出向コージ苑

2003年01月31日(金) 巨大カキ氷器

晴れているのに雪が降っている。
しかもそいつときたら、まるで氷。
空から誰かがカキ氷器使って撒き散らしているに違いない。
やたら細かいので当たっても痛くはないけれど、
鼻に入っても溶けずに「つまる」のが微妙に気持ち悪い。
ちょうどのどが渇いていたので、試しに口を開けてみたけど、
何の足しにもならなかった。
(何やってるんだよ私…)



2003年01月30日(木) コージ苑的仕事始め

前学期の成績を出すため、大学に出勤。
事が事だけに、さすがに集まりが良い。
…と思ったら、5人ほど来ないのがいる。
知らないぞ、コージ苑はもう知らない。
幼稚園児じゃないんだから、その辺はきっちり責任とってもらおう。

と言ってはみたものの、多少かわいそうな気がしたので、
一応2時間待ってみた。
今日はこれだけやろうと思って来たので、余分な仕事を持ってきていない。
手持ち無沙汰の2時間はとっても無意味に思える。

出勤後のアフター5を楽しむのも含めて仕事始め。
友人4人連れ立ってやってきたのはSTOMPのコンサート。
日本で1万円以上するチケットがここでは3000円弱。
安い…と感じるのはあくまで日本円に換算するからであって、
給料を考えたらとんでもなく高いのだ。
しかし、大枚はたいた甲斐あって、
公演はとんでもなくエキサイティングだった。
単純なリズムを複数重ねて音のふくらみを出す方法は、
「ケチャ」を始めとして結構色んな所にあるけれど、
ダンスや演技等、パフォーマンスを合わせ技にして、
完全なエンターテイメントとして完成させたというのが良い。
鍛えられた人間の動きを見るっていうのはいいもんだ。



2003年01月29日(水) 荷解き

時差も無関係の爆睡から目覚めてすぐ、
信じられない程の速さでEMSが着いた。
…きっとコージ苑と同じ飛行機で来たに違いない。
ということで、早速荷解きをしようと思ってはみたが、

ごめんなさい、今日はなーんにもやる気が起きませーん。



2003年01月28日(火) 一日飛行機

何故か昨夜はほとんど寝られず。
たっぷり寝たと思って目が覚め、
目覚ましがならないのはきっと壊れたからだと思いこみ、
時計を見るとまだ夜中。
そういうサイクルが3回続いた。

さすがに重い頭をもてあましながら身支度を終える。
タクシーで空港へ。
早朝のレストランに入って、軽めの朝食をとる。
コージ苑は、帰省から戻る時には必ず機嫌が悪くなるので、
両親にはとても申し訳ない。
それでも最後に挨拶をして、ゲートで別れた。
ずっと手を振ってくれていた両親を見ながら、
早いうちに日本に帰って一緒に暮らそうと思うのもいつものこと。

※※※※※

今回始めて福岡→成田→海外を、その日の内に消化してみた。
乗り継ぎの待ち時間を含めず、ざっと16時間座りっぱなし。
さすがに時間の使いどころに困り、
いつもは本数冊で済ませるところを、
編物を持ちこんで暇つぶしにあてた。

コペンハーゲンでの待ち時間はざっと4時間。
買物をしようにも、その後の荷物の重さを考えるとその気も失せる。
何もせずに4時間、というのはかなりつらい。
仕方ないのでパスタを食べてみたが、
ゆですぎの麺に、日本がまた遠くなったという実感がわいただけだった。

そして1ヶ月ぶりに帰ってきたL国は、
相変わらずろくでもない天気だった。
出迎えに来てくれた七味屋さん達は、
「それでも最近暖かいんですよ」と言ったが、
それを聞いた所でなんのありがたみも感じないってば。
(月初めに零下30度を記録したらしい。つくづくいなくてよかった)



2003年01月27日(月) 空泣いた

飛行機は明日だが、前日の今日から福岡に出ておく。
両親も一緒に。
というのは少々事情があるのだが、
その話はまた次の機会にゆずることに…しても良い?
(コトが確定していないので)

昨日までの天気が嘘のような灰色の空。
今日出発すると聞きつけた従姉が電話してきた。
「あんたも可哀相に、最後の日に太陽がないやない」
1時間後、遂に雨が降り出した。
それを見た母、「コージ苑ちゃんが出るから空が泣いたわ」。
うおうファンタジーだよお母さん。

1時間ほどで帰ると言ったのに、
仕事に出た父は2時間たっても戻らない。
予定が無意味に遅れるのは、母もコージ苑もあまり好きではない。
彼女曰く、「お父さんは大分時間」らしい。
大分は時間にルーズな県民性で、
会議パーティーなど、10分〜30分遅れる事が多いんだそうだ。
それを称して「大分時間」というらしい。
こんな言葉初めて聞いたけれど、割かしどこにでもある時間かも。
(「筑波時間」ってあったしね、ってあれはちょっと違うか)

結局家を出たのは昼近く。
おかげで福岡での予定もずれこんだ。父め。
その彼が別件で出かけたのをよそ目に、
母とコージ苑はI田屋の藤緒さん働くブースへ向かう。
「店に知り合いが来るって照れるね」という彼女にしっかり接客してもらい、
母は黒のリバーシブルのジャケットを一枚買った。

父と落ち合って夕食は焼き鳥。
その後少し町を歩いてホテルに戻り、仕事が終わった藤緒さんとお茶。
部屋に戻ると母がケーキを買って来ており、
またしてもお茶を入れて食べてみると、これが激甘。
固まったコージ苑を見て、両親が笑った。
ほほえましい?コージ苑は微妙に悔しかったけど。



2003年01月26日(日) 帰りたくない病

実家最後の一日。
午前中に親戚のおばさんが、二人の子供を連れて来た。
子供といっても、二人ともコージ苑と同世代。
(…いや、ちっとばっかり若いか)
兄は医者の資格を持っていながら資格マニアで、
妹は新年早々顔に出たヘルペスのせいで、仕事をやめたばかり。
双方の親も交えて益体もない話に花をさかせ、ケーキを食べた。
もっとも訪問の目的は世間話でもおやつでもなく、
洋裁ができる叔母が、コージ苑の服を届けてくれたのだ。
黒とキャメルの、カシミヤのワンピース。うふふー。

母が彼らに言うには、
「帰りたくない病でねえ、中々荷造りしようとしないのよ、いつも」。
その通りよお母様。
しかし今回は、それほど腰が重かったわけではなく、
割合さっさと作業を始めた。
なのに夜になるまで終わらなかったのは、荷物の多さに原因がある。
スーツケースに機内持込バッグ+ダンボール2箱。
おいおい、まるで民族大移動だよ。
一旦帰るとモノへの執着が再燃するらしい。
理想像は「どこへでも鞄一つでいける人間」なのに、実像はこの通り。
あー、情けねえなあ。

夕食はリクエストしたすき焼き。
コージ苑の個人的な好みを言うと、本チャンの一日目より、
二日目の、残りで作ったすき焼き丼の方が好き。
で、今日もわざと少し残してみた(←モノへの執着)。



2003年01月25日(土) 絶景ドライブ

寝ぼけ眼のコージ苑に母が言った。
「お父さんが角忠さんでお昼食べるかって」
即覚醒、即返答(無論「食べる」)。

掃除を済ませたいという母は家に残り、父と二人で車を走らせる。
本日快晴、高速から見る山の風景は素晴らしい。
「最後にこれを見られたのはいいね」と父が言う。
ああそうか、もうすぐまた海外に行くんだっけと、
思い出すと気が滅入らないでもないが、
たまに帰ってくるからこそ何もかもが面白いんだ、きっと。

父と共に仕事をしている職人さん達と一緒にステーキ丼を食べる。
ピーター・メイルの本に、美食家の職人の話が出てくるが、
彼らはまさに、そういう類の人物だった。
若い一人は牛肉について、年嵩の一人は料理について。
世界は広くて、人間は星の数ほどいて、
未知の星を一つ見つけるのはとっても嬉しいことなのだ。

そして勿論、豊後牛のステーキ丼は最高に最高だったしね。



2003年01月24日(金) 止まる時間、過ぎる時間

コージ苑が小さい頃からかわいがってくれた伯母さんは、
長年リューマチを患っている。
お土産を手に、お見舞いがてら昼食を一緒にした。

伯母が嫁いだ先は地元の名士のお家柄。
広い家に広い庭、広い畑と大きな車。
でも、その広い所に住む伯母夫婦は少しずつ年をとって、
ゆっくり動くようになって、静止した時間の中で過ごしていた。
扇風機のように尻尾を振る犬が一匹いる。
その犬も少しずつ年をとり、ゆっくり尻尾を振るようになった。

父と母も年をとる。
年々、帰省が終わった時に実家を去りがたくなるのは、
止まっているようで刻々と流れる、残された時間に責められるからだ。

去り際に、こちらをいつまでも見ていた伯母の姿にそう思った。



2003年01月23日(木) 欠乏症?

「しまった、買い忘れた!」と気づいたらお尻がムズムズ。
天気は悪いけど町に出ようか。
いや、何がってマンガなのよマンガ。
(もうこの人処置なし)

一条ゆかり『有閑倶楽部』文庫で9・10巻と、
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』4巻。
ふと見ると、吉野朔実の『少年…』が文庫になってる。
でもまだ1・2巻かあ…うーんうーん。
悩んだ挙句に今回は見送る。
その代わりといっては何だが、先日ネットで『いたいけな瞳』を注文した。
しーかーしー、集英社が彼女の文庫化に入ったということは、
遠からずこれも文庫になるな。
…ふっ、いいのさ別に。

それにしてもこの1ヶ月、実家でマンガばかり読み漁った気が。
全巻まとめ読みできるって時間の贅沢だわ。



2003年01月22日(水) 立派な体

先日受けた健康診断の結果が出た。
サクラジマ先生は結果表を見て一言、「立派なもんです」と言った。
コレステロールも全くなし、肝機能も問題なし、
脂肪率も腎臓も貧血もオールOK。

よっし、これでまた酒が飲めるんだもんね。



2003年01月21日(火) ぐうたらボン

数日外出が続いてちょっと疲れた。
昼前起床でごろ寝の本読み。

椎名誠『ひるめしのもんだい』
しゃべるエアコンを嫌ったり新婚ツアーにげんなりしたり、
椎名誠は今日も忙しい。
帰国中探し続けている『ロシアにおけるニタリノフの便座』は見つからない。



2003年01月20日(月) 健康診断

母が「悪いところがないか検査してもらえ」と言う。
バリウムに暗い思い出があるコージ苑は、人間ドックを断固拒否し、
近所の町医者で健康診断を受けることにした。

サクラジマ先生の病院はいつもすいている。
受付が終わると速攻で尿検査。
コップを提出して待合室に座る間もなくレントゲン、
出来上がりを待つ間に身長体重視力聴力血液血圧、
呼ばれて内科診察に問診、終わってみればその間10分たらず。
…はえー。

あまりにも早く終わったので、勢いで皮膚科にも行った。
例の、アレルギーの薬を処方してもらう。
ここでも5分待たない内に診察される。
せっかく持参した待ち時間用の本は出番なしだったのだ。

もしかして大分で病気なの、コージ苑だけ?
(健康診断は病気じゃありません)



2003年01月19日(日) 家庭内血圧差

昼近く起きて、なおかつ覚醒しきれずボーッとしているコージ苑。
朝早くから起きてしゃきしゃき働くが、基本的に無口な母。
朝早く起き、しかもいきなり舌をフル稼働させる父。
(はっきりいって彼に「おめざ」は不要だ)

休日のコージ苑家の朝はまあ、こんな感じである。



2003年01月18日(土) 地方時差

昨夜は父の喋りに付き合って、
結局3時までの夜更かしを余儀なくされた。
その分朝寝をしてやろうと思ったのに、
早朝から父の足音で起こされたコージ苑。
…なんでそんなに元気なんだ。

というわけで、昼過ぎてもまだ眠い。
仕事で2階に上がった父をよそに、寝ぼけ眼でテレビを見る。
土曜日午後の民放は、正月特番真っ盛り。
再放送ではなく、しかるべき時に放送されなかっただけである。
したがって、こちらでは正真正銘「初めての」放送。
そういえばこの地方ではかつて、
「笑っていいとも」は午後4時からの放送だった。
おかげで小さい私は「何で4時にお昼休みなんだろう」と疑問に思ったものだ。
各民放の努力もこの片田舎までは届かないらしい。
ああ地方時差。



2003年01月17日(金) いとこのこ

一番仲の良い従姉に女児誕生。
聞けば現在3ヶ月、目も開いてこちらの動きに反応するらしい。
面白そうなので見せてもらうことにした。

その子の名前は沙耶ちゃん、という。
従姉は「子」のつく名前にしたかったのだが、ダンナの熱意に折れたのだ。
ちなみにそのダンナ様、警察に勤める好男子であるが、
ふたを開けてみれば苦笑するほどの子煩悩。
毎夜毎夜「さやちゃんはどうちてそんなにかわいいんでちゅかー?」と、
顔の筋肉弛緩させてわが子を抱いているんだそうだ。
従姉はそれを見て言いようのない疲れを感じるんだそうだ。

その、問題の沙耶ちゃんは父親に限らず皆に可愛いと言われる子だった。
色が白くて目と髪が茶色い(要は色素が薄い)。
ついでに目が大きくてよく笑う。
しかしコージ苑的に一番ヒットだったのは、彼女の時報のごとき泣き方。
まず周りをうかがうように小出しに声を出し、満を持して大声になる。
これを音にすると「ア、ア、ア、ウァーーン」。ほーら時報。
素直に健やかに大きくなってね。

仕事の母をあまり疲れさせても良くないと、
今日は父アトリエに泊まる。
DVDでも買ってくりゃよかったよ、プレーヤーあるじゃん。
ローテクな生活を送る娘に、
ハイテク王国日本の恩寵をたっぷりと見せ付ける父であった。



2003年01月16日(木) 本屋さんの思い出

小学生のころ利用していた「町の書店」に行ってみた。
店主のおじさんは、コージ苑が大きくなった分年をとっていた。
そして、彼の店も年をとっていた。
昨今は大型書店に食われているのだろう、
本棚には隙間が目立ち、在庫の背表紙が焼けていた。

それを見て悲しくなるのはただの感傷だと分かってはいるが、
ついつい料理本など買ってしまう私。(年寄りに弱い)

…もしや親父の策略!?



2003年01月15日(水) 旧成人の日

用事がてら繁華街の書店に寄り、
さらにそのついでにバーゲンに走る。
バーゲンは、先日母とも行ってあらかた目的は達せられたのだが、
ジップアップタイプのジャケットだけ残している。

結局それを見つけたのはパ○コだった。
ニットではないけれど、カシミヤウール混のカーキ色したジャケット。
\26000が70%オフか…いいんじゃない?
お店のお姉ちゃんが、やたらと大袈裟なバッグに入れてくれた。

書店ではもっぱら4か月分のマンガを購入。
親の目の前で買いたくないってあたり、見栄っぱりなコージ苑。
買ったのはこちら。
『ONE PIECE』25・26巻 
『エキセントリクス』文庫1・2巻 
『無限の住人』13巻 
『フルーツバスケット』10巻 
…相変わらず脈絡のないラインナップだし、っていうか全部マンガだし。
これでいいのかコージ苑。



2003年01月14日(火) 主婦

全てはY先生のこのせりふから始まった。
Y先生:「コージ苑さんって、料理上手なんですよー」
両親:「………は?」
コージ苑、言葉通り(意味は違うけど)ほめ殺された瞬間。

一人暮らしは長けれど、両親はコージ苑の料理を食べたことがない。
信用されなかったのも当たり前。
それでなくても実家に帰って迷惑かけて金かけさせて、
申し訳ないなあと思っていた矢先だったので、
今日から母の夕食を担当させていただくことにした。
ついでに、彼女が夕方やっている家事もやろうかね。

干していた布団を取り込み押入れに上げ、
洗濯物を入れてアイロンがけしてタンスにしまう。
風呂の掃除をして水をはり、その間に夕食の下ごしらえ。
母の帰宅に合わせてお茶をいれ、炊飯器のスイッチを入れる。
たかがこれだけのことなのに疲労を感じるコージ苑。
何か、普段使わない脳や筋肉を使ったっていうか…
主婦ってこれが一日一ヶ月一年ずーっと続くのか。
いやいや…



2003年01月13日(月) 駄菓子

母親と一緒に夕食の買い物に行った。
本日唯一外に出たコージ苑のイベントはそれだった。
そこで、カル○ーのポテト○ップスを一袋選んだ。
「新製品、『しょうゆマヨネーズ』!」
即買い。←カゴまで0.2秒

…でもなあ、コージ苑ち、カトリ君に言われるまでもなく、
20数年前からしょうゆマヨ食ってたぞ。
自分ちローカルが全国区になるって嬉しいけどちょっとつまらない。
(と思っているお宅は結構多いだろう)



2003年01月12日(日) 初売り親あり

コージ苑、この程めでたく給料とりの身分になったとはいえ、
天下の日本円に換算した時のそれはまさに雀の涙で、
帰国したついでに色々買い込もうと思ってもそりゃ不可能という話。
一人娘の、学生時代とは打って変わった財布の紐のしめっぷりに哀れを感じたか
(というか、開けたところで何も出ないんだけど)、
両親が買い物に連れ出してくれた。
ターゲットは防寒具。←切実
とはいえぬくい九州のこと、防寒という言葉に対する認識は真に貧しい。
親子三人頭をひねり、行った先は「登山用品店」であった。

店内には中学生とその両親、といった感じの一群がわらわらとしていた。
察するに、これはコージ苑の母校の中学生であろう。
そこではなんともありがた迷惑なことに、
年に一度冬山に登るという行事があるのだ。
ちなみにコージ苑が登頂したのはただの1回で、
後は適当にサボったという秘すべき美しい思い出がある。
そんなことはどうでもいいが、まだ純情可憐な女生徒が、
「冬の山に登るってどういうことかしら。ああ不安だわ」とばかりに、
おそるおそる登山靴などを試しているのを横目に、店員にむかって
「すみません、実はとってもとっっても北の方に住んでいて」
などと事情を説明している自分は我ながら何者?といった感じである。

ともかく、ベテラン風店員(いかにもアウトドア派という雰囲気)に、
防寒の基礎知識を教わり、彼の助言に基づいて衣類等をかごに入れていく。
その値段がいちいち気絶するようなお値段。
いくら初売りだからって、いくら親がついているからって、
それはコージ苑の虚弱な心臓を止めてしまうほどの威力だった。
ああ、今更ながら親に足を向けて眠れない。
(しかし北枕をしない限りそれは比較的簡単なことである)



2003年01月11日(土) 移動と時間

F嬢手製の朝食をおいしくいただき、さよならをする。
JRを使って1時間で空港へ。
そこから空路福岡までは1.5時間。
特急で大分へは2時間半。
バスで実家まで20分。
移動というのは大変労力を使っているようで、実は何もしていない。
世界は狭くなったというけれど、日本半分で一日かあ…十分広いじゃん。

※※※※※

年末年始の移動中に読んだ本5冊。

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』
酒って素晴らしいよ(笑)。
今まで敬遠していた、詩という形態に触れてみるのもいいかも。
(ちなみに敬遠の理由は「青春チックで恥ずかしいから」)
とりあえずは井伏鱒二『厄除け詩集』あたりから。←恥ずかしくなさそう

小川国夫『アポロンの島』
若い頃、ギリシャあたりをバイクで旅行した筆者の小品集。
淡々と続く文章から、光と音と色がこちらに迫ってくる。
現地を旅行中に読むもよし、かつての記憶を追体験するもよし。

池澤夏樹『読書癖2・3』
本にまつわるエッセイあれこれ。
といっても軽くなりすぎず、適度に知識欲と物欲を刺激する。
この人の、平易ながらも訴えかける力のある文章が好きだ。
奥付から、文庫化されている作品が案外少ないのを知った。
ハードで探せって事?

北村薫編『謎のギャラリー 怖い部屋』
アンソロジーっていうのは一粒で何度もおいしい。
一度目は流し読み、二度目で解説も踏まえて楽しみ、
三度目で各作品を自分の好き嫌いに振り分ける。
即効で怖い話から、じんわりくる恐怖まで何でも来いの一冊。



2003年01月10日(金) 典型的

現在シチリアで働いている零子嬢と会う。
シチリア…アル・パチーノの島。←違います

約束の時間を30分ほど過ぎて現れた零子嬢、息を切らしている。
彼女は今日ビザの手続きのためにイタリア大使館に行っていたのだが、
3時間近く待たされた挙句、「昼休みだから出て行け」と言われたらしい。
そして昼休みは2時半までなのだが、
零子嬢が確認したところによると、つまるところ職務再開は3時らしい。

私達は、外国もしくは外国人に対して何かしらのステレオタイプを求める。
陽気で冗談好きでハンバーガーばかり食べているのはアメリカ人、
個人主義でお高くてお洒落でグルメなフランス人、
象に乗っててカレー好きの議論好きでITに強いインド人。
じゃあイタリア人は?というと、コージ苑の場合は、
大雑把でピザとパスタ食べてて女好きな人々、といったところだろうか。
シチリアといえばゴッドファーザー、というのは完全なる偏見としても、
イタリア人はこのステレオタイプに合致しているのだろうか。

零子嬢は、現在の職場に決めた時、
「1コマの授業は45分」と聞いていたそうだ。
そのつもりで現地に行ったところ、契約書を交わす段になって彼女は気づいた。
「…授業時間が60分になってる」と。
たかが15分、されど15分。
こういうところはきっちりしておかねば、と零子嬢は思った。
一体どっちなんだと問うた彼女に、主任教授はこう答えた。
「ああ、そのへんはまあ、適当にお好きなように」

うおーイタリア人。
(ちなみに零子嬢はほぼ毎日パスタを食べているそうで、
彼の地ではお菓子もパスタでできているらしい)



2003年01月09日(木) 一日物欲

上京してきた第一の目的、某大との面接がなくなってしまい、
今日一日が暇になった二人である。
仕事しに来たのに仕事がなくなってどうするんだあー。
一日中遊び歩くには良心が痛むし財布も軽い。
せめて教材探しにでも出かけよう。

とやって来たのは毎度お世話になります凡人社。
既に大学書籍部で重い荷物を抱えてしまったコージ苑は、
できれば一冊も買わずに済ませたかったところだが、
さすがは天下の凡人、関連書籍の品揃えが並じゃない。
(要は買ってしまったってことさ)
「これ欲しいよね」という教材の書名その他をチェックして、
店を出るときにY先生がにやにや笑って一言。
「『筆記用具のご使用は御遠慮願います』って書いとったわ」
…あなた確信犯だったの…

その後新宿あたりを攻めていた二人であるが、
トーキョーのあまりのきらびやかさに目がくらんだのか、
今日は乗り物の乗り間違い降り損ない多発。
マリンカ先生宅に帰る循環バスに至っては、無駄に二周してしまった。
やっちまった事のレベルが最早「ワタシニホンハジメテデース」。



2003年01月08日(水) 要胃腸薬

昨晩は、ちびこ宅の猫「ハナ」とプロレスをして遊んだコージ苑である。
散々もてあそばれた報復に、ハナは夜襲をかけてきた。
気持ちよく寝ていたコージ苑の胸に向かってジャンピングアタックをかまし、
前足で顔の真ん中あたりに強烈なパンチをあびせたのだ。
今朝になってちびこに訴えると、
「私にはそんなことしない、うらやましい」だそうだ。
いや自慢にならないし、というより君は飼い主なんでは…
(どうやらハナはちびこにはスキンシップをはかってこないらしい)

昼食は「ふくむら」で。
修士論文真っ只中のマロン太に院試まっしぐらのちびこ、
博士課程真っ最中の匂宮が同席する。
匂宮、店員の一人と知り合いらしい。
事情を聞いてみると、彼は大学時代に同期だったのだが、
バイトが高じてそのまま店員になってしまった由。
きっとこれから修行して、後を継ぐかどうかするのだろう。
大学はかくのごとく、人の将来を決める場所たりうる。
様々な意味で。

夕方東京に移動し、Y先生共々お世話になっているマリンカ教授に会い、
新宿高島屋にある「つな八」で夕食をごちそうになる。
コージ苑、ふくむらで遅めの昼食をとった後だったので、
天ぷら三昧(しかもネタが高級)のコースは少々つらかった。
食後にY先生がもらした言葉。
「胸よりおなかが出てたらどうしよう」
同感です。



2003年01月07日(火) 挨拶まわり

つくばのホテルで目が覚める。
さすが一流ホテル、ベッドの寝心地その他最高だったが、
ひとつ不満を述べるとすれば、
「どうしてアダルトが2チャンネルも必要なんだ」。
女がAV見て何が楽しいものか。
有料が3チャンネルあるんだったら、せめて映画とアダルトと、
もう一つは「特選ドラマチャンネル/今月は1993年!」なんかにすればいいのに。

大学訪問の理由は主にあいさつ回り。
午前中に留学生センター、午後は恩師Y教授の研究室へ。
先生方は相変わらずお元気で、コージ苑の話を興味深げに聞いてくださった。
留学生センターからはDVD教材をもらい昼食をいただき、
Y教授からは研究についての助言と、ついでに宿題らしきものも出された。

余った時間は書籍部へ。
定価の1割引を見逃す手はない。
教材をあれこれと選び、カウンターに向かう途中でふと気づく。
みすず書房のフェアで、全品15%引きになっている。
そして池澤夏樹『読書癖』の2・3巻がコージ苑に微笑んでいる。
「うー、うー」とうなって迷った挙句、その微笑に負けて買ってしまった。
こうして活字中毒者は貧乏になってゆく。



2003年01月06日(月) 走れ走れコージ苑

本日から東京に出張するのだ。
まだまだUターンラッシュ中なので、
航空券は福岡発しか手配できなかった。
大分から福岡まではJRで2時間強、計算して特急に乗り込んだ。

しかし、駅に着いてみると「博多駅雪害」の表示が目に飛び込む。
どこの九州で雪害だって?
その影響で、特急の入線が遅れ、ということは出発も遅れる。
さらにダイヤ調整のために途中で度々止まってしまい、
結局博多駅には、予定を1時間ほど過ぎて到着したのだった。
…飛行機乗れないかも。まじで。
しかし、思いっきり遅れてくれたならあきらめもついただろうが、
判断を微妙に迷わせるような中途半端な遅れ方しやがってJRめ。
とりあえず空港に駆け込みチェックインを試みると、
係員が「お客様、走ってください」と言う。

ええ、走りましたとも400メートル、
荷物を持って毛皮のコート着用で、暖房の効いた空港内を。
座席についたとたん、後から後から汗が流れ出る。
最後の一人として他の乗客に白い目で見られているかと思いきや、
その役目をこうむったのは、コージ苑より10分程遅れてきた若者5人組。

君達、とりあえずそこに正座。



2003年01月05日(日) 三国志と過去の本たち

母が風邪を引いてしまった。
熱が相当あるらしい。
父はアトリエに行ってしまった。
仕事がたまっているらしい。

寝室に母を寝かせ、ついでにコージ苑もごろりとなって読書する。
明日から東京に行くので、英気を養うのだ。
(元気なくせに)
年末にY先生宅でついうっかり『マンガ中国の歴史』を読んでしまい、
『三国志』を読みたい病にかかってしまった。
父に頼んで吉川英治を持ち帰ってもらい、滞在中に読み直そうとしている。
読書といえば、昨年読んだ本は大体160冊。
今年はもうちょっと減るんだろう。
何せ物理的な数を入手することが難しい。
その分質の良いのを読めればよいと思うけれど、どうなることやら。

ということで、昨年読んだ本の中から印象深かった5冊程度選んで…
と思ったら、リストは遠く海の向こうだった。
時期はずれになるだろうが、あっちに帰ってから改めてということで(汗)。



2003年01月04日(土) 家族旅行

家族旅行。
(※この場合法事などで発生するものは対象外とする)
サザエさんちの年中行事に欠かせない、
ということは日本の家族にとって半ば必須項目であるこのイベントが、
コージ苑家族にやってきたのはさて、何年ぶりのことか。
各種文献にそれが最後に現れているのは、
およそ25年前のことである。
…もしかしてうち、仮面家族?

ともあれ、特急に乗って向かった先は福岡県。
朝も早くから移動したため、三人ともに車内では寝息をたてていた。
少々遅いが初詣と、室見川近くの愛宕神社へ。
ここは福岡市内が見渡せるスポットとして有名なのだ。
しかし、パノラマの風景を楽しむには今日の九州は寒かった。
コージ苑は無敵のコートを着ているから良かったものの、
九州仕様のジャケット着用の両親は少々つらそうだ。

西新まで戻って、新校舎になった母校をちらりと両親に見せ、
昼食はコージ苑のリクエストで「伊藤」。
ここは高校の目の前にある喫茶店(カフェではない)で、
在学時には友人とともに週3日は必ず通った「馴染みの店」なのである。
サラダとコーヒー、それにクリームつきパンの耳がついたホットサンドセットは、
土曜日のおきまりの昼食だった。
ついでに言うと、ここでコーヒーを頼むと、
グラスにたっぷり盛ったホイップクリームがついてくる。
どうどう、飲み食いしたくなったでしょう?←なぜお前が自慢するのだ
マスター夫婦も相変わらずお元気そうで、
帰国時にはまた必ず寄る事を約束して店を出た。

註:このくだり、去年3月の日記にも書いておりました。
  何度感動しても感動してしまうサンドイッチに脱帽(笑)。

地下鉄駅前のデパートが閉店するらしい。
ここも高校生コージ苑の「縄張り」だったので、
年末に友人からその話を聞いたときにはさびしい限りだった。
閉店前の売り尽くしをやっているので3人で行ってみたが、
店内の雰囲気に活気はなく、余計寂しい思いがした。
それでも靴磨きセットや着物の端布などちょこまかと買ったのは、
義理立てではなく、単に安かったからである。
ああ一消費者の自分。

帰りは三人座席が分かれてしまい、
コージ苑は読書に、父はなにやら物思いに、母は居眠りに没頭した。
福岡と大分の県境あたりにはなんと雪が降っていた。
まさか自分がL国から雪を連れてきたのか?



2003年01月03日(金) 人間不在

午前中、インターネットを駆使して飛行機の予約をとる。
ひとつは来週の状況のために、
もうひとつはL国に帰る時のために。
前者は、特に往路でUターンラッシュにかかるのではないかと心配したが、
なんとか座席がとれ、一安心。
今はコンビニで決済ができるらしく、早速父に頼んで連れて行ってもらう。

店内にある機械を操作し、出てきた伝票を持ってレジへ行く。
提示された金額を払ってはいおしまい。
簡単になったもんだ。
U太に電報送ったときにも感じたことだが、
コージ苑は古い人間なので、「声」が聞こえない取引には不安を覚えてしまう。
そういえば、イギリスで習っていた英語の老先生は、
「私はATMが嫌いだ。壁から出てくる金なんて信用できない」と仰っていた。
その先生は、今でも窓口で手続きをしたり、小切手を切ったりしているそうだ。
これから先、ますます機械対人間の構図が増えていくことだろう。
コンピュータ処理は時間も手間もかからないので、
利用するこちらとしても結構なことなのだろうが、
なんとなく…ねえ…



2003年01月02日(木) お年玉

こにきて疲れが出たのか、コージ苑は少々体調を崩している。
朝から頭がボーとして(それはいつものこと)、咳をゲホゲホやっていた。
両親は買い物に出かけたが、今日はお留守番。
久しぶりに一人になって、本など読んでいた。

それにしても恐ろしいのは長年の一人暮らし。
一人が寂しいと思うのも最初の2年ぐらいで、
それが段々「一人はいい」にシフトチェンジするのである。
そしてさらに数年が過ぎると、遂には「一人がいい」に至る。
こうなってしまうと、同じ空間に四六時中人間がいることに違和感を覚え始める。
コージ苑宅は古い型のアパートで「個室」というものがなく、
いつでもどこでも家族の誰かが見える、という状況にある。
…というわけで、肉親にも関わらず、人気に当たってしまったコージ苑なのだ。

それはさておき、数時間後に父から電話がかかった。
聞けば、欲しがっていた桑田のCDを買ってくれたらしい。
ありがとう父!
(あの人自分もファンなんだけどね)
それがたとえ二枚組のうちの一枚だけだったとしても、
やっぱりうれしいお年玉。

っていくつになるよコージ苑。



2003年01月01日(水) 元旦事始

新年あけましておめでとうございます。
今年もコージ苑をよろしく。

明けて目覚めると、今年初のお日様はとうに天高くのぼっていた。
居間では母が雑煮を作り、父がナイフを持ち出している。
…ナイフ?
彼が何をしていたかというと、家族全員分の竹箸づくり。
新年から清清しいことではあるが、
これが完成するまでは、私たちは朝食にありつけないということだ。
お父さんおなか減ったよう。

母がパソコンを始めるというので、新年早々電気屋に出かける。
郊外の丘の上に出来たショッピングモールに至る坂道は、
初日の出暴走族の集会のごとく連なる自動車でうまっていた。
正月とはいえ、みんな新年から暇なのねえ。
コージ苑が幼少の頃は、商店は軒並み3日まで閉めていたものだが、
今時の商売はそう甘いことも言っていられないらしい。
電気屋さんも例外ではなく、初売りで忙しそうだ。
迷った挙句に小さめのノートパソコンを購入し、
ついでにコージ苑は自分用の電子辞書を購入し、
そしてそれらを父に持たせて店を出る(お約束)。

ちなみにコージ苑が正月早々帰宅早々、
基本設定からインターネットの手続き等をさせられたことは言うまでもない。


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コージ苑