはりNECからの贈り物であった。
24Mモデムである。
今までのモデムはNEC製じゃねーんだが、会社変わっちまったのは何か理由があるのだろうか。
プロバ同じなんだから、同じ会社が開発したモデム使ってやれよODN。
NECなんかに肩入れしやがって。

と一人ブツブツ言いつつも、早速接続準備に取り掛かる奴隷。
説明書もろくに見ずにコードつなげてたら、なんか一本余ってやがる。
くそ、今までのと具合が違うぞ。
どうやらIP電話もできるようなモデムに変化したらしい。
しち面倒なことさせやがって。
そして初めての縦型モデムにどきどきする奴隷。

さてと準備完了。
コンパネでDNSやらIPアドレスやらの自動取得設定を確認し、いよいよモデム設定だ。

つながんねぇー!

なんでなんで?! 
PPPが点滅してるからIDかpassが間違ってるらしいんだけど…間違いないよ!
と、こないだODNから来た封書を見て確認。
…あ。@odnつけんのわすれてた。てへへ。

こうして無事24Mにスピードアップした。
僕は試しにカフェスタの表示を見てみることにする。

変わってねぇー!

メモリ買いてぇよ…。



2003年10月23日(木)


学校行くのが面倒だが、しかし、民法は毎回出席を取るセコイ授業であった。
お昼過ぎ、田沼に餌をやってから出かけた。

帰宅。
次の商品学の授業まで今しばらく休み時間だ。
郵便受けを覗いてから家に入った。

なんか来てる。2通来てるよ。

すっげーいい予感すんだけどぉ( ̄∇ ̄〃

入室後ただちにハサミを取り出し、封書を開けてみた。
僕の予感は珍しく当たり、一つの封筒には猫用おもちゃが入っていた。
やったね!よかったね二号さん!
丁度良く僕の帰宅と同時に帰ってきた二号さんも、興味津々におもちゃを見つめる。
ワイヤー付いてる豪華な棒と、小さなネズミと、小さな毬でしばし遊ぶ。
その後、何の懸賞が当たったのかと封筒の中を探ってみた。
すると、「掲載誌が刷り上りましたので、お送りいたします」のプリント共に冊子が。
なになになになになんなんだ?!
何がこの中にあるんだー?!
ドキドキしつつページを捲ると、そこには

二号さん&兄たんの写真ーッッ!!

あうっペンネームも「くるち」だよぅっヾ(>∇<)ノ
よみうりペット11月号の「親バカペット事情」のコーナーの中に、応募した写真が載ってる。
ほかにも幾人か写真が載ってるが、ウチの子たちが一番可愛い!!
なんでこんなに可愛いのよーぅもう二人ともぉo(⌒∇⌒)o

さらに、もうひとつの封書を開けると、中から図書券が出てきたではないか。
どうやら以前統計調査とあったアンケートに答えたらしい。
そういえば応えて送り返したような気がする。
図書券は一枚だけだったが、ちょうど今\590の雑誌が欲しかったから助かった!
幸運て続くものね!

ありがとう女神様!



2003年10月21日(火)


クマたんからの大ニュース「かにが来た」。
僕は、二号さんを連れて食いに行くという約束をした。

しかし、いつまで経っても二号さんは帰ってこなかった。
しかたがないので僕一人でかにを平らげに、クマ家へ。

かにだー!!かにのにおいがする!!っていうかかにがいる!!
え?!10匹以上いる?!マジで?!


喜び勇んで、クマたんと共にかにを食する。
兄たんはかにには興味ないという。
それどころか、ダイエットのためにカリカリを仕舞っているクマたんに怒りを覚えている。
そのうち兄たんは冷蔵庫を開けだした。
クマたんが「缶はないよ」と言い放つと、さらに冷蔵庫を開けようとした。
どうやら自分で缶を出すといって聞かないらしい。
あまりの落ち着きのなさに呆れ果て、クマたんはとうとうカリカリを皿にあけた。
兄たんは、少しぽりぽりと味見すると、そっぽを向く。
どうしたのかとクマに問うと、

「あいつはね、目の前に食い物がないと落ち着かないんだよ。
 ありゃいいんだよ、ありゃ。そうすりゃおとなしくするわ」。


まったくその通りだった。
カリカリがあることを確認した兄たんは、コタツで丸くなった。
兄たんが丸くなると、本当にまん丸になるので、洒落にもならなかった。

そうこうしながら僕の食は進む。
もう二匹目を平らげてしまった。
クマたんは、太っ腹に、「持ってけドロボー!」と土産かにまで持たせてくれた。
僕は幸せだった。
水も飲まずに食い続けた。
群馬人にかには毒だ。麻薬だ。
とにかく、おいしかったんだ…。

その日の夜中0時に、二号さん帰宅。
夜遊びはほどほどにしろよバカ猫…。



2003年10月20日(月)


悪夢を見た。

僕とご主人様と増田君(ご主人様の友)がいた。
僕はご主人に連れられて初めて鎌倉高校を訪れる。
学校は、海岸沿いの道路のすぐ海側にあった。まさに海上である。
その隣にも、海を挟んで商店がある。
ここの海は全部埋め立てかと見紛う造りであった。
そんな鎌高に感動する僕。っていうか、海に感動する僕。
ご主人様と増田君は、昔のことを喋りながら駐車場に入って行った。

ご主人「昔さ〜ここで車に轢かれたんだよな〜! 右に避けたら車が右にきやがってなw」
増田君「そうそう! で車行っちゃうし!」
ご主人「まぁ俺がナンバー覚えてたから助かったけどw」

そんな話に耳を傾けつつ歩いていると、後ろから車が来た。
おっと。
僕は急いで左に避けた。
すると、その車は左にきやがった。

僕は轢かれた。

這ってその車の人に近づこうとするが、車は走り去ってしまった。
ご主人と増田君がやってきて、現状を知る。
数年前のご主人と酷似して正反対の出来事を目の当たりにし、二人は笑った。
僕は二人に車のナンバーを見たか否かを問うたが、一笑に付された。
轢かれた本人が見なければこの出来事は解決できないのだと知った。

気が付くと駐車場ではないところにいた。
どうやら気を失っていたようだ。
僕を轢いた奴が自首してきているか気になって聞いてみたが、そんなことはありはしなかった。
僕は自分で見つけることにする。
事故翌日、あり得ないことに、自分で目撃者探しを始めた。
聞き込みされた人々はいぶかしげな面持ちで僕を見た。
これじゃダメだと、僕は、はっきりと「ひき逃げ」という言葉を使って訴えた。

目が覚める。

ご主人と増田君は、信用できないと思った。






2003年10月17日(金)


バイトから帰ると、思わぬニュースが入っていた。
読売新聞から、掃除機とスライサーが届いていたのだ!!

読売新聞では、現在、読者サービスとして毎月100ポイントくれることになっている。
1200ポイント、または、2400ポイントで、商品と交換できる仕組みだ。
僕はポイントシールを集めているつもりだったが、途中からシールが来なくなったので
諦めていたところ、おみせの方で集計していたらしく、プレゼント申し込みの申請があった。
僕は迷いに迷った挙句、ハンディ掃除機と、コンパクトスライサー一式を注文した。
それが確か先月のことだったのではなかろうか。
いつ来るのか、もしくは希望した商品が在庫切れだったりはしないかと、どきどきしていた。

まさか両方とも希望通りの商品が届くなんて。

掃除機。
それは文明の利器。
実は、うちに掃除機はない。
一人暮らし歴およそ4年をいう歳月を経たにもかかわらず、うちには箒しかなかった。
二号さんをうちに入れ始めてからも、僕は百均で買ったハンディ箒を大事に使っていた。
しかしそんな安物の箒も、もう寿命が近づきつつある。
竹箒は畳でもなければ使いもしない。
そろそろ本格的に掃除機のことを想う時期がきたようだった。
そんな時にやってきたハンディ掃除機。
なんと、埃のみならず、水まで吸い込むことの出来る一品だ。
高度経済成長期でいうならば、テレビ・冷蔵庫・洗濯機みたいなもの。
僕の生活でいうならば、それは、掃除機・布団乾燥機・アイロンみたいなもの。
三種の神器の一つが、いまここに在るのだ。
感動だ。

そしてコンパクトスライサー。
以前のバイト先で、よく大根の千切りを作っていた。
そう、この千切り専用スライサーで。
僕はずっとこれが欲しかった。
これさえあれば、大根サラダも思いのまま。キンピラゴボウもらっく楽。
料理上手の僕にはぴったりの代物である。
もう百均で買ったしょぼいスライサーなんて要らない。
僕はこの便利で簡単なスライサー一式を使って調理することが出来る。
夢が叶うのだ。

ただ、掃除機に入れる電池と、調理できる食材が、うちにはなかった…。



2003年10月13日(月)


初出勤である。
僕は新たなバイト先を検討し、そしてここに決め、勤めることとなった。
そこはパチンコ屋のメシ場。
そう、よくカレーライスだのうどんだのそばだのが食えるちょっとした場所だ。
元々が調理勤務だったので、簡単な調理を教えられればすぐに覚えられるのだった。
やっぱり経験って大事なのね。

このパチンコ屋は、まだ出来て一年経ったところかといったところ。
男女別ロッカー室、広い休憩室あり。
休憩室にはレンジや冷蔵庫や流しなどが完備されており、みんなてんでに何か食べている。

僕はロッカー室で制服をもらい、着替えた。
ベージュのストレッチパンツと黒いエプロン、パンツとお揃いのサンバイザーを着けた。
パンツのサイズはきつかったが、穿けなくもなかったので「だいじょぶです〜」とかいっといた。
じきにのびるだろう。

とにかくそこは綺麗だった。
何が驚いたって、従業員の利用する室が広いこともさながら、清潔なことだ。
調理場に入ってもまたびっくり。
なんて清潔なの!
新しいってこともあるだろうけど、従業員の働き振りを見ていればすぐわかる。
掃除に余念がないのだ。
やっぱりこうでなくっちゃ清潔さは保たれんよ。

そうして僕は17:00〜22:00までの勤務を終えた。
以前は土日8時間労働だったので、今更疲れたもなにもない。
ただ、久方ぶりの労働であるがために、心身がやつれただけだ…。



2003年10月12日(日)


ご主人が目を覚ますのを待ちくたびれ、とうとう起こした。
朝起ちさえまだしていなかったが、無理矢理起たせた。
もうお目覚めの時刻だと。

そうして行く所は、かみつけの里博物館(はにわの里)。
途中で二号さんの餌を買い、チャリをこぐこと約30分。
八幡塚古墳と二子山古墳と薬師塚古墳がある、とっても素敵な施設に辿り着いた。

僕等はまず、「なんじゃこりゃ〜」と真っ先に八幡塚古墳へ急いだ。
ものすごいおっきな古墳が復元されており、その下には石棺が展示されていた。
ここは16:30までと早く終わってしまうのに、時間過ぎても入れたのでラッキーだ。
石で古墳が組み立てられているが、完全ではなく、セメントで固められているのが残念。
それでも、数多くの埴輪や土器をきちんと並べているとそりゃもう壮観。
外堀・内堀も掘ってある。(水はない)
ひととおり見学したのち、博物館へ行く。
しかし17:00閉館、間に合わなかった。
それから二子山古墳へ登る。
秋らしく、そこら一面コスモス畑であった。
日も沈みかけた夕方なのに、はにわの里には人々がたくさんいた。
若い子もいたし年寄りもいたし子供連れもいたし、ずいぶん盛況しているようだ。
群馬町はこのほかにも広い広い池付き公園を持っている。
高崎と違い、金持ちだと思った。
単に高崎は金の使い方を知らないだけなんだけど。
最後に薬師塚古墳へ行ったが、ここは寺の所在地のため、入れずに帰ってきた。

家に帰る途中で、突然ご主人が怒り出した。
そのご機嫌斜めぶりは翌日まで続いた。



2003年10月10日(金)


先日の群馬の森の旅のおかげで、すっかり古墳に魅了されてしまった奴隷。
さて、本日は古墳をメインにして出かけて参りました。

観音塚古墳。
チャリで上り坂を一気に駆け上がり、着いたところは住宅街。
その家々に囲まれて前方後円墳はあった。
横穴式石室もあり、古墳上(前と後)にはお稲荷さんが祀ってあった。
石室の中は真っ暗で、奥に入るともう何も見えず、ひんやりとして不気味な感じ。
チャリの元まで戻ったあとに、ご主人から石室内部の写真を撮ることを命じられ、
一人石室に赴いたが、薄暗いどころか暗黒の闇に、僕は恐怖におののいたのだった。
昔の人が石室を黄泉の国として捉えることに納得がいく。
確かにどこかへ続いてそうだからだ。
とにかく怖い。
しかし、そんな他人の墓(古墳)の脇に墓を作る現代人もまたコワイと思った。

続いて観音塚考古資料館へ。
ここでは、八幡古墳群にまつわる情報や出土品などがおさめられていた。
入場料学生\80という格安にもかかわらず中身はちゃんとしていたので、結構お得である。
土器や武具や炊事道具など多彩に渡って展示してあり、また、現代との比較もあり。
それぞれの古墳の模型まで用意してあるし、床には地図が敷かれてあった。
石室用の懐中電灯が貸し出されてあったことに、僕たちは少なからずショックを受けた。
これ持って石室入りたかったな。

さらに八幡二子山古墳へ。
ここは公有地だかなんだか知らんが、立ち入り禁止になっていた。
手入れもあまりされていないみたいなのに、禁止にするほどの場所か?
なんとなく前方後円墳なのはわかるが、おざなりにされているようで興ざめ。
それから平塚古墳へ。
ここは現在平塚公園となっており、寂びれていた。
古墳だということも、言われなければ全く解るまい。
鬱蒼とした木々が裏に生えている公園、といったところか。

以上が今日の収穫である。
調べてみると、群馬は古墳の宝庫のようだ。
どこを掘っても埴輪が出てきそう。
仏教が伝来してもなお古墳を作り続け、さらには発展までさせてきた群馬人に拍手。
なにしろ7世紀になって冠位十二階とかで階級決められてんのに古墳作ってたらしいからな。
いいのかよ、そんな村や家族単位で古墳作りまくって。
すごい地域性である。



2003年10月08日(水)


御主人様と二人、チャリをこいで群馬の森まで行くことにした。

浅間山古墳に寄る。
入り口わかんねぇーとうろうろしていた奴隷を、御主人様いさめる。
「古墳に入れるわけねーだろ馬鹿」。
よく考えれば他人の墓に入れるはずもなく、古墳は古代の遺産だわな。
古墳の周囲を田畑がぐるっと巡っており、「昔からこんな風景だったんだな」と納得出来る。
何もかも整備されて立ち入り禁止になっている仁徳天皇陵よかはリアリティあっていい。
そのすぐそばにある大鶴巻古墳にも寄る。
こちらも周囲四方は田畑。
こういう保存方法の方が、古墳に眠ってる人にとっちゃいいんじゃねーかと思った。
おそらくこの風景は古代から何一つ変わらずにいるのではないだろうか。
田畑の外は普通の住宅街だけどね。

群馬の森着。
僕は近代美術館へ、ご主人は歴史博物館へ行く。
今期の美術館の特集は、「旅と画家」、そしてロダン。
もうすぐロダンがシャガールになるので、実はそっちに行きたかったというのが本音だ。
「旅と画家」の中で気に入ったのは、石崎光瑤の「白孔雀」。
これは屏風に書いてある大きな絵である。
今回、この特集では、屏風に描かれた絵が多数あった。
山の絵を屏風に描くと迫力が全然違う。
山は、水墨画のように淡白に縦長で描くか、大きな屏風にばーんと描くのがいいと思う。
「日本と西洋の近代美術」では、モネ「睡蓮」とルノワール「読書するふたり」があった。
この二つしか知らない…。
西洋近代彫刻ではロダンの作品が二つあったが、どっちも知らなかった。
結果、特に気に入ったものなし、今度は上野に行こう。
見疲れて、待ち合わせしていたご主人とロビーで合流。
ご主人のほうも原始時代以降はろくなものが無かったそうだ。
やっぱり古代はいいなと。

倉賀野神社に寄る。
ご主人はおきまりのおみくじを引き、大吉を出した。
さらに、境内にあった人工的な穴の空いた石を持ち帰る。
何を考えてるんだご主人。

こうして僕たちの長い旅は終わった。
もしかして二人の共通の趣味が歴史になるかもしれない、などと話し合った。
僕は、歴史は苦手だが、現地に行くのがやたらと好き。(特に古代・戦国)
ご主人は、現地に行くのは面倒だが、知識だけはあって特に古代が好き。
覚え方が二人で正反対だが、もしかしたらもしかするかもしれない。
ご主人とは僕が大学一年の時からの付き合いだが、ようやく共通項が見つかりそう。



2003年10月06日(月)


非常に残念なことに、ご主人様のお給料は、手取り二万くらいとあいなった。
あんだけ注文されて初めての依頼を仕上げたご主人に、担当の編集は冷たくあしらった。
ご主人の仕事は、お子様用の会報誌「少年ジャイアンツ」に載せる漫画の原作である。
今月になって、先月届くはずのそれがようやく到着し、見てみて絶句。

なんですかこのしょぼい漫画は。

さすがのご主人様も、この会報誌を両親に持っていくべきか否かを迷うほどの出来。
当然友人などには見せられず。
そのいいわけも甚だしく、編集さんはご主人のプライドをずたぼろにしていった。
今日はその報酬の詳細のメールが来て、ご主人は再び機嫌を損ねたのだ。
ご主人原作の立案料さえ編集さんは持っていってしまったのだ。
そこまでケチるのかと。

僕は、そんなご主人を見かね、慰めるために言った。
「安心しろぶぅ。奴隷あしたはバイトの面接に行くことになったぶぅ」。
すると、ご主人様は驚いて、でも笑顔で、
「そうか。えらいぞぉ。ご主人ちょっと元気になってきたなっ」。
そのあと二人で「名探偵コナン迷宮の十字路」を借りにファミブに行った。
レンタル開始日からずっと通いつめて、ようやく今日ゲット!

ご主人はご機嫌になった。

でも、まさかそのコナンが全くやる気のない出来だったとは、その時の僕たちは
予想もしないのであった。



2003年10月04日(土)


二号さんをつれ、クマたん(兄たん)ちに行った。
今日は久しぶりにランチを外食にしようという計画だ。
クマたんを誘い、月のあかり亭へ。

注文してから30分以上がたった。

「遅くねぇ?」

なかなかやってこない。
もういっそのこと注文断ってリュスティーク行こうぜなどと相談していたところで、料理到着。
何の詫びもお茶もねえ。
仕方がないので、料理が届いた僕のほうだけ箸を割って、食べ始めた。

「牛タン冷めてるんですけど」

牛タンが冷めたら食えたもんじゃねぇことは周知の事実である。
そして素っ気無い盛り付け。
パセリひとつ、ミニトマトひとつ載っていないのである。
おまけに、これは漬物定食かと目を疑うほどの漬物が、同じ皿に盛ってあった。
サニーレタスも敷かずに、そこへ直に牛タンが載っているのである。
不味いはずだ。
僕は、このままにしておいたら余計まずくなってしまうと、即座に漬物を平らげた。
しかし時すでに遅し。
牛タンは冷たくなり、漬物の汁を十分に吸っていた。
ゴハンは麦ゴハン、とろろをかけて食べるだけ。
通常、牛タンというのは一番初めに手をつけるものだが、僕はクマたんに
「一枚どうか」と勧め、さらに「もう一枚どう」と勧めざるを得ない状況にいた。

クマたんの料理はまだ来なかった。

僕が食い終え、箸を置くと同時にクマたんの前にお盆が置かれた。
ようやくクマたんの食事時間である。
当然のことながら、店員に、笑顔も申し訳無さもない。

                 ┌─┐
                 |も.|
                 |う |
                 │来│
                 │ね│
                 │え |
                 │よ |
      バカ    ゴルァ   │ !!.│
                 └─┤    プンプン
     ヽ(`Д´)ノ   ヽ(`Д´)ノ     (`Д´)ノ      ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜   ̄◎       ̄◎       ◎ ̄    ◎−>┘◎




2003年10月02日(木)


祖父が死んでから、祖父のことを知るようになった。
一番はじめに驚いたのは、祖父の戦傷病者手帳を目にしたときであった。
それから、祖父が会社を興していたことや、高校時代のことを知った。
叔母様の話によると、祖父が戦争から帰ってきたとき、
真冬にTシャツ一枚で、がくがく震えながら玄関の前に立っていたそうだ。
そして今、祖母から、祖父の友人からの手紙を預かっている。

僕は、祖父から戦争の話を聞いた覚えがない。
子供が聞いても面白くもない話なのは確かだろう。
でも、なぜもっと戦争の話を聞いておかなかったのだろうと後悔している。
祖父が、日本中が、どんな気持ちで戦っていたのか、何のために戦っていたのか、
歴史の中に書かれていない歴史を、僕はもっと知っておくべきだったのでは
なかろうかと、今にして思う。
そして何よりも、もっと祖父の話を聞いておけばよかったと。
僕が聞いた話は、群馬から東京が真っ赤に見えたことや浅間山の噴火や近所の洪水のこと。
ひょっとして、祖父も戦争のことはあまり話したくなかったのかもしれない。
戦争って、なんなんだろう。
人の心をどのように変えてゆくものなのだろう。

僕はさっき、浅田次郎の「日輪の遺産」を読み終えた。
浅田次郎の長編はあまり好かないのだが、それでも読んでしまったのは、
太平洋戦争に軸を置いていたからだろうと思う。
語り手が、13歳くらいの女学生だったり、東部軍の少佐だったり、マッカーサーの
中尉だったり、はたまた現代だったりして、色々な側面からの謎がある。
そういった面をすべて繋げ合わせて読んで、やっぱり僕は日本を誇りに思った。
最後はめでたしめでたしなのかどうかは定かではないが、間違ったことはしていない。
日本は不滅だ。
何度でも復活してやろうと思う。
この先どんなことが起ころうとも、僕は祖国を捨てはしない。
先人たちが守ってきた此の国は守るべき遺産である。



2003年10月01日(水)


朝六時起床。
夢見最悪。
今日は内定式、同僚たち全員との初顔合わせである。
それなのに、見た夢は、課長から叱責される夢…。
一体何が起こるのか。

上尾あたりで僕は腹痛のあることに気付いた。
せめて埼京線を乗り終えるまではもって欲しいな。
群馬から五反田までは遠く、電車の本数もなく、山手までは我慢しかなかった。
大宮につくと、いよいよ痛みは増した。
もう少し、赤羽まで、あと少し、埼京線の快速に乗れればそれでいい。
赤羽に着き、座席を立って少し歩くと、だいぶ楽になった。
でも電車に乗り込むと、いよいよピーク。
最近便秘だったのが禍し、その痛みは秒単位の波になって迫ってくる。
十条、板橋、池袋…。
恵比寿まで我慢だ、快速逃したら内定式遅刻しちゃう。
体と心の葛藤が続き、目白と高田馬場を過ぎたところで決意を固めた。
もうだめ、新宿で降りる。
新宿まで来れば山手でどうにか行けるだろう。
僕は新宿に着いて一目散に階段を駆け上がったが、構内地図を見て愕然とした。
トイレ改札の外にあるじゃないですか。
我慢の限界だった僕は、駅員さんに懇願してトイレへ行かせてもらった。

そうして2分ほどの遅刻をして会社に到着。
でも大丈夫。
寝坊のため1時間遅刻という人がいた。

内定式のあとその面子でモスへ行く。
僕は一人だけ文系で、落ちこぼれ確定かと思ってたけど、僕レベルが結構いた。
スタート地点は一緒か?
でも、そんな振りして実はコソ勉だったりするのだろうか。
とにかく、僕はやる気ない振りもしないし、ちゃんと勉強もしようと思った。

それから八重洲ブックセンターへ行く。
ご主人の依頼品、歴史群像の雑誌のバックナンバーの「万葉集」を買うためだ。
あるわけがなかった。
卒論の資料も買いたかったのだが、これまたろくなのがなく、諦めて帰る。
途中で秋葉によってメモリを買おうと思っていたので、そのまま歩き続けた。

試供品やティッシュを必ず受け取って歩き続けると、受け取れない試供品に遭遇。
歩き続けようとしたら、手に取った試供品を受け取らせずに、話しかけてきたのだ。
しまった…。
と思ってももう遅い。
キャッチに引っかかった。
そのままエステ「ヴィーナス」に連れて行かれ、僕の肌がいかに悪いかを笑顔で話された。
そして手入れの仕方からエステの相場までとくと聞かせてくれた。
どの女の子も明るく気さくで田舎の出の子が多いらしい。
彼女等は肌が綺麗になることについて本当に楽しそうに、嬉しそうに語り、
僕はまるで宗教の勧誘を受けているかのような錯覚に陥る。
クーラーの冷気に爽快感をしばらく味わってから、軽く断って店を後にした。
慣れないヒールの靴が僕の足を蝕んでいたので、だいぶ休めたようだ。

歩き続けると、そこは新橋だった。

反対方向に歩いてたー!!

有楽町を通り過ぎた時点で気付くべきであった。
それから新橋で電車に乗り、有楽町、東京、神田を通り過ぎ、ようやく秋葉。
メモリを買おうにも、表示されてる説明書きが全くわからない。
店員に聞きつつ電気街をさまようが、意味がわかったところで、帰ることを決意。
とりあえず、ちゃんとしたメーカー品の方がいいという結論だったからだ。
それならば群馬でだって安く買えるのだ。

高崎駅でご主人と待ち合わせ、餃子の王将で夕飯を食う。
量も少なく味も普通。安くて当然。
特にお勧めできる店でもなく、店員は全員バイトでトレーニングもちゃんとしてなかった。
ということで口直しにミスドへ。
おしゃべりして帰宅した。

ただいま二号さん。



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