出向コージ苑

2002年11月30日(土) 夜型

昼過ぎに起き、本を読み、コーヒーを飲み、
両親からの電話で少々話し、
部屋が寒いので布団に入ってまた本を読み、
という完全だらだら型休日を消化しつつあったコージ苑だが、
大使館員さん達からの電話でにわかに活動を開始する羽目になった。
曰く、「能のレセプションであまったオードブル食べませんか」
食べるに決まってんじゃん。
Y先生宅集合で、結局ただの飲み会になってしまった。

いつもと多少違ったのは、
Y先生の上の階に住んでいるアメリカ人男性がいたこと。
NPOでここに来ている彼の話題は実に多岐にわたり、
ふんふんと聞いている私達は、まるで講義を受けている学生だった。
30分程でNPO氏が帰った後は、180度違う与太話に切り替える。
どうやら脳細胞の全てが英単語の解読だけで使い果たされてしまったらしい。
そして「オードブルじゃ足りない」と言い出した面々。
どうやら英単語の解読に体内のカロリーまで使い果たしてしまったらしい。

なんと哀れな日本人の私達(←勉強しろよ)。

※※※

米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』
ロシア語通訳として活躍してきた著者のロシア話。
自分が近く(?)にいるせいか、やたらと面白く感じた。
得体が知れない、と思っていた旧ソ連およびロシアの政治家が、
読後にはすっかり酒好きで人のいいおっさんと化してしまったから不思議である。



2002年11月29日(金) 水炊きとF国の国民的菓子

週末の恒例になりつつある夕食会である。
今回のメンツはR市在住の日本人のうち(比較的)若手6人、
メニューは水炊き。
先発隊が中央市場に買出しに行き、7時集合で鍋に火を入れる。

今日のコージ苑は昼頃起きた。
「どうせ夜ご馳走だし」などと理屈にならない理屈をこね、
ゆで卵を一つ食べただけだったので、空腹この上ない。
鍋を囲んで楽しい会話、というよりは黙々と消化活動にいそしむ。
Y先生と二人で手首のスナップをきかせ、
ひたすらたたいて作った鶏団子が滅法うまかった。

食後のデザートに、
麿君(彼は平安貴族のようなお顔立ちなのである)が妙なものを持ってきた。
アメのようだが、なにやら黒い。
実はコージ苑は一度お試し済みなのだが、
これは北欧F国の国民的菓子なんだそうだ。
国民的、というからにはF国ではこれを老若男女食っているのだろう。
未体験のダッカさんと七味屋さんが一つ口に入れる。
モゴモゴ。
「……………」
二人ともひたすら無言、なかなか味のある顔をしている。
この菓子、実を言うと掛値なしにまずい。
なんというか、昆布だしのミントを砂糖で固めた味がする。
これに日常親しんでいるというだけで、
F国人とは結婚したくないと思ってしまうほどの強烈さ。
持ち込んだ麿君は一人微笑んでおられた。
完全に彼の作戦勝ちである。

※※※

森博嗣『夢・出逢い・魔性』
この人のパターンがちょっと見えてきた。
コージ苑個人としては、この「Vシリーズ」とやらの方が好み。
推理やトリックではなく、登場人物がこっちの方が気持ちいい。
しかし森博嗣はタイトルと章立てに凝るなあ。



2002年11月28日(木) 昨日と同じ服

予定外の宿泊のため、着替えは当然持参していない。
結果、昨日と全く同じ服で出勤するコージ苑先生である。
(ちょっと恥かしかった)

前期の授業が早くも終りに近づき、
最近はテストの準備等に時間を取られる日々であるが、
今日は人の頭を悩ませる問題を作るという作業には向かない一日のようだ。
何せ寝不足、気のきいた問いも思いつかず、
早々に諦め、横になってのんびり本を読んだ。
こういう諦めの早さは20も後半に入ってからのことだなあ。
進歩なのか退化なのか…

※※※

森博嗣『幻惑の死と使途』
しばらく続きそうな気配の森博嗣。
読みながら「第九」を聴いていたので、このイメージで記憶しそう。
ストーリーには関係ないけど、
どうして犯人の事を「ホシ」って言うんだろう(誰か知りませんか)。



2002年11月27日(水) 一足お先にクリスマスプレゼント

学科事務室で呼び止められた。
「ここにサインを頂戴」と言うのはここの秘書さん。
何だなんだ何の書類だと聞くと、
「法律が変わって、あなた達のお給料が少し上がるから」
…ええええ!?まじでええええ!!??
いくらいくら?
「16Lt(日本円で3000円くらい)かしら」
!!!嬉しい、嬉しすぎる!!
歓喜の踊りを舞い始めたコージ苑に、他の先生方は苦笑していた。
ま、ね、3000円でここまでね…(安い奴だと思われたに違いない)

それでもめでたい話なので、Y先生宅に報告がてら立ち寄り、
ビールで乾杯。
ついでに夕食もご馳走になり、さらに後期の授業計画など立て、
気づけば夜の9時。
「泊まっていけば?」という言葉にありがたく甘える事にした。

※※※

くだんのL国旅行の際に求めた酒をあける。
モノはきいちごのワイン、と思って買ったリキュールである。
何しろワインだと思い込んでいるからグラスにたっぷりついで、
乾杯、と一口飲んだらこれが激甘、透かしてみると糖分が「見える」。
うー。



2002年11月26日(火) 書類

昨夜遅くまで日本の某役所に提出する書類を書く。
これ、全て手書きである。
最近はめっきりパソコンでの作業に慣れきっており、
ふとしたところで手が止まったり字がゆがんだりする。
語学教師としてあまりよろしくないなあ、などと反省してみたりした。

しかし、コージ苑ふと気づいた。
ぶっつけの文章を書くの、結構得意かもしれない。
役所に提出するというのに下書きなし、原稿なし。
後で読んでみると、我ながら態度でかめの文章が綴られている。
それを読んだY先生、
「書類書きのグルと呼ぶわ」
…その呼称はちょっと…(ある団体の教祖を)…

※※※

森博嗣『まどろみ消去』
前任の先生、余程森博嗣が好きだったらしい。
いや、というより作品中のインテリ男性キャラが、と言うべきか。
確かに解脱した気配のある研究者というのには惹かれないでもないけど、
実際こういう人がそこら辺に量産されていたらどうかなあ。
短編集自体は読み飛ばせるもの。
「お洒落な小噺」といった印象、別段感動なし。
こういうのは軽く読むのが楽しい。



2002年11月25日(月) トトロ

2時間目、「トトロ」を二年生に見せた。
先日の「千と千尋」同様、かなり面白かったらしい。
特に中トトロ小トトロ(正確にはなんていう名前なんだろう)に大ウケ。

でもあんた達、
メイちゃんの「おじゃまたくし」と「とうもころし」。
このギャグが分らなくてどうする…(もっと勉強しろ)



2002年11月24日(日) ダウン

今日は手付かずの論文をやって、
来週の授業準備をして、
掃除をして、
料理をして、
お茶でも飲んで本を読んで、

と思っていたのに、最後の一つしかできなかった。
(女っていやあね)



2002年11月23日(土) おすしパーティー

大使館勤務の七味屋さん宅は新しくて広い。
2年生の女の子達はおすしが食べたい。
イコール、七味屋さん宅でおすしパーティーでしょう。

午前中、日本人4人で買出し。
鮭、イクラ、ツナという手巻きの材料プラス、
鮭のエンガワの燻製とかサバの酢漬けなど、「おいしそう」なものを選ぶ。
炊飯器も今日は2台が全力稼動。
あわせて8合の米が炊き上がり、学生達を待つ。

ドヤドヤと入ってきた彼女達は、はじめ緊張して大人しかったが、
おなかがふくれる頃にはすっかりくつろぎ、
DVDが見たいとせがむようになった。
七味屋さん宅には、ジブリのシリーズが揃えてあるので、
その中から「千と千尋」を選び、デザートを食べながら鑑賞。
日本映画祭で「居酒屋ゆうれい」を見て「コメディはどこですか」、
「アイコ16歳」で「ドラマはどこですか」と評したローラ、
今日は「コメディもドラマもありました」と大満足。
そうかそうか、こういうのがお好みなのね。
(ということは、フランス映画あたりは全くお気に召さないだろう)
その後、L国と日本のゲームを交互にやった。
印象として、どこの国のゲームも単純なルールなのに面白い。
いい大人が夢中になっちゃったぜ。

すっかり満足した彼女達が帰った後は、
ホスト役で疲れきった日本人が残り物を適当にアレンジして夕食。
ワインをあけつつ世間話に興じていたが、
さすがに今日は午前様になる元気もなく、健全な時間に終了。

※※※

帚木蓬生『臓器農場』
現役の医者が書いた医療サスペンスは冗談抜きでこわい。
そのあたり、「ブラック・ジャック」を思い出す。
脳死から一歩進んで無脳症はヒトか、という問題を提示する。
いのちとは何だろう、生きているとはどういうことだろう、
という作者の問いが全編にある。



2002年11月22日(金) 二日酔いとユーロスポーツ

午前中にY先生宅を辞し、自宅でエヴァを待つ。
先日契約したケーブルテレビのチャンネルを増設するのだ。
工事費の関係で、契約当初はつかなかったユーロスポーツ。
今ちょうどサッカーがおもしろい時なので、これが見られるのはとても嬉しい。

ただ、今日に限ってはスタジアムの歓声が頭痛を引き起こしてたりして。

※※※

森博嗣『月は幽咽のデバイス』
…この人、お嬢様好きなのか?(笑)
シリーズごとにつくファンが違いそうだ。



2002年11月21日(木) たまには時間をかけて

ちょっとした授業時間の変更で、
午後がまるまる空いてしまうことになったコージ苑とY先生。
このところ忙しかったし、ちょっとゆっくりしようよという話になり、
泊まる準備をして家を出た。

中央市場に行き、夕食の食材を買う。
珍しくほうれん草が出ており、葉物が恋しくなったのでそれも加えた。
以前から、ゆで豚を作ろうという計画があったので、
今日はそれを実行にうつすことに。
映画に行くY先生を待つ間、コージ苑が台所に立つ。
誰かのために作る料理というのは、自然と手が込むものだ。
セロリやイタリアンパセリなどの香味野菜と一緒に豚肉を1時間ほどゆで、冷やす。
その間にほうれん草もゆでてしまい、刻んで梅肉とあえる。
玉ねぎを塩もみにして、さらに茎わかめを水でもどし、
全部あわせた上にかつおぶしをちらしてサラダ。
Y先生が帰る時間を見計らい、ラーメンをゆでる湯をわかし、
豚肉をゆでた後のスープも温めなおす。
通常ならただの湯で粉末スープをとくのだが、
今日は特別、このスープでラーメンをつくる。
付け合せにほうれん草、ゆで豚のスライスをそえて出来上がり〜。

帰ってきたY先生と呼び出しの七味屋さんの3人で夕食兼飲み会である。
今日はビールなしでしょっぱなからワイン、
その後蒸留酒系にいってしまったため、三人とも飲み過ごしてしまった。



2002年11月20日(水) 残高

L国で仕事を始めてはや3ヶ月。
今日は…今日は…

初めてのお給料日なのだ―――――――――――――――!!!!!!!!!!
(21世紀がきた瞬間より嬉しい、はっきり言って)

朝から「退勤したら銀行の残高見に行こう(下ろしに行こう、ではない)」と、
うきうきして過ごしていたコージ苑なのに、
今日に限って夕方遅くまで特別講義があるなんて…

※※※

吉村昭『仮釈放』
殺人罪で無期刑を受けていた主人公が仮釈放される。
本来が真面目な彼は、保護司の指導のもと、新しい生活を一見問題なく始める。
しかし、過去犯した犯罪を思うとき、主人公に悔悛の情はない。
その彼に再婚の話が持ち上がり…
推理小説の犯人には別段「深い事情」を求めないコージ苑だが、
この主人公には大いに同情を感じる。
殺人を肯定するというのではないが、彼の場合はまさに不運。
強いて主人公の側に原因を求めるとすれば、
彼が世界最大級の真面目人間だったということか。



2002年11月19日(火) 日本映画祭

大使館主催の日本映画祭は今日が初日。
コージ苑の学科のスタッフと学生には、レセプションの招待状が送られてきた。
こういう時にはおなかを空っぽにして望むのが正しい姿勢である。
1時間の歓談の後の映画は「居酒屋ゆうれい」。
今更というなかれ、海外での上映はいろいろと面倒なのである。
日本側はあれを「コメディ」の範疇に入れるが、
こちらの人達には、「あれのどこがコメディなんだ」ということになったようだ。
どうやらクスリと笑う程度のものではコメディと呼ばないらしい。
じゃあどんなのだというと…

コージ苑がエキストラした、どうしようもないアホ番組みたいのなんだろうな…

※※※

宮部みゆき『火車』
この人の文章は周知のとおりとても平易なものである。
で、結論から言うと、長編の方がいい(勿論個人的には、の話)。
短編も上手だなあとは思うのだが、読後にどこか物足りなさを感じてしまうのだ。
この長編、ラストは比喩ではなく、手に汗握り、
最後の1ページまで大満足。



2002年11月18日(月) 独立記念日

本日、L国は独立記念日で祝日である。
しかし、普段から月曜日が休日のコージ苑にとっては、
別に嬉しくも何ともないのだ。
Y先生宅にお昼近くにお邪魔して仕事をする。

そろそろ休憩でもしようか、と言っていたときのことである。
突然の爆発音と共に床が揺れ、窓ガラスが振動した。
とっさに「地震!」と飛び上がったコージ苑であるが、
実はこの音、川向こうから礼砲がぶっ放されたためだったらしい。
あー心臓に悪い。
それにしても、ものすごい音である。
路上駐車している数台の車の警報機が鳴り出すほどの、まさに「爆音」。
しかもそれが連続21発。
(註:これは数えたわけではなく、後ほどとある人に
「礼砲は国際的に21発と決まっている」と聞いた受け売りである)

そして夜、日本人でまったりと酒など飲んでいると、
再び響く爆発音。
今度は何だと思えば、本日のクライマックスである花火だったらしい。
といっても、一発ずつを楽しむ日本とは違い、
半ばやけくそのようにボコボコ打ち上げている。
ディズニーランドでやる花火か、
ヒロ・ヤマガタの絵あたりを思い出していただければ良いかと思う。
そしてこちらも再び鳴り響く車の警報音。

結論として、L国の独立は爆発音と警報音につきると思ったコージ苑であった。



2002年11月17日(日) 占領博物館と黒ビール

日本からY先生のお友達が来ている。
いい機会なので、4年生のリナにガイドを頼んで、
R市中心にある占領博物館を見学に行くことにした。

占領博物館は、1930年代のソ連による支配に始まり、
40年代ドイツによる占領を経て90年のL国独立までの、
他国による占領の歴史を、多くの資料を中心に紹介する施設である。
館内の解説はL国語・ロシア語・英語・ドイツ語。
英語を根気よく読んでも良いが、かなりの量があるため、
全てを把握するにはかなりの時間と気の長さが必要である。
そこに少しでも日本語の解説が入ると、理解度がかなり違うのだ。
都合2時間半、リナには良い日本語の練習に、
私たちには歴史のお勉強になった。
コージ苑が注目したのは、2国による支配の実像というよりは、
写真の中に垣間見える人々の笑顔だった。
ひどい時代であったとはいえ、某かの笑いは人間に必要なものなのだろう、と。

深刻な話題の後は、楽しい夕食会。
大使館のお歴々を交えて、
アイリッシュパブでギネスとフィッシュ&チップスである。
コージ苑は久々のコクとクリーミーな泡に大満足。
無論、フィッシュ&チップスにはビネガーでしょう。

※※※

湯本香樹実『夏の庭』
確かこれ、数年前にタレントが絶賛してから改めて売れた本じゃないかしら。
(発売当時も売れたんだとは思うけど…記憶違いかも)
確実に「選定図書」だなこれ、と思いつつ読んだが、
良かったことは確かに良かった。
途中数箇所、うーんと考えさせられるところもあったし。
ただ、学生にちょうどいい日本語かな、と思った自分に職業病を感じたが。



2002年11月16日(土) 正しい休日

休日だというのに、珍しく9時に起きる。
いや、実は8時半には目覚めていたのだが、
「休日に早起き」(早起き?)というのが悔しくて、
意地で布団から出なかったというのが本当の所。

※※※

乙川優三郎『椿山』
何を思ったか、両親文庫(今名づけた)第3回配本は時代小説ばかり。
第1回配本で『生きる』を読み、
老いた武士の涙に危うくほろりといきそうになったコージ苑である。
これは作者初期の短編集。
老人介護をテーマにしたものなど、
そのまま現代に持ってきても通じるものだった。
とはいえ、江戸時代も「日本」なんだもんなあ…

宮部みゆき『堪忍箱』
初期のサスペンスに挑戦し、
今いち馴染めなかった宮部みゆきであるが、
これを良い機会と考えることにする。
それにしても、時代小説を書いてもこの人「社会派」だ。



2002年11月15日(金) またまたエキストラ

前日急に入ったバイト、今回はテレビのエキストラである。
バイト料を聞いて一も二も無く承知した、
初給料を心待ちにしているコージ苑2○歳の秋である。

撮影はR市内かと思いきや、
送迎車がぐんぐん進んで止まった先は、海岸沿いの町Y市であった。
ちんまりとしたスタジオには、
時々テレビで見るようなセットやらカメラやら証明やら。
すげえ、まるでテレビだと思ったコージ苑は単なる阿呆である。
思い出すのも恥かしい化粧をされ(センス疑うっつーの)、
何故か演技指導などされてしまう。
…エキストラって、歩くだけとか立ち止まってるだけとかさ…

で、どんなテレビかというと、これがL国版アホ番組である。
ストーリーは以下のとおり。

毎回変なことを考えつく変なL国人。
今回はうまい金儲けの方法を編み出した。
すなわち、旅行者に「旧市街を案内する」と持ちかけ、
上手い事を言って自宅に連れて行き、
そこでレスリングショー(←ここら辺の脈絡がよくわからない)を見せ、
料金を取るついでに「賭け」てもらおう、という計画。
早速仲間を集め準備をし、
ひっかかったのはカメラを下げた東洋人3人組。
さて、「賭け」の結果は…

それにしても、日本人観光客(中国でもいい、区別ついてない)というと、
馬鹿でかいカメラを持たせたがるのはどうしてだろう。
実際そういう人が多いんだろうけどさ、
今時一眼レフでもなしにあんなカメラ持っている日本人いるもんか!
くっそう、いくら不景気だからっていってニッポンなめるなよ。

ニッコリ現金払いで一時的に潤ったコージ苑。
金のために何か人として大切なものを売り払った気がしないでもないような…

※※※

吉村昭『桜田門外ノ変』
この事件が発生した経緯は、一応中学あたりで習った。
が、教科書で得た知識がそこで止まっているため、
このようにドラマ仕立てで書かれるとかなり新鮮。
当時は「ふうん」で終わっていたのが、
関連文献にでも目を通してみようかという気になるのだから不思議である。



2002年11月14日(木) セーシュンな話

夜、Y先生と長電話。
内容は語るも恥かしい青春チックなことであった。
ほら、よく中学高校の時に、
女友達と深刻ぶって(その実大した事ない)お話したでしょう。
あれですあれ。
いやいや…コージ苑もまだまだ青いわ。

※※※

麻耶雄嵩『翼ある闇』
これでもかと続く勝者と敗者入れ替え戦が飽きさせない。
多少サービスしすぎという感じもするが、
これ、デビュー作なんだよなあ。



2002年11月13日(水) 刺されるかかけられるか

連日の雨に、少々うんざり気味である。
冬のL国では、歩行者は歩くにも神経をすり減らす。
冗談ぬきに、それは生命に関わる問題なのである。

雨の日、人は歩道のどこを歩こうと思うだろうか。
それは車道からなるべく離れた建物よりの端ではないか。
なぜなら、うっかり車道際にいようものなら、
歩行者のことなど見えていないドライバーから、
盛大に泥水をかけられるのが落ちだからである。
日本は罰則も定められており、まだましな方。
L国のドライバーは
「車も持っていない奴は濡れても文句いうな」と言わんばかりの、
走り屋も逃げ出すようなスピードで水溜りを通過するのである。
勢い、不運な歩行者は頭から水をかぶる事になる。

しかし、建物側も、実は安全とは言い難い。
それは「つらら」があるからである。
特に冬の終り、つららが溶け出す季節になると、
いつ上から氷の槍が降ってくるかわからないのだ。
実際、毎年一人は死者が出るという。(本気で洒落にならん)

結局まん中を歩けっていうことか。
それにしても、幅のある歩道ならいいけれど…



2002年11月12日(火) ちいさい「よ」

実はコージ苑は、先週からちょっとしたバイトをやっている。
バイトとは言ってもL国くんだりまで来てマクドではない。念のため。
日本大使館勤務のマルティン氏に、日本語の個人レッスンをやっているのだ。
レッスン料は週約600円+終了後に車で送迎。
相場よりかなり安いが、この寒くて暗い時に送迎は助かるので、
まあバイトというより小遣稼ぎという感じでやっている。

マルティン氏は掛値なしにゼロからのスタートである。
わずかに知っている単語は「こにちは」「おはよございます」「ほん(←何故…)」程度。
教科書が読めないことにはどうも、ということで平仮名から始めた。
うんとがんばって、今日は「な」から「ん」まで、+濁音と拗音をやった。
濁音まではスムーズにいったものの、マルティン氏拗音がどうも苦手である。
例えば「ちょうちょ」を「ちよちよ」と読む。
それじゃ島倉○代子じゃないか。
自分でも出来ないのが分っているので、姑息な手を使う。
「きゅうりょう」の「りょ」が読めず、
困った彼は「きゅうよぅ」などと、声を小さくするのだ。
いや、そこで小さくしても意味無いんだけどね。
まあ良い良い、のんびりやろう。

しかしマルティン氏、レッスンが終わって帰る段になると俄然張り切りだす。
彼の車は床に鉄板が敷かれており、車内は赤で統一、ハンドル小さめ。
極めつけに、音楽に合わせて足元で光る青い光。

こいつ……L国版走り屋だ。

ちなみに大使館での彼の仕事は守衛と運転手。
走り屋の運転でビップを運ぶL国日本大使館…(笑)



2002年11月11日(月) ゾロ目で決心

ここ数週間の煩悶に決着。
冬帰る。(←何気なく「父帰る」のパロディだったりして)
冷酷に時を刻む秒針の音を気にしつつ、両親に国際電話をかけて決定を伝える。
こんな時に二人が別居してるっていうのは具合悪いんだよな。
母は快諾。ちょうどパソコンを習いたいとか。
父は、母に言付けていた時はあれほど威勢が良かった(らしい)くせに、
直に話すと「いや、どうせだったら旅行に行けばいいのにと思った」
とか何とかむにゃむにゃ。
つくづく娘に弱いやつめ、と勝利の微笑み。
まあ、二人とも一人娘の行く末が心配なのだろうと、忠告はありがたく頂戴して、
とにかくあなたたちの娘は「諸般の事情により」帰省しますからね。

※※※

購入後一ヶ月、ほぼ置物と化していたテレビ。
本日やっとケーブルの工事が入る。
マンガに出てくるようなおじちゃんがにぎやかに作業を進め、
辛抱強く1時間待った結果、占めて35チャンネルがコージ苑のものに。
契約料は月300円。安い。

といっても、英語の番組は3つだけなんだけど。



2002年11月10日(日) カバー

旅行の時に、麻のテーブルクロスセットを買ってきた。
広げてみると大きさは300×150。
おまけに30センチ四方の同色のナプキンが11枚もついている。
どんな豪邸で使うんだよ、という突っ込みはひとまず置き、
さてこれをどう使おうか、と考えた。
勿論コージ苑宅にはこのセットを満足させるような食卓はない。
考えられるのは床に敷くか、ソファのカバーにするか。
まず、床に広げてみた。
大きさはちょうどいいが、少々青が明るすぎたか。
消去法で、ソファのカバーに決定する。
すると、今まで使っていた空色のクロスが余る。
では、こちらは作業机の椅子用にしよう。
二枚の布で椅子を適当にくるみ、隠しホチキスでパチパチと。

30分程あれこれためした結果、部屋の奥半分が青で統一された。
こうなるとカーテンも替えたいところであるが…



2002年11月09日(土) 大人しく

昨夜、帰宅後にどうもしんどいと思っていたら、少々熱があった。
こんな日は人にも会わず、仕事もせず、大人しく寝ているに限る。
自分が学生だったら構わず出かけてたんだろうけど、
やっぱり「明日があるし」と控えてしまうあたりが、
遅ればせながらちょっとは社会人っぽい?

※※※

坂東眞砂子『山妣』
「死国」「狗神」の作者と聞き、
夜中にトイレにいけなくなったらどうしようとおそるおそるページを捲ったが、
結局怖いのは化け物ではなく人間だという事だった。
その点『屍鬼』と類似の視点である。
女の悲哀が多少なりとも感じられるのは、やはりコージ苑は女なのだな。
ああよかった。←疑うな



2002年11月08日(金) 会議は踊る

休日出勤して会議。
今日みたいな日に限って、雪景色である。
昨夜、鍋の下ごしらえをしつつ、キノコをしげしげと眺めていたせいか、
ふわふわと軽い雪が積もる様が菌類の繁殖に見えた。
この菌糸を伸ばした生き物は、きっと明日にはかっちりと成型されているのだな。

会議は結局2時間半ほどかかった。
脱線が多いんだよ脱線が。
コージ苑、寒さのおかげであまり体調がすぐれず、
身を入れて聞くのもしんどくてしょうがない。
しかも英語だしさ…(←これは自分のせい)

すっかり遅くなってしまい、Y先生宅にでも泊めてもらうか、と思っていると、
彼女は七味屋さんの自宅に家具を運び入れる手伝いに行くとのこと。
ついでに夕食にも連れて行ってもらえるというので、
コージ苑は自らコバンザメになることを志願した。
といっても、片付け自体はものの30分で終り、
その後はギリシャ料理のお店で夕食。
しかもお・ご・り。
ああ、なんて素敵な響きなのかしら。
コージ苑チョイスは、カボチャのクリームスープにニジマスのロースト。
ワインはドイツの白、食後にコーヒー。
体調が悪かろうが良かろうが、幸せな一日の終りであった。
(ただ今味覚を反芻中)

それにしても、3日間連続で食い物の話っていうのも、
自分が荒んでる気がするぞよ。

※※※

有栖川有栖『孤島パズル』
ラスト、犯人の独白シーンで「名探偵コナン」を思い出す私って…
コージ苑は、何かしら同情を誘うような理由で殺人を犯す犯人像よりは、
徹底して悪役!越後屋!という感じの奴の方が好きだけど。
確かクリスティの『ポアロのクリスマス』での冒頭の言葉で、
「もっと血を。見まごう事なき殺人を」というのがあったなあ。
このお話、血はたくさんあるけど犯人が素敵な人だけに綺麗な印象が。



2002年11月07日(木) キムチ鍋

かねてより計画を立てていたキムチ鍋、本日決行。
表向きの理由は、L国旅行で運転をしていただいた七味屋さんへのお礼、
本当はコージ苑達が食べたかったから(←ひどい)。
前任の先生の置き土産に、キムチの素が一瓶あったので、それを使う。
中身は全部R市で手に入るもの。
豚肉、細ねぎ、白ねぎ、きのこたくさん、白菜、
オーラス用にラーメンがわりの卵麺。
メンツはY先生に七味屋さん、大使館A嬢とダッカさん。
酒は持ち寄りの結果、ビールからワインシャンパンと、各種そろった。
このメンバーは全員お酒が飲めるので、瓶が空くのも早い。
「キムチ鍋にシャンパンかあ…」などと一応は言ってみるが、
その実全く気にしていないのだ。
5人ともほぼ同世代なので、昔読んだマンガの話やテレビの話もOKである。
楽しく過ごし、気づけば日付が変わっていた。

しかし、キムチ鍋の唯一の欠点を思い出したのは帰宅後の事。
…自分がくさい…



2002年11月06日(水) 蛋白質と繊維

旅行前から、米と味噌以外ほとんど何もなかったコージ苑の台所。
贅沢は言わないけど、連日白ごはんというのも何か侘しい。
ということで、今日は残業抜きで食料品買出しに行く。

自宅近くのスーパーで、野菜以外のものをいろいろ選ぶ。
本日特筆すべきは、ソーセージと鮭を両方買ったことである。
(肉と魚を同時に買うというのは、この場合贅沢なのだ)
さて野菜はというと、これは外にある小市場の方が新鮮なのだ。
コージ苑のお気に入りは、市場の中でも露店ではない、
プレハブ状になった比較的大きいお店。
ここは緑黄色野菜が(この近辺では)一番充実している。
ちなみに、露店ではじゃがいもなどの根菜類が多い。
理由はわからない。
目の前に並んだ野菜どもを物色し、白菜と大根、トマト数個を手にとった。

手にずしりと重たいビニールバッグも、「おいしいの素」だと思えば幸せ。

※※※

森博嗣『詩的私的ジャック』『封印再度』
前者は再々読かそれ以上、後者は再読。
コージ苑は『封印再度』のサブタイトルに当時えらく感激した。
シリーズ第1作の『全てがFになる』よりは印象が薄くなったものの、
この作者の本は、いずれにせよ、すっきりクリア。
カタカナ語の語尾短音化が気になるのはコージ苑の職業病。

花村萬月『ゲルマニウムの夜』
読後、いつもの風景がいつもと違うように見えてしまう本は久しぶり。
嫌悪感を覚えつつ目をそらせない表現満載。
好き嫌いという感想では終わらせないところがすさまじいというかなんというか…
「五感の全てを使って」という賞賛は、
江國香織ではなくこちらに捧げられるべきか。
巻末の対談が面白くて、
出張で日本に行く知り合いに小川国夫の本を頼んでしまった。



2002年11月05日(火) 怒られたコージ苑

祭りの後は、普段どおりの一日が始まる。
疲れていないようでやっぱり疲れていたのか、
通常の睡眠時間をとったのに、眠たくてしょうがない。
午前中の授業をなんとか終わらせ、昼食を買いに階下の学食に行った。
お昼時なので、狭い学食は大変な混雑ぶりである。
自分のとY先生の、二人分のパンを選んで財布をあけると、
なんともタイミング悪いことに、小銭が一枚もなく、札も大きいものしかない。
当然、「小銭はないか」と聞かれた。
「ごめん、ない」と財布を見せると、レジのお姉さんの目が殺気立った。
なんと言っているのかわからなかったが、推測するに、
「小さいのくらい用意して来なさいよ」という感じだろうか、
こちらが驚くほどの大声で怒鳴り始めた。
ひとしきり罵っただけではおさまらなかったらしく、
彼女は憤然とレジを開けると、わざと小額の小銭を数えはじめる。
そしてまた、それを一枚一枚たたきつけるようにしてコージ苑の前に置く。
接客バイトをしていた自分に言わせればこれは言語道断の態度であり、
よほど「あんたなんなのよその態度」と喧嘩を売りたい気分だったのだが、
まあ旧東側の国ではよくあることなので、諦めてそのまま外に出た。

そう、よくあることなんだけど。
もうあの学食には行きたくないなあ。



2002年11月04日(月) 南へ(その3)

シェイクスピアホテルの素晴らしさは、朝食にもかくれていた。
ここ、メニューが一つに決まっておらず、リストの中から客が選ぶ。
軽いものからしっかりしたものまで、いくら頼んでも宿泊客は無料。
コージ苑はイングリッシュブレックファースト。
だってシェイクスピアだし。
朝食とは思えない量の皿をがんばって平らげる。
お味は言うまでもなし。

チェックアウト後、七味屋さんは市内観光、Y先生とコージ苑は買物へ。
コートである、コートである、コートなのである。
値段が高いデザインが悪いと、R市と同じようにいちゃもんつけてまわり、
そろそろ妥協しないとなあ、と思っていた矢先にその出会いはあった。
昨日見かけて「見るからにダメそうだよね」と評した店。
なんて言ったって店名が「ODA」である。日本かよここ。
R市で見かけていいなあ、と思っていたのと同じようなデザインで、
値段はこちらの方が5万円ほど安い。
皮の色はこげ茶色で、表面に細かい型押しの模様がついている。
汚れやすい襟元と袖口だけ人工の毛になっており、その他は完全に本物。
欲を言えば丈がもう少し欲しい気もしたが、あまり長すぎても泥跳ねが怖いので、
まあそこは良し悪し、と心を決めた。
日本で考えてもバカ高い買物ではあるが、
ここで過ごすにはどうしても必要なもの。
向こう10年間は余裕で着られる品質とデザインを選べたと思う。
他にも麻製品やら何やら、ちょこまかと買ってホテルへ戻る。
今回に限っては、全く日本人は、と言われてもしょうがないかもしれない私たち。

どんな旅行でも帰り道は長く感じる。
日本の歌謡曲をかけながら、ひたすら幹線道路を北上。
無事に北のL国R市に帰り着いたのは、夜の8時頃であった。
道路にうっすらつもった雪に寒さを感じつつも、
部屋で一人、戦利品をながめつつにやけているコージ苑。
きっと他の二人も同じことをしているに違いない。



2002年11月03日(日) 南へ(その2)

さすがに早起きはできず、9時起床。
ホテルで遅めの朝食をとり、2時間ほど旧市街を観光する。
日曜日なので、大聖堂には多くの市民が足を運んでいるのを横目で見ながら、
二日酔いの七味屋さんのリクエストでコーヒーを飲む。

今日はちょこちょこと寄り道をしながら行こうということで、
カウナス市内の高台にある「杉原記念館」に向かう。
杉原千畝という名は、
映画「シンドラーのリスト」が公開された当時、話題になった。
6000人分のビザを書いたというその領事館は、
まわりの民家と比べても格段豪華なわけではなく、
むしろ周囲にとけこんでひっそりと残っていた。
残念ながら日曜日で休館だったのだが、窓からのぞいてみると、
彼が使ったと思われるタイプライターや机を見ることができた。

寄り道その2は、首都近くにある湖の町トラカイ。
しかしやっぱり季節が悪い。
灰色の空をうつした灰色の水と、水温をうつした冷たい空気。
他の観光客にとっては格好の見世物になりつつ、
3人の日本人は早々にレストランへ。
名物だという「キビナイ」は、
揚げ餃子を特大にして皮をパイ生地にしたような料理。
中身の羊肉やら野菜やらがいい具合に味付けされており、一つでおなかいっぱい。

今日の最終目的地はL国の首都、ヴィリニュスである。
道路がどんどん広くなり、車の量が増えたと思ったら、立体交差に入る。
…(三国一の都市だと言われる)R市にはこんなものないぞ。
それにしても市内は一方通行と通行止めの乱発で、走りにくい事この上ない。
何度もぐるぐるしつつ、やっとのことでホテルに到着。
Aさんに勧められたここは、何故か「シェイクスピア」という。
さすがに高級ホテル、フロントのお兄ちゃんもやたらとかわいい。
(本当にコージ苑はくだらない事にしか注目しないよな)
各部屋には文豪の名前がつけられており、Y先生とコージ苑の部屋はヴォルテール。
室内もそれにちなんで、
ヴォルテールその人の石膏像やら著作やらが置かれている。
もちろんファブリックは最高。
夜に入ったお風呂は、
バスタブに座るとお尻がつるんとすべるほどの素晴らしさであった。

七味屋さんがお休みしている間、二人は市内を散歩。
コージ苑の最大の目的である「毛皮のコート」の目星をつけるためである。
もちろん休日で店は閉まっているので、ウインドウをチェックする。
大雑把に見た感じだと、R市よりも1割から2割安いようだ。
ふむふむ、これは期待できるかもしれないぞ。

夕食をどうしましょう、という話になり、
あてもないので、来る途中に見た巨大なショッピングモールに行ってみた。
…すごかった。
広い敷地にそびえるモールはその名も「ハイパーマキシマ」
(←ダブルですごそう)。
朝8時から夜中の0時まで営業しており、映画館も併設している。
一通り見てまわり、気軽そうな中華料理店でアジアの味。
満腹になった後は、第二の目的である「米」を求めてモール内のスーパーへ。
スーパーといっても、ちょっとしたデパート程の品揃えで、
七味屋さんはスピーカーが安いと大興奮。
その間に女性軍は食料品売り場で米を大量に買う。
ロンググレインでないお米!しかも10キロ!ブブブブブブラボー!!
後は勿論お酒。
ここの地酒はこけもものワインとかはちみつのリキュールとか。
小さ目の瓶を2本買う。
すっかり物欲の塊と化した3人、大満足で帰路につく。
ちなみに本日は飲み会なしで就寝。
(って、Y先生と二人でリキュール1本空けたけどね)



2002年11月02日(土) 南へ(その1)

週末旅行である。
メンツはY先生に七味屋さん、およびコージ苑。
行き先は国境の南、もう一つのL国。
電車やバスを使うとかなりの時間だが、車なので怖いものなしである。
パスポートと「地球の歩き方」、カメラとクレジットカードを持ってゴゥ。

海外旅行、といっても小さな国のこと、国境にはほんの2時間少々で着いてしまう。
国境地帯はさすがにものものしい警備がしかれており、
かなり大きなゲート(ちなみに手動である)があった。
パスポートチェックは何の問題もなく通過。
南のL国に入って最初の目的地は「十字架の丘」という場所である。
ここは何だか知らないけれど、丘一面に十字架がひしめいている。
大きな十字架が地面に立ち、そこにまた小さな十字架が置かれ、
果ては地面に小石で作った十字架が並べられている。
とにかく、同型物が大量にあるということは迫力の源になる。
そこに宗教がかっていると、更に怖い。
ちょっとゴシックホラーな映画にでも出てきそうな場所だ。
(もしくは某ゲームでマテリアが見つかりそうな場所といっても良い)
ぶるっときたのは、寒さか空腹か、または怖気のせいか。
30分程で観光終了。
近くにあるシャウレイという町で昼食をとる。

おなかも落ち着き、今日の宿泊地のカウナスへ。
チェックインしたホテルの名は「モネラ」。
「ゴジラ対モネラ」とかありそうだ、などとあほな事を考えた。
部屋は値段の割に広くて良い。
夕食の前に、宴会用の買出しに出かける。
ホテルが町の目抜き通りに面しているので、散歩もしやすい。
ここはいわゆる「L国の大阪」なのだそうで、
つまりL国では二番目の都市。
それにしてはコージ苑の住むR市(首都である)より都会なような気が…
ワイン3本とビール4本を買う。

夕食はガイドに出ていたL国料理のレストランで。
普段とんでもない粗食に耐えているコージ苑、ここで奮発しないと女がすたる。
選んだメニューは「サーモンのオイスターソース」。
Y先生はビールのつまみに「豚の耳」と「ガーリックトースト」。
七味屋さんは「鶏のカレーソース、ライス添え」。
ちょっとずつ交換しながら満腹中枢が切れるまで食べた。
…はずなのに、なぜか部屋に戻って飲み会を開いている3人。
「明日の分」とかいって買ったはずの酒瓶7本は一夜のうちに消え去った。

そして真に恐ろしいのは女である。
ダウンした七味屋さんを部屋にのこし、
コージ苑とY先生は自室で更に2時間喋っていたのだ。
こうして、旅行1日目はまるで修学旅行のノリで締めくくられた。



2002年11月01日(金) ひきこもり

一日中引きこもりのコージ苑である。
(「またか」とあきれる友人の顔が目に浮かぶ)
寒そうな外を眺めながら、暖かい部屋の中で温かいお茶を飲み、
音楽など聴きつつパソコンに向かうって…

優越感だ。
誰に向かっての優越感かは知らないけど、とにかく優越感なのだ。
しかも金曜日だっていうのがまた良いのだ。
まっとうな方々は、朝早くおきて働いているのだ。
そんな中コージ苑は部屋でごろごろしているのだ。

などと書いていると今度はちょっと引け目を感じてきたりして。


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コージ苑