出向コージ苑

2002年12月31日(火) 大晦日の同窓会

実家では気がゆるむ。
起きる予定だった時間を30分程過ぎたために、
時間ぎりぎりで家を飛び出す。

今日は中学時代の友人とミニ同窓会を開くのだ。
面子は子持ち組のカンちゃんモモちゃん、独身組ののまどさんにコージ苑。
いいね、バランス的に(コンパじゃあるまいし)。
当時から良くおじゃましていたのまどさんちで子連れの二人を待つ。
待つ。
待つ。(この間約30分)
そうかあ、子供(しかも幼児)がいると仕度させるのも一苦労なのだな。
やがてやって来たカンちゃん、勿論不適な笑顔を持つ長女のヒロヒロも一緒。
聞けば、モモちゃんの長男が発熱してしまったとのこと。
そうかあ、そういえば赤ん坊ってよく熱出すんだっけ。
やっぱり母親って大変そうだ。

のまどさんお手製のアップルパイなど食べつつヒロヒロで遊び、
自宅を離れられないモモちゃんちに移動する。
移動途中、ヒロヒロは自分が後部座席にいるのが気に入らないらしく、
パヴァロッティばりのオーバーアクションで泣き喚く。
カンちゃん、この子オペラ歌手か女優だよ。

モモちゃん宅の長男、コージ苑達が着いてしばらくするとぽっかり目を覚ました。
これがまた、あきれるほど大きな目。
体も大きく、1歳年上のヒロヒロを横に並べても同じくらいの背丈がある。
頭は相対的に小さいしな…
モモちゃん、この子ジャニーズに入れなよ
(人の子だと思って勝手を言うコージ苑)。

帰宅すると大晦日の真っ最中。
早めに夕食の膳につき、選んだテレビは「世界はこうしてだまされた」。
やっぱり年末にはトンデモ系じゃないとね。
荒俣氏に大槻教授、たけしと大竹さんあたりで心和む(のか?)年越しなのだ。
コージ苑より楽しみにしていた父は、
日本酒がきいたのか番組中はほとんど居眠りしており、
後でコージ苑がいちいち教えてやる羽目になった。

「ゆく年くる年」を心静かに見つつ正月を迎える。
それにしても、11時59分までは寺で鐘をつき、
12時00分からは鳥居をくぐる人々が映るテレビを見て、
つくづく日本って宗教におおらかだと…(神仏は特別なんだろうけどね)

とにもかくにも、来年も良い一年でありますよう。



2002年12月30日(月) パズル

さすがに10日間あまりの「全国行脚」(のまどさん命名)に疲れ、
自宅でごろごろしていたコージ苑に、
母がなにやら差し出した。
見るとパズルの雑誌。
最近字を書くことが減ったという彼女、
何かしようと思って選んだのがこれらしい。
…さすがあの父の妻。

なんとなくやり始めたコージ苑だが、
気づけば4時間近く熱中してしまった。
…やはりあの父の妻の子。



2002年12月29日(日) 仏様

今日の昼食は、「角忠」さん。
ここの肉は本気で美味い。
コージ苑はお気に入りのステーキ丼に頬がゆるみっぱなし。
(ここ数日食べ物のことばかり書いているような…)

観光のほうはというと、国東半島を中心に仏教文化を巡る。
まず、八幡の総本山である宇佐神宮へ。
コージ苑も20年ぶりなので、ほとんど覚えていない。
総本山だけあってさすがに大きく、石段が多く参道は長い。
息を切らしつつ参拝をすませ、おみくじにレッツチャレンジ。
すると、コージ苑の引いたのは、中身が二つ入っていた。
わーいあたりだ当たりだ、ってそういう問題ではない。
ひとつY先生にあげて自分のを開いた。
「恋愛→時機を待て」
「金運→良くなる待て」
「待ち人→来たらず待て」
…全部「待て」ばっかりかい。
いやひとつだけ、
「勉学→早めに目標設定するべし」
…神様、勉強だけやって他はただ待てと仰る…(泣)

後は駆け足で真木大堂、熊野磨崖仏、富貴寺など見て回る。
圧巻なのは磨崖仏に至るまでのけっこうな山道。
ブーツのコージ苑にはちょっとつらい。
10分ほど歩いてなお、とどめをさすように現れる「鬼の石段」。
何でも99段あるそうな。
鬼め、余計なことを。(実際死ぬかと思った)

フェリーで関西まで帰るY先生を港まで見送り、
コージ苑はやっと自宅に着いた。
「やれやれ」が実感こもるなあ。



2002年12月28日(土) 地獄天国

今日はようやく大分入りするのだ。
Y先生と二人、特急に乗って別府に行く。
待っていたのは、出ましたコージ苑父。
今日から2日間のお付き合いを頼んだのである。
父のことだからさぞや張り切っているだろうと思っていたら、
とんでもない、張り切り「まくって」いた。←盛り上がりすぎ
普通、誰がガイドブックといって「豊後之国風土記」を持ってくるものか。
コージ苑唖然、Y先生笑いをこらえて窒息寸前。

とりあえず、と見て回ったのは、温泉地別府の地獄めぐり。
地面を掘ったら湯が沸くという(多分)別府には、
色味や外観が変わった温泉が多数ある。
それらを総称して「地獄」といい、観光のひとつの目玉になっている。
時間の都合もあったので、今回見たのは「海」「血の池」「坊主」の3つ、
そして地獄には無関係だが「湯の花」採集場。
いいんだけどさ、ここに来ると服がゆで卵くさくなるんだよね…(硫黄のせい)

地元デパートでY先生が九州土産を買い、その後夕食会。
市内中心部の料亭で、海産物のコースである。
お相伴にちゃっかり預かるコージ苑。
ふぐと関サバ関アジに懐かしい再会。まさに天国。

宿泊は市内でいいよと言っていたのに、
張り切りまくりの父は湯布院の旅館を予約していた。
すごいぞ父!
そして部屋に落ち着いた二人が何をしていたかというと…

国営放送の「プロジェクトX」に釘付け。
(だって久しぶりだったんだもん)



2002年12月27日(金) ラーメンとふぐ

昼過ぎ、新幹線に乗ってY先生が九州にやってくる。
コージ苑はリクエストにお答えして、博多ラーメンのお店に連れて行く。
時間的制約を考えると、やっぱり天神の「一蘭」かなあ。
ここは注文のシステムも内装も面白いし、味はもちろんだし。
Y先生、すっかりお気に召して替え玉していらした。
だ、大丈夫かいそんなに食べて…

二人は何もラーメン目当てで落ち合ったのではない。
一応仕事なのだ。
北九州在住の方で、L大学に何かと援助をしてくださっている社長さんがいる。
その方にご挨拶をしにいくのだ。
(これを仕事といってよいのか疑問はわくが)
小倉駅で待ち合わせ、向かった先は社長さんの自宅。
そこでは奥様と留学生(勿論L国からの)、
そして何と「ふぐ」がコージ苑達を待っていた。
接待するつもりが接待されてしまったぜ。
ええ、遠慮なく食べましたよ勿論。

帰国してこっち、こんなに胃袋に美食を送り込んでよいものか。
そのうち反乱がおきやしないかと心配な自分なのだった。



2002年12月26日(木) 九州入り

帰国して一週間、やっと九州にたどり着く。
福岡までくると、かなり「自分のテリトリーだぜ」という気持ちになる。
ここではいつものメンバーと焼酎を飲むのだ。
といっても今回、次の日に仕事を控えているコージ苑は、
お酒は少々控えなければならなかった。残念。
福岡でいつも感心するのは、居酒屋の料理のおいしさ。
東京は、そりゃおいしい店がたくさんある。
大阪も日本一の食の町、どこにいっても美味珍味。
しかし九州、食材の良さは都会に負けません。
(このあたり北海道も同じようなおいしさなんだろうな)
もっとも人間、自分が慣れ親しんだ味を贔屓するのは当然のことだが。

今日のお泊りは、最近一人暮らしをはじめた藤緒さん宅。
新築というそのワンルーム、真っ白の壁がまぶしい良いお部屋だった。
日本って、いいなあ(何回目だよ)。



2002年12月25日(水) クリスマス

Y先生宅で目覚めたクリスマスの朝。
午前中は何をするでもなくゆっくりと過ごす。
昼、Y先生のお母様が「予約限定」の蕎麦屋に連れて行ってくださった。
さすがにおいしく、おなかいっぱい。
午後は東大寺で久々にどどんと大仏様を拝み、
足が八本ある変な蝶々にも再会し、
すっかりジャポニズムな心持になって奈良の町を歩く。

夕食は鴨鍋。
なんとお肉のおいしいこと。
コージ苑は、鴨にあんなに油があるとは知らなかった。
鍋が終わるころには、油の層ができており、
そこにご飯を入れて雑炊を作ると、それがまた絶品。

ああ、日本っていいなあ。
キリスト様おめでとう。←意味なし



2002年12月24日(火) イブ

イブなのにのまどさんは仕事に行き、
イブなのにコージ苑は日本発見京都観光。

ここ数回、京都に来るときにはピンポイント観光する程度の時間しかない。
前回は清水寺の春を楽しんだコージ苑、
今回何かひとつといえば…と思案した結果、今学期の教材にもした金閣を選ぶ。
バスで延々40分、せっかくやってきた金閣は屋根の葺き替え工事中。
半数以上の観光客がUターンする中、コージ苑は意地で中に入る。
池の向こうに見えていたのは、すっぽりとシートをかぶった金閣だった。
これも面白いかと写真を撮った自分は物好きだと思う。
選択の余地なく訪れていた外国人のツアー客は、
池の前にしつらえられたスチール写真の前で記念撮影をしていた。
…気の毒に…

昼過ぎ、奈良でY先生と待ち合わせ。
彼女が美容院で「きれいきれい」してもらっている間、
コージ苑はY先生いわゆる「割と近く」の春日大社に行ってみようと歩き始める。
…Y先生の嘘つき。←結構遠かった
イブの夕暮れ時、薄暗い参道を鹿に脅されつつ歩くというのはなんとも趣きが…
ないわい、んなもん。←結構怖かった
春日大社では、当然クリスマスなど関係なく、
来るべき年明けの準備に余念がない。
そしてこれもまあ当然というか、参拝客も9割がた外国人であった。
しかし、だからといって工事のお兄さん、
「ケツカッチン!ケツカッチン!」と連呼しながら作業するのはやめてくれませんか。
一応日本人のコージ苑、意味がわかるので笑いをこらえるのに必死だったの…。



2002年12月23日(月) 大阪の休日

大阪の二日目、何をしたかって、
のまどさんちのゴージャスな蔵書を堪能した「だけ」。
彼女のコレクション(今回の場合は漫画)はすばらしいのだ。
『ブラックジャックによろしく』とかね、
『伯爵と呼ばれた男』とかね、
新旧入り混じってセレクトが悶える程コージ苑好みなのねー。
ちなみに彼女は中学時代からの友人、
当時漫画といえば「ドラえもん」、音楽といえばクラシックのコージ苑を、
見事に開眼させた、いわば「師匠」なのである。
これからもよろしく(笑)。



2002年12月22日(日) 移動

2泊お世話になったS嬢宅を辞して、一路大阪へ。
今日からはのまどさんちに居候。
新大阪駅で落ち合って、昼食はお好み焼き屋。
ちょうど昼時だったので30分ほど待ったが、
それを差し引いても満足しすぎるほどのおいしい店だった。
そして物知らずのコージ苑はここで「すじこん」のおいしさに目覚める。
お好み焼きに三種類の歯ごたえをもたらすこの技、ビバ大阪。

帰宅後はテレビを見たり酒を飲んだり、
至極まっとうな夜をすごす妙齢(ちょっと過ぎ)の女二人。



2002年12月21日(土) 思う存分

昼過ぎまで眠りこける。
夕方、韓国からこちらも帰省中のまるも君と連絡を取って落ち合う。
鶴見駅を歩いていると、目の前の階段を、なんと大学院の同級生が降りてきた。
すごい偶然。
コージ苑はその昔、
欧州旅行中にフィレンツェの美術館で順番待ちをしていたときに、
すぐ前に並んでいたのがバイトの同級生だったという「偶然」を経験しているが、
こういうことは案外頻繁に起こることで、
だから世間は狭いとか何とかいうんだろうな。

まるも君とはモス(いうまでもなくコージ苑のリクエストである)で近況報告会。
高給取りの彼はコージ苑にポテトをおごってくれた。わーい。
彼の勤務先は時間的な制約がかなり厳しいらしく、
多いときは本当に一日中座る暇がないらしい。
さすがアジア、L国とは需要が違う。
別れ際、「じゃあまた」と握手して別れたが、
次に会うのはいつになるんだろうね。



2002年12月20日(金) その差20度

映画を見たりゲームをしたり、暇をつぶして10時間。
飛行機は無事に東京成田に着く。
当地の天候を伝えるアナウンス。
「東京、本日の天気はくもり、気温は12度…」
なんてこった。
昨日までと20度も違うのか。
空港内に降り立ってふと周りを見まわすと、皆の服装があきらかに違う。
いや、違うのはコージ苑だった。
体は忠実なもので、たちまち顔はほてり、じわりと汗ばんでくる。
服を一枚減らし、トランクに放り込んだ。

酔卯ちゃんと昼食の約束。
東京都内は池袋に向かう。
日本を離れてまだ4ヶ月、なのに東京のゴージャスさ加減にくらくら。
なんだこの明るさは。
なんだなんだこのおしゃれさは。
なんだなんだなんだこの品物の多さは。
さっすが世界三大都市、たーいしたもんだのぅ。
コージ苑、知らぬ間に世界の田舎ナイズされてしまったようだ。

酔卯ちゃんは会った途端に「それがうわさのコート?」と聞く。
そうなのだ。
日本では最早用無し、
グリンピースから卵を投げられかねない毛皮のコートなのだ。
連れ立って入ったのは洋食屋。←かなりツボなチョイス
トマトのサラダひとつとっても垢抜けていると鼻息を荒くするコージ苑を、
生あたたかく見守る酔卯ちゃん。
いやいやご迷惑かけました。

夕方からは妊婦U太とS嬢、とみぃの4人で会合を開く。
独身時代とまったく変わらないU太の体型に、
「妊娠勘違い疑惑」を持ったコージ苑。
U太はそれに「違うよう、ちゃんと太ったもん」と反論するが、
なんか威張り方が違うような…(笑)
ここでも皆に「それがうわさのコート?」と聞かれる。
まったく同じせりふなのがおかしい。

久々に楽しくおしゃべり、のはずだったのに、
時差ボケ中の自分、夕食を食べた途端にがくりときてしまう。
おかげで後半の会話は(しらふなのに)ぜんぜん覚えていないのだ。
ああ、もったいないことした。



2002年12月19日(木) 離陸

張り切って荷造りをはじめたのに、30分で終わってしまった。
なめてんのかコ−ジ苑。←って自分じゃん

国際空港というにはあまりにも小さい規模のR空港。
免税店もこじんまりとしており、探し物にはちょうど良い。
…と思っていたら大間違い。
お目当ての「L国版養命酒」がない。
酒コーナーに並ぶのは、レミマルタンやボンベイサファイア、ジョニ黒にベルズ。
なんで外国産の酒ばっかりなんだ!
自国産をきっちり置かんかいきっちり!!
店員に怪しまれつつ憤慨してコージ苑は奥へと進む。
そうすると出口近くにL国土産のコーナーがありました、きっちりと。
お目当ての「養命酒」などこまごま買い込んで、飛行機に乗る。

B航空もS航空も、何が良いといって機内食が良い。
…チーズがなければ(泣)。
しかしS航空では、
8月同様座席アレンジの関係でエコノミーExに格上げされたコージ苑。
広いスペースにご機嫌でフライトをすごした。



2002年12月18日(水) ファイナルアンサー?

今年最後の授業の日は、イコールテストである。
テスト方法等については予告済み。
制限時間一時間で作文を書いてもらう。
問題は今学期やったものばかり、
さらに辞書持込を許可するという、なんとも優しい先生の私。

テストが終わると、おもむろに学生の一人が立ち上がる。
後ろ手に隠していたものは、日本語版R市のガイドブック。
クリスマスプレゼントはテストが終わるまで渡してはいけないんだそうで、
どうでもいいけど泣かせるやつらめ。
きよしこの夜か二十四の瞳か、どちらにしても心にじんわりくる今年の締め。



2002年12月17日(火) 寒さの条件

ここ数日、寒さが本格的に本格的(比較級がほしい)になってきたL国である。
コージ苑も後2日で帰国するからこそ、この寒さがつらくてやるせない。

ところで、本当の寒さを実感するのはどんな時だろうか。
コージ苑は今日それを発見した気がするのだ。
それは息が白くなった時でもなく(←このへん南育ちの甘さであった)、
鼻が痛くなったときでもなく、
耳がしびれた時でもなく、
タイツと靴下の二段構えで更にブーツを履いても足の感覚がない時でもなく、

鼻水が自分の意志と関わりなく、
そして気づかないうちにたれてきて、
しかも気づいてぬぐった時に微妙に凍っていた時ではないかと。
(いい年した女のセリフじゃないなしかし)



2002年12月16日(月) 写真に挑戦

航空券のリコンファームその他、
帰国前に片付けないといけない用事があるので、町に出る。
ついでに冬のR市を撮影しようと、デジカメ持参。
まず、凍ってしまって人が渡った足跡がある川をパチリ。
そして、中央広場のクリスマス市の風景をパチ…
「電池が切れました」

ひどいよ、何なのコージ苑の人生って。
(ネタまみれ)

※※※

森博嗣『六人の超音波科学者』
言葉が難しくて分らないよう(泣笑)。
そういうところはすっ飛ばして読めばいいのに、
いちいち追ってしまう所が文系の悲しさってやつ?



2002年12月15日(日) ベトナムのタイ

早朝の飛行機に乗るY先生を見送ろうと、
明け方まで飲んだ四人であったが、
コージ苑がY先生宅でダウン。
「わ、私に構わず行ってくれ!」とY先生を送り出す。

気づいてみれば午後1時。
すっかり「泥睡」してしまったようだ。
やれやれ帰るか、と腰をあげた瞬間に鳴る携帯。
七味屋氏である。
「Y先生を空港に送った帰りに、携帯もY先生の家電も鳴らしたんですが出ないし、
ノックしても反応ないし、心配だったんで」
す、すいません寝トボけてました。
出る用事があるので自宅まで車で送ってくれると言う。
ダブルですいません。

待ち合わせの時間まで、デパートで過ごす。
日本への御土産に、ちょこまかとしたものを探して歩く。
4年生の銀太(※L国人女性である)がバイトをしている石鹸屋で、
オリーブの小さい石鹸を買った。
…いいなあ、日本語が通じる買物って(笑)。

自宅に向かう途中に、新しいスーパーマーケットが開店した。
時間もあるし、行ってみましょうという話になった。
クリスマス用の電飾等をバスケットに入れる七味屋氏。
彼はL国でシングルベル(死語?)である。
ほほほ、その頃コージ苑はY先生と関西で鴨鍋なのです。←自慢できない

一度自宅に戻ったが、二人とも空腹に耐えかねてもう一度出かける。
二日酔いの胃にはアジア料理が良いだろうと、
ベトナム料理のレストランを選んだ。
そこは何故かタイ料理も出すらしい。
七味屋氏はベトナムでまとめ、コージ苑はタイ料理を注文。
スープとカレーは確かにタイ風味でおいしかった。
お腹が落ち着くと二日酔いも落ち着く。

今日のR市はマイナス10℃を越えており、
息を吸い込むと冷気で咳き込むほどだ。
そろそろ「薔薇もこの通り」だな、待っててとみぃ!
(待ってない待ってない)
コージ苑宅までの道で、車にも関わらず凍ってしまった七味屋氏に、
一杯お茶をふるまって、しばらく話す。
話題は主に「南に行きたいっすねえ」とか、まあそういうこと。

不毛…



2002年12月14日(土) タンタン

タンタン、といってもベルギーが世界に誇る絵本ではない。
牛タンである。

Y先生は明日L国を離れ、クリスマス休暇に突入する。
そして今日、七味屋氏がローマへの出張から帰ってくる。
行ってらっしゃい会とお帰りなさい会を兼ねて飲もう。
メニューは焼肉で。
狂牛病の本場で強気な日本人の私達。

市場でロースとタン、ハラミを買う。
タンは丸ごと一つで売られているので、処理しなくてはならない。
店のおばさんは身ぶりで「皮を向け」というのだが、
これがやってみるとどうも上手にできない。
こつを知らないのだら当然といえば当然と言える。
どうやらこうやら食べられる状態にこぎつけ、
他のメンバーより一足お先に宴会を始めたコージ苑とY先生(←おいおい)。

エキストラのバイトで遅くなったダッカ氏、
そして出張からお帰りの七味屋氏。
いつも通りの顔ぶれで、本日も飲み食い。
ビールとワインとシャンパンが床にぞろぞろと並んだ。
最早この四人、L国日本人酒飲み四天王といった感がある。
別にそんなに大酒飲むわけじゃないけど、他の人が全然飲まないのだ。

ちなみにローマ土産はプロシュートとパルメザンチーズ。
(ってローマか?これ…)
前者は喜んでいただいたコージ苑だが、チーズは勘弁。
「チーズがあるとワインって、どうにも止まらないよね」とダッカ氏。

…なくても止まらないじゃん私達。



2002年12月13日(金) プレゼント二番勝負

今日はY先生宅にお泊りする予定である。
夕方、買物をしようと待ち合わせた。
場所は市内某ホテルのロビー。
少々早く着いたコージ苑がキャッシュコーナーで引き落としをしていると、
背後に感じる熱い視線。
ひったくりか?とアヤシミつつふり返ると、
蝶ネクタイに緑の帽子をかぶった初老の男性。
いくら何でもこんなに目立つひったくりもないだろう。
L国語で話し掛けてきた彼が指差す方向を見ると、大きな肘掛け椅子と足置き台。
彼は靴磨き屋さんであった。
いいよいいよと断ったのだが、「プレゼントだから」と譲らない。
どうやらコージ苑の傷んだブーツが、
彼の職人意識をメラメラと燃え立たせたらしい。
半ば押し切られる形で椅子に座る。
丁寧に磨いてもらった後のブーツは確かに美しかった。
些細な事だが、だからこそ何となく嬉しくなってしまう。

Y先生の買物は、明後日会う彼へのクリスマスプレゼント。
ベネトンで物色したものの、これはというものが見つからない。
プレゼントを買う相手がいない気楽なコージ苑は、
セールで安くなったスカートを見つけて試着などしていた。
と、カーテンの向こうに聞きなれた足音。
Y先生がピンクのニットを持って入ってきた。
「決まらへんからさあ、っていうかこれ着てみるわ」
文の前半と後半に全く脈絡が感じられないが、
結果を言うと彼女は試着したセーターを、
図らずも自らへのクリスマスプレゼントとしてしまった。
そしてコージ苑も、スカートを買ってしまった。

女の買物は、得てしてこういうものなのかもしれない、と言えるかもしれない。
…よね?



2002年12月12日(木) 爆発

いつも元気なクリスティ。
コージ苑もY先生も、この子がかわいくてかわいくてしょうがない。
大人っぽい子が多いこの辺で、彼女の幼さは天然記念物級である。
彼女はいわゆる「書き取り」が苦手で、
ア音とオ音、「や」と「ヤ」など、間違えるところが多々ある。
従って彼女の作文を読むときには、
周囲に誰もいないことを確かめてからでないと、
不意打ちをくらって爆笑し、まわりの人間に白い目で見られる恐れがあるのだ。

で、今日の不意打ち。

「○○(←地名)は、ウクライナのもちです。」

もち…(討ち死に)
(※正確には「まち」です、念のため)

そしてさらに、

「私はコンピュータで音楽や映画をトロワアンデロします。」

何だ、トロワアンデロって。
悩んだ末に本人に聞くと、彼女は恥かしそうにこう言った。
「…ダウンロード…」
どこがダでウでンでローでドなんだろう、これ。

※※※

中島らも『固いおとうふ』
記念すべき「今年の150冊目」が中島らもか…(苦笑)
彼の小説は『エキゾティカ』を読んで以来大好き。
あのラリった感覚は他所では中々見られないものだ。
で、エッセイはというと、ニヤニヤしながら読める部類であるが、
彼がバロウズを愛読していたというのに妙に納得してみたり。



2002年12月11日(水) ニコチン初体験

日本では、今月は忘年会シーズンのはずであるが、
ここL国ではそれが「クリスマスパーティーシーズン」となる。
といってもやる事は変わらず、要するに飲み会である。

今日は学科の教授陣が集まって、会議を兼ねたクリスマスパーティー。
なにもそんな両極にあるものを兼ねなくても、
と思うのはコージ苑だけだったらしい。
いつものようにお茶とワイン、そして今日は山ほどのお菓子と、
「ちょっとしたプレゼント」の数々。
そして高らかに開会宣言をするS教授。
何故か最初に行われるプレゼント交換。
各自は、プレゼントを受け取る前になにか芸をしなければならないらしい。
そして要求される「芸」は、どうやら歌か詩らしい。
まっとうな日本人に詩なんて即興で作れるかっつーの。
消去法で歌しかないじゃないか。
半ばやけくそで「雪やこんこん」を歌い、何故か喝采を浴びるコージ苑。
全員がやたらとハイテンションになった結果、
当然のように会議はろれつの回らない英語で延々と行われた。

会議終了後、同僚のパスカル氏が「水煙草を吸いに行こう」と提案する。
コージ苑も、交流を深めるよい機会とばかりについて行く。
内装もトルコ風の店で、先達のパスカル氏が選んだのは「マンゴー味」。
ほう、水煙草というものはフレーバーがついているのか。
メニューだけ見ると、まるでフルーツティーのリストである。
マンゴーの他にもオレンジ、アップル、バナナにシナモン…
微妙にトルコくさい店員が、あの仰々しい機械(というのか?)を持ってくる。
吸い方を教わって、まず一服。

………えほえほえほ。←咳き込んでいる

実はコージ苑、ニコチン初体験なのである。
水煙草にニコチンが入っているか知らないがそう決めた。
そしてその感想はというと…

すみません、煙草を離せない人の気持ちがわかりません(泣)。
(反対に、スモークサーモンの気持ちはちょっとだけ分った気がした。)



2002年12月10日(火) 予想外の

マルティン氏の個人レッスンが終わった後、
彼とY先生、Y先生の生徒であるディディエ氏をお茶に招いた。
場所は珍しくコージ苑宅。
帰り道でケーキを買い、ついでに夕食の買物をしていく。
実は、はしごで七味屋さんが訪ねてくる予定なのである。

抹茶などを飲んでもらい、コージ苑はフル回転で料理している。
と、どこでどう連絡の行き違いがあったのか、
Y先生が両氏に「よかったら夕食を」と言っている。
何なに、材料足りないかもよ?
急遽、鶏肉のトマト煮込みに野菜を追加していると、
七味屋さんからとおぼしき電話がなる。
手が離せないので、Y先生に応対を頼む。
3分後、彼女が台所にやってきて言うには、
「ダッカさんも一緒だって」

…くっそう、どいつもこいつも、
地球の資源は有限だっていうことを知らんのか。
各人の食欲をどう少なく見積もっても足りるわけが無く、
追加の食材購入をY先生に頼む。
こんなに殺気だって料理をしたのは初めてかもしれない。

結局できあがったのは、鶏肉のトマト煮込みにパセリご飯、
ナスの中華風炒め煮と野菜ソテー。
やっつけ仕事にしては味もバランスとれていたし、
L国人の二人にとってはもの珍しさも手伝って、何とか合格点。
ビールがうまかったことうまかったこと。←結局これである



2002年12月09日(月) 掃除

明日来客があるので掃除をした。
ただ部屋を掃いてほこりをとっただけなのに、
終わった後のステレオの音が妙に響いて聞こえるのはなんでだ?
(音を吸収するほどホコリがたまっていたとは思いたくないが)

※※※

石川淳『六道遊行』
奈良の時代の盗賊が、白玉を手に現代と古代を行き来する。
こちらではいかさま興行師の夫婦が荒唐無稽な論理を展開し、
あちらでは藤原だの道鏡だの、数多の人間が浮き沈みを繰り返す。
両者は微妙にリンクしているように思えるが、確かな事は思いつかない。
あまり意味を考えずに、単純に時間旅行を楽しんでいるのがいいのかもしれない。



2002年12月08日(日) 今日はどこにいった

朦朧とした意識の中で服を着替え布団に入り、
気づいてみれば薄暗い。
夜明けかと思ったら夕方だった。
コージ苑の2002年12月8日はどこに消えたんだ?

※※※

篠田節子『ゴサインタン』
外国人花嫁をもらった豪農の息子が辿る不思議な運命。
周囲の人間が次々と死んでゆき、
花嫁の奇矯な行動で財産を全て失い、
彼は空っぽの状態から徐々に再生の道を歩む。
「不思議な運命」というとまるでファンタジーのようだが、
実は全然違う話である。
コージ苑はこの話の根底に流れるテーマをつかみきれなかったようだ。
テーマをリンクさせる形で三部作のようになっているらしく、
他の二作に興味がわく。

石川淳『安吾のいる風景/敗荷落日』
『壁』の序文で凄みを感じ、これは読まねばと焦って買った本。
著者の教養の深さ広さはよく言われているところだが、
それにしても深すぎて広すぎて…
コージ苑には「習うもの」であった古典が、
この人にとっては自分のものになっている。
羨ましがってばかりはいられず、少しでも吸収しなくちゃね。



2002年12月07日(土) 忘年会

七味屋さん主催で、少々早い忘年会が開かれた。
コージ苑とY先生は朝から準備にかり出される。
メニューはやっぱりおすし。
実は日本では本日、U太の結婚式が行われているはずである。
コージ苑は出席できなかったが、
日本時間の7日午前からずっと「念」を送っているのだ。
おめでとうおめでとうおめでとう〜!
そう思いつつ作ったおすしはきっと、めでたい味がするはずだ。

1時集合のはずが、各自いろいろと用事があったようで、
結局全員揃ったのは夕方遅くなってからだった。
もちろんそれまで待ちつづけたわけではなく、
おすしは確実に減り、酒量は確実に増えていく。
最後まで残ったのは酒の飲めるメンツで、
ビールやらワインやらを片手に何故か「ナウシカ」を見ていた。
(ダッカさんが「見たことない」といってリクエストしたのだ)

途中別件で席を外していたY先生が戦線復帰し、
まず発した言葉が「おなかがすいた」。
そういわれて時間を見ると、既に夜中の1時過ぎである。
すし飯なんて残っているわけもなく、
コージ苑がちょこちょこ作って夜食を出した。
しかし、酒のラストに炭水化物食べたくなるのはどうしてだろう。

お開きはなんと4時。
みんなタフというかなんと言うか…



2002年12月06日(金) 怖い本

会話テストの終了を祝って、昨夜はY先生達と飲んでしまった。
毎度お馴染みとなりつつある二日酔いも含めて休日を満喫する。
(つまり一日中寝ていたってことだ)

※※※

田中啓文『水霊』
…これ、『銀河帝国の弘法も筆のあやまり』書いたのと同じ作者かい。
信じられん。
どちらに先にめぐり合うべきだったのか(笑)。
少なくとも「ホラー文庫」と銘打っているだけあって怖いことは怖い。
しかし、どうしてもあのアホSFが頭に浮かんで、
最後に突拍子もないギャグでオチたらどうしよう、
などと疑惑を抱きつつ読んでしまったため、怖さも半減。
(というか、かなり面白い方向に脳内脚色されてしまった)
それにしても小説家っていうのはいろいろ勉強しなくちゃいけないんだね。



2002年12月05日(木) 会話テスト

Y先生と共同でやっている会話の授業は、本日期末テストである。
今学期のテーマは「会話における実践的な待遇表現」。
テストはロールプレイ形式で、学生は自分に課せられたタスクを達成する。
タスクは例えば「多忙な先生に、明後日までに推薦状を書いてもらう」とか、
「視察に来た外務省の方と上手に会話をする」とか、様々なものがある。
いつも顔を合わせているコージ苑やY先生が相手では、
どうしても学生側に甘えが出てしまうということで、
大使館員で、以前大学でも日本語を教えていたAさんに会話の相手を頼む。

タスクの割り当てはくじ引きで決められ、
学生は一人づつ教室に呼ばれて、その時点で初めて自分のテーマを聞かされる。
ペーパーテストはまるっきり出来ないのに会話が恐ろしい程上手な子、
緊張のあまりタスクを達成するという義務を忘れてしまう子、
表現を丸暗記していたため、妙なときに妙なことを口ばしってしまう子と、
テストの出来は様々である。
しかし本日一番のヒットはシンディだった。
彼女のテーマは以下のとおり。
「日本人の知り合いに、DVDを買って来てくれるよう頼みましたが、
その知り合いは『お金はいらない』と言っています。
上手に対応して、お礼を言いましょう。」
まあ、ぶっちゃけて言えば「奢られた時の対応」ということである。
(そしてこのような状況は彼らにとって良くあることだ)

シンディは、1回目は「そんな、とんでもない」と断った。
よし、よく出来ました。
2回目、「でも、申し訳ないですし」と更に断った。
うんうん、しかもわざとらしくないしいい感じだぞ。
そして3回目。
Aさんが言う。「でもね、お土産のつもりで買ったんだから本当にいいのよ」
シンディ、必死に表現を思い出しながら答える。
「でも、私が頼んだんですし、お言葉に甘えて…ありがとうございます」
教師陣、声なく爆笑。
シンディ、そこは前半と後半を分けるべきなのよ…



2002年12月04日(水) 腹痛

昨夜から腹痛がひどくて、布団にこもりきりだったコージ苑。
しかし腹痛ごときで授業を休講にするわけにはいかないと、
お腹と背中にカイロをべたべた貼り付けて出勤した。
ところで、腹痛というのは体調不良としてはランクがかなり下だと感じるのだが、
それはどうしてなんだろう。
熱は我慢できても、腹痛(しかも下腹系)は何ともしようがないものが…

まあ、それはどうでもよい。
なんとか授業を終えて帰宅し、そのまま布団に直行。
一日で体中やつれたような気分でうとうととしていると、電話がかかった。
今日まで兼任大使がいたため、多忙であったスケジュールがやっと一段落し、
「飲みたい気分」だという大使館の方々である。
今日の胃腸のコンディションを考えて、しばしためらっていたコージ苑だが、
「おごりますよ、今日は」という言葉を聞いた途端、考えがかわった。
(そんな最近の自分って一体)
結果、スペイン料理をさすがに量は控えめに、そこそこ楽しめた夜なのだった。

でも、腹痛は続行中(スペイン料理じゃな…)。

※※※

森博嗣『恋恋蓮歩の演習』
豪華客船っていうのには、一度乗ってみたいとは思うけれど、
半年かけて世界一周(しかも船に乗りっぱなし)はごめんだ。
北杜夫の『航海記』は好きで好きで、もう幾度となく読み返しているのだが…
あれは自分が客でなくて「乗組員」というところが良かったのだろうか。



2002年12月03日(火) クリスマス前

12月に入り、クリスマス気分が盛り上がってきたL国である。
日本では恋人達の祭典と化している年内最大級の「イベント」も、
キリスト教圏に来れば厳かな「行事」。
とはいえ、プレゼントやツリーはやはり必需品らしく、
ショウウィンドウは華やかにデコレートされている。
R市で一番大きな広場は、クリスマス限定で仮設の露店が作られ、
民芸品やホットワインなどを売っている。
広場の中心にどどーんと立てられたツリー(本当に大きい)の周りを、
木で作られた小屋が囲んでいる様子は中々北欧しててよろしい。
本番は日本に帰っているコージ苑も、
お土産をここで物色しようと考えている。
該当する方々、どうぞお楽しみに。

※※※

森博嗣『魔剣天翔』
お嬢様好き(かもしれない)森博嗣は、どうやら飛行機好きでもあるらしい。
確か、他にも飛行機の話があった。
数点読んだ限りでは、
彼にとっては、性差は重要ではないもののようだが…(あくまで「感じ」)
つまり、男と女の見た目の違いがなんぼのもんなのよということ、かなあ。



2002年12月02日(月) 天皇誕生日

かなり前倒しという感のある天皇誕生日のお祝い。
R市内のホテルで200名近くのゲストを招いて行われた。
コージ苑達大学関係者もお招きに預かり、
ただ飯を期待して昼から食事は抜きである。

そして、一応盛装しましょうということで、二人して和服を着る。
結果は案の定、ただでさえ目立つ日本人がキモノでは、
どうぞ見てくださいと言っているようなものである。
はっきり言って、これまでの人生においてあれほど注目されたことはない。
加えて見目麗しいY先生(この人は女が見てもたまらない)は、
あちこちで声をかけられて大変そうだったのだ。
一方コージ苑はというと、そんな彼女を置き去りにして学生を引き連れ、
中央のテーブルにひっついてひたすら飲み食いしていたのである。
いやさあ、昔から言うじゃない、色気より食い気って、
って使い方間違ってる?

ご、ごめんY先生…(平謝り)



2002年12月01日(日) おノーのカンショー

R市の「新劇場」で能と狂言の舞台がある。
主催者の一人とY先生が知り合いなので、コージ苑達は顔パスで入れてもらった。

この「新劇場」、外見は全く新しくない。
何でも創業100年らしく、では何が「新」なのかというと、
上演作が新劇中心らしい。
(ここで能は何なのよという疑問には、
まあL国にとって目新しいということにしておいて)

本日の演目は能が「土蜘蛛」、狂言が「雷」。
主催者さんによると、外国の方々がビジュアル的に楽しめて、
しかも字幕無しでも通じるような単純な筋のものにしたとか。
パンフレットに大方の筋書きも載っていたので、
どうやら日本側の読みは当たったらしく、終わった後は拍手喝采。
能なのにカーテンコールを要求され、
恥かしげに出てきた「土蜘蛛」さんは、はげ頭のおっちゃんに変化していた。
そして観客サービスで、パッと糸を客席にはく(というのかなあ)と、
拾って帰る人続出である(クリスマスの飾りにするんだそうだ)。

コージ苑は勿論初体験ではないので糸は拾わなかったが、
能楽の、あの空気を切って一直線に向かってくる音を再認識。
国立などの大劇場でみるものも良いけれど、
こういう小規模の舞台で鑑賞する能もダイナミックだ。

ちなみに今日の気温は−10℃。
行き帰りの寒かったことといったら、
いっそクモの糸にくるまっていたかった。
…しまった、拾って帰ればよかった。


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コージ苑